今のエジプトの問題、これからどう動いていくのかはわかりませんが、サッカーとアルジャジーラの生ニュースを交互に見ながら感じていたのは、ヨーロッパは中国とも、中東ともほとんど陸続きのようなものだったなあ、ということ。昔々の歴史を振り返れば歴史の転換期には国境などないに等しい大移動が起こっていたはず。中国のあの人口が外に流れ出したらこれはすごいことになるなあ。
死んだ父が戦争というのは (内乱だって戦争でしょう) その国が、 (その国の人々が) 本当に食べられなくなってきた時に起こるものだといっていましたっけ。エジプトで今回起こったことはそれじゃないのかしら。
ものの道理のわかっている方々が、人々の蜂起の真の原因はアメリカのあるいは資本主義のいいなりになっている政権への怒りだといっています。たぶんそうでしょう。そこまではいいけれど、この先、人々をまとめるのがどの勢力かは問題です。イスラーム原理主義勢力が取って代わるだけならこの先の中東情勢、もっと広く見て世界の情勢は混迷を深めるばかりでしょう。
食べさせないのではどこの国の人だろうと騒ぎ出す筈。日本だってこの先はわかりません。どうも将来のながれは再び戦前のような一握りの大資本農業経営者とその下で働くお百姓さんたちの構造になりそうな気がしてなりません。国内に仕事がなくて、大資本が農業に参入するとすれば、そうなってもおかしくなさそうです。もっとも、自然災害などによる世界的な食料不足が起こればそれもあぶないわけですが。
とにかく目先のことばかり見ていると足を掬われることもあると思えます。
昨日書いたこの記事、大袈裟でしょうか? そうでもないかもしれませんね。今の時代は日本でも「閉塞感」が問題になっています。中国の昔からの思想に易がありますが、そこには物事は登りつめればその先は下りに転ずるものと言っています。行き着くところまで行くと、そこからは反対の方向に振り子が揺れ始めるのです。良い悪いは後世にならないとわかりません。しかし、時代は変わっていく、変わらざるを得ないから。でも、それさえもいつかはまた変わっていくときがくる。まさに伝道の書の語るとおりです。