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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

1・24都教委議決の不当性解明

2014年01月31日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  ≪卒業式・入学式対策本部要請 補足資料≫
 ◎ 教育の目的と教員の責務を矮小化した1・24都教委議決批判


 冒頭に引用した『都教委1・24議決』の問題箇所に(1)~(4)のナンバーを振って、関連条文・文書等を下記(1)~(4)に示してあります。
 【入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について(都教育委員会平成24年1月24日)】
 教育の目的は、(1)人格の完成と、国家や社会の形成者の育成にあることは普遍の原理であり、とりわけ、政治や経済を始め様々な分野で国際化が急速に進展している現代においては、(2)国際社会で尊敬され、信頼され、世界を舞台に活躍できる日本人を育成しなければならない。
 そのためには、児童・生徒一人一人に、我が国の歴史や文化を尊重し、自国の一員としての自覚をもたせることが必要である。また、国家の象徴である国旗及び国歌に対して、正しい認識をもたせるとともに、我が国の国旗及び国歌の意義を理解させ、(2)’それらを尊重する態度を育てることが大切である。
 学校においては、様々な教育活動が行われているが、特に、入学式や卒業式は、学校生活における重要な節目として、全校の児童・生徒及び教職員が一堂に会して行う教育活動であり、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上で貴重な教育の機会である。こうした意義を踏まえ、入学式、卒業式等においては、(3)’国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導することが、学習指導要領に示されており、このことを適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき(3)教員の責務である。また、国歌斉唱時の起立斉唱等を教員に求めた校長の(4)職務命令が合憲であることは、平成24年1月16日の最高裁判決でも改めて認められたところである。
 都教育委員会は、この最高裁判決の趣旨を踏まえつつ、一人一人の教員が、教育における国旗掲揚及び国歌斉唱の意義と教育者としての責務を認識し、学習指導要領に基づき、各学校の入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱が適正に実施されるよう、万全を期していく。
 都教育委員会は、委員総意の下、以上のことを確認した。

 (1)『教育基本法』から「平和で民主的な」を消し去った「教育の目的」
 【教育基本法】第一条(教育の目的)
   教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
 【ユネスコ憲章】(1945/11/16)
  前文 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(略)
  第1条 目的及び任務 3 ・・・これらの諸価値の範囲の中でもっとも重要なものは、教育が平和の為に貢献をすることおよびすべての国民の間の、そして人種的、宗教的集団相互の間の理解と寛容と友情にたいして貢献することである。
 (2)国際社会で尊敬(respect)されるために、求められること
 【子どもの権利条約】29条(教育の目的)第1項
  1.締約国は、子どもの教育が次の目的で行われることに同意する。
   a.子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的能力を最大限可能なまで発達させること。
   b.人権および基本的自由の尊重ならびに国際連合憲章に定める諸原則の尊重を発展させること。
   c.子どもの親、子ども自身の文化的アイデンティテイ、言語および価値の尊重、子どもが居住している国および子どもの出身国の国民的価値の尊重、ならびに自己の文明と異なる文明の尊重を発展させること。
    (以下略)
 【国際人権条約の中の尊敬(respect)の対象】
   外務省HP掲載の日本が批准している6つの国際人権条約の中には、respectの対象として明記されている事項は、「人権」「自由」「多様性」等10数項目数えることが出来るが、「国旗・国歌」は皆無である。
(2013.8.26 全国学習交流集会 文科省大臣官房国際課企画係長本岡寛子氏回答の要約)

 (3)公教育は公共財であり、「教員の責務」における「専門性・自主性」の尊重は国際基準である。
  【ユネスコ・ILO教員の地位に関する勧告(1966)】
    パラ4  教育の進歩は、一般に教育職員の資格と能力および個々の教員の人間的、教育学的、技術的資質に大いにかかっていることが認識されなければならない。
    パラ6  教育の仕事は専門職とみなされるべきである。この職業は厳しい、継続的な研究を経て獲得され、維持される専門的知識および特別な技術を教員に要求する公共的業務の一種である。
    パラ31 当局と教員は、教育の質と内容および教授技術を系統的に向上させていくことを企図する現職教育の重要性を認識しなければならない。
  【米国教育使節団報告書】(1946) 序論から
      教師の最善の能力は、自由な空気の中においてのみ十分に発揮せられる。この雰囲気を作り出すことが行政官の仕事なのであって、その反対の雰囲気を作り出すことではない。
  【旭川学テ最高裁判決(1976.5.21)】
      子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。(略)
      子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。
 (4)「合憲」と断定した言い方はしていない職務命令に対する司法判断
 ○ これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,・・個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。(2011.6.6最高裁)
 ○ 憲法19条に違反するとは言えないと解するのが相当である(同上)
 ○ 上記減給処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法の評価を免れないと解するのが相当である。(2012.1.16最高裁)
 ○ 個人の思想及び良心の自由は憲法19条の保障するところであるから,その命令の不服従が国旗国歌に関する個人の歴史観や世界観に基づき真摯になされている場合には,命令不服従に対する不利益処分は,慎重な衡量的な配慮が求められるというべきである。(2013.9.6最高裁)
 ○ 機械的,一律的に加重して処分を行うべきではなく,相当慎重に処分の内容を検討すべきであること・・・等,本件処分を行うに当たって当然に考慮すべき事項を認識し得る契機は十分にあったのであるから,これらを認識しなかったことには過失があるというべきである。(2013.7.12最高裁確定、2012/11/7東京高裁南判決)
 
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