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カタチ以前にある「いのち」への感謝。 天の恵み 地の恵みへの感謝を、一緒にお届けしませんか?

2014.6.20 清祓ノ儀

2014年07月27日 | 和ノ道プロジェクト
神道は、「祓」に始まり「祓」に終わる、といわれます。

日本の神社において、毎年主に六月と十二月に執り行われる「大祓」は、「祓」という文字の前に「大」と付くことで、広く社会全体の「つみ」「けがれ」を執り祓う、という意図をもちます。
嘗て日本では一年を二季で捉えており、今でいう一月から六月と、七月から十二月は全く別の年という感覚であったといわれます。
「大祓」というのは、その年の境目に「つみ」「けがれ」を祓い浄める、重要な儀式だったのです。


翻って『清祓ノ儀』。
2010年末より始めた「清祓ワーク」の発展型という位置づけ(表面的には、ほとんど変わっていないように見えるかも)。


あらゆる関係性、生命への敬意と感謝の「いのり(意宣り)」を前提とし、神前での拝礼から始まります。

私たち一人一人は、肉体という社(やしろ)に霊を宿す「神社」そのものであり、そのまま大いなる宇宙(マクロコスモス)と照応している、と捉えます。
そして、遺伝子やDNAでも示されるように、太古より連綿脈々と繋がりし「いのち」の系譜をもっています。
その「いのち」が、この世で生きていくうえで否応無く生じる「つみ=包み」「けがれ=気枯れ」という生命現象を、カミサマに祓っていただく、という運び。

「つみ=包み」とは、ここではわかりやすく肉体から発する「気」から、精妙な微細身のそれに生じた煤(スス)のようなエネルギーのことであり、「けがれ=気枯れ」とは、肉体や精神の枯渇、わかりやすくいえば疲労のようなものと考えてください。
ちなみに、よく「邪気を祓う」「邪霊を浄める」といいます。
『清祓ノ儀』でいう「祓」は、こういう観点からの「祓」とはだいぶ趣を異にします。

そもそも…
悪いものを除去しよう。
撲滅しよう。

こういう発想の奥にある思い、想いというのは「正しいもの」なのか?…と、私は常々思っていますが、さて。。。



ともあれ、今回は初参加の方含め、七名の方に御参加いただきました。

「こんなに祓われた実感得たのは、初めてかも~」

という感想もいただきましたが、「なんとなく浄まった感じがする」というよりは、明らかに身体感覚に違いが起きる「祓」。
それが、『清祓ノ儀』の「祓」の特徴、といえるかもしれません。

今後も細かなところでバージョンアップをしつつ、更なる発展型となっていく予定です。


次回は12月。
おそらくは冬至の前後になるかと思います。


知らぬ間に積もり積もった「つみ」「けがれ」を祓い清め、新たな一年をお迎えください。



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