横浜田舎物語

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別れ

2018-11-13 | ともだち
私の一番の親友仲間<いちご会>

そのメンバーであり、1学年お姉さんのSさんが亡くなりました。

来月71歳になるところでした。

10年前、スキルス胃がんと診断され、胃を全摘、
スキルス胃がんと言ったら生存確率が低いことでも知られているし
(元フジテレビアナウンサーの逸見政孝氏がそうでした)

その時点でもう助からないのではと、相当ショックを受けましたが
奇跡的にガンは消滅、他に転移がなかったことが幸いでした。

抗がん剤治療でいっぱい苦しい思いをしましたが、頑張ってがんばって克服

徐々に徐々にみんなと一緒の行動ができるようになり、旅行に行ったり
ランチを楽しんだり、幸せな時期でした。

2014年の夏、関西医大に入院する私の付き添いもしてくれました。

その年の11月いちご会の仲間が忘年会を兼ねて私の快気祝いを
やってくれました。
その時も長時間バスに揺られて来てくれました。

そのくらい元気だった彼女に病魔が再び襲ったのはその年の暮れ
年が明けてすぐから入院

その時点でガンがあるといわれていたのですが、私たちには連絡がありませんでした。

こんなに心配してるのに、お見舞いにも行きたいのに・・・

あせるばかりの日々が過ぎていきました。

メールをしてもなかなか返事は来ず、もうだめなのか・・

それから約2年後、ようやく朗報が、自宅に遊びに来てほしいとのこと

さっそく日にちを決めて、仲間の運転で出かけました。

行先は千葉県館山市

館山は彼女の長女Aちゃんの嫁ぎ先

散々、なぜそんなに遠くへ?と文句を言ったのですが
体や、将来を考えたら、娘のそばが安心だったのでしょう

「別荘ができたと思って許してあげる」なんて根拠のない許可を出したものです。

東日本大震災の時はすでに引っ越していましたからずいぶん心配しました。

海まで50mあるか?という距離

何もなければまさに風光明媚な素晴らしい場所です。

有名な館山の花火を特等席で見せてもらったこともありました。

びっくりするほど食欲が戻って、おぼつかないものの立ち上がって
少しずつ歩けるようにもなりました。

「また来るからね」と言ってから2年、突然でした。

彼女の名前で電話が入ってました。
かけなおして・・相手はご主人でした。

もう時間の問題だと、皆さんに会いたがっていたけど
今来ていただいてももうわからないから
葬儀にはぜひ出ていただきたい、と

そこまで言われてしまいました。
それからの仲間は・・ふだんライン送ってもなかなか既読にならない人でさえ
ピリピリの毎日

<断れない予定は入れないこと>全員が心に留めました。

最初の連絡から12日目、とうとうその日が来てしまいました。

安らかな最期だったそうです。
昏睡状態になってからも苦しむことなく・・

覚悟はしていましたが、一人になると笑顔の彼女が浮かんできては
泣いてばかりの毎日でした。

葬儀の日程の連絡があり、この土、日で館山まで行ってきました。

神戸のNさんを除いてこちらに住む5人全員で見送ることができました。

この2年、ご主人が生活のすべてを担ってきましたから、ご本人も言われてましたが
これから何を支えに生きていけばいいのかと喪失感でいっぱいのようでした。

幸いのことに、長女Aちゃんの嫁ぎ先のO家の皆さんは、私たちから見ても
うらやましいほど仲の良いご家族
Aちゃんの旦那様は姉妹に囲まれた黒一点ですが、お姉さま方も妹さんも
それぞれいい方ばかり
これからも一人になったお父さんのこと気にかけてくださるそうで安心しました。

Sさん、ありがとう 40年近いお付き合いでしたね。
家族が知らないことでも話ができる私たちでした。
ここに書ききれないほどの思い出と、感謝でいっぱいです。

ご主人が形見分けをと言ってくださいました。
今回は時間がなかったのと、ご主人のほうこそお疲れだと思うので遠慮しましたが
一周忌にはお花をもって伺いたいと思ってます。

ケーキも買っていかなくちゃ、こんな偶然があるでしょうか
亡くなった11/5はご主人の誕生日なのでした。

ご主人はあいさつの中で「命日を絶対忘れないでね、と言われているようです」
と言われてました。

お墓は茅ケ崎です。

ご主人が「こちら(館山)にと思ったけど、私たち夫婦には縁もゆかりもないところ
茅ケ崎は出会った場所なので思い出があるんです」

Sさん、あなたは茅ケ崎はいい思い出ばかりではないと言ってたけど、
ご主人がここまで言ってくれている、だからどうか安心してね・・

私たちに取ったら近くていつでも会いに行けるから、こんなうれしいことはありません。

あっけなかった・・

終わってみればそれしか感想がありません。

彼女の思いを胸に秘めて私たちはこれからも生きていくしかないのです。

この数年はなかなか会えなかったせいか、いなくなったことがまだ信じられません
もう会えないけど、今でも海の見える居間でゆったりと針仕事をしているはずと
想像しながら彼女をしのびたいと思います。

彼女とのことはブログに何度も書きましたが、この日の記事が一番かなと思ったので
紹介します・・2010/6/5の記事です。


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