新年のミサ

2014-12-31 20:07:47 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

引っ込んだんじゃないのかって、それがさあ、うちのおばはん、お薬飲んで熱っぽいのが収まってきたら、吉祥寺なら近いから夜中のミサだけ行きたいって言い出してるの。あったかくしていけば近くだから帰りもすぐだし、新年の始まりだからって言うのよねえ。まったく困ったもんだわ。どうなるかまだわかんないけど当人は行きたいみたいよ。

なんかさあ、死んでしまった家族たちを思い出してたら、カルメル会のやっぱりもうこの世の人じゃないんだけど田中神父様って言う方がいたらしいのね。うちのおばはんは有名な奥村神父様よりこの方にあってみたいってずっと思っていて、でも会わないままあちらももう亡くなっちゃってるのよね。

昔、なんとかいうカトリック雑誌でこの神父様の不思議な体験を読んでずっと気になってたのよ。そういうことって実際にあるってあの人、いろんな自分の経験からも信じてるらしいの。でも当人の神父様もなくなってどこかのトラピスチン修道院のお墓に入っちゃったのよ、手遅れだわさ。

でもせめてそのお弟子さんみたいな神父様の祈りの会に行ってみたいと思ってるけど1週間くらいの宿泊費も遠くまで行く交通費もあの人、お財布の状況からして不可能なんだわ。藤原神父様とかいったっけかなあ。東京で半日くらいでお話が聞ける機会があればいいのにね。無理かな。

でもねえ、普通のカトリックの神父様じゃ理解なさらないことだってあるのよね、カルメルの仏教に少しは詳しい神父様たちも何しろ天敵さんの言いなりだったからどんなもんだかねえ。奥村神父様だってそうだったのよ、たぶん無理だわよ。

まあいいけどね、とにかく夜中に出かけて大丈夫なのかなあ、そっちのほうが心配。厚着してホカロンなんかも2、3枚貼って終わったらすぐ帰ってくるようにしたらいいかなあ。まったく世話の焼けるおばはんで困っちゃうわよ。ほんじゃ、またね。

新年のミサ

2014-12-31 19:38:38 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

引っ込んだんじゃないのかって、それがさあ、うちのおばはん、お薬飲んで熱っぽいのが収まってきたら、吉祥寺なら近いから夜中のミサだけ行きたいって言い出してるの。あったかくしていけば近くだから帰りもすぐだし、新年の始まりだからって言うのよねえ。まったく困ったもんだわ。どうなるかまだわかんないけど当人は行きたいみたいよ。

なんかさあ、死んでしまった家族たちを思い出してたら、カルメル会のやっぱりもうこの世の人じゃないんだけど田中神父様って言う方がいたらしいのね。うちのおばはんは有名な奥村神父様よりこの方にあってみたいってずっと思っていて、でも会わないままあちらももう亡くなっちゃってるのよね。

昔、なんとかいうカトリック雑誌でこの神父様の不思議な体験を読んでずっと気になってたのよ。そういうことって実際にあるってあの人、いろんな自分の経験からも信じてるらしいの。でも当人の神父様もなくなってどこかのトラピスチン修道院のお墓に入っちゃったのよ、手遅れだわさ。

でもせめてそのお弟子さんみたいな神父様の祈りの会に行ってみたいと思ってるけど1週間くらいの宿泊費も遠くまで行く交通費もあの人、お財布の状況からして不可能なんだわ。藤原神父様とかいったっけかなあ。東京で半日くらいでお話が聞ける機会があればいいのにね。無理かな。

でもねえ、普通のカトリックの神父様じゃ理解なさらないことだってあるのよね、カルメルの仏教に少しは詳しい神父様たちも何しろ天敵さんの言いなりだったからどんなもんだかねえ。奥村神父様だってそうだったのよ、たぶん無理だわよ。

まあいいけどね、とにかく夜中に出かけて大丈夫なのかなあ、そっちのほうが心配。厚着してホカロンなんかも2、3枚貼って終わったらすぐ帰ってくるようにしたらいいかなあ。まったく世話の焼けるおばはんで困っちゃうわよ。ほんじゃ、またね。

年末もまたもやドジ

2014-12-31 17:40:23 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

今日は大晦日よ、あと何時間かでお正月だっていうのによ、あの人ったら風邪ひいちゃったみたいだから応援頼むってあたしにこれを押し付けてきたのよね。確かに朝起きてから午前中ずっと咳は止まらなかったけど元気に起き出して仕事だってしてたのになんか夕方近くなったら頭が痛い、歯が痛いからこれは風邪だ、熱が出るといつも歯が痛くなるあれだっていうのよねえ。

どうすんのよ、まったくさあ、来週までお医者さんはどこもお正月休みよって言ったら、前にもこういう事態でひどい目にあってるからちゃんと解熱剤と咳止めは買い置きがあるから、出かけるのは止めてお家でおとなしくしてることにするっていうのよ。

まるで予定が狂っちゃうじゃない、本当だったら夕方四ツ谷に出かけて今年の最後の感謝のミサに行ってきて、帰ってきたら夜中に吉祥寺の新年のミサに行くとかって言ってたけど全部だめじゃないの。だから夕べも早く寝ろって言ったのにさあ、これじゃお正月も寝正月になりそう。なっさけないわねえ。

今日はもう、さっさとお布団に入る?そのほうがよさそうね。明日、具合がよくなってるといいんだけどさ。紅白も見ないで薬飲んで寝てちょうだい。

そんなわけでなんだか変なことになっちゃったけど今日はこれで終わりだわ。来年もあたしとうちのおばはんをよろしく。ほんじゃ、またね。

2015年はひつじ年

2014-12-31 11:39:04 | Weblog
ちょっと前まで、日本人にとってひつじで思い浮かぶのは干支のひつじくらいだったような気がする。昔住んでいた若宮の家の近くには小さな牧場があって牛やヤギはいたが、ひつじはいなかった。

羊毛製品以外でひつじが生活の中に入ってきたのはたしか高校生くらいの頃ではなかったか。以前からの地元のお肉屋さんではなくて、その頃できた新しいスーパーには初めて見た羊肉(マトン)があった。安いが匂いに癖があって食べにくい肉だった。

あれから数十年、今、すくなくとも東京のスーパーで並んでいる羊はまるで別物だ。物によっては牛より高くておいしい。骨付きラムのローストなどは相当にご馳走だ。昔の羊のイメージも覚えている当方などは内心少々なんだか狐に化かされたような気さえする。でもラムはやわらかくて歯が悪くなってきた人間にもおいしく食べられる好きなよいお肉なのも確かだ。

いや、そんな話をしようとしていたのではない。とにかく日本人にとってのひつじのイメージのことだ。普通はやっぱり干支のひつじや焼肉くらいしかおもいださないと思うのだが、キリスト教国だったらたぶん羊で思い浮かべるのはやはり、神の子羊、キリストだろう。キリスト教の信者が人口の1パーセントいるかいないかの日本の状況でひつじと聞いて、神の子羊キリストや、羊飼いキリストの下に集まる神の民のイメージを思い浮かべるのはごくわずかな人しかいないという現実のことだ。

・・・以下、文体が変わるのは別の用事をして戻って書いたので自分でも忘れていたためであります。・・・

日本とキリスト教の問題を取り上げて一般の人たちにもよく知られていた、遠藤周作先生や井上洋治神父様が亡くなった今、日本のキリスト教会の新しい旗振り役は現れないのでしょうか。それはまあ、教義的な問題とかいろいろあっても、とにかくキリスト教とかカトリック教会に人々の目を向けさせた意義はやはり大きいと思うのですが。

今の時代はというと、まるで教会全体が曽野綾子先生の昔の作品「不在の部屋」を思い出させるような状況に見えてしまうありさまですし、偽善のない物言いは決して悪いものではないと思う一方、ちょっとそれじゃ右どころかなんだか変だといいたくなる今の曽野先生の話はこれ以上しませんが、何かあまりにも情けない今の日本のカトリック教会の落ち込みよう、なんとかならないのかと一年の最後に言いたくなりました。