パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(47)

2015年12月26日 | 日の丸・君が代関連ニュース
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  【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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  東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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  対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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 私は「アベを倒そう!」(37)で、▲ 菱山南帆子さんの「新9条論」批判に同調し、次のようなことを書きました。
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 最近、安倍政権によるファシズム化が進行する中で、いわゆる知識人たちの「変調」が起きていると思います。
 それはこれまでの基本的な原則をいろいろな理由をつけて修正するものです。
 これは危険な兆候だと思います。
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 ところがここに来て、12月24日、共産党が年明けの通常国会から開会式に初めて出席する意向を衆院議長に伝えたということです。
 これまで共産党は天皇の出席について、「戦前の議会の儀式を引き継ぐもので憲法から逸脱する」と批判し欠席していたのです。
 出席する理由について共産党は、「この三十数年来は儀礼的形式的になっている」と判断したからというのです。
 そして「我々はウルトラリアリストになった」などと言っています。
 これはまさしく共産党の「変調」を物語ることです。

 この間「戦前回帰」ということが何度も言われています。
 そして、安倍政権は一貫して天皇を政治的に利用し、今後憲法を「改正」し天皇や「日の丸・君が代」の位置をさらに高めようとしています。
 その先取り典型が、学校現場における「日の丸・君が代」の強制です。
 共産党までが「儀礼的形式的」という理由で方針を変えれば、これまで「日の丸・君が代」強制に反対して闘っている全国の良心的な教職員や市民たちはどうなるのでしょうか。
 最高裁では「儀礼的」なものとして強制を認めているのです。
 共産党も同じ考えになったのでしょうか。
 大局的な観点から見れば、今回の判断はまさしく「戦前回帰」を促すことになるでしょう。
 また、「天皇制」は<君主制>です。
 これではせっかくシールズたちが叫んだ「民主主義って何だ?」「これだ!」ということも水の泡になりませんか。
 (ちなみに現在問われているのは「立憲主義」ではなく、まさに「民主主義」だと思います)
 共産党はこれ以外にも最近、これまで原則的に反対してきた「安保」や「自衛隊」の問題も棚上げするなどとも言っています。
 共産党は「尖閣問題」でも、「国益」などと言っています。
 これでは、いずれ、「ウルトラリアリスト」が高じて翼賛政党になってしまうのではないでしょうか。
 私は、この間の「総がかり行動」での共産党の果たした役割を否定するものではありません。
 また、この間の安倍政権に対する原則的な批判も否定するものではありません。

 しかし、「戦前回帰」が強まり、「日の丸・君が代」が単に教職員だけではなく、全国民に対する「踏み絵」になろうとしている時に、共産党がこのような判断をしたことは大きな間違いだと思います。
 必ずやマスコミや安倍政権に絡め取られることになるでしょう。

 共産党は目先の参院選に目がくらんで、「小に因りて大を失う」のではないでしょうか。
 共産党の自殺行為のようなものです。
 共産党の中にもおかしいと思っている人々がいるに違いありません。
 是非、来年の通常国会開会式(1月4日)に、これまでどうり原則を堅持して共産党が出席しないよう声を上げてください。
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 <「二 学生の技能と勤労大衆」>(後半)
   戸坂潤の論文「学生論三題」から
   (『戸坂潤全集』第四巻、363~373ページ)

 ・・今まで云ってきたことで、この問題は結局、勤労大衆に属し又プロレタリアになぞらえられるような学生、という或る特別な層に於ける生活の歪曲を何(ど)うするか、ということになった。
 夫(それ)は第一に勤労大衆層乃至プロレタリア層に準じて考察されるべき内容のものだ。そこでは単なる学生の問題も、単なる学生生活の問題も実はないのである。・・
 だが第二に学生は夫にも拘らず学生であって一般の無産勤労大衆自身やプロレタリア自身ではないことは云うまでもない。或る特殊な民衆だ。
 と云うのは知能の高い民衆であるということだ。・・・

 ・・つまり学生生活の歪曲は他でもないので、知能という人間の普遍的に日常必要な一つの技能を当然最もよく訓練されてあるべき学生が、その技能の習得に於て障害を受けているということが、何よりの学生生活の歪曲なのであって、この歪曲を矯正することはだから当然、知能という技能によって社会的特性を与えられている処のこの学生というものの「社会的」位置をハッキリさせることに他ならず、学生の一種の技能者・技術者としての社会的使命を自覚することなのである。・・
 ・・最後に一つのことを之(これ)につけ加えたい。夫は学生にとっての自意識と大衆性との結びつきである。・・・
 ・・学生の身分は、学生とい社会層は、民衆にぞくするものである、無産勤労大衆乃至プロレタリアに準ずべきものであると云った、夫がこの「自分」の説明である。学生の自覚は、自分を大衆として自覚することだ。
 大衆の足場・眼・以外に、学生の立つべき又持つべき足場も眼もあり得ない。学生と云う特別な層があって夫が独自な足場や観点を提供すると思うなら、恐らくそういう学生はこの支配者社会に於て最もよう飼い馴らされた処の「学生の本分」を専門とする処のものだろう。夫は学生が「自分」を失うことだ。学生問題が消えて無くなることだ。
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 次回は「三 学生はなぜカフェーから閉め出されるか」です。

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