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今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

大人になりきれない大人と耳年増な子供

2012-11-11 14:16:09 | よろず
私の過去の愚痴話です。お嫌な方はまわれ右でどうぞ。
改行しておきます。文字色反転はしていませんのでご注意を




























改行終わり





私は耳年増な子供でした。
何かと言うと父や母に連れられては、大人達の集まり(単なるお喋り)などに連れて行かれたり、父の職場のお姉さん(紡績会社だったので、全国から社員が集まる為、寮に住んでいる人が多かった)に連れられて、街へ遊びに行ったり。(勿論、両親は着いて来ない)
オムツも取れないころから、そんな風に大人達に囲まれて育ってきた。
社宅だったので年の近い子も多く、子供同士で遊ぶことも当然あったけれども。

高校を卒業して地元百貨店に就職した私は平日の休みが多く、車の免許を取ったら、母と母友のいい足になっていた(笑)
母と母友(当然私も小さな頃から知っている)を乗せては、あちこちドライブに行ったものだった。

そうするとね、オバチャン達の会話が全部耳に入ってくるんですよ(笑)
仲が良かったオバチャン達だったから、もう会話が明け透けで。
私は黙って運転していたけど、耳はダンボになってました。
「(へー、中年のオバチャン達はこんなこと考えてるんだ)」
とか思いながら(笑)

だから、子供の頃から必要以上に耳年増な子供だったんです。
そうやって大人達の社会を少しづつ知っていったのかな。
そのおかげで、子供の頃から現在まで、特につまづく事無く(あ、反抗期はありましたよ、ちゃんと)緩やかにオバチャンになりました。


でも。
最近テレビを見ていると(実家にいると、常にテレビが点いてるから。両親ともテレビッ子)、なんだか大人になりきれていない大人が多いな。って気がして。
自分が大人かどうかは判りませんが、なんか最近の同年代と、それより下の年代、おかしくね?
って思うことが増えたんです。
詰め込み教育で、大学入試に必死になってた同年代。
ゆとり教育で、でも塾や習い事に通いづめで、とにかく何処でもいいから大学に入ってきた年代。

私は大学に行かなかった(正確には行けなかった)けど、正直、大学なんてどうでもいいやって思ってました(進学校に行ってたクセに)。
社会に出てから、学校では学べなかったことを本当に色々と身を持って学びました。
高卒入社だったのに、歓迎会が1次会からいきなりスナックだったりとかw
女性先輩社員に指で棚の上をツーと撫でられ、「掃除がなってない」とかw
課長に「お茶が薄い」と叱られたりw

オバチャン達が話していた大人社会とはまた違う大人社会を身に沁みるほど味わわせてもらいました。
(その百貨店は吸収合併されちゃいましたけどねえ)
あの頃の上司や先輩は今頃どうしているんだろう。
4年で辞めてIT企業に転職(バブルだったから、畑違いでも転職できたのよw)した当時、その頃仲が良かったパートのオバチャンや同僚には
「早くに見切りつけておいて良かったね」とも言われw

結局IT企業で残業成金(基本給よりも残業・休出手当が多いこと)になってしまい、遊びに行く暇も無いから、年に1度の海外旅行で憂さを晴らして…
栄転出向したら(出向したら自動的に中間管理職になってしまって)、身体を壊してしまいました。
前任者が産休に入る為、産休期間だけの出向だった筈で、DBが新しくなることによる新入力システムは出来あがっている と、聴いていたのに。
新入力システムは手つかず。引き継ぎは2週間。
2週間の間に現行の旧DBの構造と入力システムを頭にブチ込んで、すぐに新DBの構造と、DBの流れを覚え無ければならず、3週目には新入力システムを構築しなければならなくなりました。
自分の部下は社員が1人、あとは皆さん派遣の入力専門の人達。
現行の業務をこなしつつ、新入力システムの構築。DB管理部門との調整。
やっとのことで、新入力システムを考案して派遣さん達に通知したころには、疲れきってました。
そこへ「前任者は現部署では無く、別部署に復帰」と聞いて…。
私は出向先から離れられない状態にされてしまったのです。
しかも、本当は出向先が欲しがったのは別の人だったのに、本社の上司がそれを嫌がって代わりに私を出向させたことも判ってしまって。
「3日で考えろ」と、出向話が出た時に言われました。拒否すれば、自主退職しか道が残って無かった…。

自分は耳年増で、それなりに大人の知恵を付けていたつもりだったけど、結局は大人になりきれていなかったんだ。と、悟りました。
きちんとした大人なら、もっと割り切って出向先に居続けたと思いますから。

結局、本社の元部署に戻りましたが、居心地が悪く、偶然お手伝いで行った、親会社のデザイン・ルームに居着くことになりました。
(業務請負ってことで)
ガッチガチのDB構築業務と違って、フリーな雰囲気は出向で疲れ切った私には丁度良い職場でした。
元々のDB構造の知識も役に立ったし、Photoshopを多様する職場ですが、大量の小さな絵の処理にはプログラムの知識が活かせて、結構重宝されました。

結局は壊した身体は完全に復調せず、病欠を繰り返した挙句、退職することになりました。

やっぱり自分は大人になりきれていなかったんだ。
そう思えて悔しかったですね。
いい歳してなんですが。

耳年増な子供で、自分はもう大人というふうに思っていましたけど、現実は大人になりきれない大人だったわけです。

と、自分の恥を晒しての昔話でした。
飽きずに読んで下さった方、ありがとうございました。

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