(メモ)

2012-06-30 08:54:59 | インポート

反原発派の知人たちは昨日も夕方、官邸前に行ったらしい。毎金曜日に集まっているのだ。

でも実を言うと当方にはよくわからない。何もいう気がしない。

危険なことはわかっている。しかし、それでは他にどうすればいいのかといえばわからない。答えられない。

問題が複雑すぎて簡単に言えない。

追)

毎週官邸前に集まって原発反対を叫ぶよりも、その前にちょっと考<WBR>えてみたほうがいいと思う。日本の原発で恐いのは要は自然災害が<WBR>起きたときの被害が原発に及ぶときの危険性が恐ろしいのであって<WBR>、騒ぐならまず地震や津波の可能性や出来る限りの予知研究を進め<WBR>るように騒いだほうがいいのではなかろうか。
地震や津波、噴火の知識が広まる方がよっぽど原発反対につながる<WBR>かもしれない。素人考えでしかないにしても地震雲や鯨の座礁、<WBR>海の生物の異変を無視し続けるのはもっと危険だと思えてならない<WBR>

今は地震雲のほうがはるかに気になる。

 


見るのは簡単だけど

2012-06-29 22:42:10 | インポート

作るのは大変そう。それにしても可愛いらしすぎる。

   

(tumblrから)

 これはとても作れそうにないけれど、今日の日経電子版にはなんとたくあんをマヨネーズであえたサラダパンが登場していた。以前にも見たことがある。自分で作ってみようかしら。

 


今週もいろいろあったけど金曜日

2012-06-29 09:09:28 | インポート

一週間が経つの早いなあと驚いてしまう金曜日。今日は午後歯医者さんに行かねばならぬ。来月の歯肉の手術の準備治療だけど憂鬱。

昨日もツイッターやフェイスブックに松本幸四郎さんの上のお嬢さんと「相棒」の伊丹刑事役の俳優さん、川原さんの結婚のニュースを書き込んだわけだが、まったく、NHKの大河ドラマ「黄金の日々」を今、オンデマンドで放映している時にこのニュースで、改めて年月の過ぎ去る早さにはあきれる。

松本幸四郎さんが市川染五郎を名乗って、若々しい演技や歌声を聞かせていたのはついこのあいだのような気がするのだが、お嬢さんは二人とも結婚か、なるほどこちらも年をとるわけだと情けない感想が湧いてきた。

年月が経っていまや「黄金の日々」に、キリシタン時代の武将高山右近の人生を重ね合わせてみるかと思えば、かたや、「相棒」とも重なって見えるのだから面白い。こんな展開は誰が想像していただろうか。いやはや面白い。結婚したお二人の今後の幸せを願いながら、さまざまな方の人生を考えてしまう。

何十年という時間が過ぎても自分の中で変わらないものが、たぶんこれからも自分の指針なのだろうなあ。いまや朝、目が覚めるとまず腰や背中の痛みで簡単に起き上がれず、柱につかまって起き出し、次にするのは冷蔵庫をあけて緑内障の治療薬の朝用の分の点眼と腰や膝の痛み止めの薬をのむことという、なんとも情けない一日の始まりの今現在の現実の中で、果たしてどんな形で実現できるのか、見通しもつかないが、しかし、子供のころから今に至るまで変わらない思いが確かにあるのだ。

だからこそ、何があってもキリスト教を離れたりはしないでここまでたどり着いた。この先も何が待っているとしても何とかなるという気がしてならない。だって、ここまで来たのも自分の力ではないのだもの、この先も自分の力だけで進むわけではないもの。生きている限り、いや、死んでも何とかなると思えるもの。こわいけどこわくない。

 

 

 

 

 


しょうがないうちのおばはん

2012-06-28 19:40:27 | インポート

今晩は~、うちのおばはんに任せておくと碌なことにならないから今日は仕方無しに出てきたの。マリーで~す。

実を言うとね、昨日っからあの人、ちょっとおへそを曲げちゃってるんだわさ。なんだか知らないけど泡なんとかって洗剤みたいな名前の神父様に睨まれたって、ピーピー、言ってたのよね。何で睨まれたんだかわかんないって、あたしに文句たらたらよ。

あの人にすればさあ、このところ季節の変わり目で腰痛や膝の痛みはひどいし、今度から整形外科はご近所にある医療機関に行くように国の指示で決まったからって、仕方がないから一番近い荻窪病院に行こうかと思ってるんだけど、また河北や衛生病院みたいにごたごたするのも目に見えてるしって機嫌がわるいのよ。歯医者さんのほうは今回は抜かないで歯肉の手術で様子をみることになってるけど、まだこれからだし、何かと心配事が多いんだわさ。おまけにさあ、今頃になって言ってもおそいけど、ある人たちを信用しすぎていたおかげで、生活保護のまま、今日まできちゃってさ、社会状況の変化でこれまでの真相も知らない担当者のおかげでにっちもさっちも行かない生活でしょう。

かといってパソコンやケータイを切ると情報の発信手段がなくなっちゃってますます状況が悪くなりそうだし、切り詰められるものは切り詰めて、だから栄養状態自信がないから買えるときにビタミン剤を買ってのむのよ。そんなのみんなわかっちゃいないじゃないの。福祉事務所だって変なのよ。あの人の年金開始の時に一部戻ってくるはずのお金のことも若い女の子の担当者だったから知らん顔してうやむやになっちゃったの。

もっともね、あの人のお父さんのお葬式の前後には親類の人にお金を横取りされてるし、あの人があんまりお金に縁がないのは今にはじまったことじゃないんだわ。大体、お金より、終わりのないものがほしいなんていってたから、こんなんでも今日までやってこれてるんじゃないのかしら。まあ、この先もあんまり変わらないかもね。

でもさあ、何で洗剤の神父様、あの人に怖い顔したのかしらね。ほんでもってあの人も機嫌が悪くなってぴーぴー、ビービー、文句たらたらになったのよねえ。あの人に何か言いたいことがあるんだったらやっぱり直接ちゃんと言わなくちゃ。きちんと話し合おうともしないで自分の思い込みで勝手な誤解を広めた司祭もいるし、まったく困るのよねえ、これじゃ。

とにかく状況を説明するとこんなことなの。ほんじゃ、今日はもうあたしは引っ込むわよ。バイバイ、またね。

 


自分の思い込みを押し付けられてもこちらだって困るのだ

2012-06-28 14:42:05 | インポート

一枚の写真を見て何を考え、何を思うかは人それぞれだろう。ここに出してみたのはキツネザルの一種で、白黒のパンダ柄が美しいサルだ。しかし、このサルの種族が時に強烈な大声で五月蝿く鳴き騒ぐのを知っているのは、このサルたちについて、詳しい知識を持っている人たちだけではなかろうか。見た目の美しさ、可愛らしさだけではそのサルの全体像を知っていることにはならない。

   

言ってはなんだが人間関係だってそうだろう。四ツ谷の誰かさんは何かおっしゃりたいようだが、今、こちらは足腰の痛みと金欠病で動きが取れない現実があるのはわかっておいでだろうか。増えた年金分は引かれてしまって差し引きゼロよ。いや、7月、8月はマイナスだ。わかってるのかねえ。四ツ谷も政財界も、マスコミも。もうちょっとこちらの現実を見てどうしたら一番いいのか考えていただきたいのであります。

 


ポポンSその他

2012-06-27 21:11:13 | インポート

あまりサプリの類は使わないのだが、ポポンSだけは昔から気が向くと買ってきて飲んでいる。何故かというと、油断しているといつも何か皮膚疾患に悩まされることになるためだ。

この間から問題のウイルス性のイボにしても、皮膚が丈夫なら治りも早いはずだが、このところ食生活がかなり偏りっぱなしなのは自分でもわかっているし、食事に頼っていては無理なこともわかっている。ここはビタミンAや、そのほかの皮膚に作用するビタミンを薬で摂るしかないと思うと、ポポンSの出番になるわけだ。

今日買いに行ってみると、新しく他の成分も強化されたプラスというのが出ていたが、普通のポポンSで十分だと思うのでいつものほうを買ってきた。薬局やドラッグストアの多いご近所の別の駅で降りて、ドラッグストアめぐりをして、一番安かった店で買ってきた。この先、もしまた消費税が上がれば常に買い物のたびにこういうことをしなければならないことになりそうだ。

うちのほうは物価はあまり安くはない。もともとがお屋敷町だった地域で今も住宅街だから、そんなものだろう。これでウォルマート西友やローソン100がなかったら、今のご時世ではちょっと大変だが、同じ沿線の近くの物価の安い地域がいくつもあるおかげで助かっている。安ければよいというものでもないので、やっぱりちゃんとした良いもの、おいしいものがほしいと思えば、これもまた近くに高級スーパーのクイーンズ伊勢丹もあるし、時と場合でそこは使い分けている。

ところが今日は夏物の普段着や下着も買う予定だったので、なじみの店をいくつか回って驚いた。商店街の店の様子がどんどん変わってきている。普段着や下着などは安いもので十分だし、わざわざデパートに買いに行くほどのものではないと思うから地元や近所の駅の商店街のなじみのお店を愛好してきたのだ。それがどうだろう。

商店街がどんどん様変わりしてきれいになるのはいいのだが、昔からのお店が消えてしまって、若い子向きのどうしようもないものばかり扱っている店だけが増えていた。生き残っているお店の店員さんと話して、これは建て替えが進んできれいになると家賃が高くなってくることなど、古くからの店が戻れない事情がわかってきた。今でも昔ながらの地元の衣料品を扱っている店が生き残っているのは古い、しかしそれでも何とか活気のある商店街だけらしい。スーパーなどでも衣料品はもはや扱いたがらなくなって来ているというのだ。

しかし、若い人ならそれなりにサイズも見つかるが、中高年のおばはんには大変な時代だ。ユニクロではとてもではないがちゃんと着られるものは少ない。どうにもならないのだ。別にリサイクルに文句を言うつもりはないが、下着ばかりは絶対新品でなければいやなのだ。自分が着て古くなったのはかまわないが他人の古着の下着なんて冗談ではない。

それこそこの先はただの普段着や下着を買いにわざわざ巣鴨の地蔵通りや、他の有名な古い商店街に行くことになるのかもしれぬ。妙な時代だ。

 


高山右近

2012-06-26 09:48:45 | インポート

おっはようございま~す。マリーで~す。

うちのおばはんときたら、日曜日半日歩いただけで月曜日は風邪ひいて具合悪くなっちゃってるのよ。梅雨時なんだもん、昼間いくら汗をかいたからって、夜はまた気温が下がるんだからさ、ちゃんと暑さ寒さの調節くらいしなくちゃね。夏掛け一枚でおへそ出して寝てれば風邪ひくのも当たり前よねえ。まあ、今朝は大丈夫みたいだけどさ、油断ばっかりしてちゃこっちだって本当に困っちゃうわよ。

そんなんだから昨日はあの人、仕方ないから一日おうちにいて本を読んだりパソコンを開いたりしてたの。日曜日に四ツ谷の教会の案内所で買ってきたカトリック生活って言う雑誌の特集が高山右近だったからよ。

あの人、テレビは持っていないけどNHKだけはオンデマンドをパソコンで見られるのね。ほんでもって今、NHKオンデマンドで昔の大河ドラマの「黄金の日々」を流していて、高山右近の話が出てきてるわけよ。ほんとを言うとあの人、つい最近まで高山右近についてなんて殆ど知らなかったの。せいぜい、戦国時代のキリシタン大名だったことくらいしか覚えてなかったのよ。だけど、ツイッターのほうで知り合いの、大阪教区の川邨神父様の書き込みを見てなんとなく興味が湧いて調べてみたわけよ。

そしたら高山右近て、なるほどたいした方だったのねえ。あの時代の日本は相当面白いというか、大変な時代だったのよ。中心的な政治勢力が崩れて各地に群雄割拠の時代でしょう。その時代に日本に初めてキリスト教が伝わってきたり、それまで見たこともなかった鉄砲とか新しい武器も伝わってきたし、鎌倉以来の武士のあり方も変化してきた時代よね。そんな時代にキリスト教に出会って信仰を持った人たちがいて、その中には武士や大名もいて、高山右近やその家族もその一人だったわけよ。

すごいのは、この人、高山右近の信仰がただの時代に合わせた流行とかファッションとかのレベルじゃなかったのね。本当に心からキリスト教を信じてこの教えに従って生きてた人だったのよ。他の大名たちが自分に都合が悪くなると、キリスト教も捨てちゃったりしてもこのお人はそうじゃなかった。

こんな人格高潔な人物だったから上の人も何とか右近を助けようとしてきたのだけど、結局フィリピンに流されることになって、飛行機も何もない時代だから、船で長い旅をして海を超えてフィリピンにたどり着いたんだけど、疲れきってたんじゃないかしら、フィリピンについて間もなく亡くなったの。切腹もしなかったし、首も切られなかったけど、この高山右近の死って長い長い時間をかけた殉教だったのよねえ。

だから結構ずっと前から、日本のカトリック教会でも高山右近の列福を願っていたんだけど、最近本格的になってきてるのよ。川邨神父様のツイッターのおかげでうちのおばはんも、「黄金の日々」を見て、ただテレ朝の「相棒」を思い出すだけじゃなくて真面目にちゃんと日本のカトリック教会の歴史とか人物にも思いを馳せているってわけよ。

ん? お前が話すと大事な話もふざけて聞こえる? ま、そう言わないでよ、これでも案外大変なんだからさ。とにかくそんなわけで今日の話はおしまいよ。ほんじゃまたね。

 


カトリック浅草教会(続き)

2012-06-25 15:17:25 | インポート

昨日、6月24日(日)は聖イグナチオ教会の都内殉教者巡礼があり、キリシタン迫害の時代の江戸で幕府の迫害にあって殉教した人々の跡をたどって歩いた。といっても今回は去年の巡礼で少々強行軍だったことから、今年はかなりゆとりのあるコースになったのだそうで、足が問題で多分途中で落ちこぼれて先に帰ることになるだろうと思っていた当方もちゃんと最後までお付き合いできたのだった。

ただ、さすがに廻る場所は数が減り、小伝馬町牢跡、浅草吾妻橋周辺から浅草教会で、鳥越殉教の碑を見て、ミサにあずかって解散した。今回はよく知られた殉教者たちよりも、一般にあまり知られていない、しかし、忘れてはいけない鳥越の殉教者たちについて初めて知ることができた。

今はペトロの家においでになる澤田神父さまがその昔、浅草教会の主任司祭でいらっしゃったのだが、澤田神父様がこの鳥越殉教者について、忘れてはいけない記憶だとつねづね機会ある毎に人々に伝えようとしてこられたのだそうだ。キリシタン殉教の時代に同じ江戸の殉教者でもこの鳥越の殉教者たちは正式に列福もされず、広く世に知られることもなく、誰かが語りつづけなければ忘れられてしまいそうな小さな人々なのだが、歴史というのは本当はこういうあまり有名ではないたくさんの小さな人々によって成り立ってきたのではないだろうか。

有名な殉教者、聖人はもちろん素晴らしいが、あの時代、おそらく名もない証聖者たちがたくさんいたはずなのだ。せめて名前のわかっているこの方々の命がけの信仰の勇気は忘れてはいけないのではないかと考えさせられた。

浅草教会の裏手にこの鳥越殉教者の碑がひっそりと立っていた。浅草教会の名前は聞いていてもどこにあるのかも知らなかったのだが、JRの浅草橋から程近いことも初めて知った。門を入るとルルドのマリア様が見え、新しく立て直したという聖堂もなかなか美しい建物だ。

機会があったら実際に、出かけてみていただきたい。

追) 鳥越殉教者についての文献を探してみるとこれがありました。

   http://homepage2.nifty.com/gioan-awk/martyrs-8~torigoe.html