『金刀比羅宮』
新年明けましておめでとうございます
まずは、本年も何とぞよろしくお願いいたします。
さて、本年最初のこのブログは、「讃岐・阿波」見参
思いがけず寒さキビシいなかでの巡拝となりましたが、一泊二日の行程のなかで、やはりギュウギュウと濃縮された「おそうじ隊」となりました。
初日の午後。
夕暮れも間近になってからの、「こんぴらさん」参拝。
「さぬきのこんぴらさん」は本宮まで785段、奥社までの計1368段にも及ぶ石段で知られます。
1368段、もちろん登って奥社でも登拝させていただきました
街の中心部からこのように威容を誇る。
香川県仲多度郡琴平町の象頭山(ぞうずさん)、この中腹に、鎮座されています。
象頭山は瀬戸内海国立公園・名勝天然記念物に指定され、南側半分を象頭山、北側半分を大麻山(おおさやま)(標高616m)と呼ばれています。
象の目の位置辺りに御本殿、耳の位置辺りに奥社にあたるという説もあります。
参道付近の様子。
なんというか、この辺りで何だかとても嬉しくなりました。
神社、参道…その賑わいから醸されるチカラに、心が躍っていたのでしょうか。。。
だいたい、こういう感じの、少しキツめの石段が延々と続く…。
そう思っていれば、あまり心配なく登拝できる…でしょう…たぶん。
大門を入ると、大きな傘をさして飴を売る5軒の店。
この5軒は、「五人百姓」といわれ、古くから金毘羅大権現の御神事に経済的な援助を惜しまなかったことから、特権的に神域での商いを許可されているそうです。
こんぴら狗の銅像。
桜馬場西詰銅鳥居の横に、こんぴら狗の銅像があります。イラストレーターの湯村輝彦さんのデザインです。
江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限りではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。
当時、江戸を中心とした東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を託し代参してもらうこともあったようです。 金毘羅大権現への代参で有名なのが森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝えられています。
実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。 袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。 犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたのです。
金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務めを果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と呼ばれたのです。
(「金刀比羅宮ウェブサイト」より抜粋)
神馬。
『旭社』。
旭社の御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神。
神仏分離以前に創建された社殿。重要文化財です。
この石段を登り切れば御本殿。
…と、鳥居をくぐり御本殿に参拝するまでに、実に重層的な道程となっています。
そのうえ、更に奥社…
でも、ワクワクはずっとずっと潰えることなく、灯し続けていました。
次回は、その奥社と、三穂津姫社。
サッと晴れ渡ったらと思うと、急に雨が降ってくるという天候のこの日。
実に、思い出深い参拝となりました。