スマホのマリーさんのおしゃべりのおまけ

2017-04-07 19:55:16 | Weblog
今日の分はもう書き終わったからおしまいと思いながら、このあいだ家のインターネットに外部から侵入された事件で、ずいぶんめちゃくちゃにされた昔のgooブログの被害状況をきちんと確認しておくために、古いブログでまだなんとか生き残っている分を見ていたところ、こんなものを見つけてアッと思いました。

もしかして明日は風の家のミサのある日ではなかったかしら。どっちにしても体調の都合で明日は行けないけれど、昔、自分の書いたものを、今あらためて読んでみて、はたと気がついたのは、井上洋治神父様はカルメル会を退会されたけれど、実は一生の間、カルメル会的な祈り、小さい聖テレジアの影響を背負い続けて、その中で生きていらっしゃたのではないかということでした。

私は上野毛のカルメル在世会からは規則で年齢が過ぎていると入会を断られ、仕方がないので、年齢に関係のないカルメルのスカプラリオ会にいれていただき、一般信者として今もスカプラリオのメダルだけは肌身離さず身に着けています。その始まりというのが実は、たしか高校3年の時に学校の図書館でか、卒業して家にいたころかに、よく覚えていないのですが、どうも「留学」とかじゃなかったかと思うのですが、今出ているものとおなじではないようです。遠藤先生のその本を読んだのです。その中に、小さいテレジア様に惹かれて、フランスの修道院に入るために同じ船に乗った田島という青年の話が出ていたのです。私もテレジア様が大好きでしたからその青年の話はずっと忘れられませんでした。

そしてのちに井上神父様が日本とキリスト教を出され、その時にやっと田島青年のモデルは井上神父様だったことを知ったのでした。遠藤先生とのかかわりの始まりは実はこれがあったことからでした。


・・・でもとにかくあの人、上野毛教会なら行こうとおもってるのよ。あの人、霊名はアシジのフランシスコからの、フランシスカ・マリアだけど本当は一番最初に出会った聖人て、カルメル会の幼きイエスの聖テレジアだったのよね。あの人のお父さんが若い時に天理教の影響も受けていた人だったんだけど、幼きイエスの聖テレジアの言ってることとすごく似てたらしいのよ。だからあの人、プロテスタントじゃなくてやっぱりカトリックに改宗したのよね。

カルメル会っていろいろな意見があって、異性愛を連想させる神秘主義を嫌がる方も多いんだけど、そんなに複雑な見方をしなくたっていいんじゃないのかな。
神秘主義といったって別に道は一つじゃないみたいよ。前にイエズス会の神父さまが、大雑把にいうと自分の心の深みに入っていって神と、あるいはキリストと出会う道でこれがカルメル会風神秘主義への道、もう一つは自分の周囲の様々なもの、出会う人、出来事、大自然、生き物、芸術、美、なんてものを通して神に、キリストに出会っていく道、こちらはフランシスコ会風祈りの道というわけでこの二つに大別できるって教わったんですってよ。

でも、もっと言えば生きとし生けるものが全て神様の息吹の中で生かされていて、水の中の海綿のように聖霊の力が全てのものを内からも外からも包み込んでいるのだったら、心の奥深くにも、目の前に見ている現実の中にも神様に、キリストに出会う道があるんじゃないの。幼きイエスの聖テレジアと言う方はうちのおばはんにそんなことを教えてくれたみたいなのよ。・・・

…から…迄の部分、これはまさに風の家につながっていないでしょうか? 

昔のブログがほとんど消えちゃってる

2017-04-07 18:19:50 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。

今日は金曜日だから、本当はうちのおばはんも吉祥寺教会の十字架の道行きとミサに行くつもりでいたのに、いざ家を出て歩きはじめたら、季節の変わり目でしょう。気温は上がってきてもまだまだ冷えるのよねえ。あの人、脊柱管狭窄だから、元々腰は痛いんだけど、冷えるとますますだめで、痛くてこれじゃ教会もお休みするしかないって、お部屋に戻っちゃったの。この感じじゃ聖週間に聖歌隊で歌うのもどうもだめみたいよ。もっと季節が良くなったら普通の日曜日のミサの時に聖歌隊に混ぜてもらうならいいけど、今の調子じゃほかの方たちの迷惑になると困るって当人もあきらめモードだわ。へたすると聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日にも教会に行けなくなっちゃったら困るって、あの人着けると暑いから要らないって外していた貼る携帯カイロをまたシャツに貼って腰を温めている始末だわ。

ほんでもって今日はもう、一日じゅうお家にいたの。退屈だからって、昔のブログがどうなってるか調べていたのよ。あの人の書いたもの、手書きのコピーの残っている分以外はほとんど壊滅状態なのよ。インターネットに外部から侵入されて、パスワードも盗まれて書き換えられて大被害を受けたとんでもない事件の時に、ブログもかなりのものが戻ってこなかったの。はてなに入れておいた分も確認したら中身はからっぽになってたわ。さすがにあの人もがっかりしてたわよ。そりゃそうよね、ものすごく大量のブログが消えちゃったんだもの。それこそ、津波で何もかも流された人達の気持ちがちょっぴり分かるような感じなのよ。

となると、残っているもの以外は新しく書くしかないんだし、それならもう一度同じテーマを新しく書き直して見るかとかってあの人も対策を練り直してるみたいよ。明日またもう一度、詳しく確認して見るけれど。いずれにしても残っているものでやり直すしかないんだわ。

あの事件に懲りて今は同じブログを3か所に置いているの。今度もう一か所昔からのお友達に読んでもらえるようにyahoo にもおいておくつもりなのよね。どうせコピペだから簡単だけど、それにしてもやっぱり事件を思い出すと悔しくてカッと腹がたってくるみたい。あたしだってあの事件ではひどい目にあったのよ。まあ、思い出して怒っててもしょうがないからあの人のお手伝いでもしようっと。

ほんじゃ、またね。

当分寄り道続きになりそう

2017-04-06 17:50:18 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

初めにおことわりしちゃっとくとですねえ、うちのおばはんたらさあ、どうせご復活(イースターのことよ)までは何かと出かける用事も多いし、しばらくはブログも手抜きしちゃおうっとかって言ってたから、多分このブログも当分は簡単な話か何かでごまかすつもりでいるらしいのよ。まあ、確かに本気で書くとなると、あの人でも結構考えに集中する時間が必要だし、書くのも時間がかかるもんだからさあ、読んでくださっている方々には申し訳ないんだけど、イースターが過ぎるまでは手抜きやサボリもちょっとばかり許してやってほしいんだわさ。

あの人のよく使う誤魔化しの方法は今までだと、ちゃんとした記事が書けないとなるとすぐユーチューブの転載で写真と音楽か何かで誤魔化してたんだけど、今度さあ、ユーチューブがだいぶ変わるらしいじゃないの。今までみたいにいかなくなるかもしれないのよね。テレビとネットの融合が進むのはいいけどユーチューブにも余波が押し寄せてきてるんだわ。ちょっと前にはユーチューブ有料化論が時々出てきてたけど、果たしてこの先はどういう形になっていくのかしらね。

うちのおばはんは、住んでるアパートにケーブルテレビのジェイコムが入ってるから、ニュースや映画の動画サービスはほとんどジェイコムとドコモのdサービスで用が足りてたんだけど、こんどはダウンロードとかは全部有料でないとできなくなったりするのかもね。なかなか大変な変化みたいよ。どんな風になっていくのかしらね。あたしの機体もスマホになってからはガラケーの時とは違って仕事ばかり増えちゃって忙しくてしょうがないんだわ。

でも仕方がないもんね、世の中の進歩のスピードに、うちのおばはんが遅れないようにあたしもパソコンちゃんも頑張って手伝うしかないわよ。というところで今日はおしまい。ほんじゃまたね。




本日は寄り道

2017-04-05 17:33:34 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。今年もとうとう4月よ。なんと来週はもう聖週間じゃないの。日本はキリスト教国じゃないから枝の主日だとか、聖香油のミサだとか、聖なる三日間とかって言っても信者ではない普通の人たちにはさっぱりわからなかったりするけれど、キリスト教の国ではクリスマスより大切な季節なのよね。

なんていうかさあ、浮世に生まれてきて生きていく人間の一人一人の人生ってさあ、なんだかんだっていってもやっぱり、いろいろと大変なのよね。偉い人も偉くない人も、お金持ちもボンビー、いや、ちゃんと貧乏っていった方がいいかしら、世の中、いろいろな生活レベルの人たちがいるし、幸せ、不幸せもいろいろなのよね。もちろん、それほど深く考えなければそれなりに満足していけるし、幸不幸、満足不満足、というのも人それぞれなのよね。悩みとか病気とか、会社や学校、家族や親せきの問題、近所づきあいはもちろん、数え上げたら切りがないほどの問題だらけの、そんな世界でみんな生きてるんだわ。

どうしてこうなっちゃうんだろうとか、ほんとに何とか助けてほしいとかって心の中で悲鳴を上げている人だっていっぱいいるんだわ。だけど、たいていの人が、自分のこと、自分の家族、関係のある人のことだけでもう手いっぱいで、周りのほかの人にまでは手が回らないし、それどころじゃない状況なのよね。これって今に始まったことじゃなくて、もう大昔から人間の歴史の始まりの頃からこんなもんだったみたいよ。

それでも、人間はそれだけじゃないから、大空の太陽や星や月、大自然の美やその動きを見ては、なにか人間をはるかに超えたもっと大きな大きな目にはみえない存在、神様がおいでになることに気がついたんだけど、それでもやっぱりなんか自分の心の動きの傾向がどうも神様よりも、ほかの人たちのことよりも、自分と自分の家族や自分のグループに都合よくいくようにって考えちゃうこともわかってきたのよね。それって、神様のお望みの方向とはだいぶ違うこともわかるのに、つい自分のことばかり考えてしまう自分の心の動きに人間たちが気がついたとき、人間たちの世界に神様はイエスさまを送ってくださったってことらしいのよね。

キリスト教用語でいうと罪の闇路に迷うわれらってとこかしら、仏教にだって煩悩具足の自分たちを助け出してくれって言ってる言葉があるくらいで、本当に深く考えるならば宗教を問わず人間は救いを求めている存在なんだわさ。で、キリスト教のほうではイエス・キリストがこの世の人間たちを救うために地上に降りて来てくださって、本来は人間たちが受けなくちゃいけなかった罰をご自分が引き受けて十字架につけられた、そのことを思い出す3日間が聖週間後半の聖なる三日間てことみたいよ。くわしいことはあたしなんかにはよくわからないんだけど、うちのおばはんも意味が分かってるのか、わかってないのか知らないけど、この時期はいつになく真面目にちゃんと教会に行ってるわよ。

あれ、なんか今日はやたら堅苦しい話になっちゃった。長くなりすぎちゃうからこの辺でやめとくわね。ほんじゃまたね。

いもうとよ-13

2017-04-04 15:28:29 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。今日はやっと朝から晴れているし、冷蔵庫は空っぽで買い物もしてこなくちゃ、髪の毛も伸びてきたからカットもしてこなくちゃって、あれもこれもの用事がたくさんあって朝からずっと出ずっぱりでさっきやっと帰ってきたのよ。だけど、暖かいからって油断して貼る携帯カイロ、えーと、ホカロンとかいろいろあるじゃないよ、あれをシャツに貼るのを忘れてそのまま出かけちゃって、途中から冷えて腰が痛くて大変だったのよ。まだまだ貼らなくてもバッグに入れて持って歩かないとだめみたいよ。

だいたいさあ、四ッ谷の教会の聖歌隊を止めたのだって、足腰が具合悪くなっちゃって聖歌隊席と下の会衆席をつないでいる階段の上り下りがきつくなっちゃったからなのよ。5月、6月くらいまでは油断できないのはわかってるはずなのに、ひょいとわすれちゃって、やっぱり足腰が痛み出してどうしようもなくなっちゃったのよね。間が抜けてるというほかないのよ。

買い物用のウォーキングバッグがあったから、何とか必要な用事は全部済んだのだけは不幸中の幸いだわ。駅前の大きいスーパーでこの間から目をつけていた袋詰めのアメリカ産の小粒のリンゴも2袋買ってきたわよ。日本産のリンゴもおいしいけどこれからの時期、外国産のリンゴはリンゴの端境期にもおいしいリンゴが食べられるから、リンゴ大好きのうちのおばはんなんかにはありがたいのよね。これはアメリカ産でロイヤルガラっていう品種だけど、日本では夏の時期には地球の反対側の国から来る小粒のリンゴもあるのよ。そっちもおいしいの。

日本のリンゴは大きくて形も見事だし、味もいいけど、大きいから持って歩いて食べたいときにかじって食べたりとかにはちょっと不向きじゃないの。その点、ほとんどの外国産のリンゴって、ちょっと小腹を満たしたいとかいうときにちょうどいい大きさなのよ。BBCのテレビドラマでシャーロックっていうのがあるでしょう。あの中でも、シャーロック・ホームズの相棒のワトソンが、パソコンに向かう前に紅茶とリンゴを一つ持って出てくるシーンがあるわよ。クッキーやビスケットみたいなお菓子より健康的だと思うのよね。

え、なあに?みいちゃんのはなしはどうなったんだって? あら、うちのおばはんだってみいちゃんのことは全然忘れてなんかいないわよ。ただねえ、切り口が見つからないもんだから話の周りをぐるぐる回って、どこかいい切り口はないかってさがしているところじゃないの。

うちのおばはんはね、ただの世間的な妹の自殺事件を書きたいんじゃないのよ。あの人、あれでもやっぱりカトリック信者だし、一つの事件を通して、ちっぽけな人間を越えた大きな大きなお方の語り掛ける声を聴いてなんとかそれを書きたいのよ。そんなわけでちょっと待っててね。大して能力もありはしないんだけど、なんとかしようとがんばってるとこだからさあ。

というわけで今日のはなしはここまでよ。ほんじゃ、またね。


いもうとよ-12

2017-04-03 20:45:59 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。今日はねえ、うちのおばはんも一日結構忙しかったもんだから、こんな時間になっちゃったの。昨日、今日、昼間はかなり暖かかったし、あの人も冬物の整理を始める気になったのよ。未だだしておいた方がいいものも多いし、これから少しずつ箪笥の中身を入れ替えていこうってわけよ。大したものもないのにあの人捨てられない人なのよ。時間ばっかりかかってほんとに困っちゃうわ。

おまけに午後になったら急に曇りだすは、猛烈な雷が鳴り始めるは、すっごいことになっちゃったでしょう。うちのおばはん、あわててパソコンの電源を切ってたけど、本当はよく考えるとこのお部屋の機器ってほとんど全部ジェイコムのモデムにつながってるんだし、雷が悪さをしたら、全部に影響しちゃうんじゃないのかなあ。あたしでも心配になっちゃうわ。

で、そんなこんなでいつもなら昼間にする書き物もフェイスブックのメモみたいなのが一つあるだけよ。ここにも持ってきてみるわね。こんなのよ。

『人間の現実は難しいなあ。アルプスの山の上で見つかった五千年前のアイスマンの死因は山の中を逃げ回った末に矢で射殺されたのだというし、人類の歴史は戦争の時代と平和な時代の繰返しだ。人間の心の中にある愛と破壊の2大本能はいまだに制御できるようになっていない。平和な時代が続いているはずでも、ちゃんと綻びが出てきてあの宮崎勤の事件のようなことが起こる。この間の施設襲撃大量殺人事件しかりだ。人間てやっぱり不完全な存在なのだろう、大きいところでは世界中で戦争は無くならないし、小さいところでは先日の無力な子供を襲って殺してしまう事件、どれも同じ人間の仕業だ。いったいどうすればよいのか、何が出来るのか、すべての宗教はこれをどう考えるのか、綺麗事をならべるだけでは解決しないではないか。解決は多分無理なのかもしれないが、いったいこれはどうすれば良いのだ?』

生意気なことを言ってるわよ、あの人。でもさあ、妹のみいちゃんが結局ああいう形で死んでしまったことだって、普段はぼんくら頭のうちのおばはんに何かを考えさせているんだし、世の中の出来事の一つ一つだってやっぱり、なぜ、どうしてって、あの人に、考えてみろ、答えを探せってささやきかけている心で聞き取るしかない無言の声なんだわさ。

世の中のたくさんの不条理を思い出すけど、なんたって考えてみれば最近話題になった遠藤周作先生の『沈黙』を映画化した作品の世界なんかもその一つじゃないの。あの中でも人々の声に神様は答えてくださらないようにしか見えないのよね。

なんかさあ、あたしになんてよくわからないけど、どうも神様のやりかたって、人間の期待するような形からはかなり外れてるみたいな感じ。簡単には答えも見つからないけどね。思うんだけど多分さあ、あちらが人間に求めているのはどうも、分かっても分からなくても自分に従ってついてくること、ついていって一人一人が答えを探し求めることみたいな気がするんだわさ。

まあ、話が面倒なことになってきたから今日はこれまでよ。ほんじゃまたね。

いもうとよ-11

2017-04-02 15:23:33 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんもまだどう話を進めたらいいか思案中だからお話しするほど内容も纏まってないのよ。でも書いてるうちに考えが纏まったりすることもあるし、大した内容じゃないけどとりあえず今日一日の話でもしてみるわね。

あの人、一昨日も昨日も風邪が治らなくて、十字架の道行きもミサもお休みしちゃってたの。で、今朝は絶対ミサに行くつもりで早起きしたら咳も止まってるし、喉も痛くないからこれなら大丈夫だって思って吉祥寺教会のいつもより早い時間のミサに出かけてみたの。何故かっていうとあの人、聖歌隊の様子を見に行きたかったのよ。つい数年前まで30年以上四ッ谷の教会で聖歌隊に参加して、四旬節、ご復活となると毎年聖歌隊の出番だったからあの人もこの時期の聖歌がふと口をついて出てきたりして、やっぱりイースターとクリスマスだけでも聖歌隊に潜り込みたい、うまくいけば普段も歌いに行きたいって思っちゃったのよ。若い頃と違って声も出ないんだけど、それでも歌うと自然と心が神様に向かうし、大勢いればうちのおばはん一人くらい風邪ひいて声がでないときでも口パクで誤魔化しちゃうもんね。

ほんでもって朝早く起き出して、思い立ったら早速、今日はミサの後、聖歌隊の練習に参加させていただいたの。やっぱり四ッ谷とはまた違うグループの味があるから、慣れるまではとにかく通うしかない感じだけど、それでもあの人、久しぶりに歌ったらだいぶ気分が変わったみたい。やる気が沸き上がってきたとかって言っちゃってるのよ。

そりゃそうよ、みいちゃんのはなしにばっかり集中すると気分だって暗くなっちゃうわ。それは歌うのは好きでもへたっぴいなのくらいは自覚出来ちゃってるけど、それでも聖歌隊の隅っこに入れてもらって細々とでも声を出してると、自然と気持ちがお祈りに向かっていくんだって言うのよ。 ちょっと図々しいんじゃないかって言ったら、それだっていいじゃないかって、あの人むくれちゃったから逃げてきちゃったわ。

なんだかんだといったって、明日からの一週間が過ぎて9日の日曜日になると、もうパームサンデーよ。一年で一番厳粛な一週間が始まるんだわさ。お前が言うと、厳粛な気がしなくなるなんて言わないでよ。これがあたしの持ち味ってもんなんですからね。とにかく一年で一番重要な一週間よ。あれっ、13日の木曜日、病院の通院の日じゃないの。あの人、今年は聖香油のミサには行けないわよ、整形外科の通院日と重なっちゃってるもの。まあそういう時もあるのよねえ。残念。

といったところで今日のお話しはおしまい。ほんじゃまたね。

いもうとよ-10

2017-04-01 09:55:18 | Weblog
おっはようございま~す。マリーで~す。

事情をご存じない皆様は、昨日のうちのおばはんの記事をご覧になっても、話がつながらないじゃないかとお考えになったかもよねえ。でもあの人としてはこんな形でしか書けないんだもん、仕方がないのよ。妹のみいちゃんはお仕事では真面目に普通の家庭の家政婦さんで働いてたし、お金のないおねえちゃんよりはお父さんと義理のお母さんにも必要なことはできる限りのことをしていたのよ。

お洒落だったし、流行にも敏感で、一緒に寮に住み込んでいた家政婦会の同僚たちともうまく仲良くしていたのよ。みいちゃんと、うちのおばはんの大きな違いはさあ、あちらは一人になるのが嫌いでほかの人と一緒に出掛けたり、おしゃべりしたりする生活が好きだったのよねえ。うちのおばはんみたいに一人になるほうが好きなのとは正反対だったんだわさ。

問題が起こり始めたのはみいちゃんが携帯電話が欲しいって言い出して、買って使い始めてからなのよ。うちのおばはんはそれには別に賛成も反対もしなかったけど、ちょっぴり心配だったのね。みいちゃんは自分のおねえちゃんの裏の事情なんて何にも知らないから電話してくるとペラペラいろいろしゃべりすぎるくらいしゃべるのよ。おねえちゃんのうちのおばはんとしては、長年の経験で、ネタ探しにマスコミ関係なんかが電話の会話を盗聴したりすることもあるのがわかってたから、みいちゃんにやたら長電話なんてしてほしくなかったの。

だってねえ、昨日の分の記事はほんとに現実にあったはなしなのよ。だからあの人のところにとんでもない国際電話がかかってきたこともあるのよ。一国の大統領の国際電話だったからちゃんと記録も残っていて、あの人の話を信じなかった人たちも何も言わなくなっちゃったわよ。それはいいけど、おかげで、うちのおばはんにはマスコミに付きまとわれたり盗聴なんて珍しくなかったのよ。それを知らないみいちゃんはペラペラ、ペラペラ、困るからとうとうやたらに電話するなって言っちゃったんだわ。

問題になるのはみいちゃんの仕事は個人のご家庭で介護や家事を手伝うお仕事よ。どこの誰だってやたらに個人の家庭の事情が外部に流れたりするのはうれしくないわよね。あの子だって口は堅かったのに、ケータイを使うとそこから外部に情報が漏れたりするなんて普通考えてないわよね。それで結局雇い主から家政婦会に人を換えてくれってことになっちゃったみたいなの。あの人だって、長年妹がお世話になっていた家政婦会を悪く言う気なんかないけど、結果としてあの子、首になっちゃったのよ。多分、家政婦会や雇い主のご家庭の家族にもマスコミから取材があったはずよ。

それがあの子の日頃の厭世的なところをつついてしまったんじゃないかって、うちのおばはんは考えてるのよ。お父さんが亡くなってからみいちゃんの拠り所になるところって長年働いてきた家政婦会とそのお仕事だったのにねえ。あの子、拠り所がなくなっちゃって、年を取っていく自分を見て死にたくなっちゃったんじゃないかしら。おねえちゃんは電話しても、電話なんかかけるなっていうし、寂しかったんじゃないかなあ。

終わってしまったことをあれこれ言っても仕方がないけど、みいちゃんはもう帰ってこないのよね。うちのおばはんのとこって亡くなっちゃった妹の下にもう一人弟がいるんだけど、あの人、妹のことで懲りてるからこのところ、弟への連絡は慎重になってるのよ。出来の悪い弟でも実の弟、たった一人の弟を心配しないわけがないんだけど、今は余計な手出しはしないで様子を見てるしかないって思ってるみたい。家族とか血縁て難しいのよね。

今日のはなしはこんなとこかしら、でもね、このはなしのキモはまだまだ先よ。ほんじゃ、またね。