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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

学習指導要領は最低基準、最大基準ではないのは「性教育」でも同じ

2018年04月25日 | 暴走する都教委
 ● 中学校の性教育で大論争、
   東京都議vs教育現場それぞれの言い分
(週刊ダイヤモンド)


 東京都議会での、ある都議による“不適切な性教育”発言がきっかけとなり、中学校での性教育を巡る議論が過熱している。有識者への取材および発言した都議本人からの回答を踏まえて、性教育はどうあるべきなのかを考察してみたい。(取材・執筆/末吉陽子、編集/清談社)
 ● 都議が疑問視したのはなぜ?
   不適切とされた性教育授業とは

 コトの発端は、3月16日に開かれた東京都議会文教委員会。自民党所属の古賀俊昭都議が、足立区の中学校で行われた人権教育および性に関する教育の授業について、「不適切な性教育の指導が行われているのではないか」と東京都教育委員会(以下、都教委)に答弁を求めたことにはじまる。
 筆者は、2月12日公開の記事『日本の性教育は時代遅れ、ユネスコは小学生に性交のリスク教育推奨』において、日本の公教育が担うべき性教育の在り方について言及した。今回、まさに公立中学校での性教育について、政治家から疑義を唱える声が上がったわけだが、果たして何が問題視されたのか。
 まず、古賀議員が「不適切ではないか」と指摘した性教育の授業について、触れておきたい。
 3年間で合計7時間実施される「性の学習」と名付けられた授業では、1年生で「生命誕生」「らしさについて考えよう」、2年生で「多様な性」、3年生で「自分の性行動を考えよう(避妊と中絶)」「恋愛とデートDV」など、段階を踏んでテーマが設定されている。
 なお、「性の学習」とは別に、保健体育の授業でも、「月経」「射精」「性感染症」「エイズ」などについて学ぶ。
 これらの授業案作成に携わった、性教育研究の第一人者、埼玉大学教育学部の田代美江子教授に、授業内容のポイントについて聞いた。
「重要視しているのは、『自分の性行動を考える』教育プログラムにすることで、レクチャー型ではなく、いわゆるアクティブラーニング型にしています。例えば『高校生になったら性交してもいいかどうか』というテーマを立て、それについて8人くらいの代表生徒が意見を述べ、オーディエンスが意見を重ねていくという方法です。教師はファシリテーターとして意見をまとめたり、新たな問いを投げかけたりしながら、議論を活性化させる役割を担います」
『愛し合っていればいいんじゃないか』という意見が出たとすると、『ではもし妊娠したらどうする?』と別の切り口を投げかける。こうした、明確な答えなき問いを繰り返すことで、皆で頭を悩ませながら『自分だったらこうする』ということを真剣に考える場にしています」
 ● 避妊、中絶を教えるのは不適切なのか?
 ちなみに、授業の前にアンケートを実施したところ、例えば、「高校生になれば性交をしてもいい」という項目について、「YES」と回答した生徒は全体の46%だったが、授業の1ヵ月後に同様の調査をすると22%に減ったという。
「授業終了後の感想文を見ても、子どもたちが自分たちの性と性行動について真剣に考えた様子が伝わってきます。考えるからこそ、慎重になるのは当たり前のことです。『安全な性行動の知識』『自身の性衝動と対峙したときに選択のヒントになる知識』を持たせるのは、教育者の責任ではないでしょうか」(田代教授)
 なお、授業は全て公開されており、近隣の学校の教師や保護者も参観しているが、これまで内容について批判を受けたことはなく、「自分たちも知らないことが多かったので勉強になった」など、むしろ評価する声が多く寄せられているとか。
 では、この授業を不適切とした古賀都議の主張はどのようなものなのか。筆者は古賀都議に質問をし、回答を得た。内容を要約すれば以下の3点となる。
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(1)「性教育は、各々の子どもの成長段階に応じて行うべきもので、中学生の授業で、生徒に対し一律に『性交』だけでなく、『避妊』『人工妊娠中絶』を教えるのは適切とは言えない。『避妊』『人工妊娠中絶』を具体的に取り上げることによって、性に嫌悪感や恐怖感を持つ生徒がいる可能性を否定できない」
(2)「授業で『高校生で性交してもいいと思うか』と、生徒に教師が質問し、答えさせたようだ。生徒によっては羞恥心から答えたくない内容の質問がある。同時に、聞きたくない生徒がいるかもしれない。生徒の内心を守り、また生徒の心を傷つけない配慮に欠けていた問題も指摘できる」
(3)「教師は、妊娠は性交するうえでの『リスク』としている。妊娠は、胎児という生命の誕生であり、これを『リスク』とする考え方は不適切である」
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 まず、(1)については、確かに成長段階もさまざまで、性教育の受け取り方に差異が出ることも理解できる。とはいえ、性的行動は中学生であっても個人の判断で実施できる。問題は、正確な知識に基づいて判断できる若者がどれほどいるか、という点だろう。
 また、(2)の指摘にある、授業で感じる「羞恥心」についても確かに個人差はある。しかし、だからこそ性について考えることは恥ずかしいことではなく、ポジティブに捉えられる教育こそが大事だともいえるはずだ。田代教授は続ける。
「性の学習が始まる1年生の時には、『性』というとニヤニヤしたり、関心のないふりをしたりします。しかし、学習を積み重ねて3年生になると、こうした議論に真剣に向き合います。それは、『性』が生き方に関わる重要な問題だと受けとめるようになったからに他なりません。性教育はリスク回避や対症療法といった面も重要ですが、性をポジティブに捉えて、自分らしく幸せに生きる力をつけることに、足立区の中学校で実践したような『包括的性教育』の主眼があります。人権に関わることだからこそ、性のことを真剣に語り合うことがとても大切なのです」(田代教授)
 (3)については、人工妊娠中絶した20歳未満が1万4666件(平成28年度・厚生労働省「母体保護関係」)に上ること、未成年の乳児遺棄も繰り返されていることから、個別の事情により、時に妊娠がリスクになり得ることは自明だろう。
 ● 学習指導要領は教育の最低基準
   絶対的なルールブックではない

 いずれにしても、子ども自身の判断・選択を下支えする知識を授けることが、教育者の役割のはず。現実社会ではネット掲示板やナレッジコミュニティなどから、真偽が不確かな知識に子どもが簡単にアクセスできる。だからこそ、大人が「正確な性知識」を授け、「信頼できる大人・相談窓口へのアクセス」を促すことが求められるはずだ。
 なお、足立区教育委員会(以下、区教委)はこの古賀都議の指摘について、「10代の望まぬ妊娠や出産を防ぎ、貧困の連鎖を断ち切るためにも、授業は地域の実態に即して行われ、生徒と保護者のニーズに合ったものだ」(朝日新聞デジタル)と回答している。
「今回、実施された性教育の実践は、教員が目の前の子どもたちの生活実態に誠実に向き合っているからこそなされたものです。卒業後、子どもたちに幸せな人生を送ってほしいという教員の願いが背景にあります。それぞれの地域、学校の実態に即した教育課程が編成されることは法的にも認められていることです。そもそも、党派性のある政治家が、特定の学校、教員を名指してその教育内容を批判するというのは、教育への政治的介入そのものであって許されることではありません」(田代教授)
 しかし、古賀都議の指摘を受けて、都教委は区教委を指導する方針だ。東京都教育庁指導部の担当者は、以下のように回答した。
「授業内容の確認については、具体的にどのような授業が行われたのか把握するために、学習指導案等の提供を依頼しました。課題のある授業かどうかについては、文部科学省による『学習指導要領』ならびに『保健教育の手引き』、都教育委員会による『性教育の手引』等に基づいて整理します」
 公的に作成された学習指導要領や手引きは、もちろん尊重するべき規範である。ただし学習指導要領は「最低基準」、手引きは「基本的な考え方を示すもの」であり、記載されている目標や内容を超えて指導することは可能だ。つまり“絶対的なルールブックではない”ことは、強調しておきたい。
 ● 優先されるべきは若者が自衛力を身につけること
 ちなみに、世界87の研究をもとに、13ヵ国の専門家の協力を得てユネスコがまとめた『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』では、「誰であっても、どのような文化のもとで生活していようとも、あらゆる性的行動が起こることを想定して、性教育を考えなくてはいけない」という趣旨の指摘をしている。
 では、日本の現実、そして文化はどうか。
 未成年時の妊娠によって学習の機会を失う女子学生はいまだに数多い。またJKビジネスを筆頭に、日本のロリコンカルチャーの危険性は海外メディアからも指摘が絶えず、若者が性的に搾取される事例も枚挙にいとまがない。
 こうした角度からも、早い段階で若者に知識を授け、自衛力を高めるように促すことが優先されるべきだろう。そして、性交渉のプロセス、生殖の仕組み、避妊具の使用方法など、性的行動にまつわることを、すべからく教えるべきだという立場から、「何を」「いつ」「どのように」教えるか組み立てていく議論が必要なはずだ。
 だからこそ、教師や研究者が現場で試行錯誤を繰り返し、より効果的な教育プログラムを組み立てていくことが望まれる。その成果を見ずに、実践の一部だけを切り取って“不適切な性教育”と断定することこそ、不適切ではないだろうか。
 性教育は人間の生命や健康に極めて密接なことから、国や教育機関が公的にその責任の一部を負っていることは間違いない。ぜひ子どもたちが置かれている現実を直視した、前向きな議論を切望する。
『週刊ダイヤモンド』(2018.4.24)
http://diamond.jp/articles/-/168347
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