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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「学校に言論の自由を!」土肥裁判結審 本人意見陳述

2012年12月08日 | 暴走する都教委
 ※控訴審判決は、2013年2月7日(木)13:15~ 東京高裁511号法廷
意 見 書

東京高等裁判所第7民事部御中
2012年(平成24年)12月6日
元東京都立三鷹高校校長 土肥信雄

 1はじめに
 私は子どもの時から「嘘はつかないように」と教育されました。私は第1審の東京地裁、控訴審の東京高裁でも嘘はついていません。
 事実は一つなのに、今回の裁判では全ての点において東京都教委育会(都教委)の主張と私の主張が事実関係において違っています。裁判所ではどちらが正しいのか見抜き、公正な判断をしていただけると信じていました。ところが第1審の東京地裁では都教委の主張をほとんど認め、私が敗訴したのです。
 しかし証人尋問や意見陳述書等により都教委の多くの主張が間違っていることが証明されました
 2.都教委の主張が間違っている事項
 ①「職員会議での意向を聞く挙手・採決の禁止」について、都教委は「校長は日々の教職員とのコミュニケーションで意向を把握できるはず。土肥は教職員とのコミュニケーションがなく、意向を把握できないから、通知の撤回を要求しているのであって、その職務を放棄している土肥は校長の資格はない。」と主張しています。
 しかし12人の校長のもとで働いた曽根証人は「全くでたらめ。土肥校長はコミュニケーションをとるのは、ぴか一でした。」と証言し、都教委の主張を全面的に否定したのです。
 ②米長氏密告事件で都教委は、米長氏が三鷹高校に行く指導はしていない、指導は2回であった、米長氏の密告情報は1回目と2回目の指導の間であった、と主張しています。
 しかし曽根証人は職員会議で米長氏が三鷹高校へ来ることを周知したこと、ジャーナリストの池添氏は、指導は3回であり、米長氏の件は1回目の指導から行われていたことを証明してくれました。
 ③都教委は、土肥は2008年2月、定時制の職員会議で一人一人の名前を呼んで個別的職務命令を出した、と主張しています。
 しかし定時制の職員会議で職務命令を出したのは私自身であり、文書による職務命令も、一人ひとりの名前を呼ぶことも絶対にしていません。曽根証人も、個々の教職員の名前を呼んで、職務命令書を読み上げたりしたことは一切なかったと証言し、ドキュメンタリー宣言を撮影したカメラマンが、定時制の職員会議の場を撮影しており、私が個人の名前を呼んでいないことが明らかになりました
 ④都教委は、指導体験発表会は若手の発表会であり、発表者が50代で若手ではなかったので、交代させたと主張しています。
 私は4年間のうち3回発表会を見ましたが、多くの年配の先生が発表しており、発表会規約にもそのようなことは一切書いてありません。該当の年の発表会冊子によれば、50代1名、40代3名、30代3名、20代6名が明記されており、都教委が主張する交代の理由は全く的外れな理由なのです
 ⑤非常勤教員不合格問題について都教委側の証人が、非常勤教員採用選考の土肥の業績評価書の評価はオール「C」で790人中790番の最下位であったことを証言しました。
これに対し曽根証人は、どういう判断で、オール「C」がついて、790人中790番なのか知りたい。信じられない。あり得ないです、と証言してくれました。
 面接時に土肥は「新任教員の指導にあたって、もし意見が違う場合は論破する」と答えた。新任教員を論破するとは校長として不適切、と都教委は主張したのです。
 これに対しても曽根証人は、土肥校長は意見が違う場合も相手の意見をしっかり聞いていた。論破するなんていうことは、今まで見たことも聞いたこともない、と証言してくれたのです
 3.おわりに
 上記のように多くの点で都教委は事実と違う主張をしています。他の争点においても私の主張と都教委の主張は全く食い違っています。
 事実は一つであり、どちらかの主張が間違っているのです
 裁判長におかれましては、都教委の主張と私の主張を再度十分に吟味し、どちらの主張が事実なのかを判断していただき、公正な判決をお願い致します。
以上


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