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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「闘う教師」が生徒の希望

2010年03月30日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《教育が危ない2010》
 都立高校卒業式;日の丸・君が代」不起立で担任外しも
 ★ 「闘う教師」が生徒の希望

樫田秀樹(ルポライター)

 わずか四〇秒。その間、「日の丸・君が代」を拒否する教師は全国にいる。たいていの場合、文書訓告や戒告処分。だか東京都は別格だ。減給や停職、再任用拒否といった、尋常でない処分を科している。それでも自身の信条を守るため、強制に抗う教師が絶えることはない。
 3月2日、都立高校の教師と元教師計五〇人が「日の丸・君が代」に不起立をしたことで都から受けた処分の取り消しと7716万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。
 東京都教育委員会が、都内の公立学校の式典において国旗掲揚と国歌斉唱を義務づけたのは二〇〇三年一〇月二三日。いわゆる「10・23通達」だ。その後、〇四年三月以降、多くの教職員が.不起立をし処分を受け、二回提訴している。今回の第三次提訴は、〇七年三月以降の不起立で処分を受けた教師が起こしたもので、原告数は、二八五人にまで膨らんだ。
 原告団代表の岡山輝明さん(五六歳、社会科)は、昨年の卒業式で初めて不起立をして文書戒告を受けた。
 「不起立で生徒や保護者から批判を浴びたことは一度もないのに都教委の処分は納得できない。裁判所には思想の白由を保障してもらいたい」と裁判前に決意を語った。
 奇しくもこの日、三月二日から都立高校の卒業式が始まった。今年も不起立で意思表示をした教職員はいたが、都教委が処分を発令する三月三一日を前にした本号では、処分への影響を避けるため、詳細は次週以降に譲る。
 次に紹介するのは、都教委のやり方に苦しむ教師だ。
 大能清子さん(都立本所工業高校定時制、国語科〉は、〇四年三月に不起立をした。理由は、「私自身が強制する側に身を置き、生徒も自分も苦しめた経験があるから」。
 二五年以上前、大能さんは神道系の私立高校に新人教師として就職した。毎日の「日の丸」掲揚は当たり前、天皇賛美の歌も歌えば神棚への土下座もする。入学時に思想信条は問わないので、そのやり方に違和感を覚える生徒もいたという。
 「教室に隠れる子もいましたが、そういう子を引っ張り出し、頭を押さえつけて土下座させました」
 こんな強制はやりたくない。でもやらなきゃクビ……。すると原因不明の体調不良が大能さんを襲う。「心身症」と診断した医師は「職場を変えないと治らない」と告げた。その後、大能さんは三年間勤務した私立高校を離れ都立高校に勤務。すると赴任一日目で、「心身症」は治った。
 「その経験から、二つを実感しました。一つは、強制が生徒との関係を壊す事実。もう一つが、『もう苦しみたくない』という思いです」
 そして「10・23通達」後の〇四年三月、卒業式が始まっても大能さんは不起立を迷っていた。だが生徒を目にした瞬間、「強制の立場には立てない」と「君が代」が始まっても座り続けた。結果、文書戒告処分となり第一次提訴の原告の一人となるのだが、処分はほかにもあると語る。
 今年、校長から「来年度から担任を」との話があった。だが、大能さんの「式典でのことがよろしければ引き受けます」、つまり不起立しますがいいですかとの回答に後日、大能さんは担任に就けなかった。
 担任を外れれば、式典当日は不起立の必要のない会場外での役割を担うことが多い。この会場外の役割は校長の、教師への処分を避ける配慮であるのか、不起立教師が出れば校長自身も受ける都教委の事情聴取を避ける手段のどちらかだ
 大能さんの不起立が一度だけなのもそれが理由だが、不起立への覚悟があっても、式典中は会場外にいる教師は相当数いると推測される。
 もし会場内にいたら?大能さんは、「自分の人生観をよほど変えないと立てないと思う」と回答する。
 ★ 新人教師への心配
 都立高校のAさん(社会科)は過去に二度の不起立をした。〇五年三月と〇七年三月だ、一度目は文書戒告、二度目が減給一〇分の一を一ヶ月だった。つまり、裁判の第二次と第三次の原告である。減給処分を受けても声は明るい。
 「いやあ、人権を守るためのコストと思っていますから」
 だが痛いことが二つあった。「一つは大能さん同様、一度目の不起立の後、担任に就かせてもらえないこと。もう一つは今年度で定年退職するAさんは再任用試験と再雇用試験の両方を昨秋受けたが、一月にどちらも不合格との結果を受けたことだ。
 「子どもがまだ大学生で、お金がかかります。これが本当に痛いです」
 たしかに自分の行助に後悔はしていない。一度目の不起立の後、Aさんは都教委から事情聴取を受けた。その際、「あなたはこの行動に対してどういう責任を取るのか?」の質問に「思想や信条を問う質問には答えられない」と答え、調書へのサインを拒否。二度目の不起立での事情聴取は、弁護士立ち会いが認められなかったことで出席拒否をした。
 ここまでAさんを貫かせたのは、社会科教師として生徒に教えた「日の丸・君が代」の歴史的背景に自分が同調できないという思いもそうだが、都教委のおかしなやり方には従えないという思いである。
 その都教委と、不起立ではなく言論の自由を訴え闘うのが、昨年三月まで都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さんだ。在職中、土肥さんは国旗掲揚と国歌斉唱、職員会議での挙手や採決の禁止など都教委の通達や通知に従ってきた。だが従いながらも、「挙手・採決禁止は教師や生徒から言論の自由を奪う」と○八年、実名を出して都教委に撤回を要求したのだ。
 これを機に、都教委は「指導」の名目で土肥さんを何度も呼び出しては圧力をかけ、昨年度末、定年退職後の非常勤教師としての採用を拒否した。
 そこで土肥さんは都教委を相手取り損害賠償請求を起こすのだが、都教委の圧力はまだ終わらなかった。前校長は来賓として招待されるはずの三鷹高校卒業式の招待状が、届かなかったのだ。そこで同校に問い合わせたところ、「歴代校長は呼ばないものと思っていました」と常識では考えられない答えが返ってきた。
 その後、現三鷹高校校長は土肥さんを新宿まで呼び出し、こう尋ねた。――「祝辞を述べるためだけに来るんですよね」。
 だが一三日の式典当日、土肥さんは肩透かしを食らう。来賓の二~三人が祝辞を述べると司会者が、「以後は時間がありませんので、来賓のお名前のみの紹介にさせていただきます」と土肥さんに機会を与えなかったのだ。
 これを阻むものは一体何なのか。こういった経験を重ねると土肥さんの思いはますます強くなる。「絶対に都教委を変えます!」
 さて、Aさんや土肥さんは自分を貫き学校現場を後にした。だが心配なことがある。
 「私たちは教育現場が変貌する過程を見ています。でも新人教師はそれを当然として働き始める。組合への加人率も徐々に下がる今、何が問題かを彼らに教えるべき先輩教師もゆとりがない。身の回りの問題に無知となる教師が減らないか心配」
 その心配に微力ながら呼応するのが、まっとうな学校現場を取り戻したいと願う市民の存在だ。
 一六日、東京都練馬区の大泉高校前で「都教委包囲・首都圏ネットワーク」「練馬教育問題交流会」が卒業式会場へ向かう生徒と保護者に「おめでとうございます」と声をかけながら「歌う自由もあれば、歌わない自由もある」と打ち出したチラシを配った。今年も、可能な限り多くの学校で行なっているという。
 共通の思いは「上(都教委)から下(教師や生徒)への強制が詐せない」ことだと練馬教育問題交流会代表の林明雄さんは語る。
 全体から見れば、不起立する教師は年々減り、保護者の関心も薄い。だが共通の思いがある――「それでも闘わなくては何も変わらない」
 その姿を誰かが見ている。岡山さん(前出)はこう語った。
 「ある生徒がこう言いました。問題は重いけど、こういった先生たちがいることが希望ですって」
『週刊金曜日』2010.3.26(792号)

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