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遣唐使と唐の美術。

2005-07-23 23:29:40 | 美術館・博物館・シネマ。
  遣唐使と唐の美術
        IN 東京国立博物館

『  発見された青年遣唐使、井真成の墓誌。
     そして、彼と生きた唐の美術。     

2004年秋、中国の西安市で日本遣唐使の墓誌が発見された。
それは、8世紀前半に中国へ渡って唐王朝の都・長安で唐王朝に仕え、
将来を嘱望されながら現地で亡くなった井真成(セイシンセイ)の墓誌

日本を愛し日本へ帰ることを夢みていたが叶わなかった想い(涙)。
この千年以上も前のノン・フィクションドラマに泣ける笑。

本展では井真成の時代の美術品を追いながら、当時の歴史事実を学んでいける。
遣唐使が求めて行った唐文化を認識し、日中交流の原点を見ることができた。

  井真成さん、おかえりなさい


  【井真成墓誌の訳文】
公は姓は井、通称は真成。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。それで命を受けて遠国へ派遣され、上国(中国)に馬を走らせ訪れた。中国の礼儀教養を身につけ、中国の風俗に同化した。役人になり、正装して朝廷に立ったなら、並ぶものはなかったに違いない。だから誰が予想しただろう、よく勉学し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは。開元二十二年(七三四)正月□日に官舎で亡くなった。年齢は三十六。皇帝(玄宗)はこれを傷み、しきたりに則って栄誉を称え、詔勅によって尚衣奉御の官職を贈り、葬儀は官でとり行わせた。その年二月四日に万年県の河の東の原に葬った。礼に基づいてである。ああ、夜明けに柩をのせた素木の車を引いてゆき、葬列は赤いのぼりを立てて哀悼の意を表した。真成は、遠い国にいることをなげきながら、夕暮れに倒れ、荒れはてた郊外におもむいて、墓で悲しんでいる。その言葉にいうには、「死ぬことは天の常道だが、哀しいのは遠方であることだ。身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」。