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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

新たな規制緩和の策動 安全レベルの限りない低下

2012年09月09日 | 格差社会
 =規制緩和と安全=航空業界②
 ◆ 乗客を人として扱わない航空経営
梅津純一(航空安全問題ウォッチャーズ)


(表③)

 「機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は『スカイマークお客様相談センター』あるいは『消費生活センター』等に連絡されますようお願いいたします。」
 これは本年5月18日から6月6日までスカイマークエアラインズ機内の客室座席背面に乗客用に搭載準備された「スカイマーク・サービスコンセプト」の文面の一部である。(その後、東京都消費生活総合センターの苦情により回収された)。
 規制緩和政策の申し子ともいうべき「スカイマーク社」のこの言い分が、現在の民間航空の実態の一端を示している。「航空の商品」である「乗客」は人ではなく、「運送物」と同社には認識されているのだ。
 スカイマークエアラインズは、1998年9月、日本で規制緩和のシンボルとして、当時JAL・ANA・JASの航空三社が独占していた国内航空の分野に新規参入した航空会社である。以降エアー・ドゥ(98年12月)、スカイネットアジア航空(02年8月)、スターフライヤー(06年3月)と新規航空会社の設立・運航開始が続いた。
 これら新規航空会社の最大の特徴は、自社で整備の能力を持たず、機体と人員の効率を最大限まで追求して運航コストを削減し、低価格運賃を実現するというもので、公共交通機関としては極めて不見識で欠陥業態といえる。
 1985年に「航空憲法」といわれた「45・47体制」※の廃止が決定されて以降、航空業界では、あたかも乗客や国民の要望に応えるというポーズのもと、他の産業に先駆けて規制緩和が進められてきた。
 そしていま当時と極めて類似の様相で、LCC(安売り航空会社)の登場が世間の耳目を集めている。
 ◆ 航空産業全体の合理化へと
 民間航空をめぐる「規制緩和」の経過は、そのまま航空安全への攻撃となってきた。
 1985年以降の運航、整備、客室の職場に現れた規制の緩和・撤廃の主な内容を(表①)に示した。
 例えば85年12月の「4発エンジン機への航空機関士の乗務義務(航空法65条)の該当条文の削除」は、ボーイング747-400型機(貨客混在機)の日本導入(00年4月、JALで就航)を見据えたものであり、客室乗務員の編成人数を機内の客席数(固定制)から、実乗客数(変動制)に変更(79年、85年)などは、いずれも安全コストである人件費の抑制が目的である。
 さらに契約制客室乗務員制度の導入(94年)については、「日本的雇用形態の大改革」を目論む総資本の実験台・露払いの役割を負わされてもいた。
 整備では「相次ぐ航空機検査制度の規制緩和」(88年~)「定例整備の海外整備会社への委託許可」(94年)など、作業の二重確認制・検査員の独立の原則、自社整備の原則の放棄を意味するもので、こうした施策による安全性の低下は説明の余地もない。
 わけても定例整備の海外委託を可とする方針は、85年の123便事故の教訓から「自社整備の確立を目指す」と、運輸省・JALがご遺族と国民に誓った血の教訓を、自ら反故にする暴挙と言われても仕方がないものだ。
 ◆ 止まらない安全レベルの低下
 航空経営と規制当局とのなれあいとも言える規制緩和への暴走が、やがて行き過ぎた合理化、安全監視体制の弛緩、技術力の低下等の状態を生み、05年3月JALへの事業改善命令となって顕在化した。
 JALでは90年代に入って規制緩和を追い風に、事業規模の急激な拡大、大型機の大量導入を行い、一方無責任な放漫経営など「123便事故の風化」が顕著になり、安全への意識を鈍化させる。
 03年から05年までのJALが航空局に報告した整備のミス・トラブルの件数は55件→62件→85件と激増していることでもわかる。
 そして05年1月から、許可前離陸滑走の開始(1月22日)、B747貨物機の主脚の誤部品の装着発覚(2月26日)、仁川空港での離陸待機指示の誤認(3月12日)、B767の飛行中ドアモード変更ミス(3月16日)と重大な不具合運航の集中的な発生となった。
 同時期にJAL以外でも同種事例が散発することとなり、国交省は日航への事業改善命令(05年3月17日)、航空各社に対しては「緊急輸送安全点検」を指示するに至る。
 この事態に航空局はようやく行き過ぎを認め、安全規制の手直し的制度改善(表②)を試みた
 しかし一度緩んだ安全のたがを元に戻すことは容易ではない。この後、国内各社ではほぼ毎月異常運航やミス・不具合飛行が続いている。
 国内民間航空全体の安全レベルが覆いようもなく低下してしまった。
 そしてJALではこれ以降乗客離れが続き、戦後最大の企業倒産の事態(10年1月)に至ったのである。
 ◆ 本当にやばいLCCの本格就航
 本年3月1日、関西空港を拠点にピーチ・アビエーションの運航がはじまった。そして7月3日にジェットスター・ジャパン、さらに8月1日からはエアアジア・ジャパンが何れも成田空港を拠点に国内線に就航する。
 いまオープンスカイ(空の自由化)、アジアゲートウエイ(日本の航路窓口化)など、航空成長戦略と称して新たな規制緩和の策動がはじまっている。
 これらはLCCの運航促進、航空各社の国際競争力強化を理由に、昨年国内の航空会社16社から合計129項目の規制緩和の要望を国土交通省に提出させ、この6月に規制緩和の方針をまとめたという。
 その主な項目は(表③)のとおりだが、公表されたこれらの規制項目の目的を直視し、現場の実情を真摯に調査検討すれば、これはやばいということが容易に判断できる内容ばかりである。
 例えば乗客が機内にいる状態で「燃料の給油を可」とするとしているが、過去に給油中に火災や燃料の漏出事故が何度も発生しているのだ。
 いま運航を開始したLCCの飛行スケジュールでは、最小の飛行機数で最大に活用しようと、駐機時間を30分としている。この時間で乗客を降機させた後、給油を行い、貨物の積み卸し、機内清掃、整備、そして乗客の搭乗を実施することは困難なのだ。
 まさに冒頭紹介したスカイ社の乗客を人と扱わない認識が、いまや航空行政全般で支配的となっている
 そして過去多くの事故で人為ミスが指摘される中、2機種の操縦免許の付与、高齢パイロットの2人乗務等、航空会社に責任を委ね、結果安全レベルが落ちても当局は知らぬ、存ぜぬの無責任対応が丸見えである。
 「利益なくして安全なし」(稲盛日航会長)の正直な心情の吐露が航空経営の真の姿である。
 福島第1原発の事故に至る「規制当局と電力会社のなれ合い」とうり二つの場景が航空の舞台でもいま進行中である。
 ※「45・47体制」
  70年代以降、日本の民間航空を、①3社(JAL,ANA,JAS)に限定し、国際、国内幹線、ローカルの事業分野を棲み分け、②航空運賃は運輸省の認可制。
『労働情報』(845・6号 2012/8/15&9/1)

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