本棚の裏の小部屋

大人の広汎性発達障害の
確定診断を受ける前も受けた後も
相変わらず冴えない日々を送っています

待てなかったもんねぇ

2011-09-01 | 愚痴・悩み・ストレス・毒づき
長文です。

夫と出会う前に
長く付き合っていた人が居て

同じ会社で知り合ってから
別れるまでが6年くらいだったかな?

お互い家族公認の付き合いで
周囲の人も私も結婚すると思っていて
でも、いざ結婚しようと具体的な話になった後
間もなく「他に好きな人が出来た」 と別れ話をされ

そこら中に転がっている、よくある話ですね。

彼はその好きになった彼女と
既に両想いだったので当然そのまま付き合って、
私は心の痛手を癒すのに大分時間が掛かりました。

別れる時には言葉の応酬で
ひどい事を沢山言われたり書かれたり

とてもとても傷付いて、心が荒んで
相手から貰った物とか全部返して写真も処分して
男性不信になったり鬱病の薬を飲んだりした事もあり

それでも時間の経過と共に、冷静さを取り戻し
友人として良い部分を思い出すくらいの心情まで回復しました。

その後もごくたまにですが、共通の知り合いの訃報とか
互いの誕生日におめでとうメールだけはやり取りがあって
それは向こうに罪悪感があったからなのかどうかは分かりませんが。

それからしばらく経ち、その私と別れる原因になった彼女と
結婚まで考えていたのに浮気されて別れたという話を本人から聞き
その時に彼が話した内容というのが、別れた当時の私の言い分と全く同じで

心の中で 「こいつバカだなー」

と思いつつ、やっとこの構図を私目線から理解してくれた事に
何か報われたような、復讐を遂げたような、そんな気持ちになったものです。

別れて10年目の昨年、誕生日にメールを貰ったので
今年の彼の誕生日にも返信のつもりでメールを送りました。

相手からの返事には

部屋を掃除していたら、別れた直後に
私が送ったFAX(当時はメールが主流じゃなかった)が
出て来て、その内容を読んでグサグサきてました、と書かれていました。

『書いてることになんら間違いはない!
“あなたは生涯、女を幸せに出来ない人間です”って書いてます』

という文章を読んだら、我ながらあまりの毒舌っぷりにウケて
部屋で転げ回りながら大爆笑している私の姿を夫と子供が不思議そうに見ていた。

何でそんなものいつまでも取っておいたの~

と返信したら、『あんときマジ悪かったわ・・・本当何考えてんだか』
『大爆笑できるようになって良かったよ(笑)』 と、珍しく殊勝なコメントを。

正直、今更何を言っているのだろう、とも思いましたが
その時初めて、本当に心からこの人に謝罪されたんだなという気がしました。

そしてそれから半年後、さもない事でメールしたら、相手から
突然の結婚しました報告が。『さすがに年貢を納めました』 との事で
確かにもう年齢的にリミットなので、そりゃそうだろうと納得したものの

この人一応、国立大学を卒業して一部上場企業に就職したにも関わらず
「音楽で食べていきたい」という夢を捨てきれずに退社し、別れた後もずっと
夢を追い続け、今も追い続け、こんなんでは絶対に結婚なんて出来ないだろうと

そうタカを括っていたので何故だか、もの凄いショックを受けてしまいました。

平静を装い、『おめでとう幸せになってね』 と返信しましたが
自分が何故これ程までに精神的打撃を受けたのか、その正体が分からず
でも完全に相手に対する恋愛感情というものが消滅している自覚はあるので

本当に何なんだろうと。

そして、ここまで書いてみて一番のバカは自分だったなーと。

男女の友情が成り立つのは互いに恋愛感情を持ってない事が必須なので
この関係は友情だな、なんてめでたい事を考えていた自分が本当にバカみたいで。
こんな関係に、と言っては何だが、1994年からずっと私は振り回されっぱなしかよ。

でもねえ。

やっぱり縁が無いというのは、きっとこういう事を言うのだろう。
11年経つけれど、あの時別れなかったからといって、そんな期間は待てなかった。
実際あの人の夢に付き合っていたら、子供もマイホームも間に合わなかっただろうし。

そして予想していた通り、やはり今年の私の誕生日にメールは来なかった。

結婚報告を聞いた時はショックだったけれど
今回メールが来なかった事に、少しホッとしている感情があるのにも気付く。
丁度良い、潮時だったのかなと。この関係を終わらせるのに一番の機会だったんだな。

という気持ちの整理をつける為に、当ブログ始まって以来の長文になってしまいました。

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