わたしたちはさかなのよう

2017-04-27 18:22:46 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはんたらさあ、風邪がぶり返したんだか何だか、朝からあんまり調子がよくなくてさ、ごはんどころかついさっきまでお布団の中だったのよ。さすがに喉も乾いて、おなかもすいたみたいで、何とか起き出して簡単に食べてたわ。果物が全然なくなっちゃったってブーブー言ってるけど、自分が全部食べちゃったんじゃしょうがないじゃないよねえ。昨日も熱っぽいからって買い物に行ってないから、野菜、果物が切れちゃってるのよ。季節の変わり目なのはわかってるのに油断しておへそ出して寝てるからだわ。

整形外科の方で出た痛み止めのロキソニンがあるから解熱用に転用すれば、何とか動けるようになるはずよ。さすがにあの人も昔みたいにはいかないんだからしょうがないわ。それはいいんだけど、あの人、胃の薬を飲まないでロキソニンだけ飲んじゃって後で胃の具合が良くないってうるさいのは困るわよ。もうあっちでもこっちでも油断しては頭が痛い、おなかが痛いって、バカみたいなんだからまったく。

まあ、それはとにかくとしてさ、あの人、文句たらたら、それでもなんとかやりかけの仕事は気になるらしくって、材料になる本なんか開いていたのよね。そんでもって、カトリック教会の典礼聖歌の中の子供の歌で、「わたしたちはさかなのよう」だったと思うけど、そんな歌を見直してたの。うちのおばはんはもう、どっちかっていうとおばあさんに近い年齢なんだけど、子供の歌でも、この歌の繰り返しの部分の歌詞が大好きなんだわさ。「わたしたちはさかなのよう、かみさまのあいのなかでおよぐ」ってところよ。

これってさあ、言葉は違うけど、井上洋治神父様の風の家のミサで唱える祈りの、風、プネウマとおなじものなんじゃないのかしら。聖霊のはたらきのことじゃないのかしら。みんなさあ、神様を探し求めてるけど、神様はすぐそばにいらっしゃるのよねえ、すぐそばっていうか、あたしたちはみんな、聖霊なる神様の中にいるんだわ。そんでもって同じ聖霊なる神様は私たちの中にもおいでになるってことじゃないの。

神様をどうやって感じ取れるのかって? たぶんそれはどの宗教でも同じことを言ってるんじゃないのかなあ。子供讃美歌の食膳の祈りの歌の中にも、「わがままをすてて、ひとびとを愛し、この日のつとめをなさしえたまえや」っていうわよ。都会の人はわすれちゃってるけど、『正直、清浄、慈悲』っていうのは日本古来の人間を超えた大きなお方の前に出るときのあり方だったはずよ。今の時代だって基本は変わってないはずよ。キリスト教の神様の前に出る時だって似たようなものじゃないのかしら。

うちのおばはんの代弁でこんな生意気なことを言っちゃってるけどいいのかなあ。とにかく、あの人は頭が痛いから今日はもう寝るっていってるし、このへんでやめとくわね。ほんじゃまたね。