大晦日

2011-12-31 14:27:41 | インポート
こんにちは~、お久しぶり。マリーで~す。うちのおばはんもさすがに今日は朝から煮物を作ったり片付け物をしたり、結構忙しそうだから、代わりにあたしが登場したってわけ。でもこのところ、あたしだっておばはんの病気のお友達との連絡用にちゃんとケータイとしての役割を果たして忙しかったのよ。

あ、もしかして、あたしが誰だか知らない人もいるかなあ? あたし、おばはんの相棒のケータイでマリーっていうのよ。おばはんがディズニーのファンでいつも待ち受けにディズニーのマリーを使ってるから、あたしの名前もケータイのマリーってなったの。えーとねえ、あの人の足スタンド、じゃないや、えーと、ほら、アシスタントね。雑用係って説もあるけど、とにかくいつもあのひとのそばに一緒にいるのよ。

そんなわけで、時々出てくるんだけど、ほら今日は大晦日じゃない。今日はというか明日まであっちへ出かけたり、こっちへ出かけたりしなくちゃならないから、ブログもちゃんと書いてる時間がないのね。あたしも一緒に行かなきゃならないから今日はさあ、ご挨拶だけでおしまいなのよ。ごめんなさいねえ。

年が明けたらまたうちのおばはんと一緒にあたしもよろしくね。ほんじゃあ、皆様も良いお年を。


守護の天使

2011-12-30 14:09:28 | インポート

※ 突然でなんですが、今回は大きな話のごく一部と思って読んでいただきたいと思います。

今、ちょっと頭に浮かんでくるのは来年のゴールデンウイークの頃に上映されるという、水谷豊さん主演の映画「HOME 愛しの座敷わらし」や、昔読んだ宮沢賢治の童話「ざしき童子のはなし」などです。

昔々の子供の頃、農家だった母方の実家にいくと、裏庭に小さな稲荷の社があったのを覚えています。今の東京でも、古い大きな農家だったお宅の庭には鳥居や社が残されています。これは関東地方の場合で、地域が変わると家々で代々祭っている、その家の守り神も変わってきます。その土地、その土地で代々伝えられてきた、土地の氏神さま、それから、各家の先祖代々の家の神さまというのが昔の日本にはいたわけです。今も地方の古い家柄のお宅、いや、東京でも古い古い家柄に連なるお宅にはそういったものの名残が伝わっているかと思われます。

東北の場合、それがざしき童子とかおしらさまになるのでしょう。それは各家の守り神なので、その家の人々を守る存在です。代々、その家で受け継がれ、守られてきた存在で、一見多神教的なものに見えますが、実際はその家を守る精霊とか妖精といったところで、本来のこの世界をおつくりになった絶対者に反する存在ではありません。せっせとそのお手伝いをしている連中のようなのです。

実はあることからそのへんに気がつき、今、カトリック教会のすごさにも気がついて驚いているところです。今の時代は目に見えない世界が疎んじられ、忘れられかけている時代です。だから善霊の働きも悪霊の働きも殆ど信じなくなっていて、その隙に乗じた悪いものが跋扈している時代なのかもしれません。

でも、今回思い出させられたのは、カトリック教会の語る「守護の天使」の存在です。もしかすると太古の昔、シベリアのほうから凍りついた海を歩いたり、南のほうの海を渡ってきたりして、日本列島にやってきたはるか遠い昔の人々が持ってきたのかもしれない、一族の守り神への信心。今の日本人にはほんの欠片ほどしかないのかもしれませんけれど、現実にそれが生きている地域もまだまだあるのです。

その土地の神、一族の神と、天地万物の造り主、唯一全能の父なる真の神は相容れないものでしょうか。大自然の持つ荘厳さをも神の表れと見てきた日本人の感覚と、唯一神を奉じる信仰は相容れないのでしょうか。いや、そうではないはず、大自然の子らともいうべき存在、土地の神、一族の神、家の神と呼ばれる連中は真の神に仕える妖精、精霊だとしたら、それはある意味、日本の守護の天使なのではないでしょうか。

こちらは神学の知識は殆ど持たないど素人のただの信者ですが、ここしばらく、驚くようなことに出会ってこんなことを考えるようになりました。日本とキリスト教を考えていく上で、日本人の魂の根源にあるアニミズムの問題、無視してはいけないのではないかと思っております。

 

 

 

 


驚くべし

2011-12-29 19:29:42 | インポート

末期がんで、患部をすべて切り取る大手術を受けて、抗がん点滴療法を続ける私の友達。今、実は普通ありえないような回復ぶりなのだそうです。今日、彼女と話し、彼女の意向で元旦の松戸教会のミサは行くけれど、今は塗油の秘蹟は必要でない気がすると、受けないことにしたことを伝えてきました。

それでもう一度がんの発見から末期の告知を受けて、大手術に踏みきってからのことを詳しく説明を聞いたわけです。驚くべし、普通のこととは思えません。でも、彼女ならありそう。

といってもやはり体力をつけないと効く薬も効かなくなるのは本当なので、よく寝て、よく食べて、よく休んでほしい状況は変わりませんからそこはうるさく注意しましたけれど、世の中こんなこともあるのですね。

どうかこのまま、完全に治ってまた元気に喧嘩もできますように。

以前も心臓が止まってしまったのが生き返ってきた人です。もともと丈夫だった人ですけれど、がんも退散させそうな様子で、ほっと一安心。彼女のおかげで実はこちらも今改めてマリア様に心が向き直っているところ。すべては彼女と出会った頃に始まったのを思い出しているところだ。

 

 


女同士の友情は成り立たないともいうけれど

2011-12-28 21:25:38 | インポート

 

友情というかなんというか、ご縁があっての不思議な結びつき、というしかないが初めて出会った時からもうかれこれ35、6年になる同性の古い友達がいる。年末の、それもイブの前日に彼女の大病を知って、心から心配しているところだ。

若い時、初めて出会った頃の彼女は大変な美女だった。お洒落で着道楽でなんでも一流のものが大好きで、まるで私と正反対。それでいていろいろな面でお互いにすごくよく似ているのだった。

大きな違いはたぶん私はお父さんっ子の娘で、父から受け継いできたものが内面をつくっていたところにあったと思う。彼女のほうがお姉さんなのだが、なぜか時々二人の関係は逆転する。お互いに相手にあって自分にない部分で支えたり、支えられたりしているのだ。ユング心理学でいう相補性というところか。

なんというか他人なのに身内?のような人。あまりに近すぎて相手をわかりすぎるから、大事な人なんだ?けど普段はあまり近寄りすぎると腹が立ってくる、人生のライバル?にして自分自身の半分のような本物の重要な友達。お互いに年を取?ってきて、そろそろ一緒にいても周りから外見で比較されることも?少なくなってきて、引き立て役は終わりだろうと思ったら、彼女の?方は大病になってしまった。私の一部のような大切な人が。

その大病の友人が来年の1月6日にはまた病院に入院して、抗がん点滴療法の続きを受けると聞き、それならぜひ一番近い松戸教会の神父様にお願いして癒しの秘蹟(終油の秘蹟)を授けていただくようにと伝えた。あの秘蹟は別に助からない人が受けるのではなくて、病気の重い人も受けられるのだと説明したのだ。で、当人もお願いしてみると言っていた。

ルルドのお水、このあいだ四谷で見た時にやっぱり手に入れておけばよかったと今にして後悔しきり。ドン・ボスコならいつでもいけるからと後回しにしたのは失敗だった。松戸教会の神父さまは存じ上げないが、松戸教会に知り合いのいる友達がこの話を伝えてくださったそうだ。あの人はすぐに無理をして、元気な頃と同じように動いてしまうのだけれど、重い病気を抱えているので、もし、松戸教会に彼女が行ったら、周りはなるべく静かに見守っていただけたらと願っている。彼女の体調が守られて松戸の元旦の14時のミサに行けますように。

 


今年の一年

2011-12-27 21:26:58 | インポート
これはもうなんといっても3月11日以前と以後では大変な違いだ。

3月11日を境にして、かなりの期間、外出恐怖症のようになって、歩いて帰れる範囲以上のところに出かける気がしなかったものだ。いまだに部屋の中にはあの日の被害の跡がそのまま残っている。扉のガラスが落ちて応急処置のままの食器棚だ。

人間いつどこでどんなことになるかわからないという思いが心の奥にしっかり根を張っていて、普段持ち歩いているバッグの中身が増えて重くなった。いざというときに何とかこれだけは手元にあったほうがよさそうな物を持ち歩いているからだ。もっともこれも命が助かればだが。

自分の基本的な生きる姿勢といったものも本気で考えざるを得なくなった。地震も津波も、原発の事故もいきなりの予想をはるかに超えた規模で起こったわけで、いくら人間が自分で対策を考えていてもいざとなれば果たしてどうなるかはわからないのだ。

そして年末近くなって、知人が末期がんで大手術を受けた知らせがあった。日本列島で言えば東京から秋田のほうまでガンが広がっていた状態だったそうだ。大手術と新しい化学療法で、とりあえず退院して帰ってきている。勿論、治ってほしいのだが、へたをするとこの先何があっても不思議はなさそうだ。

子供のころから父がいつもよく「闇の夜に 啼かぬ鴉の声聞けば 生まれぬさきの父母ぞこいしき」と言っていた。本当に人間はちっぽけだ。昔ある映画評論家の先生が、みんな生まれる前は空気だった、どこにもいなかったと言っておいでだった。まさに、闇の夜に啼かぬ鴉の声聞けば・・・だ。そんなちっぽけな存在が、まるで自分がこの世界の中心のように思って生きている。それはなんと不思議なことなのだろうか。

ちっぽけな自分の一生、それも中高年期の残り物のような時間。それでも何かの役に立てられたらと思わずにはいられない。

知っているほうがいいのか、知らないほうがいいのか

2011-12-26 22:20:27 | インポート

とっくに十三回忌の済んだ亡父の入院から死までのことをなぜか思い出している。

父は病院嫌いで,おまけに変なところで臆病な人だった。どうも診察の結果があまりよくないといやだと思っていた気配があった。で、結局最終的に癌が発見されたときは完全に手遅れで末期状態だったわけだ。

煙草が原因らしい喉の癌(扁桃癌)で、生まれ年が同じ母方の伯父が煙草は癌になるそうだから自分は煙草をやめるといった時、父のほうは、俺は死んでも煙草をやめないといったという話をきいている。その伯父は煙草はやめたものの、高血圧だったので脳溢血で寝たきりになってしまい、父と同じ年に前後して亡くなった。父のほうは煙草をやめずにいてちゃんと癌になってみてから、あわてて煙草をやめたのだから子供としては腹立たしい。

もうそれは言っても仕方のないことではあるのだけど、父の癌、見つかった時はすでにどうにも手のつけようのない末期癌もいいところだったのに、医者は朝から夜中遅くまでかかった医師三人がかりの大手術を父に実行したのだ。父はすでに七十代後半の老人だったし、老人の場合、癌の進行もゆっくりで、かえって下手に切らないほうがいいケースもあるのだそうだが、あまり医者を疑ったりしない、ごく普通のおじいさんだった父は医者を信じて大手術を受け、どうせ切らなくても余命半年だったのに、無駄な苦しみまで味わって結局切っても切らなくても余命半年でこの世を去っていった。

あの大手術の後、しばらくの間病気は回復してきたように見え、当人も家族も周りの人間は治る希望を持たされたのだ。でも、患部をすべて切り取っても癌自体は細胞レベルで広がっていたわけで、しばらくすると再び再発した。ぬか喜びの時間だった。

正直な話、父の件以来、余り医者の言うことを信用しすぎないようになっている。確かに良医もおいでだし、大方の方はよい医者なのだろうとは思うが、全面的に信じる気になれない。

だが・・・ここに患者側はいったいどの程度まで自分の病状を把握することが出来るのだろうかという問題も出てきた。きちんと知っていないと気がすまない当方のような人間ばかりではないから、やたらなことは医者としても言えないというケースもあるだろうし、考えると少々頭痛がしてくるようだ。

世の中、実にいろいろだ。

 


つれづれなるままに、でも読みようによってはたわごとか?

2011-12-23 11:55:42 | インポート

当方、極端な右でも左でもないつもりだ。ただ、なにしろ生まれ育ったのは保守王国千葉県、日本史でも関東では古くからの歴史のある土地で代々の地元の人間だ。今でこそ杉並区に住んでいても生まれ育った土地は忘れはしない。わかっているだけでも鎌倉時代のご先祖様もそこで暮らしていた懐かしい土地だ。

その上、父の幼馴染だった方が長い間市川市長だったから、その時代に編纂された市川市史も全部読んだ。編纂には中学校の時の担任の先生だった方が後に市川市教育委員会で仕事をしていたから、日本史の専門家として係わっていた。思うに自分の生まれ育った土地の古い歴史を知ることで、人はどこに移り住んでも決して根無し草にはならないのではないだろうか。

日本の国の歴史についても同じことが言えそうだ。この国は本当に長い歴史を持った古い国なのだ。でも、結構自分の国の歴史や文化、伝統をご存知でない方も多いような気がする。今日は天皇誕生日だが、日本の皇室と諸外国の王室の違いがわかっている日本人がどのくらいいるのだろうか。非常に心許無い。

政治家や評論家も日本史も知らないまま、他国の王室を見習えばよいと考える方々がおいでのようだ。そんなことでは今後の皇室がどういうことになっていくのか、本当に心配になる。時代はいつかはまた変わっていくのですぞ。過去の日本の歴史をもう一度よく読みなおしていただきたい。安易な考えで皇室のあり方を現代的に変えればそれでよいなどと思うなら、いずれ先々には日本国内の分裂や争いの種になっていくだけだと思われてならない。ここは賢明かつ現実的に可能な、しかも皇室の歴史をまもる判断が必要な事態だろう。

※ 説明を付け加えれば、天皇の存在は古来から日本国をまとめる必要のある時に持ち出されてきている。男系と女系の問題はそこでは勢力争いの種になっていく可能性大。日本が将来いつまでも平和な国だという保証はないことも考えておくべきだろう。

 

 

 


女優さん

2011-12-22 17:20:35 | インポート
一度も実物を見ないままだったけれど、ドラマ「家政婦のミタ」が終わったらしい。最終回は相当の視聴率だったそうだ。テレビは持っていないから、見ようと思うとケータイのワンセグの電波を一番受信できる台所で最低1時間は立ちっぱなしで受信状態を維持しなければならない。そこまでして見たいと思えるのは「相棒10」と「サラリーマンneo」の年末特集版くらいなものだから、当然ミタは見なかった。

しかし、ミタの件からもうひとつの家政婦もの、市原悦子さんの「家政婦は見た」のほうを思い出した。こちらも実は一度も見たことがない。しかし、市原悦子さんという女優さんは非常にすばらしい方だと思う。もう何十年も昔、ラジオの放送劇で大岡信作の「あだしの」という作品を聞いて以来、すごい女優さんだと思っているのだ。もう故人になられた岸田今日子さんもそうだったが、ラジオドラマという、音と台詞だけの世界での演技表現で作品の世界を見事に表せる演技者はそれこそ本物だと思っているのだ。

「あだしの」の頃の市原さんがおいくつだったのか知らないけれど、あの少女の役は忘れられない。『いとしいひとに 別れもつげずに 旅だつの』というドラマの出だしと途中で歌われる死んだ少女の歌声、もちろんそれも市原さんで、もう今は亡き小池朝雄さんとともに出演者はたった二人だけだというのに、実に聞く側のイメージを膨らませてくれるものだった。

その市原さんの出演作品の、「見た」のほうを見てみたい。「ミタ」の方は果たして何十年も人の心に生き続ける力があるかなあ。