刑事起訴されたことに対して
私は、公立学校の一社会科教員として人生の過半を過ごしてきた者です。北海道の釧路に近い寒村、白糠高校定時制7年をはじめとして、都立高校の教員として36年間勤めてまいりました。2002年3月、最後の都立板橋高校に7年勤めて定年退職しました。
その都立板橋高校に在職中の最後の年、当時一年生であった生徒を私が生活指導等を行ったこともあり、その生徒らが2004年3月に卒業することになったため、私が在職中に在籍した生徒の最後の卒業式に参列したく、案内状をいただいて、3月11日、板橋高校にむかいました。
この卒業式では、卒業生のYさんが、「三年間、お世話になったお礼ということで、ピアノを伴奏する」と言うことを聞いておりました。Yさんは、視覚障害者で、耳からの音だけで道路を横断して登校していました。私は在職中、何度も朝、登校指導のかたわら横断に付き添ったことがあります。よく三年間、車と接触することなく通いとおしたと胸に迫るものがありました。この生徒が、卒業式でピアノ伴奏するのを聴くことを楽しみに、卒業式に参列することにしたのでした。
私は、卒業式が始まる前、早くに来た保護者が待っている時間帯、歩いている人がいたり、挨拶を交わしたり隣りと話したり、携帯をかけている人がいたりする時に、保護者の方々に語りかけたにすぎません。
言論、表現の自由というのもおこがましいささやかな行為であります。「はじめに自分が今年の卒業生の一年の時の生活指導担当であった」と自己紹介し、「今年の卒業式では、教員は国歌斉唱の際に起立しないと処分されます。」という、都教育長の10・23通達の内容について話しました。それまでの卒業式とがらりと変わったことを、保護者の方々に知ってもらいたかったのです。私の在職中は、一度も強制的に、懲戒処分の脅しをもって「君が代」を歌えなどということはありませんでした。誇りをもって勤めていた都立の高校が、行政の政治的圧力のもと変質させられていると感じておりました。私は、「ご理解願って、国歌斉唱の時できたら着席をお願いします。」と言って、話しを終えました。
私は、既に述べたとおり、板橋高校在職中の最後の1年、生活指導担当として、十数名の喫煙等の問題を起こした卒業生の指導にあたりました。その保護者の方々も学校に来ていただいておりました。その点で気楽に待ち時間の保護者の方々に話かけたにすぎません。
それだけのことで、何故いきなり退出を命じられねばならないのでしょうか。遠くから朝早くに車で高速を利用してたどりつき、最後の卒業式への参加を楽しみにしていたというのにです。あとで聞きますと、先ほど述べた生徒の伴奏のもと、卒業生皆で選んだ歌「旅立ちの日に」を卒業生皆がいっしょに見事に歌いきって感動的な卒業式だったと聴いております。
私の行為が、何故、学校長と都教委から被害届が出され、早朝に家宅捜索までされ、警察から何度も事情聴取の呼び出しを受け、その上、起訴されねばならないのか、今もってまったく納得がいきません。
都立高校を退職後、年金生活者としてアルバイトでガードマンをしつつ田舎の一隅でひっそりと余生を送っていた私にとって、起訴をされ裁判が継続することはあらゆる意味で塗炭の苦しみです。仕事もこの強制捜査の関係でやめざるをえなくなりました。
私が今こうして被告人とされ、刑事法廷の場に立っていることがどうしても納得がいきません。これが現実とは思えないのです。
裁判所におかれましては、一刻も早く、この場から私を解放してくだされますよう、切にお願いいたします。
2005年4月21目
元板橋高校社会科教員藤田勝久
私は、公立学校の一社会科教員として人生の過半を過ごしてきた者です。北海道の釧路に近い寒村、白糠高校定時制7年をはじめとして、都立高校の教員として36年間勤めてまいりました。2002年3月、最後の都立板橋高校に7年勤めて定年退職しました。
その都立板橋高校に在職中の最後の年、当時一年生であった生徒を私が生活指導等を行ったこともあり、その生徒らが2004年3月に卒業することになったため、私が在職中に在籍した生徒の最後の卒業式に参列したく、案内状をいただいて、3月11日、板橋高校にむかいました。
この卒業式では、卒業生のYさんが、「三年間、お世話になったお礼ということで、ピアノを伴奏する」と言うことを聞いておりました。Yさんは、視覚障害者で、耳からの音だけで道路を横断して登校していました。私は在職中、何度も朝、登校指導のかたわら横断に付き添ったことがあります。よく三年間、車と接触することなく通いとおしたと胸に迫るものがありました。この生徒が、卒業式でピアノ伴奏するのを聴くことを楽しみに、卒業式に参列することにしたのでした。
私は、卒業式が始まる前、早くに来た保護者が待っている時間帯、歩いている人がいたり、挨拶を交わしたり隣りと話したり、携帯をかけている人がいたりする時に、保護者の方々に語りかけたにすぎません。
言論、表現の自由というのもおこがましいささやかな行為であります。「はじめに自分が今年の卒業生の一年の時の生活指導担当であった」と自己紹介し、「今年の卒業式では、教員は国歌斉唱の際に起立しないと処分されます。」という、都教育長の10・23通達の内容について話しました。それまでの卒業式とがらりと変わったことを、保護者の方々に知ってもらいたかったのです。私の在職中は、一度も強制的に、懲戒処分の脅しをもって「君が代」を歌えなどということはありませんでした。誇りをもって勤めていた都立の高校が、行政の政治的圧力のもと変質させられていると感じておりました。私は、「ご理解願って、国歌斉唱の時できたら着席をお願いします。」と言って、話しを終えました。
私は、既に述べたとおり、板橋高校在職中の最後の1年、生活指導担当として、十数名の喫煙等の問題を起こした卒業生の指導にあたりました。その保護者の方々も学校に来ていただいておりました。その点で気楽に待ち時間の保護者の方々に話かけたにすぎません。
それだけのことで、何故いきなり退出を命じられねばならないのでしょうか。遠くから朝早くに車で高速を利用してたどりつき、最後の卒業式への参加を楽しみにしていたというのにです。あとで聞きますと、先ほど述べた生徒の伴奏のもと、卒業生皆で選んだ歌「旅立ちの日に」を卒業生皆がいっしょに見事に歌いきって感動的な卒業式だったと聴いております。
私の行為が、何故、学校長と都教委から被害届が出され、早朝に家宅捜索までされ、警察から何度も事情聴取の呼び出しを受け、その上、起訴されねばならないのか、今もってまったく納得がいきません。
都立高校を退職後、年金生活者としてアルバイトでガードマンをしつつ田舎の一隅でひっそりと余生を送っていた私にとって、起訴をされ裁判が継続することはあらゆる意味で塗炭の苦しみです。仕事もこの強制捜査の関係でやめざるをえなくなりました。
私が今こうして被告人とされ、刑事法廷の場に立っていることがどうしても納得がいきません。これが現実とは思えないのです。
裁判所におかれましては、一刻も早く、この場から私を解放してくだされますよう、切にお願いいたします。
2005年4月21目
元板橋高校社会科教員藤田勝久