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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

批判こそ愛国 「君が代不起立・処分取消訴訟」傍聴報告

2008年10月17日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ▼ 批判こそ愛国
 「君が代不起立・処分取消訴訟」傍聴報告

ひらのゆきこ

 10月6日(月)午後1時10分より東京地裁で、卒業式等の君が代斉唱不起立で停職処分を受けた根津公子さんと河原井純子さんの「停職処分取消訴訟」の口頭弁論がありました。(略)

 約3時間半にわたって行われた証人尋問は、教育に対する公権力の介入の違法性について、教育法学者の市川須美子さんが証言しました。また、「戦争は教室から始まる」という本の著者で、軍国少女であった元教員の北村小夜さんは、自らの体験を語り、戦争の修身の教科書と「心のノート」の類似性を指摘し、国が誤った方向に進もうとしているときに批判をすることこそが愛国であることを強く訴えました

 ▼ 市川須美子さん「教育に対する不当介入は憲法違反」

 最初に、市川須美子さんが証言をしました。主尋問では、教育の自由についての観点から、最高裁の判例などに即し、10.23通達の違法性などについての質問がありました。

 市川さんは、教師が君が代斉唱不規律で停職処分を受けたことについて、教育に対する権力の介入という点で、これまでのどの裁判より深刻であり、強化された権力介入であると述べ、ピアノ裁判の最高裁判決は、憲法19条だけで判断したものであり、教育の自由の侵害に関わる本件の裁判の先例とはなり得ない、との判断を示しました。

 最高裁学テ判決については、国民の教育権と国家の教育権についてはいずれも全面的に採用できないとされ、教育に関しては、子どもの学習権が一番大事であるとの判断を示した判決内容であったと説明しました。
 本件に対する強制による権力的介入の特徴については、具体的な教育活動に対する介入であり、学校活動である学校行事に対し、国旗掲揚、国歌斉唱を一様に義務付け、式次第を命令し、教職員の服装などまで指示している*10.23通達が「教育内容の具体的介入といわずしてなんというか」と述べ、直接的権力介入があることを強調しました。(略)

 本来、学校行事というのは、子どもと教師が中心となり、父母や地域住民が作り上げていくものであり、そのあり方に即したやり方を一切認めないのが、国旗掲揚・国歌斉唱を義務付けた10.23通達の内容であるとしたうえで、フロア形式での卒業式や入学式の否定など、これまでの学校活動が否定されたことが大きな問題であることを指摘しました。
 日の丸・君が代については歴史的背景があり、アジア諸国はもとより、日本国内にあっても議論があり、歴史的負の側面があることを考えたとき、国家のシンボルである日の丸を掲揚し、君が代斉唱を一律に強制するのは、公権力が国家への肯定を強制する行為であり、ナチスドイツの「ハイルヒットラー」と同じように、国家に対する忠誠の意味を持つことを指摘しました。(略)

 懲戒処分に縛られて唯々諾々と教育ロボットに追い込まれ、教育者としての自己の使命を裏切ることは、教師の人格の崩壊につながることであり、40秒であっても信念を貫かざるを得ないことや、起立せざるを得ない教員も、自分の人格を切り刻み、切り刻まれ、追い込まれている、と述べ、厳しい状況に追い込まれてる教師の現状を訴えました。
 1人でも集団の群れから外れた人がいたら寄り添うのが教師であり、教師の人権を保つために不起立にならざるを得ない、と述べ、自分の判断でやっていいというメッセージが不起立には込められていると語りました。
 不起立を繰り返していることについては、教師であり続けるために自分の生身の体をさらし、教育ロボットになれと言われてもなれない心からの叫びであり、表現であると語りました。懲戒処分に追い込まれてもそれを貫いているのは教師の誠実さの表れであり、教師にとって必要な不器用さであるとして、原告らの行動に理解を求めました。

 市川さんは、未履修問題についての文科省の処分が公文書偽造という重大な犯罪行為であったにもかかわらず、厳しい処分となっていないことを指摘し、教師の良心に従い、たった40秒の不起立で重い処分が下されるのはあまりに落差がありすぎ、不公平であるとして、文科省の対応を厳しく批判しました。

 市川さんの主尋問が終盤に差し掛かったとき、中西裁判長が、傍聴席に対し、「眠い人がいれば外に出てください。眠り声が聞こえてきます」と注意を与えました。傍聴席の最前列に座っていた筆者は、中西裁判長がときどき居眠りをしているのを見ていたので、その注意をそのまま中西裁判長にも与えたいと思いながら、裁判官のみなさんは自分たちも見られているということを理解する必要があるとの感想を持ちました。(略)

 反対尋問では、被告代理人から、主として最高裁のピアノ裁判の判決に対する証人の認識についての質問がありました。被告代理人は、教師は自分がその考えに与しなければダーウィンの進化論や社会のルールを守ることなども教えなくてもいいのか、などと故意に問題を矮小化するような質問を繰り返していました。どんな質問に対しても丁寧な答弁をしていた市川さんも、「なにを目的として質問をしているのかわからない」と逆に質問をする一幕もありました。

 反対尋問が終わったあと、*中西裁判長が質問しました。中西裁判長は、教師の人格が壊れ、教師自身が崩れる、ということを証人は言ったが、それは、主観的なものか、と質問しました。市川さんは、「主観なものであり、それはいじめと同じ」と答えました。
 また、進化論を信じていなくても進化論を教えなければならないとすれば、日の丸・君が代を否定している教師も同じではいないかという質問に対しては、一つの見解だけでなく、ほかの考え方がある場合、その異なる見解についても教えることができる自由があることが必要であるとの見解を示しました。(※「進化論」は「信じる」ものではなく論証として「理解」するものでしょう。)

 ▼ 北村小夜さん「批判こそ愛国」

 次に、北村小夜さんの証人尋問がありました。北村さんは、養護学校の教員になった経緯や、*戦争中の学校教育のことなどについて証言しました。

 1932年、北村さんが小学校に上がる直前、上海事変における爆弾三勇士の武勇をたたえる旗行列があったそうです。三勇士は北村さんが生まれた久留米市の工兵隊から出兵しており、当日北村さんも小旗をもって行列に参加しました。旗を配ってくれた町内会の世話役のおじさんが北村さんを高く掲げてくれ、上から見る旗の波はきれいで、「すっかり日の丸が好きになりました」と語りました。
 2年生の冬、現天皇が生まれ、翌春、皇太子誕生を祝う会があり、北村さんたち生徒は、北原白秋作詞、中山晋平作曲「皇太子様お生まれになった」に合わせて日の丸の旗をもって踊ったそうです。以来、北村さんは、「天皇陛下一直線です」と語りました。

 日本が米英に宣戦布告して間もなく、美術の教師に「鬼畜米英撃滅」のポスターを描いてくるようにと言われた北村さんは、台所でお母さんが肉引器で大豆かなにかを引いているのを見て、これだと思い、画用紙の上半分に大きく憎いルーズベルトとチャーチルの似顔絵を描き、体を小さく描いて肉引器の中に入れ、下から血や肉が滴り落ちるように仕上げ、我ながらうまくできたと悦に入りながら翌朝早く登校して美術の教師に渡したそうです。
 ところが、教師は一瞥しただけで、もとのようにくるりとまいて戻し、再び北村さんの顔を見ようとしなかったそうです。このときの教員の態度について北村さんは、「教員は自分の意に染まないことには最小限の協力しかしないことで自分に忠実に生きた人だと思うが、教師であるために十分国策の伝導をしていることを知っていた。せめてこのとき、これは人道に反する、と言ってくれたら私のその後の生き方は変わっていたかもしれない」と述懐しました。

 北村さんは、ボーイフレンドが「この世で会えなかったら靖国で会いましょう」と言い残して海軍予備学生になったことから、自分も京城の日本赤十字社救護看護婦養成所に入ったことや、朝鮮の毎日は皇国臣民の誓詞を唱えることから始まったことや、土地も言葉も名前も奪われた朝鮮の人たちの思いを、当時は理解できなかったことなどについて語りました。

 当時は修身が首位教科で、全ての教科が修身的であり、全ての教科が*教育勅語の実践編だった述べ、「天皇陛下のお治めになるありがたい国に生まれたのだから忠義を尽くさなければならない、そのためにいい子でいなければならないというものでした」と語りました。
 北村さんは、02年に配布され、使用が義務付けられている国定道徳教材の「心のノート」は、同様の趣旨でいい子を示し、国威をあげた人を見習って「わが国を愛しその発展を願う」国民の育成を目指している、と指摘しました。配布直後に行われた文科省の配布状況調査では、盲・聾・養護学校及び特殊学校は対象から外されており<*u>、「障害者は愛国者になれないということでしょうか」と皮肉を込めて批判しました。

 北村さんは、現状がきわめて危機的な状況にあることや、根津さんと河原井さんがなぜ不起立をせざるを得ないのか、その理由について次のように訴えました。
 「いま、私たちは後退りを続けています。この事態が戦前です。私たちを教えてくれた先生たちもすべてが戦争推進者ではありませんでした。しかし、疑問や抵抗を示す人はいませんでした。態度に示さなければ推進者の役割を果たします。だから私は軍国少女になり戦争をし、天皇ために青春を費やし、まだ取り戻せていません。原告らはその愚を繰り返すまいと異議を申し立てています。国が進む方向を誤りかねないときは批判こそ愛国です
 (以下略)

『JANJAN』(2008/10/09)
http://www.news.janjan.jp/living/0810/0810088996/1.php

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