平和なときに

2011-06-29 08:59:12 | インポート

facebookを見ていると、WagaMaga以来のおなじみのRさんが、いざというときのためのLEDランタンを手に入れたという記事が出ていました。中国製で、機能的にもお値段もこれはいいと思うような品物です。その話を見た方たちのコメントもあってこれもなかなか面白い。

その中で、京都のBさんのコメントへのRさんの答えを見たとき、思わずはっとしてすっかり眠気が飛んでしまった。「やってみましょう、平和なときに。」ランタンの使い道のはなしです。

あまりに非常時が日常になりすぎていて、うっかりしていると今がどういう状況なのか忘れてしまっていたりする普通の日の朝に、Rさんの「・・・平和なときに」は強烈に効きました。夕べ読んだニュースではどうも都会にいる政治家たちはもはや原発事故など終わったということにしたいらしい発言をしていますし、たぶんなし崩しにしようという姿勢なのでしょう。

でも、きちんと今の状況を考え、今後に予想される危険もしっかり見つめているRさんのような方たちがいらっしゃる限り、忘れっぽい日本人も、そう簡単にふらふらとはしないだろうという気がしました。

 

 

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風はどの方向に吹いているのか

2011-06-28 09:11:44 | インポート

カトリック聖歌の名曲、風がどこからをもじったわけではありませぬ。

でも、もちろん「風」は風邪でもないし、地球上の空気の対流現象の風でもない。聖書に出てくる「風」、つまり「聖霊」のつもりです。

実はここ数日のうちにいきなりという感じで、カトリック教会の指導者層の方々がtwitterを発信し始めておいでなのです。普段はあまり直接にお話しする機会も用事もないので、ついつい、遠ざかって見ているばかりだった東京教区の岡田大司教様のtwitterには本当にびっくりしました。

菊池司教様ならブログも時々読んでいたのでそれほど驚きませんけれど、先日、知り合いの片柳神父様が新司教叙階式の様子を、岡田大司教様、菊池司教様のtwitterで見ているというツイートに驚いて早速検索してみると、ありました、ありました。

片柳神父さまと並んで、おなじく大阪教区で活躍中のtwitterでご一緒の川邨神父様に、驚いたと知らせると、司教様方にも聖霊が働いていらっしゃるのではないかといった内容の答えが返ってきました。なるほど。

岡田大司教様のブログはこちら→ http://tsurumai.cocolog-nifty.com/blog/

お忙しい方なので、twitterほど更新はお出来にならないかもしれません。でも、何かが動き始めたというのは確かなようです。こちらも少し真面目に神父様方、司教様方のためにお祈りしなくては。

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小笠原諸島の世界自然遺産登録決定

2011-06-26 21:30:46 | インポート

浜松町の駅からすぐ近くに島嶼会館というビルがあって、駅のホームからも見える。しかし、この間の3月11日の地震で相当のダメージを受けたようで、現在は休館中だそうだ。今後についても建て直し案件になっているらしく、先の見通しはついていない。このビルは実は東京都の島嶼部の方々が東京に出てきたときに安く宿泊できるようにと作られた施設だったので、この地震で、島嶼部の皆様方にはかなりの影響が出ていることと思われる。

都内に住んでいると、釣りが趣味とか、噴火でもないかぎりあまり島嶼部のことに思い及んではいない気がする。カトリック教会には大島教会とか、おたあジュリアの神津島とか、少しは名の知れた島もあるわけだが、浜松町にすらたまにしか行かなくなってからは本当に縁遠くなっていたものだ。島嶼会館の今の状況も小笠原の世界遺産登録決定のニュースを見て改めて調べるまで、情けないが忘れていた。

しかし、今回の世界遺産登録決定は本当によかったと思う。小笠原諸島ははっきり言ってかなり遠い地域で、だからこそやたら簡単に往復できない分、自然環境が守られてきた面もある。けれどもほうっておけばさまざまな問題が出てくることも確かだった。

どこかの地域ではないが知らないうちに大資本に安く買い叩かれてリゾート開発が進んで、自然破壊にまっしぐらとか、あまりよいことはない気がする。世界遺産登録と決まれば、見る人の心も変わってくるだろうし、地元のためにも有益と思える。

その昔、島嶼会館に多少のご縁の会った当方、なんとなく他人事のような気がしないのだ。今の東京都の経済状況では建て直しも簡単にいくとは思えない。島の方々のためにも非常に心配している。小笠原諸島の世界遺産登録決定の記事のおかげですっかり考えさせられてしまった。

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たまには教区のお知らせから

2011-06-25 14:17:33 | インポート

先日、twitterで、ma_cocotteさんが今度の6月29日の聖ペトロ・聖パウロの祝日には、教皇ベネディクト16世が司祭叙階60周年をお迎えになると書いておいでだったので、気になっていま東京教区のホームページを見たところちゃんとこういうお知らせが載っていた。

  http://www.tokyo.catholic.jp/text/diocese/oshirase/110624inori.htm

6月29日から7月1日まで、司祭のために特別に祈るようにという要請で、見てしまった以上、個人としてもまじめにお祈りしようと思う。

 

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日本の夏の食生活から考えた

2011-06-24 20:59:15 | インポート

ゼライスとフルーツの缶詰で手作りするゼリー。あるいはただのお湯でとかして固めるだけのインスタント物でも良い。夏のお菓子の中で、ゼリーや寒天を使ったものがなくなったら、どんなに寂しいことになることだろうか。いや、トコロテンやくずきりというものもそうだ。

昔々の人たちは冷蔵庫も冷凍庫もない時代に、透明感のある材料を使って冷たい水と砂糖や黒蜜だけで涼しさを演出して夏の暑さを乗り切っていったわけだ。そういえば冷たい刺身の舌触りはどうだろう。新鮮な魚を大量の水を流しながら可能なかぎり清潔にして生の魚をそのまま食べられるように調理する。これは実は大変なことなのではないか。思うに最近の生肉で食中毒を起こす事件などは、日本人が長年鮮魚を生で食べてきた歴史があって、生ものを好む傾向が土台にあって起こってきた事件事故ではないだろうか。

いや、欧米にも生肉の料理はある。だが、日本人が魚に詳しいのと同じく、肉の鮮度や調理法に詳しい欧米人なら、何がなんでも生肉とは考えないのではなかろうか。おさかなの生に慣れきった日本人だからこそ、お肉もおさかな並みの感覚でお刺身のつもりで生肉を食べて中毒をおこすのではないか。

おさかなの調理は大量の水を使って洗い流しながら生でも食べられるものに変えていくわけだが、肉は違う。生肉はよほど新鮮でないかぎり、かなり危険なものと感じるのだが、どうして最近の人達はそれを考えないのだろう。不思議でならない。日本人の誰でもが肉を食べるようになったのは、明治維新以後でそれまでは、肉食は忌み物だったのも忘れられて久しい。しかし、肉食の歴史の浅いこの国だからこそ、肉についての知識も浅いのだろう。お刺身並の感覚のままなのだ。

ちょうど昨日は木曜日で真生会館での聖書の集いに出席し、キリストの聖体について考えさせられたところだが、日本人で、本気でキリストの血と肉としての聖体を考えられる人はそんなに多くはいないのではないかと思う。大体、肉食で生肉をたべてもお刺身感覚の国民性なのだ。小さい時に父が鶏をさばいて料理するために鶏の首をちょんぎったときの噴水のようなに吹き上がった鶏の血のものすごさにおとなになるまで、鶏が食べられなかった当方、聖書に出てくる生贄の子羊という言葉はきれい事にはおもえないのだ。

肉を食べるということは本来は血まみれの行為なのだ。血まみれの肉にはハエも集り、腐りやすいし、バイキンも付きやすいのだ。生魚を料理するのと同じではないのだ。その辺を今の日本人はあまり考えていないのではないか。

聖書のキリストの聖体の意味はもちろん、本物の生肉や流れる血の海のことではない。こちらで大切なのは、キリストは生贄の子羊、人間たちの神に対する罪の贖いのための身代わりの、本物の犠牲の子羊なのだということだが、そのままで日本人にピンと来るかどうか、どうも疑問だ。このへんも日本のキリスト教信者数が増えない原因の一つかもしれない。

 

 

 

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熱中症

2011-06-23 06:49:37 | インポート
ドラマの熱中時代なら面白いのだが、夏の暑さでの熱中症は用心しないと危険なばかりだ。しかし。まだやっと6月の後半だというのに、夏至を迎えたとたんに熱中症の記事が出てきたのにはあわてた。

今年の夏も去年同様の暑さだとしたら、これはかなわない。電力問題もあるしできるだけの対策を考えておくしかなかろう。本来なら、夏季には温度が上がると体の血のめぐりがよくなって神経痛も消え、体調も良くなる季節のはずなのだが、最近の気象状況はそれどころではない異常高温傾向だ。

困ったものだと言っているだけではどうにもならないから、情報を集めて、できるだけのことをするしかない。鉄筋コンクリート建築の三階の夏の開幕というわけだ。これはもうなんといってもまず。基本に戻るしかなかろう。つまり、昔ながらの『早寝・早起き・朝ごはん』というわけだ。早朝から午前中の少しは涼しい時間帯に仕事をして、夜はさっさと寝る。書き物はどうせあまり暑いと頭が働かないからそれでよいのだろう。

以前から日経の知人の上尾のMさんに何度となく忠告されていて、それでも出来なかったのが、最近の夏の状況で、いやでも実行しないわけにはいかなくなってしまった。致し方なしだ。
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久しぶりの森司教様

2011-06-20 21:47:31 | インポート

今日は雑用ばかり多くてやたら忙しかった。それでもやっと昨日の堅信式の後のお祝い会での森司教さまをyoutubeにアップした。こちらが還暦を過ぎたおばはんになっているのだから当然だが、森司教さまも外見はさすがに年齢相応に。でも昨日の説教は本当に良いお話だったと思う。

つい先日、はるか昔のテレビドラマのビデオをyoutubeその他で探し出して見たわけだが、出演者のかなりの方がすでにお亡くなりになっていたり、青少年だった方たちは当然中高年になって、今でも活躍中だ。

「熱中時代」がポジティブな世界を描いているとすれば、こちらの「傷だらけの天使たち」はどうもおっそろしくネガティブな世界なのだが、なんというか不思議に、年間3万人もの人が自殺しているこの今の時代にもこのどうしようもない遣る瀬無さ、切なさ、乾いた悲しみの表現は十分に通用するものだと思う。昨日の森司教様の説教はそんな現代の日本にもキリストが今も語りかけ手を差し伸べている姿を思い出させてくださるような気がしたものだった。

残念ながら説教の内容はそのうちに本にでもまとまるのを待つしかないので、ここにはとりあえず、youtubeの中から一曲だけと、昨日の森司教様のご挨拶の一部だけ載せておく。

 http://www.youtube.com/watch?v=ThboLEiD03c

 http://www.youtube.com/watch?v=yvvMbJiqBSc

 

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書き物はさっぱり進まないが

2011-06-15 00:24:03 | インポート
仕方がない。焦ったところで書ける時機がこなければ書けない。心の中の器にエネルギーがたっぷり溜まって、形になるまでどうしようもない。というわけで本日も一日遊んでいた。

おかげで何十年も昔のビデオをいくつも見て非常に勉強になった。ローマは一日にして成らずだ。そして、自分の十代、二十代の頃を思い出していた。昔も今も間の抜けたおバカなのは変わらないが、あの頃は父が元気でいつもそばにいた。

思えばそれで我が家では、テレビも有名なドラマなど実は全然見たことがなかったのだ。不思議なくらい家の親が選んだ番組は偏っていたのが今にしてわかる。あの人は現代もののドラマなど殆ど見なかったから、子供のこちらも親と同じようなものしか見ていなかったのだ。そうなのだ、だから学校でもほかの子の話題についていけなかったのだ。今頃気がついてびっくりしている。

我が家には大量の本はあったし、ラジオは自分のものだったのだが、テレビは親たちの部屋にしかなかった。映画というものも会社に勤めるようになるまであまり見たことがなかった。おまけに考え方の固いプロテスタントだったから、世間的なことは実に何も知らなかったのが、最近になって自分でも分かってきたものだ。

だが、世の中のことがやっと少しはわかってきたらすでに還暦をこしていた。いや、今の年齢にならなければ見えないものがたくさんあったということか、というわけで歳をとるというのも悪くはないなあ、としみじみと思っているところだ。

まあ、言っても仕方がないが年間三万人以上も出るという自殺者は実にもったいないことをしているわけだ。生きて歳を重ねてみないと見えないものがたくさんあるのだ。理解できないものがいくらでもあるのだ。ボンビーはつらくて悲しい? でもねえ、もっと違う価値観というのも実際にあるんだぜ。想像してごらん。

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一生食べていく仕事

2011-06-14 11:11:23 | インポート

時代が時代だし、昔とは比べられないかもしれないが確かどこかで作家の曽野綾子さんが、若い時に身についた仕事がその人の一生の仕事になるとか書いていらっしゃったような記憶がある。この年になってみると、それはたしかに本当のことのようだと思う。

親が本が好きで、印刷会社にいたから、なんとなく自分も印刷系の仕事につき、読んだり書いたりするようになって未だにその延長でなんとか最低限は食べている。いいか悪いかはよくわからない。書くということを知らなかったら生活保護に甘んじているよりましな仕事を探していたかもしれないし、だいたい、裏の大変な大事件にも巻き込まれず、普通に生活して普通のおばはんになっていただろう。

言いたいのはとにかく、若い時にどんな仕事を身につけるかということは非常に重要なことだということだ。才能の有る無しも勿論大きく関係するが、多分、それがその人の一生食べていく仕事やその基礎になるらしいと感じるのだ。でも大学を出て普通に就職した方ではそのへんはわかりにくいかもしれない。

実は昨日youtubeで捜し物をしていて、たまたま六文銭の及川恒平さんの長い対談を見つけた。それで、及川さんがどういう経緯で小室等さんに出会い。六文銭と関わっていったか初めて知った。人それぞれの歴史は面白い。若い日の出会いが今の及川さんにつながってきたのだ。

youtubeで有り難いのは昔の古い記録が出ていることだ。その昔、カトリックに改宗する以前は相当固いプロテスタントに所属していたから、言ってしまえば今の下手な修道生活よりはるかに厳格な生き方でテレビの娯楽番組など一切見たこともなかった。カトリック教会で初めて電線音頭とかしらけ節を知ったくらいだ。今になってやっとyoutubeでそれがどんなものだったかやっとわかった。でもテレビはよっぽど気に入ったものでなければ、いまだに普段はほとんど見ていない。

それが、あるドラマが気に入ってから、主演の俳優さんの演技力に感心し、その方の昔々の若いまだ子供の顔をしていた頃のものまでこれもyoutubeや、daylymotionで探し出して見ていくと、その方の俳優人生に大きく影響した人間関係などまで、多少は見えてくるわけで、思いもよらない人が出てきたり実に面白い。そして、この方も十代の劇団の頃から今日まで、若い時に身につけた仕事で過ごしてきたわけだ。

しかし、人との出会いもまずは当人が動き出さなければ何も起こらないのだ。というわけで、最後にひとつだけ言いたい。

年間三万人の自殺者の出ている日本だけれど、とりあえず若い人は死ぬことを考える前に何でもいいから動いてみたらどうだろう。こんな仕事じゃ嫌だと思ってもとにかく動いて、たくさんの他の人と出会ってみることは出来ないか。自分だけに目を向けていては何も見えないぞ。現実に動いていくと、他の人達との出会いの中から次の道も見えるかもしれないよ。たくさんの本を読めよ。たくさんの人に会ってその人達をよく見ろよ。

 

 

 

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パイレーツ・オブ・カリビアン4

2011-06-13 10:16:12 | インポート

昨日は教会の帰りに映画を見てきました。パイレーツ・オブ・カリビアンの最新作「命の泉」です。なんとも中途半端な出来だと思います。

このタイトルを見ただけでもなんとなく不安を感じませんか。多分、これはあまりヒットしないかもねえ。だって誰にでもすぐに分かる面白い話しのような気がしないではないですか。日本にはほんの一握りしかいないキリスト教信者(カトリックもプロテスタントも含めて)だったら何かピンときた方もおいででしょう。

命の泉ですよ、永遠の命ですよ、これはもうまるっきり宗教ネタとしか思えない。ディズニー映画はこれをいったいどんな風に料理するのかと、別の意味でわくわくどきどき。

海の魔物、人喰い人魚のセイレンとキリスト教の牧師の出会い、これって大航海時代のヨーロッパの新大陸侵略、土着の民族との摩擦抗争を連想させますねえ。イスパニア(スペイン)軍が、永遠の命を与えるのはこんな異教の神殿ではなく、神(唯一全能永遠の真の神=キリスト教の教える神)だと、命の泉の神殿を破壊してしまう、これも考え方は正しいのだけど、なぜかスペインが中南米の古代文化を破壊してまわった歴史とかぶって見えたりしてしまう。

現実の歴史がかぶってくる舞台背景で、ここには更に必要な「何か」がたりないから真のファンタジーの世界が活きてこないではありませんか。中世ヨーロッパキリスト教の世界の聖杯伝説を思い出させながら結局全然生かせないまま、単なる盃に堕としているのも奇妙。今回の作品は55点から60点といったところではないでしょうか。真のファンタジーというのは、国や民族を超えて、誰が見ても心の奥深くを揺り動かされる「何か」が必要です。せめて次回作を期待してみることにしましょう。

 

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