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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

連続・大量差別はがき事件の意外な顛末

2009年09月26日 | 格差社会
 ▲ 連続・大量差別はがき事件の意外な顛末

 9月13日(日)午後、笹塚区民会館で「『天皇即位20年奉祝』やめろ!9・13集会」が開催された(主催 :「天皇即位20年奉祝」やめろ!行動、後援:〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!え~かげんにせーよ共同行動)。浦本誉至史(よしふみ)さんの講演「連続・大量差別はがき事件の真相と課題」を紹介する。

 浦本さんは部落問題の研究者で、部落解放同盟東京都連合会執行委員である。浦本さんは2003年5月から「お前は、えたひにんの部落民のくせに生意気に東京に住みやがって、出ていけ、死ね」といった嫌がらせハガキが次々に自宅に届き悩んでいた。そのうち身に覚えのない英語教材が配達された。姿をみせない犯人が勝手に代引きで発注したものだ。当然、高額の代金を請求された。
 12月8日ごろ、突然女性のテレビ・ディレクターから職場に電話がかかってきた。「熊本の菊池恵楓園に11月26日ごろ手紙を出さなかったか」という問い合わせだった。国立療養所菊池恵楓園自治会は国の償いによる研修旅行を企画したがホテルから宿泊を断られ、その後ホテルの謝罪を拒否したことから、全国から激しい誹謗・中傷を受けていることを浦本さんは知っていた。
 ディレクターは「『お前たちハンセン病にかかった奴らは、ハンセン病発病の時点で人間ではなくなった。ダニやゴキブリやハエやノミやシラミやうじ虫よりもバカでアホでうざったくて汚い下等単細胞生物になったのである(略)ホテルというところは人間が泊まるところであってお前たちのようなハンセン病患者(ママ)のような人間ではないダニ共が泊まるところではないぞ』という浦本名義の手紙に入所者がひどく傷つき、『これは特にひどい。これだけは絶対に許せない』と憤っている」という。もちろん自分が出したものではない。
 その夜、恵楓園入所者自治会に電話を入れ、自分もいま被害を受けていることを説明し、自分の事件に巻き込んでしまったかもしれないと詫びを入れた。すると「お互い被害を受けている者同士じゃないですか」と逆に励ましの言葉をかけられた。
 被害を受けている人はわたしだけではなかった。なかには「転居するので電気・ガスをとめてください」と偽の連絡がありライフラインが止められた人もいた。区役所に名前を騙り差別はがきを出されたり、宗教団体への入信申し込みをされた人もいた。
 わたしの自宅へいやがらせハガキは99通着いたが、それだけでなくアパートの大家さんや周辺住民20軒にも「浦本はえたであって人間にそっくりであっても人間ではないのです(略)Sさんや住民の方もえた非人のうじ虫と思われてしまい大変なことになってしまいます」といった手紙が着いた。住民のなかには町会長や大家さんに「浦本を退去させる」よう相談に来る人まで出てきた。
 このイヤガラセは04年10月まで540日続き、突然終了した。犯人が逮捕されたからだ。犯人は34歳派遣社員の男性だった。裁判で犯人のA君は動機を次のように語った。「公務員試験に失敗し、定職に就けず強いストレスを抱えていた。部落問題の知識はまったくなかった。ただ漠然と『部落民は自分より下』という差別意識はあったように思う。決定的なきっかけは図書館で『同和利権の真相』(一ノ宮美成 宝島社)を読み、強い影響を受けたことだ」。
 この青年は、たまたま図書館の新刊コーナーでこの本を見つけて読み、人権問題の棚にあった本で「浦本誉至史」という著者をみつけた。名前が珍しかったため、図書館の電話帳ですぐ住所が判明した。同姓同名の人が何人かいれば違った結果になったかもしれない。実際に、同姓同名だったため「誤爆」された被害者もいた。周辺住民の氏名は、ゼンリンの地図で特定できた。A君は「自分は被害者」との主張を続けたため、改悛の情が認められず再犯の虞れがあるとされ2年の実刑判決を受けた。
 これで1件落着かと思うとそうではなかった。ネットの世界ではA君の逮捕直後から「浦本の自作自演説」「A君の冤罪説」が流れていた。判決直後の05年7月1日夜から24時間で「浦本いいかげんにしろ。許せん」「どうせ金欲しさに訴えたに決まってる」「浦本きたない」「浦本死ね」といった誹謗中傷の書き込みは500件を超えた。
 2007年2月、A君は刑期満了で出所した。そして被害者への謝罪を希望した。そのときは本人の生活再建が先決だと説得し、1年後に再会することにした。そして08年1月被害者代表20人が集まり面談した。
 A君の話からいくつか新しい事実が判明した、解放新聞の役員改選記事でみた名前を電話帳で住所を調べゼンリンの地図で確認したこと、資料はすべて図書館の本とインターネットを使ったことなどだ。400通の手紙のうち99通が浦本に集中した理由については、解放新聞で連載を持ち著書まであるので「生意気だ。痛い目に合わせてやる」と思ったこと、93年2月の小和田雅子の皇太子妃内定時の新聞に「平民だが名門という家系図の報道などをみて現状では結婚を祝わない」という浦本さんのコメントが出た記事を発見し「キレた」こと、また新聞で顔もわかり「絶対につぶしてやる」と決意したこと、を述べた。自分も忘れていたコメントだったが、バッシングされた原因がはじめてわかった。
 謝罪の理由については「自分は部落問題をなにも知らなかった。浦本さんが裁判に出した陳述書を刑務所のなかで読み、部落の人が他人とは思えなくなった。もし自分が被差別部落出身者だったなら、差別されるといやだ。自分はたしかに差別したのだから、謝罪するのは仕方がないと思った」というもので、それなりの説得力があった。
 ただ「自分は、左寄りの団体はきらいだ。体制・国・権力がつくった制度は支持するので、江戸幕府がつくった差別なら認める。国や体制に逆らうのは大嫌いだ」というA君の言葉は、本人自身の言葉に聞こえなかった
 謝罪の言葉を聴いて1年半ほどになる。A君はまだ定職に就くことはできない。昨秋のリーマンショック以来の不況が続いているからだ。派遣社員として働いていた工場労働は極端に減った。生活が変わらないと立ち直れない。ストレスがたまり、別の不幸な結果を生まないか心配だ。
 派遣労働や無職の人はなんらかのストレスを抱えている。「ないがしろにされた」「自分の存在を評価してくれていない」との思いを経験した人は少なくない。そしてストレスから一時的に逃れるため疎外感の自己救済行為として、弱いものへの鬱憤晴らしを行う。これが犯行の本当の理由ではないだろうか。
 そのとき、なぜストレスの直接的原因でなく、まったく関係のない赤の他人にキバを向けるのだろうか? じつはこれは逆で、相手を「知らない」からキバを向けられるのだ。相手は生きて動いている人間ではない、活字にしか過ぎないので攻撃しても罪の意識は起こらない。これはネットの書き込みをする人にも共通して言える。
 この問題は、部落差別問題にとどまらず、東京が内包する社会的な問題である。

☆「チョン」「国賊」「反日」「死ね死ね死ね」を連発するネット右翼やネットイナゴたちの存在はここ5年ほどごく普通になった。さらにエスカレートし街頭に出て、「在日特権を許さない市民の会」のメンバーとともに「非国民、北朝鮮に帰れ!」と罵声を浴びせる草の根右翼の横行もここ半年ほど目立つ。
 格差社会が進展し、社会に不満や不安をもつ「負け組」や「負けかけ組」の若者たちが大量に出現したことが背景にあることは「ネット右翼とサブカル民主主義」(近藤瑠漫・谷崎 晃 三一書房 2007年8月)でも説明されていた。浦本さんが体験したA君の謝罪のような逆転ドラマが今後、もっと生まれるとよいのだが・・・。
 なおネット上での見知らぬ他人への誹謗中傷については、自分も同じ轍を踏まぬよう心する必要があると思う。
『多面体F』より(2009年09月18日 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/e84f16b3bdb548c5b16148e8625b77cd

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