普段のごちそう

2017-05-31 21:27:00 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

今日も昼間は暑かったわねえ。だけど朝夕と夜中は気温が下がっちゃうから、うちのおばはんみたいに油断してると簡単に風邪ひいてなかなか治らないのよね。昼間は気温が上がってるからちょっと動くと汗をかくじゃない、そうすると汗が冷えて体温が持ってかれちゃって風邪が全然治らないってことになるんだわさ。ほんでもって今日も午前中は頭が痛い、頭が痛いって文句たらたらだったのよ。

それでも午後になったら気温も上がってきたから、あの人ももぞもぞと動き出したわけ。だってここんとこの風邪でもう2回か3回は歯医者さんの診療予約を取り消しちゃってるのよ。今日も行かないとさすがにまずいわ。体調も朝ほど具合悪くないから、あの人ちゃんと予約時間に出かけたわよ。

うちのおばはんもそろそろ本式に年をとってきてるから、いくら毎朝毎晩きちんと歯を磨いて、年に何回か歯医者さんでちゃんと手入れをしていても残念ながら歯周病が進行してるのよね。いずれはいやでも入れ歯になるのは覚悟しちゃってるみたいだけど、歯周病があると体調不良の時、歯が痛み出したり、熱が出たりするらしいんだわ。来週は歯の定期検査と補修ですって。これをやっておくと自分の歯で食べられる時間を長く伸ばせるらしいのよ。人間て本当に面倒ねえ。

そんなわけで歯医者さんでの今日の治療が終わってあの人、ほっとしたのかしら、調子が悪くてちゃんと噛めなかったから、簡単に食べられるものばかり食べてたんだけど、今日は帰りに買い物によって、厚揚げとチューブ入りのだけど、すりおろしたショウガも買ってきたわよ。焼きたての厚揚げにショウガ醤油、これなら痛い歯にもそんなに響かないし、おいしそうだってわけね。

フェイスブックのお友達のちゃんと経営者として頑張ってる方でも、一番安くて栄養価が高くて主食に準じて食べられるのはやっぱり、納豆だ、お豆腐だ、油揚げだって、うちのおばはんと同じようなことを言ってるんだもの、笑っちゃったわ。やっぱりさあ、高級なごちそうは別として、厚揚げの焼いたのにショウガ醤油って安くておいしい普段のごちそうみたい。お豆腐だから歯が痛い時だって大丈夫だもんね。

そんなところで今日はおしまい、ほんじゃまたね。

そうか、67年かかったけれど、今やっと自分になってきた気がする

2017-05-30 20:19:49 | Weblog
今日もまた『やすらぎの郷』を引き合いに出すが、私にとってはこの作品、本当に考えさせられる勉強になっている作品だから当たり前だ。作中人物たちとは全くかけ離れた違う境遇でありながらこれだけ考えさせられるということは本を書いている倉本先生のすごさなのだろう。ドラマ自体を楽しみながら、そこに触発されて自分の内面を見直し整理しなおす感じだ。それはこの作品がすべての人が必ず通っていく道を描いているからだろう。それぞれの人がそれなりに各自の人生を生きているわけだが、共通する点もある。生まれて生きて出会い、関わり合って傷ついたり、傷つけられたリ、そこから学ぶか、そのまま倒れてしまうかは人それぞれだが、最終コースに近づいてくると、この先の残りの年月をどう生きるかという問題にかかわって、これまでの自分を見直さなくてはならないときがくる。要は今がそういう時だからなのだろう。

言いたくはないが、40年前、聖書バプテスト教会から出て、元々中高生の頃から朝のラジオ番組で聞いて感銘を受けていた霜山徳爾先生に影響されて行ってみたいと思っていたカトリック教会に実際に通い始めて以来今日まで、どうしてこうなってきたのか本当のところわけがわからない。神様のいたずらとでも思うしかない。ただ言えるのはこちらは父方も母方も古くから続いてきた田舎の人間で、都会の価値観とはかなり違う考え方だったのも問題だったのだろうと思う。その代わり、鎌倉時代からの田舎の古い寺町で生まれ育った父から受け継いだものとキリスト教の接点を嫌でも考えざるをえなかったともいえそうだ。

実際に何があったかというと、四ッ谷の教会に通っていたら、なぜか私が司祭を誘惑しようとするいかがわしい女性ということになってしまったのだ。これはさすがにとてつもない大ショックだった。詳しい事情は関係者のためにここでは言わない。でも父に話したら、昔の戯れ歌で「惚れていりゃこそ悋気もするがなんでもなければなんでもない」というのを教えてくれて、なんでもなければなんでもないんだよというのだった。それでもかなり後まで意味が分からなかったバカ娘なんだが、それはおとうさんよ、あなたがいつも「おまえが男だったらなあ、」とたびたび言っていたせいだと思いますねえ。こちらは一生懸命内面の男性化に努めてしまって、自分の外見が男性を引き付ける容姿だったとは気が付かなかったのにひどい話だ。いまやただのくたびれたおばはんだからこそ言えるはなしでもあるが。

この話がついこの間、面倒になって法務省の人権相談にまで話を持っていくまで相変わらず教会の中でまかり通っていたのだからたまったものではないではないか。関係者を責めるのは趣味にあわないからしたくない。でも、長年我慢してしまって黙っていたのは言ったら可哀想だという気持ちからだったんだが、どうせあちらは何にも考えてはいないのだろうな。自己主張と思いやりの兼ね合いはむずかしい。

とはいえ、この年月は無駄だったとは思わない。修道会に入りたいと思っていろいろ探して見ても自分の心にぴったり来るものがないことがわかるために必要な時間だったような気がする。私の中にある宗教的な感覚は父から受け継いだものだ。父の実父という人は実は僧侶だったのだそうだが、確かにあの人は普通のお父さんたちとは相当違っていた。良くも悪くも世間一般の人とは違っていたのだ。子供だからあまり言いたくはないが、あの人は伯母やうちの母方の祖父母、死んだ私の母たちがあの人の足りないところを補ってくれていたときはよかったんだが、支えを失い、自分でやっていかなくてはならないときに、それだけの能力がないから若宮の家も土地も人手に渡してしまった。ライフ神父様はわたしに、あなたは年寄りっ子ではないですかとおっしゃったが、実は年寄りっ子だったのは父だ。親である父がそういう人だったから良い面も悪い面もこちらが継いでしまった感じだ。

そんなわけで自分の内面にあるものにピンとくる場所をさがしていたら、なんと井上洋治神父様の風の家の思想のなかにあった。それと何と三井住友の住友の家祖の住友正友という方のことばにあった『正直・清浄・慈悲』を重んじることの大切さもだ。これって日本人の魂の中心にある神との出会いのためのキーワードなのだと思う。本来、昔の田舎の人なら自然と身についていた感覚だが、現代人にはむずかしい。

今回はこれだけはどうしても言いたいということだけ書いてみた。何といっても67歳、11月には68歳になるわけだが、これはさすがに、いい齢をしてのいい齢で、世間一般に通用するような話ではないが、でも一度は言っておかないといつまでたっても次に進めないから書いた。次回この話の続きを書くとすれば、超能力騒ぎはなぜ起こったかとか、宗教もお金がないと何もできない現実とか、それが行き過ぎて堕落したとか、いろいろタネはあるけれど本当に書いてもよいこと以外は書きたくないから当分はこの話はおいておく。以上


※ 本内容については、もし問題があるようでしたらこちらとしても、この際もう一度教皇様に直接申し上げてみようかと思っております。



記憶の上澄み

2017-05-30 17:10:23 | Weblog
私の生まれ育った土地は千葉県の市川市、若宮という地域だ。下総中山の中山法華経寺と船橋市に入る中山競馬場の中間、若宮小学校と道一つ隔てたところに家があった。今は土地も家も人手に渡って、家は房総の上総一宮に引っ越した。子供の頃を過ごした家のあたりも今はすっかり変わってしまって、昔は畑の中にぽつぽつと数軒の家があるきりだったのがすっかり宅地化されてしまっている。

小学校の脇の道を降りていくと、元は田んぼばかりだったのが、今はそこもすっかり住宅地だ。その先に行くとカトリック市川教会の教会墓地がある。近くに幼馴染の女の子の家があったから子供の頃は毎日のように遊びに行ったり来たりして、昔の小さな墓地の頃もよく覚えている。で、カトリック市川教会の存在は知っていたのだが、家からだとかなり遠いから実際に行ったのはかなり後のおとなになってからのことだ。

聖書バプテスト教会に違和感を感じて本当は昔から行ってみたかった市川カトリック教会に初めて行った頃、当時の市川教会の聖堂内部の脇の方に、小さなケースに入った美しいマリア様のご像が置かれてあって、隣に座っていろいろ案内してくださった奥様が、これはファティマのマリアさまですと教えてくださったのだ。

こちらは十字架も聖像も縁のない聖書を唯一の規範としているプロテスタントの教派にいたからファティマもマリア様のご出現も何も知らないで初めて聞いたから興味を持って、その後、昔の聖三木図書館に通って、ファティマのマリア様について調べて、本当は何があったのかはわからないけれど、これだけ多くの人が何かを実際に見ているとすると、何か、よくわからないけれど何かが起こったに違いないと思ったのだった。でもそのときは、それきりで忘れてしまったのが、カトリックに改宗して数年たって、ある時、当時参加していた講座の神父様が旅行のおみやげにみんなにポストカードを下さり、見るとそれがファティマのマリア様のご像の写真だったのだ。それでまたあの不思議な話を思い出したわけだ。

それからまた何年かして、ある時ニュースに大きく、科学者たちの研究結果として、今、核戦争が起これば核の冬現象で人類は絶滅するかもしれないという話が出てきて、当時会社の出勤の前に四ッ谷の早朝のミサに出てから会社に行っていたのが、ある日、その日は今は亡きポーランド人のオボンク神父様のミサで、神父様がなんだか真剣に人類の危機とおっしゃり、はてなと思ったのも覚えている。

実はその当時、変てこなご縁で遠藤周作先生や霜山徳爾先生に時々雑談のような手紙を書いて出していたのだが、まさかそれがとんでもない結果になるとは想像もせず、その時もたしか遠藤先生に当時のソ連の状況が心配だと書いた覚えがあるのだ。実は実は話はまだあって、そのころから、おそらく遠藤先生経由のような気がするが今となっては確認もできない話しだが、ただのタイピストだった私の周辺に異常が起こってきて、どこでどうなったのか会社にマスコミの取材が来ているのは感じて、神経質な私はピリピリしまくっていた時期だ。なにしろマスコミは巫女だのシャーマンだのと書きまくってくれていたからだ。当人だってなぜそうなるのかなど分かるわけがないじゃないか、大迷惑もいいところだ。問題は私が非常に周りに敏感な人間でそういう状況に耐えられなかったことだ。

とにかくそのときは、これは誰かに伝えなくてはいけないと感じたから、何かソ連が気になると手紙を書いたのだ。このままでいけば、ファティマのマリア様の予言は実現してしまうと感じたからだ。するとちょうどあのチェルノブイリ事故が当時はソ連領だったチェルノブイリで起こり、おかげで状況が一変して、その時点では一番心配されていた米ソ間の対立からの核戦争勃発の危機はとりあえず消えて、その後の世界の歩みは現在に至っている。誰がどこでどう動いてこうなったかは想像がつくが今はすでに故人となった方々をたたき起こすつもりはない。多分そのすべての背景においでになるのは神様だ。

ただ、今は当時を全く知らない方々ばかりになって、私をただの予知能力者か何かと一緒にしてお金儲けに利用しようという連中はまだ生き残っているが昔のようではないのがありがたい。お生憎様だ、こちらはそういう世俗的な能力は持ち合わせてはいないのだ。持っていたら誰が生活保護に甘んじるかね。とにかく私が求めていたのは神様ご自身であって現世利益ではないのだ。

この先も人類はどこまでいってもあまり進歩しないから戦争や不和は絶えそうもないのが心配だ。ただNHKの用語を借りるなら、今は大地動乱の時代。もっと怖いのは自然災害かもしれない。


ドラマ『やすらぎの郷』を見ていて思ったことからとんでもないところまで考えが波及した

2017-05-29 18:26:33 | Weblog
テレビが壊れてから、本当にテレビを見ることが少なくなった。テレビは壊れてしまっていても、jcomに入っているから電話もインターネットもjcomなので、パソコンや他のインターネット機器からテレビ番組自体は見たければ見られるのだ。ただ、今の季節はそれほどみたいものがない。秋の半ばになれば「相棒」が始まるはずだからそれは必ず見るが、あとはNHKの「ブラタモリ」と「ダーウィンが来た」に、あとはこれは見てみたいという時だけ見るNHKオンデマンドやシャーロックのような海外ドラマくらいか、いやあと時間がうまくあえば美の壺とグレーテルのかまどにLIFE人生に捧げるコントも時間に間に合えば見る。ニュースもパソコンで間に合うからテレビで見るのはこんなところだけだ。

ところが今季、テレ朝のやすらぎの郷が始まってからは、第1回目の放送からずっと番組のある月曜から金曜日までは毎日欠かさずインターネットやテレビ用のjcomのちっぽけなタブレットで見てしまっている。登場人物たちの年代よりは少しは下の年代なのに、見ていて共感するところ多々あるためだ。なぜかといえばやはり還暦を過ぎれば自分もそうだが、自分の周りの年上の親類や友人知人がどんどん亡くなっていくからだろう。

インターネットのSNSの友人でも日経ワガマガの時代のオーストラリアにいた方(日本人)日経の大変お世話になった上尾の方、アメブロの頃のアメリカの友人、いつの間にか年月が過ぎていくうちに一人欠け、二人欠け、気が付けばご病気の方も増え、自分も血圧は上昇気味で、足腰はヨタヨタ、頼りにしていた親も身内もまさに櫛の歯が欠けるようにこの世を去って行ってしまったではないか。甘ったれでなんでも人がやってくれるのを待っているだけだった人間もさすがに嫌でも自分で動かないとどうにもならならないとなって、死んだ母だったらこういう時はどうするかと考えて動きだすようになったところだ。現実的にならなければならないときは父を見習ってはダメなのだと思う。あの人は夢見る夢男さんだったから、私自身の中にも相当同じ要素があって、たびたび相手の都合のよいように利用されるばかりだった。これは決して良いことではないし、正義を振りかざすつもりもないが、自分で自分を守ろうとしなすぎるのはただのバカだ。

賢明にならなければ正しい方向を見誤ってしまう。今の年代になってやっとそんなことも分かってきたのだからどうしようもないが、とにかく、正しいおばはん、正しいおばあさんを目指そうと思う。人を何でもかんでも信じすぎず、でも大事な時には協力し合えるような人間にならなくてはならぬと思っている。

で、やすらぎの郷だが、今日のはなしを見ていてふと思ったのは、分かりきっているはずだったのに、改めて。善き人も悪しき人も必ずいつかは死んでいなくなってしまうという現実だ。嫌っても憎んでもお互いに嫌でもいつかはこの世からは出ていくのだ。それを考えていないとある方のようなバカなことをしてとんだ失敗もする。真実会いたいときにはもう相手はこの世にいないということだってある。

誰でも同じく、人生の手持ち時間は長くても百年ちょっと、うちの血統などは血圧は高いし、腎臓系統は弱いし、ガンも多い。とても百年は保ちそうもないが、せっかくだから生きているうちはせいぜいちゃんと生きたい。同じキリスト教でもカトリックだし、父がガンで入院したとき、プロテスタントの旧知の方に祈ってくださいと頼んで断られた時のようなことはこちらはしないぞ。信者じゃない人のためには祈るとは言えないと答えたのはバイブルバプテストの牧師夫人の知人。おそらく、長老派、監督派も同様かな。

でもそれでは神様の愛はどこにあるのだといいたい。それでは言いたくはないがイスラム過激派と大差ない考え方ではないのか。ここで文句を言っても始まらないが聖霊様は厳格な信仰のキリスト教徒だけではなく、生きとし生けるすべての人を包み込み生かしてくださっているのに、そんな狭い心を主張されても困るのだ。最近、フェイスブックで昔の知人の名を見つけたが知らん顔しておくことにした。今の段階では向こうの考え方は不明なのだ。バイブルバプテストから長老派の牧師になった人では、どう考えてもこの世ではお互いに折り合えない気がする。しかしこの人の友人で前記の牧師夫人のご主人の方の牧師はやたらに強くそんなことはおっしゃらないのだけど、これって個性の差ってことなのだろうか?

この話になるとつい長くなってしまう。確かにカトリックにはカトリックの問題もあるけれど、バイブルバプテストや長老派にも問題はあると思うのだ。多分本当の正しい答えはみんな揃って神様の御前に雁首を並べるときにはじめて正解が分かるような気がする。

みんなお互いに60代後半なのだが下手をするとぶつかり合いそうだ、カトリック内の問題と違ってこちらは非常にむずかしい。これはこの辺でやめておこうっと。

吉祥寺から荻窪へ、なんて適当なタイトルなのかしら

2017-05-28 23:09:38 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんが野暮用で忙しいからってブログもお休みしちゃってるから、今日はねえ、今の状況をそのまんま書けばいいじゃんて教えてあげたらやっとパソコンに向かい始めたのよ。あの人さあ、けっこう怠けさせるとすぐにサボり癖がつくからうるさく言わなくちゃ危なくってしょうがないのよ。

確かに今日はあの人、大分歩いたからくたびれちゃってるみたいだし、しょうがないからフェイスブックに書き込んだ話をそのままここにも出すみたいよ。まあ、たしかにそれだって今日の状況そのままだけどさ、なんかちょっと手抜きっぽいのよね。ま、いいか、読んでくださる皆さま、ちょっと我慢してやって頂戴ね。

こんな感じよ。

・・・今日は吉祥寺のミサに行った帰りに荻窪周辺で買い物ではない見て回るだけの、こういうのはなんというのだろうか、ぶらついてきた、とでもいうのかな?とにかく脚のために歩き回ってきた。

腰が悪くなって歩けないものだからつい歩かなくなるが、少しでも歩かないとさらに体重が増えて腰に負担がかかるという悪循環だ。でもこれも杖とウォーキングバッグ無しではとてもではないが無理だ。死んだ母の妹にあたる叔母がやはりおなじように腰がだめだ。

母方の祖母も足腰は弱かったような気がする。残念ながら体質は遺伝もあるものなあ、致し方無しだ。まあ、とにかく明日からまたすこしはちゃんと書かなくてはならないから歩きながら考えていた。

足腰がもうちょっと調子が良ければ歩きながら考えるのは一番いいんだが、今の状態では無理を言っていてもどうにもならん。とにかく書くしかないじゃないの。ちょっとは真面目に頑張れ、自分。・・・・

これでおしまいなの。もうちょっと書けっていっても今日はほんとにくたびれたから勘弁してって逃げちゃったのよ、あの人ったら。まったくもう、しょうがないんだけどさ、そんなわけで今日はこんなのでおしまいよ。ごめんなさいね。ほんじゃまたね。

さて、今日も一日終わりだ

2017-05-26 22:34:33 | Weblog
なんだかんだと言いながら、このところの一番面倒な話は何とか終わりになった。読んだ人で気が付いた人もいるかもしれないが話は何しろ非常に長い年月にわたるもので、我ながら我慢強いこっちゃったと思う。言いたくはないけれど、これでもいままでずっとできる限り関係者を責めないようにしてきたのだがわかるかなあ。わからなければまあ仕方がない。とにかく一区切りだ。

とにかくこれからどうなるかは成り行きを見て判断したい。それより昨日久しぶりに会った義母はおっそろしく小さくなってしまっていたし、弟は仕事をやめて動かなくなったためか、私同様、かなり肥満気味だ。心配なのはこれから真夏になるのにあちらこそ冷蔵庫も扇風機もない部屋でお酒を飲んで寝てしまう生活らしいのがどうにも気になる。かなりのお金は酒代になってしまって、冷蔵庫も扇風機も買わないのではないのか。真夏に脱水症状を起こして死んでも不思議はない生活ではないのか、そんな情けないことにならないでくれ。あの子は多分普段は元気だからあまり医者にいく習慣もない。絶対血圧も高いはずだ。一体もうどうすればいいのだか、こちらは分からんぞ。まったく何にも考えないおバカめ、姉は心配はするがお前に代わって医者に行くことはできないのだよ。

しかし、私や弟より、義母や死んだ父の勤めてた会社の社長の奥さん、今はご隠居さんだが、長寿の人は長寿だなあ、90歳どころかなんとまあ100歳だそうだ。父の同僚や会社の事務の女性の方々も亡くなったりした方の方が多い。寿命ばかりはどうもそれこそ天命というしかなさそうだ。同じ上総一ノ宮に住んでおいでの昔の父のホンダの知り合いの親戚の奥様は義母にもよくしてくださっていたが、今はご自分が腰を痛めておいでだそうで、父の入院時は泊まり込みの付き添いで向こうはご主人がやはり癌で入院していたから毎日のように顔を合わせていた方だし、こちらとしても心配だ。

そういえばあの頃、妹は父のいる病院にも全く顔を見せなかった。なにか父と諍いをして相当に怒られたらしいことは聞いたが、詳しいことは今となっては分からない。何しろあの頃はこちらもとんだ疾風怒涛の渦のなかであっぷあっぷしていたのだ。しかし、それでも関係者をほんとに信じていたのだからこちらこそどうしようもないおバカだったらしい。従姉の恵子さんから、あんたは騙されているんだよと言われてもまさかと、全く耳を貸さなかったのだから、本当にどうしようもない。どんなに尊敬されている立派な人のはずでも、裏があるとは実はまるで考えもしなかったのだ。まあ、いまさら言っても仕方がない。本物のバカはこちらだったのだから。

とにかく今更のことは言うまい。それより妹のこと、続きを書かなくてはならない。あと少しで終わりになるのだが、どう持っていくかが問題なのだ。考えなくては。


昨日の家族3人の集まりのはなし

2017-05-26 08:38:10 | Weblog
私自身が67歳になっているのだから義母が90歳は当然のことなのだが、なんというか年月の経過が信じられないような気分だ。昨日の家族3人の集まりで何をしたか、何が出来たかというと、まずは上総一宮の家と土地の名義を義母に一本化する書類を渡したこと。ただし、現在の上総一ノ宮は、津波の危険地域で地価がひどく下がっていて、売りたくても買い手がなかなかつかず、二束三文にしかならない状況なのだそうだ。それはわかる。実際にあの辺をあちこち歩くと津波の怖さがよくわかるからだ。

父はきちんとした計画を立てたりするのはまるでダメな人だったから、自分の夢を追いかけるばかりで、どうも現実に弱い人だったようだ。もっとも、それだからこそ上司や経営者がしっかりしていればその下でよい働きができるというタイプの人間だったのだ。家では奥さんだった私の実母のかじ取りがしっかりしていたときは、夢見る夢男さんでも、その夢見る能力で営業の仕事では有能だったわけだ。

だが、実務的、現実的でない人だったから商売には全く向かないのに会社を辞めてからはあっちこっちに手を出し、成果を上げる前に嫌気がさして止めてしまうことの連続でお金も使い果たし、義母と二人、上総一ノ宮に逃げるように移ったのだ。義母も昔の田舎の人だから、父を信じ切ってついていたわけで、その辺は本当に気の毒だ。子供の当方もこの年になってさすがに四ツ谷でいろいろ経験したおかげで父のことも第三者的に判断できるようになった今は父の良い面だけでなく悪い面もよくわかる。可哀想だけど、父も弟もそういう器なのだから仕方がない。

当方もその親の子だから、現実の世渡りにはまるで弱くて今の状況になってしまった。でも今の我が家の状況では、さすがに何もできない、何もしないというわけにいかなくなっているのだ。いくら3人とも人生の後半も後半といっても、生きている限りは戦うしかないではないか。私自身は多分何とか最低限やっていければ大してほしいものもないのだが、義母と弟のために言わせていただきたいと思う。

これまでの年月の間に、大したものではないとはいえ、いくつもの物語や童話を書いてきた。今は亡き某恩師の司祭のおかげで、ほとんどのものが美智子さまをはじめ皇室関係でもお読みいただくことが出来て大変ありがたく感謝するばかりであります。けれども長年、今は亡き別の某師は私程度のものが世に知られるのを嫌って足を引っ張り、悪いうわさを流し、まわりから相手にされなくなるように裏工作ばかりなさっていたので、私が自分の書いたもののコピーを差し上げた方々はそれを持っていることで社会の表舞台に出て行っているのに、書いた当人の私は本来の希望だった観想会の隠れた生活にも無縁だったし、妹には死なれ、90になろうという義母の生活も何とかしてやれず、弟の今後も心配するばかりでどうすることもできないまま、このまま黙っていては私はともかく、義母の今後、うちの家族の入っている墓の今後、放っておかれるのではちょっとこれは何か変なのではないですかと言いたい。

私自身は、やっと自分自身もかかえてきた日本とキリスト教の問題に、風の家のミサや講座という場を見つけ、あ、この方向だとおもっているところですけれど、上記の現実、責任者はどこのどなたなのでしょうか。以上、本日はここまで。

この話が外部に流れると多分四ッ谷の教会の安念という女性がまた右翼の街宣車を我が家の周りで騒がせると予想されますが、それでもこの記事、今回は断じてだします。

やる気が今一湧いてこない

2017-05-24 18:27:16 | Weblog
何のやる気だって言われると、なんというか、困ったことにすべてにおいてなのだ。まあ、とにかく明日は久しぶりに船橋まで出かけて、義理の母(継母)と、妹亡き後、今やたった一人の実の兄弟になってしまった弟と3人で、我が家の今後についての相談だ。といってもほぼ結論は出ているから事務手続きがほとんどだが。



妹めは最後のあいさつ代わりに夢枕に出てきたのが最後で、結局その夢がやたらにリアリティのある夢だったために即刻警察に行方不明者捜索願いを出したわけだが残念ながら間に合わなかったから、もはや今回の話し合いにはいない。船橋は死んだ実母の実家や、叔父叔母の家や、父母の墓があるのだが、土地鑑もないために、道に迷うと歩いている人もいない田舎道で途方に暮れる経験をして以来、父母には申し訳ないのだがほとんど行かなくなってしまった。父方の下総中山も田舎町だけれど、母方の土地よりははるかにちゃんとした町なのだ。若くて元気だった母がお盆に子供を連れて実家まで歩いて帰るのだが、私たち子供がトボトボ歩いているのに野良道を歩き慣れていた母は素晴らしく早足でどんどん先に歩いて行ったものだった。なつかしい思い出だ。



妹は今両親と一緒に母方の実家の墓のすぐそばの、父の建てた我が家の墓に入っている。でもこのままでいくと、遠からず我が家の墓は無縁墓になる可能性大だ。情けないがなにしろどうしようもない。母方の従姉の言っていたことが正しかったらしいが、いまさらどうしようもない。死んだ父とまるでおなじ失敗だが愚痴ってもどうなるものでもない。なんとも情けない気分だ。ライフ神父様でさえあきれていたっけ。会社の同僚も言っていた。自分の失敗の原因は、人を信じすぎる、お人よしの性格らしいが、でももって生まれた性格はたぶん死ぬまでそんなにかわるわけがない。長女なのに、ちゃんと下の面倒を見なくてはならないのに、何たる情けない凸凹長女だ。頭痛がしてくるばかりだ。

何とか落ち着いてきたかな?

2017-05-23 18:40:22 | Weblog
話は簡単でどうやら風邪の頭痛発熱がつづいているようなのだ。今朝はひどくて起きても今日が月曜日のつもりになっていたのが、副作用を心配してあまり飲まないようにしていたロキソニンを朝昼のみ、これから夜の分も飲むが、あっさりとロキソニンが効いてくれて、ぼやけた頭も正常に戻っている。

食欲はあまりないが、具合が悪い時でも食べられるチョコレートとインスタントのスープにおとうふをいれたものは食べられた。しかし、こんなのってすごく久しぶりで、最近にない不調だ。

ロキソニンが効いてくれてこのまま回復すればそれでよいけれど、ダメだったらお医者さんに行ってちゃんと診てもらわなくてはならぬ。明後日は船橋に出かけて家族会議だし具合の悪いままではまずい。明日の朝の調子でどうするか考える。