本棚の裏の小部屋

大人の広汎性発達障害の
確定診断を受ける前も受けた後も
相変わらず冴えない日々を送っています

津波

2011-03-30 | 日記
私の実家は仙台市若林区にあります。

一番近い海岸からでも直線距離にして大体6kmあり
自分の家が海に近いと感じた事は今迄なかったのですが
今回の地震で津波が襲った場所から2.5kmしか離れていませんでした。

電話は勿論、メールも、携帯の災害伝言板すら全く繋がらず
信号も停電して道路は大渋滞だったので、次の日明るくなるのを待ち
実家の様子を見に行きました。海岸から10km離れている若林区役所まで
津波が来たらしいという事を知り、両親はてっきり避難所に行ったかと思いました。

そこで初めて母から 「東部道路があったお陰でそれが堤防になり無事だった」
という状況を知らされたのですが、それを聞いた瞬間、喜ぶというよりは絶句でした。

今日の地元紙で今回の津波被害では
若林区の浸水率が区域全体の56%にも達していたと報告されていましたが、
幼い頃からそこで育ち、何処も自分がよく行き、よく知っている場所ばかりです。
ニュースに映し出される地獄絵図のような光景がにわかには信じられませんでした。

 

右の赤く塗られた部分が、津波の被害に遭った範囲で
左の地図の真ん中あたりに通っている緑色の線が東部道路です。
津波がその位置でせき止められている様子がお分かりになりますでしょうか。

実家から車で少し走ると田んぼが広がる道に出て、
暗くなるとその向こう(写真と反対側)に仙台市街の夜景が見え、
夏の夜には蛙の声が天に響く、昔はホタルも住んでいた、こんな場所が広がっていました。



その他にも、建物が破損したり、被害を受けた場所の多くが
時刻や曜日が違えば、自分たち家族が行っていてもおかしくない所ばかりで
地震が起き、警報を聞いてから逃げても間に合わなかったであろう事を思うと背筋が凍ります。


昨年行った、閑上にあるサイクリング場。左の柵の向こうはすぐ海で気持ちの良い場所です。


その帰りに寄った近くの海岸。晴れた日は穏やかな風が吹いて、波も少なく凪いでいます。

モチベーションが下がってきた

2011-03-29 | 日記
地震の直後は、動物的な生存本能で
結構なエネルギーが出せるものですが、
時間と共にそのモチベーションも下がってきて
後になってストレスによる心理的な障害が出ています。

■時間経過とこころのケア■
とある支援者側のマニュアルを読みましたら
『被災者の心理の変化』という項目に、こう書かれていました。

Ⅰ.発生前(空白)

Ⅱ.発生からの数日間
【茫然自失期】ショックで呆然としている時期

Ⅲ.発生後2週目からの約1ヶ月間
【ハネムーン期】気分が高揚し、積極的にふるまい、一見元気に見える時期

Ⅳ.発生後2~3ヶ月間
【幻滅期】被災地外の人々の関心が薄れ、
被災者は無力感・倦怠感・取り残され感をいだく時期

Ⅴ.発生後1年以降
【再建期】現状を受け入れて、将来の展望や計画を立てることが可能になる時期

自分の場合<茫然自失期>というのが
本震が治まった直後か、せいぜい夫が帰宅するまでの1~2時間で
後はずっと高揚しっ放しというか生活を維持するのにとにかく精一杯で、
少しだけ落ち着いて来た最近になって、急に無気力になってしまいました。

茫然自失の時間が無かった為に、自動車事故の後で
パニック障害を発症したという人の話を聞いた事があったのですが、
大きくショックを受ける出来事があった場合、あまり頑張ったり張り切ったりせず
自分の感情(怒りや悲しみや絶望感)を自然に流れるまま出した方が良いのでしょうね。

私は元々眠りが浅く、かかりつけ医から貰っている抗不安剤が手元にあり
眠れないという事はないですが、やはり抑うつ状態になっていると思います。

息子も目に見えない所で傷付いている部分があると思うので
とにかく子供を安心させる事、スキンシップなど心掛けようと夫と話し、
親である私たちが不安がっている様子を見せない事、感情的にならない事、
ニュースばかりつけずに、明るいアニメやDVDなどを見せるように気を付けています。

ガソリン給油渋滞

2011-03-28 | 日記
昨日、おとといと
家を出てすぐの所からずっと
左の車線に路上駐車している車が停まっていたけれど
遠過ぎてどこのスタンドから並んでいるのかさっぱり分からない。

あの日から始まった、こういう異常な光景は一体いつまで続くのだろう。

おもてはのどかに晴れている。
日に日にもうじき春が訪れる空気を感じるけれど、復興の春も来るのだろうか。

目撃してしまった

2011-03-27 | 日記
地震の直後から飛べなくなった
我が家のセキセイインコ(♂)Kちゃんが
自分で自分の羽を抜いている姿を目撃してしまった。

震災のストレスがそんなにも大きかったのかと
驚愕したのと同時に、何でそんなに繊細なんだ?とも思った。

息子が「Kちゃんはもう飛びたくないんだって」と言った。
あんな災害時に飛んで逃げられない羽など要らないと思っているのだろうか。

被災後に

2011-03-26 | 日記
気が付けば、自分のウエスト
ベルトの穴が2つも小さくなっていた。

それとは対照的に
震災後、何故かモリモリ食事をするようになった息子。

ハハハハハ・・・

ひもじい

2011-03-25 | 日記
避難所での生活が続く方々が居られるのに
このような事を思うのは贅沢かも知れないけれど、ひもじい。

今まで食材を大量に買い溜めした時など
このタイミングで大地震が来て欲しくないなといつも考えた。

今回の地震は冬だったので、寒さのデメリットは大きいけれど
冷蔵・冷凍庫内の傷みを最小限に抑えられたのは不幸中の幸いだった。

たまたま食べるものがあったので、消費する優先順位を考えながら
地震当日の夕食から毎日三食調理をして夫と子供にはしっかり食べさせている。

でも、こっそり自分の分は抜いたり、少なくしているので、実は今でもひもじいです。

【補足/現在の状況】

・徐々に営業を始めるお店も出て来たが、まだ半分以上は閉まっている状態。
 全体に品薄で、欲しいものが必要な分買えない。全く入荷していないものも多い。

・個人がガソリンを給油しようと思うと半日かかるので今は諦めた。
 子供が急に病院にかかる場合に備えて自分の車は燃料を温存している(残り1/2弱)。

・電気と水道の復旧は進んでいるようだが、ガスはまだしばらく掛かりそうだ。

行っときゃ良かった

2011-03-24 | 日記
独身の時は大好きだった映画。
出産後に行っているのは子供も一緒に観られるものばかり。

仕事が終わってから
フラフラとレイトショーへ行ける立場ではもうないので、
ずっとご無沙汰(行きたいという気持ちにもならなかった)でした。

先日、珍しく夫から無料券を1枚貰ったので
久し振りに、家族と一緒では観に行けない類の映画にしようと思い
大事に大事に大事に大事に取っておいたら、大地震が来てしまいました。

券の有効期限は3/31なので、多分もう間に合わないと思います。
間に合ったとしても、今の状況で一人で映画を観に行く心境になんてなれません。

あぁ~行っておけば良かった。変にケチって、勿体付けて、これだから貧乏人は・・・。

地鳴りが怖い

2011-03-23 | 日記
幾度も地鳴りがする。

結構揺れる前から聞こえる、というか感じるのです。
遠くて、とても低い所から響いて来るゴゴゴ・・・という地面の音。

下の方から徐々に来て、
数秒後に地面の上を這う感じで揺れが伝わり
次いで、その揺れに家が呼応して全体がきしみ始め、揺すられる。

本震が大きいので、余震も大きい。
地鳴りがすると動物的な本能で、いつでも動けるよう筋肉が反応してしまう。
まるで野生動物のように。今は皆がそういう状態になっているのではないだろうか。
一度でも経験してしまうと、容易な年数ではこの反応が払拭出来ないように思います。

地震直後

2011-03-22 | 日記
3月11日(金)
午後2時46分頃

とにかく今迄生きていて
こんな強く長い揺れは初めてだった。

揺れ始めた時、
子供は和室で遊んでおり私は台所に居た。

大きい地震になると思った瞬間、和室に向かって
走り、子供の名前を呼びながら「おいで!」と叫んだ。

強い揺れに足を取られ、よろめきながらも
私に向かって手を差し伸べる息子を引き寄せ、
そのまま抱きしめながら、揺れの様子をうかがっていた。

家がルービックキューブになったかの様に
東西・南北・上下に揺れ、突き上げられ、きしみ、歪んだ。
目の前にある和室の襖が弾けるように外れて吹っ飛んで来た。

何度か大きく電気の笠が揺れた所で
バチッという音と共に火花が散ったように見え、次の瞬間停電し
その様子がまるでパニック映画みたいだ、と他人事のように思えた。

今以上揺れが大きくなったら家が潰れる、
そうなる前に外へ飛び出さなければならないと
小動物のように全神経を研ぎ澄ませながら揺れの動向を観察した。

このまま瓦礫の下に閉じ込められた
ニュージーランドの人達は、この何倍も怖かったに違いないと思った。

揺れはいつ治まるか分らない程長く続いた。

自分が小学生の頃、先生から
「どんな強い地震でも1分も揺れていない」と聞かされていたので、
長く感じるのは心理的な影響なんだと自分に言い聞かせながらも長く感じた。

実際は三つの地震が群発し、5分もの間揺れていたのだから当然ですね。

一通り揺れ終わったかなという所で、
すぐにお風呂場へ向かおうとしたけれど
子供が怖がり私から離れようとしなかったのと、
すぐに強い余震がやって来るので、そのままおぶって移動する事にした。が、

目の前の和室はこんな有り様。


では反対側から行こうと思いきや、棚から落下して割れた食器の破片だらけで進めず。


仕方なくもう一度和室へ戻り、襖やら何やらをまたいで
脱衣所に続く納戸を見たら落下物が胸の高さまであって更に行けないっつーの。


遠くにお風呂の入り口が見えているのがお分かりでしょうか。
ここを子供と離れないようにしながら余震が続く中、苦労して進みバスタブに水を入れました。

飛べなくなった

2011-03-20 | 日記
毎日震災ネタですいません。
渦中なのでどうしようもないです。

地震が終わってから気付いたのですが、
(と言っても毎日余震があり今も揺れてますが)
家で飼っているセキセイインコが飛べなくなりました。

最初は心理的な恐怖から飛べなくなったのかと思ったのですが、
よく見ると、風切羽が両翼とも全部抜けているのです。何でだろう。

確かにカゴは引っくり返って落ちましたが
鳥が無事なのを目の端で確認していたので、その時は
羽が何かに挟まって抜けたとか、ケガをしたという事はない筈なのですけど。

一日中掃除

2011-03-19 | 日記
震災以来、初の食料品の買い物に
3時間並んだ他は一日中掃除をしていた。

もの凄いエネルギーで掃除した。自分をほめてやりたい。

そしてここ最近、いくら寝ても眠い。
先日は「ゴォーッ!」というごう音で目が覚めたら、
信じられない事に自分のいびきの音だった。隣に夫は居なかった。

きっと、私の事を寝ても起きてもうるさい奴と思っているに違いない。

ここで生まれ育って

2011-03-18 | 日記
進学も仕事も結婚相手も
ずっとこの土地で(ほぼ)終わってしまった。
今更何処へも逃げられない。海沿いに住む人だって同じだろう。

宮城県沖地震の発生履歴を見ると、
大体25~40年という短い周期で発生している。
という事は長生きしている人で3回くらい経験する可能性もある。

下手すれば自分もあともう一度くらい被災するかもと覚悟しているが、
もういやだ。こんな怖い思いをするのはごめんだ。もう勘弁して下さい。

地震以外の自然災害も含め、
停電による暗闇を経験したのは
自分の人生で今回が三度目なのですが、
その内2回は子供だったので、自分が親という立場になると全然違いますね。

大まかに言って夫が力仕事、
自分は炊事という担当が自然に出来上がり、太古の昔を思わせます。
停電している内は夜になると当然暗くなり、必要以外の事をしなくなります。

食事を片付け、子供と一緒に歯を磨き、後は布団に入って眠るだけです。
夜の7~8時くらいには就寝なので、沢山眠っても朝は6時くらいには目が覚めます。
うっかり夜中の2~3時に目が覚めてしまっても寒いだけで、何も出来ません。

それが電気が通った瞬間、また夜更かしが始まって。子供も。
現代の生活は、つくづく自然のサイクルを崩しているのだなあと感じました。

余震がしつこく続く

2011-03-17 | 日記
雪が降っている。

灯油・ガソリン共に確保が難しく
室内温度の設定を16℃にしている為
未だ部屋の中でスキーウェアなど着ています。

昨日放送していた池上彰さんの
今回の巨大地震についての解説は分かり易くて良かった。

お陰様で、我が家の水道も昨晩復旧しました。
水と電気がこんなにありがたいものと感じたのは初めてです。
避難所に居られる方々の依然厳しい状態を聞くと申し訳ない気持ちになります。

私の実家の電気もつい先ほど、
地震発生から一週間目にしてやっと通ったと連絡が来ました。

ガスボンベが切れてご飯も炊けない、店に並んでも品物が無い、
ずっと火の気が無くて凍えそうだという話を聞いていたので、炊いたご飯と
カセットコンロ用ボンベやホッカイロを今日届けるつもりだったので安心しました。

昨日ブログを書いた後、夫に私の言い方が悪かった事を謝り
でも普段のあなたの行動パターンに加えて今回のような状況では
私でなくともそう感じる、それは譲れないという意味の事をはっきり伝えました。
近くで身内が困っていたら助けるのは当たり前だというのは私も十分承知しています。

しばらく気まずい雰囲気が続きましたが、
それでもこの件がきっかけで、今日になってかなり夫の態度が激変しました。

どちらの両親も立場は等しく、どちらが偉いとか、より大切とか無い筈と思います。

災害時に夫婦ゲンカ

2011-03-16 | 愚痴・悩み・ストレス・毒づき
こんな状況なので
努めて悪い雰囲気にならないよう心掛けてはいたんですが、
昨日の夜から一晩またいで未だ険悪な雰囲気の私たち夫婦です。

原因はお互いの実家への支援に関してでした。

夫の実家は隣の町内で
数分歩いて行ける場所にあるので、普段から
ちょっとしたパソコントラブルの時などでもすぐに飛んで行き、
今回のような災害時などはもう当然、ほぼ毎日様子を見に行きますし、
足りない物を届けたりします(同じく近くに住む夫の兄は全く何もしないのに)。

それは良いのです。困った時はお互い様、というか
高齢なので向こうに助けられる事は少ないですが、こちらが手を貸すのは。

ただ今回のような極限状態の中で、不安定な心理状態にある私には
【夫の実家>妻の実家】に思えて仕方がない出来事がいくつかありそれが不満でした。

例えば私の実家には今まだ電気が通っていないので、暖を取る方法がありません。
カセットコンロのガスボンベも切れて、どうやって食料を得ているのか定かではありません。
寒くて、飢えている、夫は自分の実家だったら絶対にこうした状態にはしておかないでしょう。

夫の実家には灯油ストーブがあったので
当初から暖かく、炊飯や調理も可能だった。
私達と同じ日に電気も点いた。でもガスは復旧していないので、
夫はうちにあるカセットコンロとガスボンベを持って行った。私もそれが良いと思った。
義父の勘違いで、大量に夫実家のトイレ用に使う水を捨ててしまったと聞き、うちにある
昨日川から汲んで来た18~20L入る灯油缶の5つある内2つを持って行くのも賛成だった。

でも私の実家にホッカイロや残っているガスボンベを持って行こうという話にはならない。
どう考えても夫実家は比較的恵まれている環境で更にプラスアルファの支援をしているのに、
私の両親はこの雪の降る中、凍えて布団にくるまっている訳です。夫両親と同年齢なのに。
私が実家へ物資を届けに往復するのも、容易にガソリン給油出来ない(半日以上掛かる)現状では困難です。

そんなこんなで「不公平だ」と言った私の言葉に激怒した夫と昨晩から会話していません。

まだまだ緊急事態

2011-03-15 | 日記
電気は復旧したものの、
水道は依然としてストップしたままだ。

仙台市長のコメントで水道・ガス全面復旧には
1ヶ月以上かかるとかいう新聞記事を読んで冗談かなと思った。

地震直後にバスタブ一杯に溜めた水が
そろそろ底をつきそうだったので今日は川へ水汲みに出掛けました。

「川へ水を汲みに出掛けました」

↑現代の言葉に聞こえないでしょう。でもそれが今の現実なんです。
給水所もありますが、いつ切れるか分からない状態で前回夫が6時間並んだので
トイレ用の分なら何でも構わないと考え、手っ取り早く近くの川へ補給しに行った訳です。

ガソリンスタンドや、
開いているお店には長蛇の列が出来て道路はどこも渋滞。
トム・クルーズ主演の 『宇宙戦争』 という映画でも描写されていましたが、
これ程までいとも簡単に、日常から非日常へ変貌する事に愕然としてしまいます。

それでも今はまだ、混乱している中でも
皆努めて冷静な行動を(無意識にも)心掛けており、
人の尊厳を失っていない状態を保っているので救われますが、
状況が悪化すれば 「パニック」 になる可能性があるというのは本当に恐ろしい事です。

食料品、日用品、我が家はたまたま買い足していましたが、それももう残り少なく、
寒い中、子連れで買い物に並んで体力を消耗するのはあと数日は避けたい所なのですが。
うちの子は風邪を引くとすぐ中耳炎になるので、今は絶対に風邪を引かせられません。

同じ災害に遭いながらも
地震の翌日にはすぐ電気・水道が復旧している住宅地があり、
一方で1000人という甚大な数の水死者の遺体が打ち上げられていたりします。
何て不公平なのだろうと、そんな事を思うのはおかしいのですが不意に考えてしまいました。