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再雇用採用拒否撤回裁判・証人尋問

2009年09月13日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 生徒と作ってきたフロア形式の卒業式、政治主導で不可に
 ▲ 再雇用採用拒否撤回裁判・証人尋問

永野厚男(教育ライター)

 "君が代"強制強化の10・23通達後の卒業式等で不起立を貫き、05年と06年3月の退職後の再雇用採用を都教育委員会に拒否された、都立高元教諭13人が"不合格"撤回を求めている裁判で、稲田龍樹裁判長がただ一人証人採用を認めた原告・宮坂明史さんへの尋問が09年8月27日、東京高裁で行われた。

「報告集会」 《撮影:平田 泉》

 まず宮坂さんは、「小学校低学年の朝鮮戦争の頃、銃を剥(む)き出しにした米兵20名ほどが、近所の在日朝鮮人の家を囲み、その家の父親を連行していくのを目の当たりにし、国家権力が一般市民に暴力を振るうことに衝撃を受けた」と語り、「国家が天皇を中心に市民を一つの方向に束ねる、"君が代"強制に反対する原点」を陳述した。
 次に宮坂さんは、「勤務校だった都立成瀬高は、都教委の第1次通達(1999年~03年)下ではフロア形式の式場で、国旗は三脚掲揚。車椅子の生徒も自分で卒業証書を受け取れ、『生徒が間近に見られ、温かい式だ』と保護者からも評価を受けていた。しかし10・23通達前後、一部都議や教育委員がフロア形式の4校を名指しし、校長は都教委に呼び出され、『壇上正面に国旗を掲げ、生徒は正対する』よう指示され、都教委から指導主事らが監視に来るようになったため、フロア形式は議論の余地もなくなった」と述べ、「生徒と教員が共に作ってきた式」が政治主導で変えられた経緯を明らかにした。
 この後、都教委側・細田良一弁護士らの「個人の思いと公務員の立場を切り離せないか」との問いに、宮坂さんは「どんな立場でも基本的人権は守られなければならない。『長い物に巻かれろ』と起立する行為はできなかった」と反論した。
 ところで、原告側が明らかにするよう求めてきた「2000年以前の再雇用不合格者数」を、都教委は3年間「見付からない」と言い続けてきた。しかし尋問前日の8月26日の夜、都教委は「平成10年の後藤孝教・人事部選考課長名(公印なし)の文書が見付かった」とし、「平成4(1992)年から平成9(1997)年の間、不合格者数が4人~9人出ている文書」を急遽、教員側の秋山直人弁謹士の事務所にFAXしてきた。
 この事実を法廷で指摘した秋山弁謹士は、報告集会で「民事訴訟法で相手方が十分準備する時間をとらなければならない、とある。都教委の行為は常識で考えられない」と、批判した。
【解説】 再雇用採用拒否撤回裁判は08年2月7日、東京地裁(*中西茂裁判長)が、「10・23通達に基づく校長らの(起立強制の)職務命令は、憲法19条(思想・良心の自由)に反するとは言えない」とし(07年2月の最高裁ピアノ判決のコピペ)、また「改定前教育基本法10条の『不当な支配』に該当するとは認められない」としつつも、「都教委は職務命令違反をあまりにも過大視し、その裁量を逸脱、濫用した」と、「都教委による不法行為」を認定し、慰謝料の支払いを命じた。このため原告・被告双方が控訴した。

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