日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(738)「質料含意」に対する、「CIルイスの、不満」。

2020-10-16 17:59:36 | 論理

(01)
それゆえ、古典論理学は外延論理学ともいわれる。この、質料含意には、次のパラドックスがあることが知られている。
 (8) A→(B→A)
 (9)~A→(A→B)
ルイスはこの古典論理における含意の外延的解釈に不満を感じた。なぜならば、
含意文『「雪が白い」ならば「1+1=2」である。』の外延的意味は「真」である。
しかし、我々の素朴直観的な「含意:ならば」には「より強い意味」を示唆する、すなわち、
含意によって結合される2つの文には内容的な関連を要求するように思われる(北樹出版、論理学の方法、1994年、190頁)。
然るに、
(02)
たしかに、普通、我々は、
『「雪が白い」ならば「1+1=2」である。』
といふやうな「言ひ方」をしない。
然るに、
(03)
(ⅷ)
1(1)      A  仮定
1(2)   ~B∨A  1選言導入
1(3)    B→A  2含意の定義
 (4) A→(B→A) 13条件的証明
(ⅸ)
1(1)   ~A    仮定
1(2)   ~A∨B  1選言導入
1(3)    A→B  2含意の定義
 (4)~A→(A→B) 13条件的証明
従って、
(01)(03)により、
(04)
 (2)1選言導入
 (3)2含意の定義
といふ「計算」が、「妥当」であるからこそ、「古典論理学」に於いて、
①  A→(B→A):Aであるならば(BであるならばAである。)
② ~A→(A→B):Aでないならば(AであるならばBである。)
といふ「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」となり、そのことに対して、CIルイス は、不満に思ってゐる。
然るに、
(05)
(ⅷ)
1(1)~B∨A 仮定
とは異なり、
1(2)~B∨A 1選言導入
の「前」に、
1(1)   A 仮定
といふ「仮定」が「先に有る」ことによって、
1(2)~B∨A 1選言導入
に於ける、
1(2)~B∨A:Bでないか、または、Aである。
といふ「論理式」は、実際には
1(2)~B∨A:Aであるが(、Bでない、Bであるか)は不明である。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
(ⅲ)
1   (1)     A        仮定
1   (2)  ~B∨A        1選言導入
1   (3) ~~B∨A        1選言導入
1   (4)   B→A        2含意の定義
1   (5)  ~B→A        3含意の定義
 6  (6)   B∨~B       仮定
  7 (7)    B          仮定
1 7 (8)     A        47肯定肯定式
   9(9)     ~B        仮定
1  9(ア)     A         59肯定肯定式
16  (イ)     A         6789ア選言除去
1   (ウ)   (B∨~B)→A  6イ条件的証明
    (エ)A→{(B∨~B)→A} 1ウ条件的証明
従って、
(06)により、
(07)
③ A→{(B∨~B)→A}
といふ「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
然るに、
(08)
③ A→{(B∨~B)→A}
といふことは、
③ Aならば{(Bであるか、または、Bでない)ならば、Aである。}
といふことであって、
③ Aならば{(Bであるか、または、Bでない)ならば、Aである。}
といふことは、要するに、
③ Aならば{(Bであらうと、Bでなからうと)、いづれにせよ、Aである。}
といふ、ことである。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
③ A→{(B∨~B)→A}:Aならば{(Bであらうと、Bでなからうと)、いづれにせよ、Aである。}
といふ「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
従って、
(04)(09)により、
(10)
① A→(B→A)     :Aであるならば(BであるならばAである)。
③ A→{(B∨~B)→A}:Aならば{(Bであらうと、Bでなからうと)、いづれにせよ、Aである。}
といふ「論理式」は、2つとも、「恒真式(トートロジー)」である。
然るに、
(11)
① Aであるならば(BであるならばAである。)               :A→(B→A)
③ Aならば{(Bであらうと、Bでなからうと)、いづれにせよ、Aである。}:A→{(B∨~B)→A}
に於いて、
① であれば、たしかに、「変」であるが、
③ であれば、少しも、 「」ではない
従って、
(01)(10)(11)により、
(12)
① A→(B→A)
といふ「論理式」を、
③ Aならば{(Bであらうと、Bでなからうと)、いづれにせよ、Aである。}
といふ風に、「解釈」する限り、
 (8) A→(B→A)
 (9)~A→(A→B)
ルイスはこの古典論理における含意の外延的解釈に不満を感じた。とする、
 (8) A→(B→A)
は、「パラドックス」でも、何でもない。
cf.
 (8) 1→(→1) は「」であり、
 (〃) 1→(→1) も「」である。
然るに、
(13)
(ⅳ)
1  (1)      ~A      仮定
1  (2)      ~A∨ B   1選言導入
1  (3)      ~A∨~B   1選言導入
1  (4)       A→ B   2含意の定義
1  (5)       A→~B   3含意の定義
6 (6)         A      仮定
16 (7)          B   46肯定肯定式
16 (8)         ~B   56肯定肯定式
16 (9)       B&~B   78連言導入
1  (ア)    A→(B&~B)  69条件的証明
   (イ)~A→{A→(B&~B)} 1ア条件的証明
  ウ(ウ)(A&~A)        A
  ウ(エ)~A            ウ連言除去
  ウ(オ)    A→(B&~B)   イエ肯定肯定式
  ウ(カ)    A          ウ連言除去
  ウ(キ)       (B&~B) オカ肯定肯定式
   (ク)(A&~A)→(B&~B) ウキ条件的証明
従って、
(13)により、
(14)
④(A&~A)→(B&~B):(Aであって、Aでない)ならば、(Bであって、Bでない)。
といふ「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
然るに、
(15)
1(1)  A&~A  仮定
 (2)~(A&~A) 11背理法
従って、
(14)(15)により、
(16)
④(A&~A)→(B&~B):(Aであって、Aでない)ならば、(Bであって、Bでない)。
といふ「論理式」は、
④(A&~A)→(B&~B):(AであってAでない)といふことは有り得ないので、(BであってBでない)といふことも有り得ない
といふ、「意味」である。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
④(A&~A)→(B&~B):(Aであって、Aでない)といふことは有り得ないので、(Bであって、Bでない)といふことも有り得ない。
といふ「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」であるが、
④(Aであって、Aでない)といふことは有り得ないので、(Bであって、Bでない)といふことも有り得ない。
といふことは、「当り前」であって、「パラドックス」ではない
然るに、
(13)により、
(18)
   (2)1選言導入
   (3)1選言導入
   (4)2含意の定義
   (5)3含意の定義
といふ「計算」を、「認めない限り
④(A&~A)→(B&~B):(Aであって、Aでない)といふことは有り得ないので、(Bであって、Bでない)といふことも有り得ない。
といふ「論理式」が、「恒真式(トートロジー)」であるといふことを、「証明」することは、出来ないが、それでは、困るはずである
従って、
(01)~(18)により、
(19)
CIルイス とは異なり、私自身は、「古典命題論理学」に於ける、「質量含意」に対して、「不満」を持っては、ゐない。