困ったおばはんよ

2010-11-29 15:49:02 | インポート
こんにちは~。マリーで~す。うちののおばはんたら、先週のなかばくらいから風邪ひいてて、なかなか直らないのよ。土曜、日曜はミサも聖歌隊もお休みしちゃうし、今日も熱はとれたけどすぐ咳が出てくるの。このくらいなら、咳止めの薬を飲めば大丈夫だって言ってるけど、ぶり返しちゃったらまた面倒じゃないのよねえ。それなのにあの人、水餃子を作るんだとかって言い出して、さっきから粉を捏ねていたのよ。ところがぎっちょん、冷蔵庫を見たら水餃子に必要な野菜がまるで切れちゃってるじゃないの。あの人、急遽、予定変更で捏ねた500グラムの粉にすりゴマと塩を加えて練り直してたわよ。何を作るのかなあ。

野菜もないから買い物してこなくちゃならないし、ついでに今咳止めの薬も飲んだから夕方のミサにも行ってくるつもりみたいよ。それはいいんだけどさあ、夜遅くなってからアイディアをまとめるのは止めたほうがいいんじゃないのかしらね。当人は夜のほうが考えがまとまるんだっていうんだけどさ、それで翌朝は寝坊してるのよ。昼間はこの人全然生産的じゃないんだから。夜と昼が逆になればいいのにこれだから、居眠りばっかりしている眠女(minjo)なのよね。困っちゃうなあ。

だから知り合いの人たちが、早寝・早起き・朝ごはんってこの人にいつも言ってるのよね。いくらあたしが大きい音を立てて起こそうとしても起きないのよ。夜更かしは血圧にもよくないってわかってるのにまったく、もっとまじめに生活のリズムを考えてほしいんだわ。あの人のお友達の方々、そう思いません?

あの人の相棒としてはあたしだってやっぱりちょっと考えちゃうのよ。

忘れるとこだったけど、うちのおばはんの新しい書き物は週一回の連載になるわよ。たいしたものじゃないかもしれないけどさ、当人は自分が読んで面白いと思うような話を書きたいんですって。そんでもって、時々こうしてあたしが中間報告みたいなことも書くわね。おばはんの普通の普段の日記の合間に入るから待っててね。

じゃあねえ、チャオ。




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種々、考えを巡らす

2010-11-27 10:24:33 | インポート
ここは押入れというくらいで、半分物置のようなものだ。まだ当分寝かしておく材料や、昔のことなど、何でもかんでもごた混ぜにおいてある。読む方は判断に苦しむかもしれないが、深く考えないで読み飛ばしていただきたい。

それは良いとして、今回新しい話を書くつもりなのだが、考えて見るとここに一緒に入れておいてはこちらとしてもまずいかもしれないと気がついた。普通に一般に公開するのはまだ先にしたいと思う。

というわけで、もう一箇所、これはあまり誰でもは読めない形で場所を作ろうと思っている。まとまった話にするにはそのほうが落ち着いて書けるからだ。自分で全体を読み返しながら書き直したりしていくための場所で公開用ではないものが必要だと感じるためだ。ご理解願いたい。

その話はそれとして、次もあまり一般的ではない話になる。ごめんなさい。

実は先だって、六本木で開かれた在世フランシスコ会の総会に参加させていただき、そこでうかがった谷崎神父さまのお話で、やっと吉祥寺で山口神父さまがこのところ取り上げていた、リヴォトルトの意味がわかってあっと思ったからだ。

自分の心の中にあるものを見ていくと、カルメル会も嫌いではない。中学生のときから知っている幼きイエズスの聖テレジアの考え方は今でも大好きだ。十字架の聖ヨハネの祈りの生活もすばらしい。けれど、自分にとって一番ピンと来るのはというと、どうも聖フランシスコの神様だけに頼る生き方のようなのだ。それはまた幼きイエズスの聖テレジアの道にもつながっている。

そして現実に自分が直接見る機会を与えられたのは。昔の、まだ観想会のひとつだったころのイエズスの小さき姉妹の友愛会の生活で、そこで一番心を惹かれたのは世俗の真っ只中での観想生活というテーマだったのだ。

なぜか、とんでもないことばかり起こって修道生活どころかえらい大変な状況になっている現状なのだが、心の中心にあるものは変わらない。どんな形であれ、神様と他の人のために生きたいものだと思う。どういう風に、と思うとき、フランシスコのリヴォトルトの生活は、昔の小さい姉妹会の世俗の真っ只中での観想生活に通じるものではないかと今回思い当たったわけだ。

この先どうなるのかはまるでわからないが、当分、在世会には行ってみるつもりだ。今の状況のままだとその先には進めそうもないのが情けないが、時機を待つしかない事だってあるのだ。仕方がない。
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テスト版

2010-11-26 15:18:22 | インポート
『冬の花』 まえがき

 こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前はマリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているおしゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。

朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はとみに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterやfacebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネットブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。

話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。

うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。

いけずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をしたときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。

ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つけた小冊子を読んだのね。

勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしいけど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったのでしょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしいわ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。

でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さんから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。この小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。

まあ、そんなわけでこれから始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始めちゃうんだから。

ほんじゃあ、よろしくね。


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歌う海賊団をご存知でしょうか。

2010-11-24 21:24:13 | インポート
※リンクできるかどうかが心配なのですが、もし、リンクできなかったらURLをコピーしてアドレスに貼り付け、移動してご覧ください。



このところ、twitterで知人が何かというとヨーホーと掛け声をかけて、何か始めているらしいことは知っていましたが詳しいことは知りませんでした。

今日、やっとわかりました。これです。

    http://www.youtube.com/watch?v=UC-oPwKu8mc
 
     http://www.youtube.com/watch?v=L4Pjz_ZkJwU   


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参ったなあ

2010-11-23 21:28:14 | インポート
寒くなってきたら五十肩の再来で、背中におんぶお化けを背負っている状態です。

肩は両肩とも具合が悪いのですが右がとくにひどい。なんだか関節がぐらついているような痛みで、整形外科に行けば注射一本でしばらくは収まるのはわかっていますが、あんまり行きたくない。痛み止めの塗り薬と、ホカロンを下着の上に貼って耐えています。

注射が効かなくなるのが恐い。我慢できるうちは我慢しておこうと思っているのです。たぶん背中の痛みといい、これはかの老化現象というものでしょう。

であればこの先、さらにひどくなることはあっても軽くなるとは思えない。ある程度今から折り合いをつけていかないとどうしようもありません。こんなのも44歳で死んでしまった母は経験しなかったことで、今、娘の私は母の年齢を越えて、たくさんの母の経験しなかったことに出会っているわけです。

なんとも不思議な気分です。

しかし、いろいろな方のいろいろな話を聞いて、私の母は幸せだったのかもしれないと思いました。人間の尊厳というのはどう考えればよいか難しいものだと思わせられます。

※ 本日の在世フランシスコ会の話は、まだこれからどう料理するか考えてどこにどう使うか決まってから出ないとお見せできないのです。むかしなじみのかたにも会えましたし、非常に良かった一日でした。
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自分の誕生日を目前にして考え込む

2010-11-21 12:43:08 | インポート

海援隊の歌ではないけれど、思えば遠くへ来たもんだ、というのは今の実感でもある。まさかこんな変てこ人生が待っていようとは夢にも思っていなかったよ、ほんと。

遥か昔、44歳の若さで死んだ母が経験しなかった年代に達してしまったわけだ。祖母が今の私の年代の頃、子供だった私にとって祖母はたしかにお婆さんに思えたのに、自分がその年代になってみるとあまり年寄りのような気がしないぞ。多少、体に故障は増えても心は若いときとあまり変っていないなあ。

それどころか、まだこれから新しいことに挑戦しなくてはならないと思って武者振いを感じているところだ。ちんまりと歳をとっていられるような状況ではないのである。以下は某SNSのプロフィルに経歴代わりに書いたもの。

・・・記入するほどのものもないので、これまでしてきたことを申し上げます。十代のころから、遠藤周作先生、霜山徳爾先生の影響を受けてきて、初めはプロテスタントの信者だったのですが、20代半ばでやはりどうも違うと感じてカトリックに改宗。
以後、なぜかどうも普通はありそうにもないようなことばかりつづいて、30代半ばから仕方なしに童話や物語のようなものの創作を始め、第一作目の『公園のお風呂ダヌキ』がさるお方のお目にのぼったことなどから、お金にこそ縁がないものの、マスコミの一部では知る人は知っている存在であります。これまで書いたものの一部はgooブログに『私の物置』『ケータイにもにゃん格が・・・マリーさんのお言葉』の二つの中に入れてあります。やんごとない方々にかかわるものは原稿もコピーも事情あって数点しか残っておりませんが、手元に残った物は入れておきました。
それより、今は新しい作品を書くべく準備中です。この時代の物語が書ければよいのですがさてどうなるでしょう。 ・・・

カトリックに改宗して以来、本当にまさかというようなことばかり続いて、いつのまにか還暦を過ぎてしまったという、なんとも奇妙奇天烈人生。まあ、あまりにも人を信用しすぎていたのがよくなかったのかもしれないのだが、三つ子の魂百までで、多分、基本は死ぬまで変らない気がする。

英(はなふさ)師はカトリック教会の危機を語っておいでだが、実のところ、原因は教会の、修道会の内部にあるのにどうして目を向けないのだろう。向けたところでどうにもならないのも確かだが、マスコミも政治家も経済も真実には口をつぐんでいる。最も語ったところで誰が信じるかというような話ではあるが。

でも、ある時期、神はマリア様を通して本当に歴史に介入してくださったのだと思う。ただ、誰もその真実を知らないから、せっかくの平和を作るべき好機を個人のお金儲けやそれぞれの国の利益追求に費やして歴史を悪い方向に向けてしまったのだと思っている。これからの世界の将来はどうも恐ろしい。

しかし、それでも一個人たる私は今自分が出来ることをするしかない。その昔、カトリック市川教会で出会ったファティマのマリアさまのご像が今の状況の全ての始まりである以上、導かれるまま進んでいくしかない。簡単ではない状況だ。まさかそのおかげでまともに会社に勤められなくなるとか、生活保護で暮らす羽目になるなんて誰が思う。チェルノブイリの事故が起こって以来、日本のマスコミがしたのはカトリックの信仰について認識を広める代わりに、個人を巫女だのシャーマンだのと取り上げて、まともな社会生活が出来ないような状況にしてくれただけだった。それに便乗した宗教家もいたものなあ。

何とか、本当の自分をわかってほしいと書き始めた童話や物語がまた予期せぬ成功を生むと、今度は誹謗、中傷があちこちに広まって、とにかく私の存在を消そうとする陰謀ばかり続いて、年月がたって、今や本物のおばはん世代になり、それも客観的に見えるようになってきたところだ。

何がどうなろうとたいしたことではない。良く考えれば若いときの希望の通りになっているじゃないか。お金も名前もいらない。神様の下さるものだけで生きていく神様のこじきになりたい。まさに今やそのようのものになっているのだからすごいよ。文句をいうどころではないのさ。まあ、本来の希望は修道生活、観想生活だったけれど、神様が今私に与えて下さっている生活はこれはこれでいいのかもしれない。今のところ、外部に情報を発信するためにパソコンやケータイにお金の殆どが出て行っているけれど、これもやめるときがくれば、十分食べていけるようになる筈。当分はきついがやれるだけやっていくさ。

とにかく、いまはまず新しい物語を書かなくては・・・それからですなあ。

そういえば、23日にせっかく在世フランシスコ会の総会に訪問者の資格で連れて行ってもらうことになったから、これも物語の中に取り入れてみたい。良く見聞きしてこよう。


 

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聖歌隊

2010-11-20 23:20:26 | インポート

今日は、カトリック教会では「王たるキリストの主日」。教会暦での大晦日だ。

来週からはご降誕に向けて待降節に入る。聖歌隊もこれからは練習で忙しくなる。ある程度きちんと練習に出ておかないと本番でついていけなくなってしまう。何しろ今年は大変なのだ。イブが金曜日で土曜18時聖歌隊のメンバーは金・土とミサの奉仕をすることになる。そして日曜日につづく。

こうなるとさすがに、土曜日午前中の関口教会での聖書の集いに参加するのはきつすぎる。クリスマスが過ぎるまで毎週、寝不足のまま朝早くから夜遅くまでずっと教会にいることになってしまう。ふだんなら後練習をサボって帰っても大丈夫なのだが12月はそうはいかない。

聖書の集いの方も今日は今期の打ち上げの食事会の計画が出ていたのだが、今年はこの分だと参加するどころではないかもしれない。ここは聖歌隊の方が優先だろう。いざとなったら、木曜日の真生会館での聖書の集いに行くか来年までお休みするかどちらかだと思う。

土曜日の朝のために金曜会もたまにしか行かなくなっているが、12月は金曜会の納会もあるし、こちらは欠席したくないし、いやはや、困った、困った。今年の年末はなんだか例年以上に面倒だ。

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お医者さん

2010-11-16 23:17:34 | インポート
いつもお世話になっているかかりつけの内科でインフルエンザの予防接種を受けてきた。普通のインフルエンザと新型の混合ワクチンだそうだ。小さい子なら絶対泣き喚くこと確実な痛い注射だった。

日ごろ呼吸器系統が弱く風邪をこじらせると簡単に気管支炎になるので、予防接種は受けておいたほうが良いと先生に勧められて、自分の年齢も考えて受けておいたほうが安全だろうと、注射嫌いもさすがに観念したのだ。

このところ、高血圧が露見してから毎月一度はこのお医者さんにかかっているし、ちょっとした風邪などはいつもここだ。

ところが、若いころからの坐骨神経痛はいつのころからか、千駄木の日医大に行くようになった。眼科が日医大だったから同じ病院にしたのである。目はここで眼鏡を作りに来て緑内障を見つけていただいたのだ。こういうのはやはり大きいところのほうが安全だと思う。

そしてつい最近、以前にも散々悩まされた手の指の先端のウイルス性のイボの再発で、これもまた臨床例の多い大きい病院のほうが治療法もあるはずなので、同じ日医大病院の皮膚科に行くことにした。しかし多分、これは簡単ではないはずだ。以前の時も実に大変だったのだ。ウイルス性のイボの専門の先生がいらっしゃるので、治療法はいくつもあるとは思うのだが、この間いただいてきた薬は目に見える効果は出ていない。漢方のヨクイニンも、自分で市販のものを買って飲み続けても1年以上はかかるから、病院の薬でいってみるつもりだが、時間がかかることは予想できる。

患者のこちらも病院通いは面倒なのだが、お医者さんのほうも大変なのだということが、知り合いの産婦人科の先生達のtwitterでよくわかった。こちらもあまりわがままな事は言っていられないと思う。とにかくまあ、来月またどういうことになるのか様子を待つしかないのだが・・・・・


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時代

2010-11-15 18:10:15 | インポート
カトリック教会のオリエンス宗教研究所というところから出ている「福音宣教」誌12月号を読んだ。英(はなぶさ)神父様の連載、闇の中に輝く福音を毎月読んできたが今回が最終回だ。個人的に昔のいきさつで少々しこりがあるから、さしてかかわりたいとは思わないが、しかし、この若い司祭の洞察は実に鋭いものだと思っている。共感するところ多々あって、ずっと読んできた。

現在のカトリック教会の実情、結局のところ、今の自分自身の境遇にしてもそこに原因があるのがわかってきて、もはや文句を言っているどころではないと思っているのだ。今は文句を言っているときではない、何とかしないと大変なのだ。

教会も修道会も世間同様、高齢社会、日本経済の状況の変化の荒波に揺さぶられている現実がある。今までの経済モデルが通じなくなってきているのだ。司祭、シスターといえど生活していくための最低限の基盤は必要なのである。

思えば昔、プロテスタントの信者だったころ、若い駆け出しの牧師夫妻のもとで、貧しい生活に耐えて子供を育てながら、地域に福音を伝えようと必死に働いている姿をずっと見ていた。その後、カトリックに改宗して、出会ったのが貧しさではとびっきりだった、当時のイエスの小さい姉妹の友愛会のシスターたちだった。プロテスタントの牧師も小さい姉妹も、似たり寄ったりな生活をしていたから、この会ではわざわざ修道院に入るような必要を感じなかった。だから、小さい姉妹にはなる気がしなかったのだ。

自分が望んでいるのは神を捜し求める生活であって、そのための貧しさならともかく、貧しさ自体が目的だという会は絶対いやだと思っていた。が、なぜかそれどころではない、普通ならあるはずもないような奇妙な出来事ばかり続いて、30数年たってしまい、いまや還暦のおばはんだ。

ここへ来て、はたと周囲を見回すと、なんと今や日本は新興衰退国と呼ばれているのだとかで、まさに経済も人口も夕暮れにきているではないか。30年も40年も昔、貧しい伝道者の家庭や、小さい姉妹会で見て覚えた生き方が今ものすごく役に立っているのだから皮肉だ。けれどこの衰退期の現象、教会の情勢でもおなじなのだ。おまけに普通の世間一般の方々はまだそこに気がついていないらしいのがおそろしい。

英師は、しっかりとそれを見つめ、考えようとしている。12月号の記事は重い。twitterでさまざまな方々の考えを目にするとき、すでにファッショ的な動きは地下で始まっているのを感じないわけにはいかない。そして残念ながら英師の希望の路線にはまだまだ道は遠いのだ。司祭たち自体、全員ではないが、状況がわかっていないのではないかとさえ思えたりする。わかっていても流されるしかないときだってあるのだろう。信者としてもあまり期待しすぎていてはなるまい。
とにかく今は大変な時代なのだ。


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いつの間にか千人を越えていた

2010-11-15 01:12:05 | インポート

ツィッターのメインアカウントのフォロワー数のはなしだ。

と言っても千人以上の人がつまらない個人のありふれたつぶやきをいちいち見ているわけではない。こちらにしても千人以上のつぶやきを全て見るのは不可能だ。 全ての人がそんなことをしていたら、ただでさえ不安定なツィッターのサーバーは完全におかしくなってしまうに違いない。

 企業ならいざ知らず、個人のレベルではまずそれは無理だし、せいぜいリストやお気に入りをたどってみたい人の所から始めて時間があればなるべく他のところも見る、といったくらいしかできないのが実際だろう。 しかし、それでもツィッターは、見る目さえあれば情報の宝庫と思う。玉石混淆のその中から使えるものを見つけ出すことができるかどうかはその人自身の技量にかかってくる。

 こちらは元々ツィッター以前からNHKさんをはじめとするテレビ、ラジオ、新聞社、出版社にはいやでもご縁があったからなんということもないのだが向こうもこちらも情報の流れが非常に早くなったのは確かだ。(もっとも、この話は昔からの事情を知っている方々にしかわからない話だが)

そして今度はフェイスブックというものも加わってきた。これがどういう方向に動いていくのか目がはなせないところだ。安易にmixiやgree化するようなことは避けてほしいが、採算がとれないのもまずかろう。どのような道をいくか、注目せずにいられない。

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