メモ

2017-04-22 22:07:20 | Weblog
今頃になってかといわれそうだが、ちょっとした発見をした気がする、というかやっと自分のものになった気がしている。そうか、そういうものなのか。大事な家族、親兄弟、連れ合い、子供、それはみないつかは別れ別れになる時が来る存在だ。一番自分を大事にしてくれるのは多分誰にとっても親だろう。しかし、その親も家族も何時かは必ず別れる時が来る。父の二度目の妻、義理の母だが、この人がいつも言っている。人間、最後はみんな一人なんだよ。お墓もみんな無縁墓になるんだよ、と。ということは、絶対確実な道連れと一緒に歩いていかなくては、決して自分を一人だけ置いていったりしない、最後の最後まで一緒にいてくれる道連れがいなくては寂しすぎる。

あ、なるほどそうか、フランスの幼くして亡くなった女の子、マチルド・ロアの詩に出てくるあの子、それと弱いネズミの側にいつも一緒だったあの人、そうだよなあ、みいちゃん、お前さんに欠けていたのがなんだったかわかるよ。可哀想に、みい。人間は誰も自分一人では生きていけないんだ。Mちゃんだって、本当に頼りきれる、信じきれる人がいたらああはならなかったのかもしれない。自分の本当に確かな拠りどころはこの世の人間では駄目なんだ。死ぬる人間は支えにはならなかったから、MKさんも道に迷ってしまったのかも。

必要なのは何時でも一緒に側にいてくれて決して自分を一人にしない真の友達、時代も人の心も、価値観も変わっても決して変わらない友達。「見捨てじと、のたもう、み声ぞ、聞こゆる」おもわず古い讚美歌や聖歌のこの一節を胸の中で歌い続けるばかりだ。

これこそは遠藤周作先生の目には見えない形見だろう。そして、みいちゃんが教えてくれていることだ。

個人、個人の人間の願いや思いをはるかに超える、大きな、大きな神様の為さることは何時だって、今だけを見ていれば全然納得出来ない、何故と言いたくなる、本当に神様なんているのかと言いたくなる。でも、神様のお考えは人間の思いとはまるで違う。それだけは確かなのだ。この話はあとでちゃんと書きなおした方がいいな。

・・・・それはとにかく、ひどい風邪をひいてしまった。この感じでは今日、明日はミサはお休みするしかない、咳がひどくてだめだ。かかりつけのお医者さんが月曜日はお休みだし、どうしようかと思案中だ。

久しぶりにライオンと魔女(ナルニア国物語-1)を見た

2017-04-22 21:00:46 | Weblog
本では全巻を何度も読んでいるけれど、映画化されたものをWEB版で見るとこれはこれでまた趣が違って別の角度からも見ることが出来てよい。大分前から、第4部の『銀の椅子』の映画化が進んでいる話は聞いているが一体いつ日本での上映が実現するのだろう。今年の前半はパイレーツオブカリビアンの最新作だか、最終作だかの予告編が出てきているから、そのあとだろう、秋以降かな?

久しぶりに第1巻の『ライオンと魔女』を見ると、ますます第4巻の『銀の椅子』が待ち遠しくなってきた。キリスト教国ではない日本では文化の背景が違うから善と悪の戦いの意味も簡単には理解されないとしても、冒険物として、前の3作同様、一般の人でも楽しめる映画になっているはずだ。