(01)
「(4)午前中の記事」で説明したやうに、
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
② AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
に於いて、
① は、「終止形としての排他的命題」であるとし、
② は、「連体形としての排他的命題」であるとする。
従って、
(02)
例へば、
① 私が理事長です=私は理事長であって(私以外は理事長ではない)。
② 藤井総太が婚約=(他ならぬ)藤井総太が婚約。
に於いて、
① は、「終止形としての排他的命題」であって、
② は、「連体形としての排他的命題」である。
然るに、
(03)
③ AならばBである(A→B)。
といふ「命題」を、「仮言命題」といふ。
然るに、
(04)
(a)
1 (1) A→ B 仮定
2(2) A&~B 仮定
2(3) A 2
12(4) B 13前件肯定
12(5) ~B 2&除去
12(6) B&~B 45&導入
1 (7)~(A&~B) 16背理法
(b)
1 (1)~(A&~B) 仮定
2 (2) A 仮定
3(3) ~B 仮定
23(4) A&~B 23&導入
123(5)~(A&~B)&(A&~B)12&導入
12 (6) ~~B 35背理法
12 (7) B 6二重否定
1 (8) A→ B 27条件法
従って、
(03)(04)により、
(05)
③ A→ B =AならばBである。
④ ~(A&~B)=AであってBでない、といふことはない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(06)
④ AであってBでない、といふことはない。
といふのであれば、
④ AであってBでない。
ならば、そのときにだけ、「ウソ」である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ Aならば、Bである=
④ AであってBでない、といふことはない。
といふ「仮言命題」は、
③ AであってBでない。
ならば、そのときにだけ、「ウソ」である。
然るに、
(08)
③ AならばBである=
③ 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
であるとする。
然るに、
(07)(08)により、
(09)
③ 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
といふのであれば、
⑤ 月曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 火曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 水曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 木曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 金曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 土曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
としても、
③ 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
とふ「仮言命題」は、「ウソ」にはならず、
⑤ 日曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
のであれば、
③ 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
とふ「仮言命題」は、「ウソ」になる。
従って、
(09)により、
(10)
⑤(日曜日以外である所の)土曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない(としてもウソではない)。
④(日曜日以外でない所の)日曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない(としたら、ウソである)。
然るに、
(11)
④ 私はウソを言はない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤(日曜日以外である所の)土曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない(といふことはアル)。
④(日曜日以外でない所の)日曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない(といふことはナイ)。
然るに、
(05)により、
(13)
④ AであってBでない、といふことはない。
③ AならばBである。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
③(日曜日以外でない所の)日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
④(日曜日以外でない所の)日曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない(といふことはナイ)。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(15)
③(日曜日以外でない所の)日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
といふことは、
③(他ならぬ)日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
といふことに、他ならない。
従って、
(08)~(15)により、
(16)
③ 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く=(他ならぬ)日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
でなければ、ならない。
従って、
(02)(16)により、
(17)
② 藤井総太が婚約 =(他ならぬ)藤井総太が婚約。
③ 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く=(他ならぬ) 日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
に於いて、
② は、「連体形としての排他的命題」であって、
③ も、「連体形としての排他的命題」である。
従って、
(17)により、
(18)
② 藤井総太( )指原莉乃と婚約!
③ 日曜日( )晴れならば、
に於ける、
② ( )には、「が」が入り、
③ ( )にも、「が」が入る「理由」は、
② 藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
③ 日曜日(が)晴れならば、
に於いて、それぞれが、
②「連体形としての排他的命題」であって、
③「連体形としての排他的命題」であるからである。
(証明終了)
従って、
(18)により、
(19)
④ 象は鼻が長い=
④ すべての象は鼻は長く、鼻以外は長くない=
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
④ すべてのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於ける、
④ すべてのxについて、x( )象ならば、
に於ける、
④ ( )の中に、「は」が入らない「理由」も、
④ すべてのxについて、x(が)象ならば、
といふ「それ」が、
④「連体形としての排他的命題」であるからである。
すなはち、
(20)
③ 日曜日( )晴れならば、
であれば、必ず、
③ 日曜日(が)晴れならば、
であって、「日本語」としては、
③ 日曜日(は)晴れならば、
とはならないことを、知ってゐるため、そのため、
④ x( )象ならば、
であれば、必ず、
④ x(が)象ならば、
であって、
④ x(は)象ならば、
といふ風に、思ふことになる。
然るに、
(21)
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」を、仮に、
④ すべてのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
とは読まずに、
④ すべてのxについて、yが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ風に、読むならば、すなはち、
④ すべてのxについて、xが象ならば、
とは読まずに、
④ すべてのxについて、yが象ならば、
といふ風に、読むならば、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」は、「意味」をなさない。
従って、
(21)により、
(22)
④ すべてのxについて、
と言ってしまへば、
④ すべてのxについて、(yではない所の)xが、
でなければ、ならない。
従って、
(22)により、
(23)
④ すべてのxについて、
と言ってしまへば、
④ すべてのxについて、(yではない所の)xが、
すなはち、
④ すべてのxについて、(他ならぬ)xが、
でなければ、ならない。
従って、
(23)により、
(24)
④ 象は鼻が長い=
④ すべての象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
④ すべてのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於ける、
④ すべてのxについて、x(が)象ならば、
の場合も、
③ 日曜日(が)晴れならば、
と同じく、
④「連体形としての排他的命題」であっても、ヲカシクはない。
然るに、
(25)
③ 日曜日(が)晴れならば、
④ x(が)象ならば、
のやうな「それ」を、「仮言命題の前件」といふ。
従って、
(24)(25)により、
(26)
「仮言命題」の「前件」に於ける「(他ならぬ)_が」は、「連体形としての排他的命題」である。
(27)
明日の「予定」⇒「徒然草(第二十段)」他。
(01)
「最初の記事(3月10日)」で「確認」した通り、
① AがBである。
② A以外はBでない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
① AがBである。
であって、
① AはBでない。
といふことは、あり得ない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
でなければ、ならない。
然るに、
(04)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition(merriam-webster).
従って、
(03)(04)により、
(05)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
といふ「それ」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と呼ぶことにする。
然るに、
(06)
② 藤井総太( )指原莉乃と婚約!
であれば、「週刊誌の見出し」は、
② 藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
であって、
② 藤井総太(は)指原莉乃と婚約!
ではあり得ない。
然るに、
(07)
マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(08)
「未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。」といふのは、「詭弁」に過ぎない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
であれば、「週刊誌の見出し」は、
②(誰でも知ってゐる、他ならぬ、あの)藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
といふ「意味」になる。
然るに、
(10)
②(他ならぬ)Aが
といふことは、
②(A以外ではない所の)Aが
といふ、ことである。
従って、
(10)により、
(11)
② AがBである=
②(他ならぬ)AがBである=
②(A以外ではない所の)AがBである。
といふ、ことになる。
従って、
(05)(11)により、
(12)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
② AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
であるものの、
① に関しては、「終止形としての排他的命題」と呼び、
② に関しては、「連体形としての排他的命題」と呼ぶことにする。
然るに、
(13)
「最初の記事(3月10日)」でも、確認した通り、
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
② AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
に於いて、
① は、「排他的命題」であって、
② は、「排他的命題」であって、
① Aが(濁音) は、「強調形」であって、
② Aが(濁音) は、「強調形」である。
従って、
(15)
① 私が理事長です=私は理事長であって(私以外は理事長ではない)。
② 藤井総太が婚約=(他ならぬ)藤井総太が婚約。
に於いて、
① は、「終止形としての排他的命題」であって、
② は、「連体形としての排他的命題」であって、
① 私が(濁音) は、「強調形」であって、
② 藤井総太が(濁音) は、「強調形」である。
「最初の記事(3月10日)」で「確認」した通り、
① AがBである。
② A以外はBでない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
① AがBである。
であって、
① AはBでない。
といふことは、あり得ない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
でなければ、ならない。
然るに、
(04)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition(merriam-webster).
従って、
(03)(04)により、
(05)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
といふ「それ」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と呼ぶことにする。
然るに、
(06)
② 藤井総太( )指原莉乃と婚約!
であれば、「週刊誌の見出し」は、
② 藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
であって、
② 藤井総太(は)指原莉乃と婚約!
ではあり得ない。
然るに、
(07)
マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(08)
「未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。」といふのは、「詭弁」に過ぎない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
であれば、「週刊誌の見出し」は、
②(誰でも知ってゐる、他ならぬ、あの)藤井総太(が)指原莉乃と婚約!
といふ「意味」になる。
然るに、
(10)
②(他ならぬ)Aが
といふことは、
②(A以外ではない所の)Aが
といふ、ことである。
従って、
(10)により、
(11)
② AがBである=
②(他ならぬ)AがBである=
②(A以外ではない所の)AがBである。
といふ、ことになる。
従って、
(05)(11)により、
(12)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
② AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
であるものの、
① に関しては、「終止形としての排他的命題」と呼び、
② に関しては、「連体形としての排他的命題」と呼ぶことにする。
然るに、
(13)
「最初の記事(3月10日)」でも、確認した通り、
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
② AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
に於いて、
① は、「排他的命題」であって、
② は、「排他的命題」であって、
① Aが(濁音) は、「強調形」であって、
② Aが(濁音) は、「強調形」である。
従って、
(15)
① 私が理事長です=私は理事長であって(私以外は理事長ではない)。
② 藤井総太が婚約=(他ならぬ)藤井総太が婚約。
に於いて、
① は、「終止形としての排他的命題」であって、
② は、「連体形としての排他的命題」であって、
① 私が(濁音) は、「強調形」であって、
② 藤井総太が(濁音) は、「強調形」である。