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2014-04-30 16:37:40 | Weblog
明日も雨ってほんと? 風邪がなおらないじゃないの



こんにちは~、マリーで~す。 

今日も朝から雨、今、この時間は小降りになってるみたいだけど、窓を開けるとやっぱり寒いって、うちのおばはんはやっと咳がとまったところだからすぐに閉めちゃったわよ。部屋の空気の入れ替えだって言ったら、台所の換気扇を動かして誤魔化しちゃってまったく。だけどこの雨明日もまだ続くのかしら。これじゃあの人、また咳が止まらないじゃないの。連休だって言うのにお外に出かけられる感じじゃないわね。

もう相棒の劇場版Ⅲも上映始まってるし、お金はなくてもこれだけは見に行きたいって言ってるけど、暖かくなってくれないとどうしようもないわよ。昔とちがって映画館の狭い席で長く座ってると、神経痛だから情けないけど足腰の調子がおかしくなるし、うまくいかないのよねえ。

大体があの人、若いころから一日中椅子にすわって机に向かう仕事だったし、すぐに外に出歩きたがるほうじゃないからそれでもさほど不満もないみたいよ。だから今日も朝起きたときから、今度の新しい話をどういうふうに書くかを考え始めてたわよ。子供たちにもちゃんとこの世界には不条理、不公平、理不尽なことがたくさんある現実を教えなくては、といったって何しろあの人自身、その辺がよくわかっていなかったから今の状況になっちゃったんだし、そのへんをどうまとめていくかはあんまり簡単じゃないもんね。それでもこの世界はそれだけじゃないっていうところにまで話を持っていくには、読む側が納得するだけのものが必要だし、自分の中に持っていないものは出せないのよ。

それでもあの人、一応これだって思うものがあるから、その種を大きく育ててちゃんとした物語にしたいのよね。どんなものになるんだかほんとのところ、まだわからないけどさ、とりあえずその話の中に死んでしまった妹のことや、母方の菩提寺の行傳寺のこともちょっぴり名前くらいは取り込んでおきたいみたいよ。その辺はあの人自身の思い出のためって事だけなんだけどさ、別に悪くはないしね。

素人の拙い文章ではあっても、ほかの人には書けない自分だけのものを書く、それしかないのよね、今、うちのおばはんに出来ること、しなくちゃいけないことって、ほんとにそれだけなんだわさ。

今日の話って、天気も悪いしこんなところでおしまいかな。 ほんじゃまたね。



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2014-04-29 20:02:30 | Weblog
とりあえずの問題が消えると今度はもっと大変だ。


原稿書く準備しなくちゃ。話の構想ねえ、大まかには決まっているけど、出だしがまだ出来ていない。出だしが決まると何とか話が進んでいくのだけど、これが結構難しい。ケータイのまりーさんにどういう場面から入っていってもらうかとか、最初の段階はなんというか計算が必要だし、内容自体より面倒な感じ。真面目にいかなくちゃ。

でも、書き始めると、たぶんブログのほうは休みがちになったり、メモ程度のものになってしまうかもしれない。今からあやまっておきます。不器用なので両方におなじくらいの力をかけられないのです。ごめんなさい。






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2014-04-29 13:31:52 | Weblog
朝からロキソニン


追) わあーい、夕方になって、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、の強力三点セットプラスあれこれのお野菜がきたよ。よかった、よかった、助かった。これくらいあれば当分なんとかなるなあ。早速まずは鯖缶と一緒にスープをつくって小分けして冷凍よ。入りきらないのは新聞紙に包んで涼しいところに。四ツ谷には文句ばかり言っていますけど今回はこころから感謝しています。



おっはようございま~す、マリーで~す。

うちのおばはんは今朝起きたときから寝汗をかいていたり咳はゴホゴホ、頭は痛いし動くのがだるいし、どうみてもこれは風邪ひいちゃってるみたいよ。昨日やたらくたびれたっていってたけどその前の晩に、ちょっと考え込んじゃって眠れなかったのよ。あれが始まりで、昨日の疲れも重なって、ほんとに風邪ひきさんになっちゃったんだわさ。

考え込んで眠れなくなってとにかくもう一度生活相談に行って、それでもあの人、材料さえあればたいていのものは自分で作っちゃうから、お野菜だけ送ってもらう手はずになったんだけど、夕べは何時になっても宅急便はこないし、連絡の取りようもないしで、つい寝不足なのにまた夜更かしよ。あれがきいちゃって風邪ひいたんじゃないかしら。

だけどお野菜どうなっちゃってるのかしらね。なければないで金曜日にちょっぴりお金が入るからモヤシや冷凍の野菜を買ってくれば、100円ショップで買ってきた三個で100円のあんまり味はよくないけど、適当にこちらで調味料や野菜を入れて、手直しすればまあまあ食べられるインスタントラーメンがまだ20個くらいあるし、贅沢は週に一度くらいでやっていけば、当分はなんとかなることはなんとかなるけどさ、お野菜、あてにしてたんだけどなあって、あの人、愚痴ってるわよ。これじゃ考え込んで眠れなくなるのも当然かもね。

連休のときに具合が悪くなるとお医者さんはお休みだし、本当に手に負えないことになっちゃうから、あの人も鎮痛解熱剤くらいはいつも用意してるけど、さっそくに必要になっちゃうんじゃ、なんか先の見通し暗い感じ。いやあねえ、こんなんじゃあさあ。

まあ、食べるものはお粗末なはなしだけど、昨日、講座で聞いてきた「祈り方の方法、いろいろ」は面白かったから、そっちを考えれば気もまぎれるみたいよ。昔、足腰がまだ悪くなかったころに知らずに実践していたのは歩く瞑想法だったのか、とか、東方教会のイエズスの御名の祈りみたいなのは、これ、プロテスタントのころから何気なくやってたなあ、でもなるほど呼吸の吸う息、吐く息とあわせるのは知らなかった、これは雑念を払うのにも役に立つとかって思ってるみたい。

だけど夕べみたいにいらいらしながら来ない宅急便を待っていて結局来なかったりすると、呼吸法も何も忘れていらつくから、眠れずに風邪引いちゃって無駄になっちゃうのよね。雑念の塊りになると健康にもよくないって言う見本よね。

ラーメンとモヤシばかりじゃどうしようもないもんねえ。心理学的にいっても味の変化に乏しい食生活って精神衛生上にもあんまりよくないっていうのにさ、これはあの人、もっと自分でも工夫しないといけないんだと思うな。ほら、禅寺の食事って食事の支度からなにから修業の一つだっていうじゃないの。お金がないからってラーメンとモヤシばっかりって、栄養面だけじゃなくて、やる気を失わせる食生活だわさ。いくらお肉はたまには食べるけど、好物じゃないったってさ。お刺身やお寿司は好物だけど高いったってさあ、もうちょっとなんとかしないとまずいよねえ。

どこに問題があるのかって、ずっとたどっていってみると、どうも一人分の食事を作るのって、結構面倒なのが一番の問題なんじゃないかしら。結局適当になっちゃって、お金もあんまりないしでたどりつくのがラーメンとモヤシってことみたい。野菜があればそれでもあの人、スープや汁物は大好きだから、それだけはちゃんと作るんだし、やっぱり最低、にんじん、ジャガイモ、たまねぎは常にかかさないようにしとくしかないみたい。青野菜もスープにしちゃえば、きらいなキャベツだって食べられるし、これはもう、スープ作戦しかないなあ。お出汁をとるのに、すこしだけ肉や魚、ベーコンなんかもいいな、それにたまごがあれば、スープは万能だと思うわよ。

それなのにこのごろ、どうしてラーメンとモヤシになっちゃってるのか? 大きいおなべが壊れて、フライパンと小なべしかないってのが問題の始まりかも。この辺から何とかしなくちゃねえ。やれやれ、うちのおばはんて本当に手がかかる人だったらないわ。あたしまで一緒になってあの人の台所事情を考えさせられちゃうんだもん、あきれちゃうわ。

大きいおなべって千円以上するから、今のあの人の懐具合じゃ夏にならないと買えないかもしれないけど、とにかく原因は見えてきたから、ラーメンとモヤシの生活はやめてほしいわ。コンビニのお菓子で一食分ていうのもだめ。高血圧で心肥大だっていうのに塩分とりすぎててどうするのよ、まったく。モヤシだったらただゆでてそのまま無味で食べるの好きだったじゃない。ラーメンも粉末スープは使わないで麺だけゆでて、それをほかのものと和え物にして食べるとかしないと絶対体によくないこと請け合いよ。

せっかく祈りについていいお話を聞いてきたんだから、実践するのに必要な生活態度の基本のとこもちゃんとしっかりしてほしいわよ。あ、それで結局来るはずだったお野菜どうなっちゃったんだろう???

ま、お休みの日だから長々とおしゃべりしちゃったし、この辺で終わりにするわね。ほんじゃまたね。



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2014-04-27 20:54:52 | Weblog
列聖式の中継を見た





昔、テレビで初めて生中継を見たときはびっくりしたけれど、インターネット時代はもっとすごいことになっている。ローマで行われている列聖式をネット中継ですぐに見られるなんて昔は想像もしなかったことだけど、今は現実だ。なんてたいした時代だろう。

ヨハネパウロ2世の来日の時は聖歌隊のメンバーにまじって会場にいたのだった。その方が今日は列聖だ。そしてヨハネス23世教皇様のころは、カトリック教会の外から見ても、何か大きく変わっていくのがわかった時代だった。あれからこちらも教会もいろいろあったわけだが、今日の列聖式を見ていて、考えさせられた。

市川市や船橋市で鎌倉以来だとか、室町時代だとか言っても、あちらはなんといっても二千年以上続いてきた歴史があるぞ。田舎の人間だからかもしれないが、昔からの歴史のあるものには文句なく頭を下げてしまう。信頼度が違う。いろいろ問題はあっても二千年の歴史はそう簡単に揺るぐようなものではないと思うのだ。

今、このパソコンをつないでいるジェイコムの調子がおかしくなっていて、テレビがつかない。パソコンもちょっと切らないと判断がつかないので途中だがここで終わる。ごめんなさい。

追加)

 ジェイコム自体ではなくてテレビの問題でした。でももう今日はこれでやめておきます。





plala 3

2014-04-27 20:50:53 | Weblog
ユング心理学の共時性






思えばもうずいぶん昔のことになってしまったものだ。30数年、いや40年近い昔といえば生まれたばかりの赤ちゃんがとっくに成人して、社会人になり結婚して子供が生まれてその子もすっかり大きくなっているほどの年月だ。覚えている人がほとんどいなくても不思議はない。でも40年近い昔、カトリック市川教会の聖堂の片隅に小さなケースに入ったファティマのマリア様のご像があったのは本当だ。ただ、個人の私物だったのだそうで今は引き取られてしまったらしい。

でも、そのご像がすべての始まりだった。けれども日本の教会は全くなにも知らない。亡くなった誰かさんばかりを信用して言いなりになっていたのだから当然だ。今更か。しかし、あの頃、本当に普通ある筈のない話がいくつも続いていたのだ。まさにユング心理学でいう共時性そのままだったのだ。どうしてそうなったのかなどこちらもわかるわけがないはなしだ。とにかく大きな大きな手が核戦争を止めたのだとしか言いようがない。いや、言っても仕方がない。ただ、それからマスコミや政財界で私の情報を欲しがる連中がやたらにこちらのまわりに出没して、それで結局こちらはまともに就職できなくなり、ある方が手をまわして生活保護を受けて最低限の暮らしはできるようにしてくださったのだ。

当時の関係者が次第に少なくなって今となってはもはや忘却の彼方に消えていくだけのようだ。ただ、恐らく状況をみていると日本の教会がなにも知らなくてもローマはある程度知っているような感じだし、これ以上こちらは余計なことは言わないで、自分の仕事に専念することにする。

これを一言でまとめる言葉は「事実は小説より奇なり」これに尽きよう。おしまい。




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2014-04-26 12:37:10 | Weblog

追加) 日蓮宗とキリスト教




仏教とキリスト教、考え方にはかなりの違いがあるわけだけど、仏教のなかでもうちは父方も母方も日蓮宗で、子供の頃から宮沢賢治の童話の世界にも親しんできている。宮沢賢治はご存じのように熱心な法華経の信者でもあった方だ。おかげで法華経の菩薩という存在には昔から親しみを感じていた。キリスト教、カトリックの信仰をいただいてからも菩薩という存在、その生き方はキリスト教とも重なって見えるのだ。イエスさまこそは真の菩薩の道を生きられたお方とも見えるのだ。






船橋市の塚田、前貝塚あたり




今日は土曜日なので、夕方は四ッ谷のミサに行き聖歌隊に参加する予定だからたぶん、後練習などで帰りも遅くなりそうということで、朝のうちにこのあいだから気になっていること母方の実家の菩提寺、船橋市塚田の行傳寺について、歴史を調べてみた。

死んだ父は故事来歴に詳しかったから、行傳寺が父方の地元の大本山中山法華経寺の末寺だったことや、もとは法華経寺の年をとられた僧侶の隠居寺の役割を担っていたことも語っていた。父方は先祖が法華経寺の富木常忍の家臣で代々法華経寺の門前に住まわってきた家だから、末寺の行傳寺のことも知っていたのだ。

行傳寺は母方の菩提寺で、母が死んだとき父がおじいちゃんのそばに一緒にいられるようにと、墓を寺の近くに建てたから、今では父母も妹もこの寺の墓地に眠っている。この墓の位置がわかりにくくて道に迷うものだから、Googleマップをみたりして、ついでに父を見習って、この地の歴史なども調べたわけだ。

大筋は生前の父から聞いた話で正解で、この寺は室町時代にできたそうだ。父方は鎌倉時代、母方も確実なところだけでもこの寺の創立した室町時代にはこの土地にすみついていたわけだ。考えただけでも遥かな遠い御先祖さまに懐かしく有難い気分がしてくるではないか。もっともこんなことを考えるのはこちらも年をとったためかもしれないが。

船橋市の近代史を簡単にまとめたものを読むと、子供の頃、不思議だった今はない無線搭が実は大変な代物だったことがわかる。田舎の畑と田んぼばかりの土地にたっていたあの無線搭が第二次世界大戦のときには重要な働きをしていたとは驚いた。

母が、そして伯父、叔父や叔母が子供の頃通っていた塚田小学校も今や、東京のベッドタウンの近代的な小学校だ。時は流れていく。

とにかく今度妹のために墓参りに行くときは迷子にならないようにしなくては。


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2014-04-25 18:25:48 | Weblog
昔話だ(その2)

遠藤周作先生のお名前を初めて知ったのは中学生の頃。でも実際に本に触れたのは高校生の時。当時の先生の純文学作品は正直言って子供にはむずかしかった。

小学校高学年か中学1年くらいに北杜夫先生のどくとるマンボウシリーズに出会い、大ファンになったのが始まりで北先生のお友達の作家の先生方の作品にも手を出し読み始めたのが遠藤周作先生を知ったはじめだったのだ。そして高校3年の3学期に母が急死してしまい、予定が変わって進学せずに父が再婚するまで家事のようなことをしていた時期に、遠藤先生の狐狸庵先生シリーズが出て、母の死で落ち込んでいたこころを笑いで癒していただいたのだった。実は当時は先生ご自身もご病気の再発で大変だったことを後で知った。

それと、当時読んだ先生の「留学」という作品に登場した、幼きイエズスの聖テレジアにひかれてフランスに渡りカルメル会に入会する青年の話が心に残っていた。幼きイエズスの聖テレジアといえばやはり子供の頃に初めて聞いたカトリック教会の聖人で、ずっと好きだったからなおのことだったのだ。

しかし、それから何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、シスターになりたいと思い、家を出て一人で生活し始めてある日、図書館でたまたま「死海のほとり」を借りて読むまで忘れていたのだ。死海のほとりを読んだとき、その昔読んだ遠藤先生の聖書のなかの女性たちに登場してきた話、人々は遠藤先生の心の中でこんな風にその姿を変えていったのかとわかり、それがきっかけで読者のひとりとしてファンレターを出し、以来時々手紙を書いて出していたのだ。

文学の話だけでなく、今ならブログに書いているようなことをあれこれ書いていた。後には自分の書いたお話、物語のコピーも贈って読んでいただいていた。まあ、その後のいろいろはあまり文句はいいたくない。あちらもまさか今のようなことは予想もしていなかったはずだから。

とにかく遠藤周作先生、霜山徳爾先生のおふたりは一度も直接お会いしたこともなかった頃から、こちらをカトリック教会にみちびいてこられる影響力を発揮しておいでだった方だった。

そして次はユング心理学の河合隼雄先生もいた。うちの親類が精神科の仕事をしていたので、カトリック信者だった土居健郎先生も霜山先生もこちらが直接は知らなくても実は向こうもご存知だったのだ。で、そこからユング心理学につながる。