(01)
(ⅰ)
1 (1) ~P& Q A
2 (2) P∨~Q A
1 (3) ~P 1&E
4 (4) P A
1 4 (5) ~P& P 34&I
4 (6)~(~P& Q) 15RAA
1 (7) Q 1&E
8(8) ~Q A
1 8(9) Q&~Q 78&I
8(ア)~(~P& Q) 19RAA
2 (イ)~(~P& Q) 2467ア∨E
12 (ウ) (~P& Q)&
~(~P& Q) 1イ&I
1 (エ) ~(P∨~Q) 2ウRAA
(ⅱ)
1 (1) ~(P∨~Q) A
2 (2) P A
2 (3) P∨~Q 2∨I
12 (4) ~(P∨~Q)&
(P∨~Q) 13&I
1 (5) ~P 24RAA
6 (6) ~Q A
6 (7) P∨~Q 6∨I
1 6 (8) ~(P∨~Q)&
(P∨~Q) 17&I
1 (9) ~~Q 6RAA
1 (ア) Q 9DN
1 (イ) ~P& Q 5ア&I
従って、
(01)により、
(02)
① ~P& Q
② ~(P∨~Q)
に於いて、
①=② である。
(03)
(ⅲ)
1 (1) ~( P& Q) A
2 (2) ~(~P∨~Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨~Q 3∨I
23 (5) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8(8) ~Q A
8(9) ~P∨~Q 8∨I
2 8(ア) ~(~P∨~Q)&
(~P∨~Q) 29&I
2 (イ) ~~Q 8RAA
2 (ウ) Q イDN
2 (エ) P& Q 7ウ&I
12 (オ) ~( P& Q)&
( P& Q) 1エ&I
1 (カ)~~(~P∨~Q) 2オRAA
1 (キ) ~P∨~Q カDN
(ⅳ)
1 (1) ~P∨~Q A
2 (2) P& Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6)~(P& Q) 25RAA
7(7) ~Q A
2 (8) Q 2&E
2 7(9) ~Q&Q 78&I
7(ア)~(P& Q) 29RAA
1 (イ)~(P& Q) 1367ア∨E
従って、
(03)により、
(04)
③ ~(P& Q)
④ ~P∨~Q
に於いて、
③=④ である。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① ~P& Q
② ~(P∨~Q)
③ ~(P& Q)
④ ~P∨~Q
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
cf.
ド・モルガンの法則
然るに、
(06)
②{~(真∨~偽)=~(真∨真)=~真}=偽
④{(~真∨~偽)= (偽∨真)= 真}=真
従って、
(05)(06)により、
(07)
② ~(P∨~Q)
④ ~P∨~Q
に於いて、
②=④ ではない。
従って、
(05)(07)により、
(08)
① ~P&Q
③ ~(P&Q)
に於いて、
①=③ ではない。
然るに、
(09)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう;しかし「括弧」はその内部が連言でないかぎり削除しよう(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(09)により、
(10)
① ~(P)&Q
③ ~(P & Q)
であるならば、
① ~P&Q
③ ~(P&Q)
である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① ~P&Q
③ ~(P&Q)
に於いて、
①=③ ではない。といふことは、
① ~(P)&Q
③ ~(P & Q)
といふことに、他ならない。
従って、
(11)により、
(12)
① ~(P)&Q
に於ける、
① ( ) を「省略」した「形」が、
① ~P&Q
である。といふ、ことになる。
然るに、
(13)
① ~(P)&Q
② ~(P & Q)
といふ「2通り」を、
① 不(P)而Q
② 不(P 而 Q)
とする。
(14)
P=有祝魲鮀之佞
Q=有宋朝之美
とする。
従って、
(11)~(14)により、
(15)
① 不(P)而Q
② 不(P 而 Q)
に於いて、
①=② ではないが故に、
① 不(有祝魲鮀之佞)而有宋朝之美。
② 不(有祝魲鮀之佞 而 有宋朝之美)。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(16)
「論理式」に、「括弧」はあるが、
「 漢文 」に、「括弧」はない。
従って、
(15)(16)により、
(17)
① 不有祝魲鮀之佞而有宋朝之美。
② 不有祝魲鮀之佞而有宋朝之美。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(15)(17)により、
(18)
「漢文」の場合は、「括弧」を書かないが故に、
① 不P而Q。
② 不P而Q。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(19)
実は、どちらも意味が通じるのである。
① の方は、古注といって、伝統的な解釈であるが、
② の方は、新注といって、朱熹(朱子)の解釈なのである。「返り点」をつけると、
① 不レ有二祝魲鮀之佞一而有二宋朝之美一。
② 不下有二祝魲鮀之佞一而有中宋朝之美上。
このように「不」が頭にきてるときは、どこまでかかるのか、ということをじっくりとと押さえてみることだ。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、326頁改)
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
「返り点」を用ひない「漢文」の場合は、「括弧」が無いが故に、
① 不P而Q。
② 不P而Q。
に於いて、
①=② ではない。
といふことは、朱熹(朱子)も、「そのやうに、意識してゐた」といふ、ことになる。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 不P而Q。
と書かれてゐても、
① 不(P)而Q。
であるとするが、「古注」であって、
② 不P而Q。
と書かれてゐても、
② 不(P 而 Q)。
であるとするのが、「新注」である。
といふ、ことになる。
―「昨日の記事(215)」の「続き」を書きます。―
従って、
(28)(41)(44)により、
(45)
③ 千里馬常有而伯楽不常有=
③ 千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
③ 千里の馬は常に有れども、伯楽は(常には有ら)ず=
③ 千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
③ ∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)=
③ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(46)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有(伯楽)、然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有、然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
然るに。
(46)により、
(47)
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふことは、
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。
といふ、ことである。
然るに、
(48)
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。⇔
① ~∃x(伯楽x)→~∃y(千里馬y)⇔
① xは伯楽であって、そのやうなxが存在しないのであれば、yは千里馬であって、そのやうなyも存在しない。
然るに、
(49)
(ⅰ)
1 (1)~∃x(伯楽x)→ ~∃y(千里馬y) A
2 (2)~∃x(伯楽x) A
3(3) ∃y(千里馬y) A
3(4) ~~∃y(千里馬y) 3DN
12 (5) ~∃y(千里馬y) 12MPP
123(6)~~∃y(千里馬y)&~∃y(千里馬y) 45&I
1 3(7)~~∃x(伯楽x) 26RAA
1 3(8) ∃x(伯楽x) 7DN
1 (9) ∃y(千里馬y)→ ∃x(伯楽x) 38CP
(ⅱ)
1 (1) ∃y(千里馬y)→ ∃x(伯楽x) A
2 (2) ∃y(千里馬y) A
3(3) ~∃x(伯楽x) A
12 (4) ∃x(伯楽x) 12MPP
123(5) ~∃x(伯楽x)&∃x(伯楽x) 34&I
1 3(6) ~∃y(千里馬y) 25RAA
1 (7) ~∃x(伯楽x)→~∃y(千里馬y) 36CP
従って、
(49)により、
(50)
① ~∃x(伯楽x) →~∃y(千里馬y)=あるxは伯楽であって、そのやうなxは存在しないのであれば、あるyは千里馬であって、そのやうなyは存在しない。
② ∃y(千里馬y)→ ∃x(伯楽x) =千里馬であるyが存在するならば、伯楽であるxも存在する。
に於いて、
①=② である。
従って、
(45)~(50)により、
(51)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
④ 世有(伯楽)、然後有(千里馬)。千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
④ 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
④ 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)⇔
④ 千里馬であるyが存在するならば、伯楽であるxも存在する。すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(52)
④ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里馬である。
といふことは、
④ 「馬といふ集合」の「要素」として、「千里馬」が存在する。
といふ、ことであって、
④ すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふことは、
④「馬喰といふ集合」の「要素」として「伯楽ではない者」が存在する。
といふ、ことである。
従って、
(50)(52)により、
(53)
④ ∃y(千里馬y)→∃x(伯楽x)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
といふ「述語論理」は、要するに、
④ 千里馬が存在するならば、伯楽も存在する。千里馬は存在する。伯楽でない馬喰も存在する。
といふ「意味」になる。
然るに、
(54)
④ 千里馬が存在するならば、伯楽も存在する。千里馬は存在する。伯楽でない馬喰も存在する。
といふことは、要するに、
④ 千里馬と、伯楽である馬喰と、伯楽ではない馬喰が、同時に存在する。
といふ「意味」になる。
然るに、
(55)
〔原文〕
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖有(名馬)、祇辱(於奴隷人之手)、駢死(於槽櫪之間)、不〔以(千里称)〕也。
〔訓読〕
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死、千里を以つて称せられざるなり。
〔口語〕
世の中に、伯楽がいてこそ初めて、千里の馬が存在する。
千里の馬は、常に世存在するが、伯楽は、常にいるわけではない。
そのため、名馬がいたとしても、卑しい人間の手で、粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
従って、
(54)(55)により、
(56)
④ 千里馬と、伯楽である馬喰と、伯楽ではない馬喰が、同時に存在する。
といふことから、
④ 伯楽ではない馬喰と千里馬が、ペアになると、千里馬は、千里馬としての評価を受けることが、出来ない。
といふことを、韓愈は、言ってゐる。
然るに、
(57)
1 (1) ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀x(馬喰z→伯楽z) A
1 (2) ∀x{馬x→∃y(千里馬y)} 1&E
1 (3) 馬a→∃y(千里馬y) 2UE
4 (4) 馬a A
14 (5) ∃y(千里馬y) 34MPP
1 (6) ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z) 1&E
14 (7) ∃z(伯楽x) 56MPP
14 (8) ∃z(伯楽x)&∃y(千里馬y) 57&I
1 (9) ~∀z(馬喰z→伯楽z) 1&E
1 (ア) ~∀z(~馬喰z∨伯楽z) 1含意の定義
1 (イ) ∃z~(~馬喰z∨伯楽z) ア量化子の関係
ウ(ウ) ~(~馬喰a∨伯楽a) A
ウ(エ) ~~馬喰a&~伯楽a ウ、ド・モルガンの法則
ウ(オ) 馬喰a&~伯楽a エDN
ウ(カ) ∃z(馬喰a&~伯楽z) オEI
1 (キ) ∃z(馬喰z&~伯楽z) イウカEE
14 (ク) ∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y) 5キ&I
14 (ケ) [∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)] 8ク&I
1 (コ) 馬a→[∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)] 4ケCP
1 (サ)∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)]} コUI
従って、
(57)により、
(58)
④ ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
⑤ ∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)]}
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(58)により、
(59)
④ あるyが千里馬であるならば、あるzは伯楽であり、&すべてのxについて、xが馬ならば、あるyは千里馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
⑤ すべてのxについて、xが馬ならば[あるzは伯楽であり、あるyは千里馬であり」、&[あるzは馬喰であるが伯楽ではなく、あるyは千里馬である]。
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(55)(59)により、
(60)
④ 馬がゐる限り、ある千里馬は、伯楽ではない、馬喰に、飼はれることになり、それ故、
⑤ 馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
といふ、ことになる。
従って、
(46)(60)により、
(61)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
④ 世有(伯楽)、然後有(千里馬)。千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
④ 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
④ 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)⇔
④ あるyが千里馬であるならば、あるzは伯楽であり、&すべてのxについて、xが馬ならば、あるyは千里馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰ではないならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
―「先ほどの記事(214)」の「続き」を書きます。―
(32)
存在を表わす動詞として、古代語においても、「有」と「在」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、次のように全く反対である。
A式 場所語―有―存在物
例 机上有書(机上に書あり)
B式 存在物―在―場所語
例 書在机上(書、机上にあり)
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、346頁)
従って、
(32)により、
(33)
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
② 伯楽不常在=伯楽は常にはあらず。
であれば、
① は、「マチガイ」であって、
② が、「タダシイ」はずであるが、
「韓愈(雜説)」の「原文」では、何故か、
② ではなく、
① になってゐる。
然るに、
(34)
③ 臣弑其君者有之=臣にして其の君を弑する者、之有り。
のやうな「倒置」であるならば、
① 伯楽不常有 =伯楽は常にはあらず。
ではなく、
① 伯楽不常有之=伯楽は常には、之有らず。
になってゐても、ヲカシクはない。
然るに、
(35)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
等は、すべて、「名詞」である。
従って、
(35)により、
(36)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
だけでなく、
④ 常有
の場合も、「名詞」なのかも知れない。
従って、
(36)により、
(37)
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
の場合も、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「名詞文」として、
④ 千里馬常有=千里(形容詞)+馬(名詞)+常有(名詞)。
といふ「語順」なのかも、知れないし、さうであれば、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「語順」は、「漢文として、普通である」。
然るに、
(38)
「韓愈」自身は、
存在を表わす動詞として、古代語においても、「有」と「在」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、全く反対である。
といふことを、どうでも良いと思ってゐたのかも、知れない。
然るに、
(39)
仮に、さうであるならば、
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
といふ「それ」は、固より、
① 伯楽不常在=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常在=千里の馬は常にあり。
である。といふことになる。
然るに、
(40)
(ⅰ)
1 (1)∀x{馬x→∃y(千里xy)} A
1 (2) 馬a→∃y(千里xy) 1UE
3 (3) 馬a A
13 (4) ∃y(千里xy) 23MPP
5(5) 千里ab A
35(6) 馬a&千里ab 35&I
35(7) ∃y(馬a&千里ay) 6EI
13 (8) ∃y(馬a&千里ay) 457EE
1 (9) 馬a→∃y(馬a&千里ay) 38CP
1 (ア)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)} 9UI
(ⅱ)
1 (1)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)} A
1 (2) 馬a→∃y(馬a&千里ay) 1UE
3 (3) 馬a A
13 (4) ∃y(馬a&千里ay) 23MPP
5(5) 馬a&千里ab A
5(6) 千里ab 5&E
5(7) ∃y(千里ay) 6EI
13 (8) ∃y(千里ay) 457EE
1 (9) 馬a→∃y(千里xy) 38CP
1 (ア) ∀x{馬x→∃y(千里xy)} 9UI
従って、
(41)
(ⅰ)∀x{馬x→ ∃y(千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、xの千里である。
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(42)
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
といふことは、
(ⅱ)「馬の集合」の中には、「千里の馬」が、「必ずゐる」。
といふ「意味」である。
然るに、
(43)
(ⅱ)「馬の集合」の中には、「千里の馬」が、「必ずゐる」。
といふことは、
(ⅱ)千里の馬は、常に有る。
といふことである。
然るに、
(44)
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
とするよりも、
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(千里馬y)} =すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬である。
とする方が、「簡単(計算が楽)」なので、以下では、
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(千里馬y)} =すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬である。
であると、する。
従って、
(28)(41)(44)により、
(45)
④ 千里馬常有而伯楽不常有=
④ 千里馬常有而伯楽不(常有)⇒
④ 千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)=
④ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
(46)
「漢文」は、もともと、「人工言語」であるものの、「漢文の文法」は、「語順」だけである。と言っても、「言ひ過ぎ」ではない。
従って、
(47)
「漢文」には、「ギリシャ語や、ラテン語や、エスペラント」のやうな「文法」が「一切、皆無」である。
cf.
漢語におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢語の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁)。
然るに、
(48)
「述語論理」にも、「ギリシャ語や、ラテン語や、エスペラント」のやうな「文法」が、「皆無」である。
それ故、
(49)
蓋し、「述語論理」に、「最も近い言語」は、「漢文」であるに、違ひない。
従って、
(50)
「漢文」に興味がある私は、「その勢ひ」として、「述語論理」にも、興味を持つことなる。
それ故、
(51)
「然るべき、漢文」に関しては、どうしても、「述語論理」に訳したくなるものの、そのやうなことをしてゐると、せっかく買った、「Word2019」の勉強を、いつまで経っても、始めることが出来ず、そのことが、今現在の、「最大の悩み」になってゐる。
(01)
{a、b、c}が「変域(ドメイン)」であるとき、
① ~∀x( Fx)=~(Fa&Fb&Fc)
然るに、
(02)
「ド・モルガンの法則」により、
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(03)
② ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
② ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
③ ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(06)
「ド・モルガンの法則と、二重否定」により、
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(07)により、
(08)
⑤ ∀x( ~Fx)= ( ~Fa& ~Fb& ~Fc)
⑥ ~∃x(~~Fx)=~(~~Fa∨~~Fb∨~~Fc)
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(09)
「二重否定」により、
⑤ ∀x( ~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x( Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
従って、
(04)(07)(09)により、
(10)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
② ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
③ ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
⑤ ∀x(~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x( Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
に於いて、
①=② であって、
③=④ であって、
⑤=⑥ であるものの、このこと他を、「量化子の関係」と言ふ。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
3(3) ~(馬喰a→ 伯楽a) A
3(4) ~(~馬喰a∨ 伯楽a) 3含意の定義
3(5) ~~馬喰a& ~伯楽a 4ド・モルガンの法則
3(6) 馬喰a& ~伯楽a 5DN
3(7)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 6EI
1 (8)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)∃x(馬喰x& ~伯楽x) A
2(2) 馬喰a& ~伯楽a A
2(3)~~(馬喰a& ~伯楽a) 2DN
2(4)~(~馬喰a∨~~伯楽a) 3ド・モルガンの法則
2(5)~(~馬喰a∨ 伯楽a) 4DN
2(6) ~ 馬喰a→ 伯楽a) 5含意の定義
2(7)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 6EI
1 (8)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 127EE
1 (9)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) 8量化子の関係
(12)
(ⅲ)
1(1) ∀x(馬喰x→~伯楽x) A
1(2) 馬喰a→~伯楽a 1UE
1(3) ~馬喰a∨~伯楽a 2含意の定義
1(4) ~(馬喰a& 伯楽a) 3ド・モルガンの法則
1(5) ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 4UI
1(6)~∃x~~(馬喰x& 伯楽x) 4量化子の関係
1(7) ~∃x(馬喰x& 伯楽x) 6DN
(ⅳ)
1(1) ~∃x(馬喰x& 伯楽x) A
1(2) ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 1量化子の関係
1(3) ~(馬喰a& 伯楽a) 2UE
1(4) ~馬喰a∨~伯楽a 3ド・モルガンの法則
1(5) 馬喰a→~伯楽a 4含意の定義
1(6) ∀x(馬喰x→~伯楽x) 5UI
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
③ ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(14)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)= (~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=~( 伯楽a∨ 伯楽b∨ 伯楽c)
である。
従って、
(14)により、
(15)
「ドモルガンの法則」により、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
然るに、
(16)
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、 ( 伯楽a& 伯楽b& 伯楽c)
であれば、「偽」であるが、 ( 伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
であれば、「真」である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、
② 馬喰aは伯楽である。
② 馬喰bは伯楽ではない。
② 馬喰cも伯楽ではない。
といふ場合に於いて、「真」である。
従って、
(18)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
② 三人の内の、一人は伯楽であり、他の二人は伯楽でない。
のであれば、その場合は、「真」である。
従って、
(19)
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
②「部分否定」である。
従って、
(13)(19)により、
(20)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
に於いて、
①=② は、「部分否定」である。
然るに、
(15)により、
(21)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
であれば、
④ 三人の内の、三人とも伯楽でない。
ならば、そのときに限って、「真」である。
従って、
(13)(21)により、
(22)
③ ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
③=④ は、「全部否定」である。
然るに、
(23)
①「有」は「他動詞的」であって、
②「在」は「自動詞的」である。
従って、
(23)により、
(24)
① 伯楽不常有。
② 伯楽不常在。
であれば、
① よりも、
② の方が、分かり易い。
然るに、
(25)
「不二常~一」「常ニハ~ず」と読み、「いつも~とはかぎらない」の意を示す一部否定の形。全部否定は「常不二~一」の形で「常に~ず」と読み、「いつもからなず~ない」の意を表す。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、155頁)
然るに、
(26)
① 伯楽不常有=
① 伯楽不(常有)=
① 伯楽(常有)不⇒
① 伯楽は(常には有)ず。
(27)
③ 伯楽常不有=
③ 伯楽常不(有)⇒
③ 伯楽常(有)不=
③ 伯楽は常に(有ら)ず。
従って、
(20)(22)(25)(26)(27)により、
(28)
① 伯楽不常有=伯楽は常には有ず。
といふ「漢文・訓読」は、それぞれ、
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
といふ「述語論理・訓読」に対応し、
③ 伯楽常不有=伯楽は常に有ず。
といふ「漢文・訓読」は、
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
といふ「述語論理・訓読」に対応する。
然るに、
(29)
因みに言ふと、
① 伯楽不常有。
といふ「漢文」は、
① 伯楽不常有=
① 伯楽不〔常(有)〕⇒
① 伯楽〔(有)常〕不=
① 伯楽は〔(有ること)常なら〕ず。
といふ風に、読むことも、可能であるし、
③ 伯楽常不有。
といふ「漢文」は、
③ 伯楽常不有=
③ 伯楽常〔不(有)〕⇒
③ 伯楽〔(有)不〕常=
③ 伯楽は〔(有ら)ざること〕常なり。
といふ風に、読むことも、可能であり、この方が、分かり易い。
cf.
原田種臣、私の漢文講義、1995年、56頁。
(30)
(ⅰ)
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
3(3) ~(馬喰a→ 伯楽a) A
3(4) ~(~馬喰a∨ 伯楽a) 3含意の定義
3(5) ~~馬喰a& ~伯楽a 4ド・モルガンの法則
3(6) 馬喰a& ~伯楽a 5DN
3(7)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 6EI
1 (8)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)∃x(馬喰x& ~伯楽x) A
2(2) 馬喰a& ~伯楽a A
2(3)~~(馬喰a& ~伯楽a) 2DN
2(4)~(~馬喰a∨~~伯楽a) 3ド・モルガンの法則
2(5)~(~馬喰a∨ 伯楽a) 4DN
2(6) ~ 馬喰a→ 伯楽a) 5含意の定義
2(7)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 6EI
1 (8)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 127EE
1 (9)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) 8量化子の関係
といふ「計算」は、
(ⅰ)
1 (1)不常x(馬喰x則 伯楽x) A
1 (2)有x不(馬喰x則 伯楽x) 1量化子の関係
3(3) 不(馬喰a則 伯楽a) A
3(4) 不(不馬喰a若 伯楽a) 3含意の定義
3(5) 不不馬喰a且 不伯楽a 4ド・モルガンの法則
3(6) 馬喰a且 不伯楽a 5DN
3(7)有x(馬喰x且 不伯楽x) 6EI
1 (8)有x(馬喰x且 不伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)有x(馬喰x且 不伯楽x) A
2(2) 馬喰a且 不伯楽a A
2(3)不不(馬喰a且 不伯楽a) 2DN
2(4)不(不馬喰a若不不伯楽a) 3ド・モルガンの法則
2(5)不(不馬喰a若 伯楽a) 4DN
2(6) 不 馬喰a則 伯楽a) 5含意の定義
2(7)有x不(馬喰x則 伯楽x) 6EI
1 (8)有x不(馬喰x則 伯楽x) 127EE
1 (9)不常x(馬喰x則 伯楽x) 8量化子の関係
といふ風に、書いても、構はない。
(31)
1 (1)不常x(馬喰x則 伯楽x) A
1 (2)有x不(馬喰x則 伯楽x) 1量化子の関係
であれば、
1 (1)xが馬喰であるならば、則ち、xが伯楽である。といふことは、常にさうである。といふわけではない。 A
1 (2)有るxが馬喰であるならば、則ち、xが伯楽である。といふわけではない。 1量化子の関係
といふ風に、読めるため、
1 (1)不常x(馬喰x則 伯楽x) A
1 (2)有x不(馬喰x則 伯楽x) 1量化子の関係
よりも、
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
といふ「記号」の方が、「優れてゐる」といふことには、ならない。
(01)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
は、「孟子、梁惠王章句下」である。
従って、
(01)により、
(02)
④ 君子以其所以養人者不害人=
④ 君子以[其所‐以〔養(人)〕者]不〔害(人)〕⇒
④ 君子[其〔(人)養〕所‐以者]以〔(人)害〕不=
④ 君子は[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て〔(人を)害せ〕ず。
は、「孟子、梁惠王章句下」ではない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「(137)「君子不以其所以養人者害人」等の「不」について。」でも、書いたと思ふものの、
① 君子不以其所以養人者害人。
④ 君子以其所以養人者不害人。
に対する「訓読」は、「両方」とも、
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
④ 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
であるものの、「漢文」としては、
①=④ では、決してない。
(04)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子→~(以其所‐以養人者&害人)。
であって、
④ 君子以其所以養人者不害人=
④ 君子→以其所‐以養人者&~(害人)。
であるため、
① に対しては、「ド・モルガンの法則、含意の定義、交換法則」を適用することが、出来るものの、
④ に対しては、「ド・モルガンの法則、含意の定義、交換法則」を適用することが、出来ない。
すなはち、
(05)
④ ではなく、
① であれば、
1 (1)君子→~(以其所‐以養人者&害人) A
2(2)君子 A
12(3) ~(以其所‐以養人者&害人) 12MPP
12(4) ~以其所‐以養人者∨~害人 3ド・モルガンの法則
12(5) 以其所‐以養人者→~害人 4含意の定義
1 (6)君子→(以其所‐以養人者→~害人) 25CP
12(7) ~害人∨~以其所‐以養人者 4交換法則
12(8) 害人→~以其所‐以養人者 7含意の定義
1 (9)君子→(害人→~以其所‐以養人者) 28CP
である。
従って、
(05)により、
(06)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子→~(以其所‐以養人者&害人)。
② 君子→(以其所‐以養人者→~害人)。
③ 君子→(害人→~以其所‐以養人者)。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)により、
(07)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
① 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
といふ「漢文・訓読」は、
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のためにするならば、その時は、人々を害さない。
③ 君子であるならば、人々を害するのであれば、その時は、彼が人々を養ふための所以である土地のためにしない。
といふ「意味」である。
cf.
其の=his=君子の。
然るに、
(08)
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のためにするならば、その時は、人々を害さない。
③ 君子であるならば、人々を害するのであれば、その時は、彼が人々を養ふための所以である土地のためにしない。
といふことは、
① 君子であること、と、
② 彼が、人々を養ふための所以である土地のためにしつつ、人々を害すること、と、
は、「両立しない」。
といふ、意味」である。
然るに、
(09)
ここに至って大王は都の長老を集めて告げました、『蛮族が欲しがっているのは、わが国の土地だ。余はこう聞いている。君子は人々の生活する元(つまり土地)をめぐって争い人命を損ねたりはしない、と。諸君、君主がいなくなっても憂うな。余はこれからこの都を去って、梁山を越え岐山のふもとへ拠点を作って落ちのびようと思う。』と(十五 - 孟子を読む)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
③ 大王は、君子であったため、それまで住んでゐた「土地」を「放棄」しなければ、人々を害することになると判断して、その「土地」を「放棄」した。
といふ、ことになる。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1) ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)} A
1 (2) ∀y{君ay&人ya→~∃z(養zy&害zy&所zay) 1UE
1 (3) {君ab&人ba→~∃z(養zb&害zb&所zab) 2UE
4 (4) 君ab&人ba A
14 (5) ~∃z(養zb&害zb&所zab) 34MPP
14 (6) ∀z~(養zb&害zb&所zab) 5量化子の関係
14 (7) ~(養cb&害cb&所cab) 6UE
1 (8) 君ab&人ba→ ~(養cb&害cb&所cab) 47CP
9 (9) 君ab&人ba A
ア(ア) (養cb&害cb&所cab) A
1 9 (イ) ~(養cb&害cb&所cab) 89MPP
1 9ア(ウ) (養cb&害cb&所cab)&~(養cb&害cb&所cab) アイ&I
1 ア(エ) ~(君ab&人ba) 9ウRAA
1 (オ) (養cb&害cb&所cab)→~(君ab&人ba) アエCP
1 (カ) ∀y{(養cy&害cy&所cay)→~(君ay&人ya)} オUI
1 (キ) ∀x∀y{(養cy&害cy&所cxy)→~(君xy&人yx)} カUI
1 (ク)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)} キUI
(ⅱ)
1 (1)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)} A
1 (2) ∀x∀y{(養cy&害cy&所cxy)→~(君xy&人yx)} 1UE
1 (3) ∀y{(養cy&害cy&所cay)→~(君ay&人ya)} 2UE
1 (4) (養cb&害cb&所cab)→~(君ab&人ba) 3UE
5 (5) ∃z(養zb&害zb&所zab) A
6 (6) (養cb&害cb&所cab) A
7(7) (君ab&人ba) A
1 6 (8) ~(君ab&人ba) 46MPP
1 67(9) (君ab&人ba)&~(君ab&人ba) 78&I
15 7(ア) (君ab&人ba)&~(君ab&人ba) 569EE
1 7(イ) ~∃z(養zb&害zb&所zab) 5アRAA
1 (ウ) 君ab&人ba→~∃z(養zb&害zb&所zab) 7イCP
1 (エ) ∀y{君ay&人ya→~∃z(養zy&害zy&所zay)} ウUI
1 (オ) ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)} エUI
従って、
(11)により、
(12)
(ⅰ) ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)}
(ⅱ)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)すべてのxとyについて、xがyの君子であって、yがxの人民であるならば、あるzが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以である。といふことはない。
(ⅱ)すべてのzとxとyについて、zがyを養ひ、zがyを害ふ、xとyの所以であるならば、xがyの君子であって、yがxの人民である。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(14)
(ⅰ)すべてのxとyについて、xがyの君子であって、yがxの人民であるならば、あるzが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以である。といふことはない。
(ⅱ)すべてのzとxとyについて、zがyを養ひ、zがyを害ふ、xとyの所以であるならば、xがyの君子であって、yがxの人民である。といふことはない。
といふことは、
(ⅲ)xがyの君子で、yがxの人民であること。
(ⅳ)zが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以(理由・目的・手段)であること。
に於いて、
(ⅲ)と(ⅳ)は、「両立しない」。
といふ、「意味」である。
従って、
(08)(14)により、
(15)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
① 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
といふ「漢文・訓読」は、
② ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)}。
③ ∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)}。
といふ「述語論理」に、相当する。
―「先ほどの記事(192)」の「続き」を書きます。―
従って、
(01)~(22)により、
(23)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
① いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
といふ「三通リの述語論理」に、対応する。
然るに、
(24)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
ではなく、
② 今両虎共闘、其勢倶不生。
② 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱に生きず。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅳ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(~生x&~生y)}
といふ「述語論理」に、対応する。
然るに、
(25)
① 不倶生=~(生a& 生b)
② 倶不生=(~生a&~生b)
に於いて、
① を、「部分否定」と言ひ、
② を、「全部否定」と言ふ。
然るに、
(26)
「ド・モルガンの法則」により、
① 不倶生=~(生a& 生b)
とは、すなはち、
① 不倶生=(~生a∨~生b)
である。
然るに、
(21)により、
(27)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
② 倶不生=(~生a&~生b)=(aは生きず、bも生きない。)
に於いて、
① と ② は、「矛盾」しない。
従って、
(25)(27)により、
(28)
①「部分否定」と、
②「全部否定」は、「矛盾」しない。
然るに、
(29)
① 不倶生= ~(生a&生b)
の「否定」を、
③ ~不倶生=~~(生a&生b)
と書くならば、「二重否定(DN)」により、
③ 倶生= (生a&生b)
である。
従って、
(27)(29)により、
(30)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
③ 倶生=( 生a& 生b)=(aは生き、bも生きる。)
に於いて、
① と ③ は、「矛盾」する。
然るに、
(31)
(ⅳ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UE
4 (4) 生a&生b A
4 (5) ~~(生a&生b) 4DN
14 (6) ~(虎a&虎b&闘ab) 45MTT
14 (7) ~虎a∨~虎b∨~闘ab 6ド・モルガンの法則
14 (8) (~虎a∨~虎b)∨~闘ab 7結合法則
9 (9) (~虎a∨~虎b) A
9 (ア) ~~(~虎a∨~虎b) 9DN
9 (イ) ~(~~虎a&~~虎b) ア、ド・モルガンの法則
9 (ウ) ~(虎a&虎b) イDN
9 (エ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab ウ∨I
オ(オ) ~闘ab オ
オ(カ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab オ∨I
14 (キ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab 89エオカ∨E
14 (ク) 虎a&虎b →~闘ab ク含意の定義
1 (ケ) 生a&生b→(虎a&虎b→~闘ab) 4クCP
1 (コ) ∀y{生a&生y→(虎a&虎y→~闘ay)} ケUI
1 (サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} コUI
従って、
(31)により、
(32)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を得る。
従って、
(32)により、
(33)
(1)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)すべてのxとすべてのyについて、xが生きて、 yも生きて、 xが虎であり、yも虎であらならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
然るに、
(34)
(a)
今両虎共闘、其勢不俱生。
吾所以為此者、先国家之急而後私讎也。
廉頗聞之、肉袒負荊、至門謝罪、遂為刎頸之交。
(b)
今両虎共闘、其勢不(俱生)。
吾所⁻以〔為(此)〕者、先(国家之急)而後(私讎)也。
廉頗聞(之)、肉袒負(荊)、至(門)謝(罪)、遂為(刎頸之交)。
(c)
今両虎共闘、其の勢ひ(俱には生き)不。
吾の〔(此を)為す〕所⁻以の者は、(国家の急を)先にして(私讎を)後にすればなり。
廉頗(之を)聞き、肉袒して(荊を)負ひ、(門に)至(罪り)謝し、遂に(刎頸の交はりを)為す。
(d)
今、我々(二頭の虎に譬へる)が争ったならば、成り行きとして、二人の内の、少なくとも一人が、死ななければならない。
私がこれ(廉将軍からの逃げ隠れ)をするの理由は、国家を、危難から救ふことを先にして、個人的な恨みを後回しにするからである。
廉将軍はこの話を聞いて、裸の上半身にムチを背負ひ、門に来て謝り、ついに、刎頸の友となった〔十八史略、刎頸之交〕。
従って、
(31)~(34)により、
(35)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」、すなはち、
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を、すなはち、
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
従って、
(27)(30)(31)(35)により、
(37)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
② 倶不生=(~生a&~生b)=(aは生きず、bも生きない。)
③ 倶生=( 生a& 生b)=(aは生き、bも生きる。)
に於いて、たしかに、
① の「否定」は、② ではなく、
① の「否定」は、③ である。
―「記事(191)」を書き直します。―
(01)
今両虎共闘、其勢不倶生。
今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
(02)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UI
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UI
4 (4) 生a&生b A
4 (5) ~~(生a&生b) 4DN
14 (6) ~(虎a&虎b&闘ab) 34MTT
14 (7) ~虎a∨~虎b∨~闘ab 7ド・モルガンの法則
14 (8) (~虎a∨~虎b)∨~闘ab 8結合法則
9 (9) (~虎a∨~虎b) A
9 (ア) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) 9∨I
イ (イ) ~闘ab A
イ (ウ) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) イ∨I
14 (エ) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) 89アイウ∨E
14 (オ) 闘ab→(~虎a∨~虎b) エ含意の定義
1 (カ) 生a&生b→闘ab→(~虎a∨~虎b) 4オCP
キ(キ) 闘ab&生a&生b A
キ(ク) 闘ab&(生a&生b) キ結合法則
キ(ケ) 生a&生b ク&E
1 キ(コ) 闘ab→(~虎a∨~虎b) カケMPP
キ(サ) 闘ab ク&E
1 キ(シ) (~虎a∨~虎b) コサMPP
1 (ス) 闘ab&生a&生b→(~虎a∨~虎b) キシCP
1 (セ) ∀y{闘ay&生a&生y→(~虎a∨~虎y)} スUI
1 (ソ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)} セUI
(ⅱ)
1 (1)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)} A
1 (2) ∀y{闘ay&生a&生y→(~虎a∨~虎y)} 1UE
1 (3) 闘ab&生a&生b→(~虎a∨~虎b) 2UE
4 (4) 虎a& 虎b A
4 (5) ~~(虎a& 虎b) 4DN
4 (6) ~(~虎a∨~虎b) 5ド・モルガンの法則
14 (7) ~(闘ab&生a&生b) 36MTT
14 (8) ~闘ab∨~生a∨~生b 5ド・モルガンの法則
14 (9) ~闘ab∨(~生a∨~生b) 8結合法則
14 (ア) 闘ab→(~生a∨~生b) 9含意の定義
1 (イ) 虎a&虎b→闘ab→(~生a∨~生b) 4アCP
ウ (ウ) 虎a&虎b&闘ab A
ウ (エ) (虎a&虎b)&闘ab ウ結合法則
ウ (オ) 虎a&虎b エ&E
1 ウ (カ) 闘ab→(~生a∨~生b) イオMPP
ウ (キ) 闘ab エ&E
1 ウ (ク) (~生a∨~生b) カキMPP
1 (ケ) 虎a&虎b&闘ab→(~生a∨~生b) ウクCP
1 (コ) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(~生a∨~生y)} ケUI
1 (サ)∀x∀y{虎a&虎y&闘ay→(~生a∨~生y)} コUI
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y) 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UE
4 (4) 虎a&虎b&闘ab A
14 (5) ~(生a&生b) 34MPP
14 (6) ~生a∨~生b 5ド・モルガンの法則
14 (7) 生a→~生b 6含意の定義
8 (8) ~生a A
8 (9) ~生b∨~生a 8∨I
ア(ア) ~生b A
ア(イ) ~生b∨~生a ア∨I
14 (ウ) ~生b∨~生a 689アイEE
14 (エ) 生b→~生a ウ含意の定義
14 (オ) (生a→~生b)&(生b→~生a) 7エ&I
1 (カ) 虎a&虎b&闘ab→(生a→~生b)&(生b→~生a) 4オCP
1 (キ) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(生a→~生y)&(生y→~生a)} カUI
1 (ク)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)} キUI
(ⅲ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(生a→~生y)&(生y→~生a)} 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→(生a→~生b)&(生b→~生a) 2UE
4 (4) 虎a&虎b&闘ab A
14 (5) (生a→~生b)&(生b→~生a) 34MPP
14 (6) 生a→~生b 5&E
14 (7) ~生a∨~生b 6含意の定義
14 (8) ~(生a&~生b) 7ド・モルガンの法則
1 (9) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 48CP
1 (ア) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y) 9UI
1 (イ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} アUI
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅲ)であり、
(ⅲ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
従って、
(04)(07)により、
(08)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) であって、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
(ⅲ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
然るに、
(11)
「PまたはQ」に対する真理値の割り当てを「排他的または」に対して行うと、二つの命題PとQのどちらか一つだが真のときに限って、「PまたはQ」が真になるに対し、「包含的または」に対して行うと、二つの命題PとQのどちらか一つか、あるいは、二つが真のときに「PまたはQ」が真になる。― 中略 ―、命題論理は、「包含的または」の方を採用しており、「真理表」にもそれが反映されている(早川書房、「不可能、不確定、不完全、」、2011年、207頁改)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
に於いて、
(ⅱ)~虎x∨~虎y
(ⅱ)xは虎でないか、または、yは虎でない。
である。といふことは、
① 両方とも、虎でない。
② どちらか一方が、虎でない。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(13)
① xとyの両方が、非力ではあるが、丈夫であるとすれば、xとy同士が闘ったとしても、xとyは、両方とも、死なない。
然るに、
(14)
有衆逐虎。虎負嵎。莫之敢攖。望見馮婦、趨而迎之。
有(衆)逐(虎)。虎負(嵎)。莫(之敢攖。望‐見(馮婦)、趨而迎(之)。
(衆)有り(虎を)逐ふ、虎(嵎を)負ふ。(之に敢へて攖る)莫し。(馮婦を)望‐見し、趨りて(之を)迎ふ。
人々が虎を追いかけてゐた。虎は山を背にして構へた。誰にも虎に近づく勇気が無かった。馮婦が遠くに見えたので、人々は走って行き、彼を迎へた(孟子、盡心章句下)。
でいふ、馮婦といふ男は、虎と素手で闘って、虎を生け捕りにすることが、出来る。
従って、
(14)により、
(15)
② xが馮婦であり、yが虎であるならば、xとyが闘っても、xは、虎を生け捕りできるため、xとyは、両方とも生きてゐる。
従って、
(13)(15)により、
(16)
① xとyの両方が、非力ではあるが、丈夫であるとすれば、xとy同士が闘ったとしても、xとyは、両方とも、死なない。
② xが馮婦であり、yが虎であるならば、xとyが闘っても、xは、虎を生け捕りできるため、xとyは、両方とも生きてゐる。
従って、
(12)(16)により、
(17)
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
に於いて、「不都合」は無い。
然るに、
(18)
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)}
(ⅲ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
に於いて、
(ⅲ)(生x→~生y)&(生y→~生x)
(ⅲ)xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
といふのであれば、
(ⅲ)xとyの、どちらか一方だけが生きる(どちらか一方だけが死ぬ)。
といふ風に、思はれるかも、知れない。
しかしながら、
(19)
③(生x→~生y)=xが生きるならば、yは生きず。
④(生y→~生x)=が生きるならば、xは生きない。
に於いて、
③ の「対偶」が ④ であり、
④ の「対偶」が ③ であるため、
③ とは、④ であって、
④ とは、③ である。
然るに、
(20)
「含意の定義」により、
③(生x→~生y)=(~生x∨~生y)
である。
然るに、
(11)により、
(21)
③(~生x∨~生y)=(xは生きないか、またはyは生きない。)
④(~生x&~生y)=(xは生きず、yも生きない。)
に於いて、
③ と ④ は、「矛盾」しない。
従って、
(18)~(21)により、
(22)
(ⅲ)(生x→~生y)&(生y→~生x)
(ⅲ)xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
といふのであれば、
(ⅲ)xとyの、どちらか一方だけが生きる(どちらか一方だけが死ぬ)。
といふ風に、思はれるかも、知れないが、「論理学的」には、さうではない。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
① いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
といふ「三通リの述語論理」に、対応する。
(01)
わずか一尺の土地でも紂王の領地でないところはないし、また一人の人民でも紂王の家来でないものはなかった。ところが、一方文王は〔いかに聖人といえ〕わずか百里四方の小さい土地(諸侯)から勃興したのであるから、天下の王者となることはきわめて困難であったのは当然である(孟子、公孫丑章句上、小林勝人 訳)。
(02)
1 (1)∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]} A
1 (2) 民a→∃y[王ya&∀z(王za→z=y)] 1UE
3 (3) 民a A
13 (4) ∃y[王ya&∀z(王za→z=y)] 23MPP
5 (5) 王ba&∀z(王za→z=b) A
5 (6) 王ba 5&E
5 (7) ∀z(王za→z=b) 5&E
5 (8) 王ca→c=b 7UE
9 (9)∃y∃z(紂y&文z&y≠z) A
ア (ア) ∃z(紂b&文z&b≠z) A
イ(イ) 紂b&文c&b≠c A
イ(ウ) 紂b&文c イ&E
イ(エ) 文c イ&E
イ(オ) b≠c イ&E
5 イ(カ) ~王ca 8オMTT
5 イ(キ) 文c&~王ca オカ&I
5 イ(ク) ∃z(文z&~王za) キEI
5 ア (ケ) ∃z(文z&~王za) アイクEE
59 (コ) ∃z(文z&~王za) 9アケEE
13 9 (サ) ∃z(文z&~王za) 45コEE
1 9 (シ) 民a→∃z(文z&~王za) 3サCP
1 9 (ス)∀x{民x→∃z(文z&~王zx) シUI
cf.
「=」の「否定」を「≠」と書いて、「≠」の「否定」を、「=」と書くことにします。
従って、
(02)により、
(03)
(1)すべてのxについて、xが民であるならば、あるyはxの王であって、すべてのzについて、zがxの王であるならば、zはyと同一人物である。 と「仮定」し、
(9)あるyは紂であり、あるzは文であり、yとzは、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべてのxについて、xが民であるならば、あるzは文であり、zはxの王ではない。 といふ『結論』を、得る。
従って、
(03)により、
(04)
(1)すべての民が、紂を王とし、紂以外に、民の王がゐない。 と「仮定」し、
(9)紂と文は、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべての民の王は、文ではない。 といふ『結論』を、得る。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 一民莫非其臣也=
① 一民莫〔非(其臣)〕也=
① 一民〔(其臣)非〕莫也=
① 一民も〔(其の臣)非ざる〕莫きなり=
① 一人の民も其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
といふ「漢文訓読」は、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(06)
② 莫民非其臣也=
② 莫〔民非(其臣)〕也⇒
② 〔民(其臣)非〕莫也=
② 〔民にして(其の臣に)非ざる〕莫きなり=
② 民であって、其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
といふ「漢文」も、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 一民莫非其臣也。
② 莫民非其臣也。
といふ「漢文」は、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
cf.
② 無物不有 =物として有らざるはなし。
といふ「漢文」がある以上、
② 莫民非其臣=民にして其の臣に非ざるはなし。
といふ「漢文」も、有り得るものと、考へます。
―「記事(183)」を書き直します。―
(01)
未
読み方:いまダ~ず
訳:まだ~ない
再読文字とは、返り点に関係なくまず副詞として読み、その後、返り点に従って、下から戻って動詞・助動詞として読む漢字のことです。
(ViCOLLA Magazine 改)
然るに、
(02)
never[副詞]
《ne「・・・でない+ever「かつて」》
① 一度も・・・ない。いまだかつて・・・ない。
② 決して・・・ない。少しも・・・ない。
(フェイバリット英和辞典、1996年)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① I have never been to New York.⇔
① 私は未だかつてニューヨークに行ったことがない。
に於ける、
① never=未だかつて・・・ない。
は、「英語の、再読文字(未)」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
「再読文字」自体が、「不自然な読み方」である。といふわけではない。
(05)
① 未有仁而遺其親者也=
① 未不[有〔仁而遺(其親)者〕]也⇒
① 未[〔仁而(其親)遺者〕有]不也=
① 未だ仁にして其の親を遺つる者は有らざるなり=
① 昔から仁に志すもので親をすてさったものは一人もいない(孟子・梁惠王章句上、小林勝人 訳)。
然るに、
(06)
① 昔から仁に志すもので親をすてさったものは一人もいない。
といふことは、
① 仁者であって、自分の親を遺棄する者はゐない。
といふことである。
然るに、
(07)
① 仁者であって、自分の親を遺棄する者はゐない。
といふことは、
① ∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)}⇔
① すべてのxについて、xが仁者であるならば、あるyはxの親であって、xがyを遺棄するといふ、そのやうなyは存在しない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1 (1)∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)} A
1 (2) 仁a→~∃y(親ya&遺ay) 1UE
3 (3) 仁a A
13 (4) ~∃y(親ya&遺ay) 23MPP
13 (5) ∀y~(親ya&遺ay) 4量化子の関係
13 (6) ~(親ba&遺ab) 5UE
13 (7) ~親ba∨~遺ab 6ド・モルガンの法則
13 (8) 親ba→~遺ab 7含意の定義
13 (9) ∀y(親ya→~遺ay) 8UI
1 (ア) 仁a→∀y(親ya→~遺ay) 39CP
1 (イ)∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)} アUI
(ⅱ)
1 (1)∀x{仁x→∀y(遺xy→~親yx)} A
1 (2) 仁a→∀y(遺ay→~親ya) 1UE
3 (3) 仁a A
13 (4) ∀y(遺ay→~親ya) 23MPP
13 (5) 遺ab→~親ba 4UE
13 (6) ~遺ab∨~親ba 5含意の定仁
13 (7) ~(遺ab& 親ba) 6ド・モルガンの法則
13 (8) ∀y~(遺ab& 親ba) 7UI
13 (9) ~∃y(遺ay& 親ya) 8量化子の関係
1 (ア) 仁a→~∃y(遺ay&親ya) 39CP
1 (イ)∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy) アUI
従って、
(08)により、
(09)
① ∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)}
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(07)(09)により、
(10)
① 仁者であって、自分の親を遺棄する者はゐない。
といふことは、
① ∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)}⇔
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}⇔
① すべてのxについて、xが仁者であるならば、あるyはxの親であって、xがyを遺棄するといふ、そのやうなyは存在しない。
② すべてのxについて、xが仁者であるならば、すべてのyについて、yがxの親であるならば、xはyを遺棄しない。
といふことに、他ならない。
従って、
(10)により、
(11)
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}⇔
② すべてのxについて、xが仁者であるならば、すべてのyについて、yがxの親であるならば、xはyを遺棄しない。
といふ「述語論理」は、
② すべてのxについて、・・・・・・、xは、・・・しない。
といふ「形」をしてゐる。
然るに、
(11)により、
(12)
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}
に於いて、
② ∀x
といふ「 量化子 」は、「二度、読まれてゐて、二度目に、否定で、文を終へてゐる。」
然るに、
(01)(05)により、
(13)
① 未だ仁にして其の親を遺つる者は有らず。
に於いて、
① 未だ
といふ「再読文字」は、「二度、読まれてゐて、二度目に、否定で、文を終へてゐる。」
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 未だ仁にして其の親を遺つる者は有らず。
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}
に於いて、
「再読文字と量化子」は、「二度、読まれてゐて、二度目に、否定で、文を終へてゐる。」
従って、
(14)により、
(15)
① 未だ仁にして其の親を遺つる者は有らず。
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}
に於いて、
① 未だ の「働き」と、
② ∀x の「働き」は、「似てゐる。」
従って、
(01)(14)(15)により、
(16)
② ∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}
に於ける、
② ∀x
といふ「量化子」は、「再読文字」ではないにせよ、「再読文字的」である。
―「今日の午前の記事(178)」の「続き」を書きます。―
従って、
(05)~(13)により、
(14)
いづれにせよ、
① 虎求百獸而食之得狐。⇔
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。⇔
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。⇔
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文(人工言語)の全体」を、「述語論理(人工言語)」に「翻訳」することは、出来ない。
従って、
(14)により、
(15)
「漢文(人工言語)」の「表現力」は、「述語論理(人工言語)」の、「上を行く」。
然るに、
(16)
例へば、
漢丞相亮、率諸軍北伐魏。
臨發上疏曰、
今天下三分、益州疲弊。
此危急存亡之秋也。
宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。
宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。
若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。
親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。
親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。
・・・・・・・・
といふ「漢文(諸葛亮、出師表)」を読むとき、「私は感動」する。
然るに、
(17)
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
といふ「述語論理」を読んでも、「私は感動」しない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「私よりも、壱萬倍賢いAI」が、「すべての漢文」を、「述語論理語(等の論理語)」に「翻訳」出来たとしても、おそらく私は、「その論理語」を読んでも、「理解」出来ないし、「感動」しない。
従って、
(18)により、
(19)
私とAIが、「同じ心」を持つことは、おそらくは、有り得ない。
従って、
(20)
AIが、『私のやうな人間と、同じ心』を持つことは、有り得ない。
(01)
孔子曰天無二日、民無二王。
孔子曰く、天に二つの太陽は無く、民に二人の王は無い(孟子、萬章章句上)。
(02)
(ⅰ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) ∀y(Fy) A
7(8) Fb 7UE
37(9) Fa&Fb 38&I
137(ア) a=b 69MPP
13 (イ) Fb→a=b 8アCP
13 (ウ) ∀y(Fy→a=y) イUI
13 (エ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3ウ&I
13 (オ)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} エEI
1 (カ)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13オEE
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ) ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y( Fy→x=y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)である。
然るに、
(04)
任意の名前が、結論Cの中に現れてはならないという理由を知るためには、そうでなければ、
あるものがFをもつという仮定から、すべてのものがFをもつということが証明されるであろうということを考えれば十分である。
1 (1)∃xFx A
2(2) Fa A
1 (3) Fa 122EE
1 (4)∀xFx 2UI
UIの適用は正しい。 なぜならば、1はaを含んでいないからである。しかし、
EEの適用は正しくない。なぜならば、問題になる結論、ここでは、
1 (3) Fa 122EE
において、 a をふくんでいるからである。
あるものがFをもっていることから、任意に選ばれた対象がFをもつということは帰結しない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、147頁改)
然るに、
(05)
(ⅱ)
1 (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
1 (5) ∀y(Fy→a=y) 124EE
1 (6) ∀x∀y(Fy→x=y) 5UI
2 (7)∃xFx 3EI
1 (8)∃xFx 127EE
1 (9)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 68&I
UIの適用は正しい。 なぜならば、1はaを含んでいないからである。しかし、
EEの適用は正しくない。なぜならば、問題になる結論、ここでは、
1 (5) ∀y(Fy→a=y) 124EE
において、 a をふくんでいるからである。
従って、
(04)(05)により、
(06)
(ⅱ)
1 (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
1 (5) ∀y(Fy→a=y) 124EE
1 (6) ∀x∀y(Fy→x=y) 5UI
2 (7)∃xFx 3EI
1 (8)∃xFx 127EE
1 (9)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 68&I
といふ「述語計算」は、「正しくない」。
(02)~(06)により、
(07)
(ⅰ) ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y( Fy→x=y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であるが、
(ⅱ)ならば(ⅰ)ではない。
然るに、
(08)
(ⅱ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
2 (6) ~Fb∨a=b 5含意の定義
2 (7) ~~(~Fb∨a=b) 6DN
2 (8) ~(~~Fb&a<>b) 7ド・モルガンの法則
2 (9) ~(Fb&a<>b) 8DN
ア (ア) ∃y(Fy&a<>y) A
イ(イ) (Fb&a<>b) A
2 イ(ウ)~(Fb&a<>b)&(Fb&a<>b) 9イ&I
2ア (エ)~(Fb&a<>b)&(Fb&a<>b) アイウEE
2 (オ) ~∃y(Fy&a<>y) アエRAA
2 (カ) Fa&~∃y(Fy&a<>y) 3オ&I
2 (キ) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} カEI
1 (ク) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} 12キEE
(ⅲ)
1 (1) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} A
2 (2) Fa&~∃y(Fy&a<>y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ~∃y(Fy&a<>y) 2&E
5 (5) Fb&a<>b A
5 (6) ∃y(Fb&a<>y) 5EI
25 (7) ~∃y(Fy&a<>y)&
∃y(Fb&a<>y) 46&I
2 (8) ~(Fb&a<>b) 57RAA
2 (9) ~Fb&∨a=b 8ド・モルガンの法則
2 (ア) Fb→a=b 9含意の定義
2 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
2 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
2 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 2EI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 12EE
cf.
「≠」を「<>」と書くこととし、それ故、「<>ではない」が「=」であって、「=ではない」が「<>」である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y(Fy→x=y)}
(Ⅲ)∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば、(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば、(ⅰ)である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y(Fy→x=y)}
(ⅲ)∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(03)(10)により、
(11)
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
従って、
(12)
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてのxとyについて、xが王でありyも王であるならば、xはyと「同一人物」である。
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、 yが王であるならば、 xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
然るに、
(13)により、
(14)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふこと、すなはち、
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
といふことは、要するに、
(ⅱ)王は、一人しかゐない。
(ⅲ)王は、一人しかゐない。
といふことである。
従って、
(14)
(ⅱ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅲ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふこと、すなはち、
(ⅱ)あるxは舜といふ王であり、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは舜といふ王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
といふことは、要するに、
(ⅱ)王は、舜の一人だけある。
(ⅲ)王は、舜の一人だけある。
といふことである。
従って、
(14)により、
(15)
獨舜爲王矣。⇔
獨り舜のみ王たり。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
因みに、
(16)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてのxとyについて、xが王でありyも王であるならば、xはyと「同一人物」である。
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、 yが王であるならば、 xとyは「同一人物」である。
に於いても、
(ⅰ)=(ⅱ) であるやうに、思へない、こともない。
然るに、
(17)
因みに言ふと、
E.J.レモン自身は、「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、211・212頁」に於いて、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
と、書いてゐる。
然るに、
(18)
「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、211・212頁」の中には、「結論」だけが書かれてゐて、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
といふことに関する、「計算」が示されてゐない。
従って、
(02)~(12)、(18)により、
(19)
私自身は、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)⇒{(ⅱ)=(ⅲ)}
であらうと、思ってゐるものの、
E.J.レモンは、
(ⅰ)={(ⅱ)=(ⅲ)}
である。いふ風に、書いてゐる。
(01)
孔子曰天無二日、民無二王。
孔子曰く、天に二つの太陽は無く、民に二人の王は無い(孟子、萬章章句上)。
(02)
「≠」を「<>」と書くこととし、それ故、「<>ではない」が「=」であって、「=ではない」が「<>」です。
(03)
(ⅰ)
1 (1) ∃x{王x&∀y(王y→x=y)} A
2 (2) 王a&∀y(王y→a=y) A
2 (3) 王a 2&E
2 (4) ∀y(王y→a=y) 2&E
2 (5) 王b→a=b 4UE
2 (6) ~王b∨a=b 5含意の定義
2 (7) ~~(~王b∨a=b) 6DN
2 (8) ~(~~王b&a<>b) 7ド・モルガンの法則
2 (9) ~(王b&a<>b) 8DN
ア (ア) ∃y(王y&a<>y) A
イ(イ) (王b&a<>b) A
2 イ(ウ)~(王b&a<>b)&(王b&a<>b) 9イ&I
2ア (エ)~(王b&a<>b)&(王b&a<>b) アイウEE
2 (オ) ~∃y(王y&a<>y) アエRAA
2 (カ) 王a&~∃y(王y&a<>y) 3オ&I
2 (キ) ∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)} カEI
1 (ク) ∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)} 12キEE
(ⅱ)
1 (1) ∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)} A
2 (2) 王a&~∃y(王y&a<>y) A
2 (3) 王a 2&E
2 (4) ~∃y(王y&a<>y) 2&E
5 (5) 王b&a<>b A
5 (6) ∃y(王b&a<>y) 5EI
25 (7) ~∃y(王y&a<>y)&
∃y(王b&a<>y) 46&I
2 (8) ~(王b&a<>b) 57RAA
2 (9) ~王b&∨a=b 8ド・モルガンの法則
2 (ア) 王b→a=b 9含意の定義
2 (イ) ∀y(王y→a=y) アUI
2 (ウ) 王a&∀y(王y→a=y) 3イ&I
2 (エ) ∃x{王x&∀y(王y→a=y)} 2EI
1 (オ) ∃x{王x&∀y(王y→a=y)} 12エEE
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてyについて、yが王であるならば、xはyと同じ人物である。
(ⅱ)あるxは王であり、xではない、あるyが、王である。といふことはない。
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
(ⅰ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、すなはち、
(ⅰ)あるxは舜であって、王であり、すべてyについて、yが王であるならば、xはyと同じ人物である。
(ⅱ)あるxは舜であって、王であり、xではない、あるyが、王である。といふことはない。
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(08)
獨舜爲王矣。
獨り舜のみ王たり。
といふ「漢文」は、
(ⅰ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
―「昨日の記事(174)」の「続き」を書きます。―
従って、
(17)
③ 以吾從大夫之後。不敢不告也。
③ 吾れは大夫の後に従える以て、敢へてて告げずんばあらざるなり(論語、憲問第十四 22)。
に於ける、
③ 不敢不告也。
の場合も、
③ 必ず、告げるのだ。⇔
③ 告げないことは、決してしないのだ。
といふ、「意味」になる。
従って、
(17)
① 不敢不走。
の場合も、
① 必ず、走る。⇔
① 走らないことは、決してない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(18)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、日本語でも、「そんなこと誰が知ろうか」と言う場合、「誰が知っているか」とたずねているのではなく、逆に「誰も知ってはいない」ということを言っているのである。けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、45頁)。
然るに、
(19)
② 敢不走乎。
は、「反語」である。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
② 敢不走乎。
は、「疑問形」ではなく「反語」であるが故に、
① 不敢不走。
② 敢不走乎。
に於いて、
①=② である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
② 百獸之見我而敢不走乎=
② 百獸之見(我)而敢不(走)乎=
② 百獸の(我を)見て敢へて(走ら)ざらんや。
に於ける、
② 敢不走乎。
といふ「反語」の場合も、
① 不敢不走。⇔
① 必ず、走る。⇔
① 走らないことは、決してない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(22)
1 (1) ∃x{我x&∀y(獸y→見yx& 走y)} A
2 (2)∃x∃y(我x&狐y&獸y&見yx&~走y) A
3 (3) 我a&∀y(獸y→見ya& 走y) 1UE
3 (4) 我a 3&E
3 (5) ∀y(獸y→見ya& 走y) 3&E
3 (6) 獸b→見ba& 走b 5UE
7 (7) ∃y(我a&狐y&獸y&見ya&~走y) A
8(8) 我a&狐b&獸b&見ba&~走b A
8(9) 狐b 8&E
8(ア) 獸b 8&E
8(イ) ~走b 8&E
3 8(ウ) 見ba& 走b 6アMPP
3 8(エ) 見ba ウUE
3 8(オ) 走b エUE
3 8(カ) ~走b&走b イオ&I
3 (キ) ~獸b アカRAA
3 8(ク) 狐b&~獸b 9キ&I
3 8(ケ) ∃y(狐y&~獸y) クEI
37 (コ) ∃y(狐y&~獸y) 78ケEE
23 (サ) ∃y(狐y&~獸y) 27コEE
12 (シ) ∃y(狐y&~獸y) 13サEE
12 (〃) ある狐は獸ではない。 13
従って、
(22)により、
(23)
(1)あるxは我であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、yはxを見て、yは走る。 と「仮定」し、
(2)あるxは我であって、あるyは狐であって獸であり、yはxを見ても、yは走らない。 と「仮定」すると、
(3)あるyは狐であって獸でない。 といふ「結論」を得る。
然るに、
(24)
(1)すべての獸は、私を見れば、必ず走る。然るに、
(2)ある狐は、私を見ても走らない。 従って、
(3)ある狐は、獸ではなく(百獸の長である)。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(21)~(24)により、
(25)
② 百獸之見我而敢不走乎=
② 百獸之見(我)而敢不(走)乎=
② 百獸の(我を)見て敢へて(走ら)ざらんや=
② すべてのけだものたちは、わたし(の姿)を見れば、必ず(おそれて)逃げだすにちがいありません(旺文社訳、1973年)。
といふ「漢文訓読」は、
② ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}=
② あるxは我であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、yはxを見て、yは走る。
といふ「述語論理」に、相当する。
―「記事(167)」の「間違ひ」を、正します。―
(01)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎求(百獸)而食(之)得(狐)⇒
① 虎(百獸を)求めて(之を)食ひ(狐を)得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふ場合の、【百獸】といふのは、
【百獸】すべてのけだもの。あらゆる獸類(旺文社、漢文の基礎、1973年、40頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎百獸を求めて之を食ひ狐を得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふのであれば、『虎は狐を食らふ。』
然るに、
(03)
1 (1) ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)} A
2 (2) 虎a&∀y(獸y→求ay&食ay) A
2 (3) 虎a 2&E
2 (4) ∀y(獸y→求ay&食ay) 2&E
2 (5) 獸b→求ab&食ab 4UE
6 (6) ∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy) A
7 (7) ∃y(虎a&狐y&獸y&得ay) A
8(8) 虎a&狐b&獸b&得ab A
8(9) 狐b 8&E
8(ア) 獸b 8&E
2 8(イ) 求ab&食ab 5アMPP
2 8(ウ) 食ab イ&E
2 8(エ) 虎a&狐b 39&I
2 8(オ) 虎a&狐b&食ab ウエ&I
2 8(カ) ∃y(虎a&狐y&食ay) オEI
2 7 (キ) ∃y(虎a&狐y&食ay) 78カEE
2 7 (ク)∃x∃y(虎x&狐y&食xy) キEI
1 6 (ケ)∃x∃y(虎x&狐y&食xy) 12クEE
従って、
(03)により、
(04)
(1)あるxは虎であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、xはyを求めてこれを食らふ。 と「仮定」して、
(6)あるxは虎であって、あるyは狐であって獸であり、xはyを得る。 と「仮定」すると、
(ケ)あるxは虎であって、あるyは狐であり、xはyを食らふ。 といふ『結論』を得る。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎百獸を求めて之を食ひ狐を得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふ「漢文訓読」は、
② ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}&∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy).
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
然るに、
(06)
1 (1)∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)} A
1 (2) 獸b→∃x(虎x&求xb&食xb) 1UE
3 (3) ∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy) A
4 (4) ∃y(虎a&狐y&獸y&得ay) A
5 (5) 虎a&狐b&獸b&得ab A
5 (6) 虎a A
5 (7) 狐b 5&E
5 (8) 獸b 5&E
1 5 (9) ∃y(虎x&求xb&食xb) 28MPP
ア(ア) 虎a&求ab&食ab A
ア(イ) 食ab ア&E
5 (ウ) 虎a&狐b 67&I
5ア(エ) 虎a&狐b&食ab イウ&I
5ア(オ) ∃y(虎a&狐y&食ay) エEI
1 5 (カ) ∃y(虎a&狐y&食ay) 9アオEE
1 5 (キ)∃x∃y(虎x&狐y&食xy) カEI
1 4 (ク)∃x∃y(虎x&狐y&食xy) 45キEE
13 (ケ)∃x∃y(虎x&狐y&食xy) 34クEE
従って、
(06)により、
(07)
(1)すべてのyについて、yが獸であるならば、あるxは虎であり、xはyを求めてこれを食らふ。 と「仮定」して、
(3)あるxは虎であって、あるyは狐であって獸であり、xはyを得る。 と「仮定」すると、
(ケ)あるxは虎であって、あるyは狐であり、xはyを食らふ。 といふ『結論』を得る。
従って、
(02)(06)(07)により、
(08)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎百獸を求めて之を食ひ狐を得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふ「漢文訓読」は、
③ ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}&∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy).
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
従って、
(05)(08)により、
(09)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎百獸を求めて之を食ひ狐を得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふ「漢文訓読」は、
② ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}&∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy).
③ ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}&∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy).
といふ、「ニ通りの、述語論理」に、「翻訳」される。
然るに、
(10)
(a)
1 (1) ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)} A
2 (2) 虎a&∀y(獸y→求ay&食ay) A
2 (3) 虎a 2&E
2 (4) ∀y(獸y→求ay&食ay) 2&E
2 (5) 獸b→求ab&食ab 4UE
6(6) 獸b A
26(7) 求ab&食ab 56MPP
26(8) 虎a&求ab&食ab 37&I
26(9) ∃x(虎x&求xb&食xb) 8EI
2 (ア) 獸b→∃x(虎x&求xb&食xb) 69CP
2 (イ) ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)} アUI
1 (ウ) ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)} 12イEE
(b)
1 (1) ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)} A
1 (2) 獸b→∃x(虎x&求xb&食xb) 1UE
3 (3) 獸b A
13 (4) ∃x(虎x&求xb&食xb) 23MPP
5(5) 虎a&求ab&食ab A
5(6) 虎a 5&E
5(7) 求ab&食ab 5&E
13 (8) 求ab&食ab 457EE
1 (9) 獸b→求ab&食ab 38CP
1 (ア) ∀y(獸y→求ay&食ay) 9UI
1 5(イ) 虎a&∀y(獸y→求ay&食ay) 6ア&I
1 5(ウ) ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)} イEI
1 (エ) ∃x(虎x&求xb&食xb)→
∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)} 5ウCP
従って、
(10)により、
(11)
(a)∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}
(b)∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}
に於いて、
(a)ならば(b)であるが、
(b)ならば(a)ある。ではない。
従って、
(11)により、
(12)
(a)∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}
(b)∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}
に於いて、
(a)=(b) ではない。
従って、
(12)により、
(13)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎百獸を求めて之を食ひ狐を得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふ「漢文訓読」は、
② ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}&∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy).
③ ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}&∃x∃y(虎x&狐y&獸y&得xy).
といふ、「ニ通りの、述語論理」に、「翻訳」されるものの、その一方で、
② ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}
③ ∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}
に於いて、
②=③ である。
といふ、わけではない。
従って、
(04)(07)(12)により、
(14)
(a)あるxは虎であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、xはyを求めてこれを食らふ。
(b)すべてのyについて、yが獸であるならば、あるxは虎であり、 xはyを求めてこれを食らふ。
といふ「日本語」に於いても、
(a)=(b) ではない。
然るに、
(15)
(a)
1(1)∀x{∀y(Fxy)} A
1(2) ∀y(Fay) 1UE
1(3) Fab 2UE
1(4) ∀x(Fxb) 3UI
1(5)∀y{∀x(Fxy) 4UI
(b)
1(1)∀y{∀x(Fxy)} A
1(2) ∀x(Fxb) 1UE
1(3) Fab 1UE
1(4) ∀y(Fay) 3UI
1(5)∀x{∀y(Fxy)} 4UI
cf.
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、163頁改)
従って、
(15)により、
(16)
(a)∀x{∀y(Fxy)}
(b)∀y{∀x(Fxy)}
に於いて、
(a)ならば(b)であり、
(b)ならば(a)である。
従って、
(16)により、
(17)
(a)∀x{∀y(Fxy)}
(b)∀y{∀x(Fxy)}
に於いて、
(a)=(b) である。
然るに、
(18)
(a)
1 (1)∃x{∀y(Fxy)} A
2(2) ∀y(Fay) A
2(3) Fab 2UI
2(4) ∃x(Fxb) 3EI
1 (5) ∃x(Fxb) 134EE
1 (6)∀y{∃x(Fxy} 5UI
(b)
1 (1)∀y{∃x(Fxy)} A
1 (2) ∃x(Fxa) 1UE
3(3) Fba A
3(4) ∀y(Fby) 3UI?
3(5)∃x{∀y(Fb)} 4EI
1 (6)∃x{∀y(Fxy)} 235EE
然るに、
(19)
ただ一つの誤った段階は、(b)の(4)である。(3)は、「a」を含み、その結果UIの制限が破られている点が誤りである。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、166頁改)
従って、
(18)(19)により、
(20)
(a)∃x{∀y(Fxy)}
(b)∀y{∃x(Fxy)}
に於いて、
(a)ならば(b)であるが、
(b)ならば(a)ある。ではない。
従って、
(20)により、
(21)
(a)∃x{∀y(Fxy)}
(b)∀y{∃x(Fxy)}
に於いて、
(a)=(b) ではない。
従って、
(21)により、
(22)
(a)∃x{∀y(Fxy)}=ある人は、すべての人の親である。
(b)∀y{∃x(Fxy)}=すべての人は、ある人の子である。
に於いて、
(a)=(b) ではない。
従って、
(12)(14)(22)により、
(23)
(a)∃x{∀y(Fxy)}=ある人は、すべての人の親である。
(b)∀y{∃x(Fxy)}=すべての人は、ある人の子である。
に於いて、
(a)=(b) ではなく、
(a)∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}=あるxは虎であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、xはyを求めてこれを食らふ。
(b)∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}=すべてのyについて、yが獸であるならば、あるxは虎であり、 xはyを求めてこれを食らふ。
に於いて、
(a)=(b) ではない。
然るに、
(01)(23)により、
(24)
(a)∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}=あるxは虎であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、xはyを求めてこれを食らふ。
(b)∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}=すべてのyについて、yが獸であるならば、あるxは虎であり、 xはyを求めてこれを食らふ。
に於いて、
(a)の場合は、
(a)少なくとも、「一頭の虎」がゐて、その「一頭の虎」が、「単独で、100獣を求め、これを食らふ。」
といふ「意味」であるが、
(b)の場合は、
(b)例えば、 「二頭の虎」がゐて、その「二頭の虎」が、それぞれ「50獸」づつ、「50獸+50獸=100獸を求めて、これを食らふ。」
といふ「意味」であることも、「可能」である。
従って、
(24)により、
(25)
(a)∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}=あるxは虎であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、xはyを求めてこれを食らふ。
(b)∀y{獸y→∃x(虎x&求xy&食xy)}=すべてのyについて、yが獸であるならば、あるxは虎であり、 xはyを求めてこれを食らふ。
に於いて、確かに、
(a)=(b) ではない。
然るに、
(26)
① 虎求百獸而食之=
① 虎求(百獸)而食(之)⇒
① 虎(百獸を)求めて(之を)食ふ=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていた。
といふのであれば、
(a)少なくとも、「一頭の虎」がゐて、その「一頭の虎」が、「単独で、100獣を求め、これを食らふ。」
といふ「意味」であって、
(b)例えば、 「二頭の虎」がゐて、その「二頭の虎」が、それぞれ「50獸」づつ、「50獸+50獸=100獸を求めて、これを食らふ。」
といふ「意味」ではない。
従って、
(25)(26)により、
(27)
① 虎求百獸而食之=
① 虎求(百獸)而食(之)⇒
① 虎(百獸を)求めて(之を)食ふ=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていた。
といふ「漢文訓読」は、
① ∃x{虎x&∀y(獸y→求xy&食xy)}=あるxは虎であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、xはyを求めてyを食らふ。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(28)
1 (1)∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]} A
2 (2) 虎b&∀x[獸x→求bx&食bx&∃z(狐z&獸z&得bz)] A
2 (3) 虎b 2&E
2 (4) ∀x[獸x→求bx&食bx&∃z(狐z&獸z&得bz)] 3UE
2 (5) 獸a→求ba&食ba&∃z(狐z&獸z&得bz) 4UE
2 (6) 獸a→求ba&食ba 5&E
2 (7) ∃z(狐z&獸z&得bz) 6&E
8(8) 狐a&獸a&得ba A
8(9) 狐a 8&E
8(ア) 獸a 8&E
28(イ) 求ba&食ba 6アMPP
28(ウ) 食ba イ&E
28(エ) 虎b&狐a 39&I
28(オ) 虎b&狐a&食ba エオ&I
28(カ) ∃x(虎b&狐x&食bx) オEI
2 (キ) ∃x(虎b&狐x&食bx) 78カEE
2 (ク)∃y∃x(虎y&狐x&食yx) キEI
1 (ケ)∃y∃x(虎y&狐x&食yx) 12クEE
然るに、
(29)
2 (7) ∃z(狐z&獸z&得bz) 6&E
8(8) 狐a&獸a&得ba A
8(9) 狐a&獸a 8&E
8(ア) ∃z(狐z&獸z) 9EI
2 (イ) ∃z(狐z&獸z) 28アEE
2 (〃) ある狐は獸である。 28アEE
然るに、
(30)
獸の変域(ドメイン)={a、b、c、d}
とするならば、
∀x( 獸x)=( 獸a)&( 獸b)&( 獸c)&( 獸d)
∃z(狐z&獸z)=(狐a&獸a)∨(狐b&獸b)∨(狐c&獸c)∨(狐d&獸d)
従って、
(28)(29)(30)により、
(31)
2 (4) ∀x[獸x→求bx&食bx&∃z(狐z&獸z&得bz)] 3UE
2 (5) 獸a→求ba&食ba&∃z(狐z&獸z&得bz) 4UE
2 (6) 獸a→求ba&食ba 5&E
2 (7) ∃z(狐z&獸z&得bz) 6&E
8(8) 狐a&獸a&得ba A(7の代表的選言項)
に於ける、(8)に、「問題」はない。
従って、
(28)~(31)により、
(32)
(1)あるyは虎であり、すべてのxについて、xが獸であるならば、yはxを求めてxを食らひ、あるzは狐であり、獸であって、yはzを得る。 といふ風に「仮定」すると、
(ケ)あるxは虎であって、あるyは狐であり、xはyを食らふ。 といふ『結論』を得る。
従って、
(01)(28)(32)により、
(33)
① 虎求百獸而食之得狐=
① 虎求(百獸)而食(之)得(狐)⇒
① 虎(百獸を)求めて(之を)食ひ(狐を)得たり=
① 虎は、すべてのけだものをつかまえてはこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。
といふ「漢文訓読」は、
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}=
① あるyは虎であり、すべてのxについて、xが獸であるならば、yはxを求めてxを食らひ、あるzは狐であり、獸であって、yはzを得る。
といふ「述語論理」に、相当する。
―「記事(165)」を書き直します。―
(01)
楚人有鬻盾与矛者。
誉之曰、
吾盾之堅、莫能陥也。
又誉其矛曰、
吾矛之利、於物無不陥也。
或曰、
以子之矛、陥子之盾、何如。
其人弗能応也。
(02)
楚人有[鬻〔盾与(矛)〕者]。
誉(之)曰、
吾盾之堅、莫(能陥)也。
又誉(其矛)曰、
吾矛之利、於(物)無〔不(陥)〕也。
或曰、
以(子之矛)、陥(子之盾)、何如。
其人弗〔能(応)〕也。
(03)
楚人に[〔盾と(矛)とを〕鬻く者]有り。
(之を)誉めて曰く、
吾が盾の堅きこと、(能く陥す)莫きなり。
又た(其の矛を誉めて)曰く、
吾矛の利なること、(物に)於いて〔(陥さ)不る〕無きなり。
或ひと曰く、
(子の矛を)以て、(子の盾を)陥さば、何如ん。
其の人〔(応ふる)能は〕ざるなり。
(04)
[一]矛盾〈韓非子〉
(通 釈)
楚の国の人に、楯と矛を売り歩くものがあった。
(その人)がこの商品をほめて「わたしの楯の堅くてじょうぶなこといったら、これを突きとおすことのできるものはない。」と言い、
またその矛をほめて「わたしの矛の鋭利なことといったら、どんな物であろうと突きとおしてしまう。」と言った。
(これを聞いた)ある人が「あなたの矛でもってあなたの楯をついたら、どういうことになりますか。」と言った。
(楯と矛を売っていた)その人は何とも返事をすることができなかった。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、31頁)
従って、
(04)により、
(05)
「盾の集合」の中に「いかなる矛も陥さない盾」があって、「わたしの盾」が「その盾」である。
「矛の集合」の中に「すべての盾を陥す矛」 があって、「わたしの矛」が「その矛」である。
と、楚の国の人が、言ってゐる。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「矛の集合」の中に「すべての盾を陥す矛」 がある。
「盾の集合」の中に「いかなる矛も陥さない盾」がある。
といふことは、「矛盾」であると、ある人が、言ってゐる。
然るに、
(07)
1 (1) ∃x(盾x)&∃y(矛y) A
1 (2) ∃x(盾x) 1&E
3 (3) 盾a A
1 (4) ∃y(矛y) 1&E
5 (5) 矛b A
6 (6) ∀y{矛y→ ∃x(盾x&~陥yx)} A
6 (7) 矛b→ ∃x(盾x&~陥bx) 6UE
56 (8) ∃x(盾x&~陥bx) 57MPP
9 (9) 盾a&~陥ba A
9 (ア) ~陥ba 9&E
イ (イ) ∀x{盾x→ ∃y(矛y& 陥yx)} A
イ (ウ) 盾a→ ∃y(矛y& 陥ya) イUE
3 イ (エ) ∃y(矛y& 陥ya) 3イMPP
オ (オ) 矛b& 陥ba A
オ (カ) 陥ba オ&E
9 オ (キ) ~陥ba&陥ba アカ&I
56 オ (ク) ~陥ba&陥ba 89キEE
356 イ (ケ) ~陥ba&陥ba エオクEE
1 56 イ (コ) ~陥ba&陥ba 23ケEE
1 6 イ (サ) ~陥ba&陥ba 45コEE
6 イ (シ)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)} 1サRAA
6 イ (ス) ~∃x(盾x)∨~∃y(矛y) シ、ド・モルガンの法則
6 イ (セ) ∃x(盾x)→~∃y(矛y) ス含意の定義
ソ (ソ) ~∃x(盾x) A
ソ (タ) ~∃y(矛y)∨~∃x(盾x) ソ∨I
チ(チ) ~∃y(矛y) A
チ(ツ) ~∃y(矛y)∨~∃x(盾x) チ∨I
6 イ (テ) ~∃y(矛y)∨~∃x(盾x) スソタチツ∨E
6 イ (ト) ∃y(矛y)→~∃x(盾x) テ含意の定義
6 イ (ナ) ∃x(盾x)→~∃y(矛y)&
∃y(矛y)→~∃x(盾x) セト&I
従って、
(07)により、
(08)
(1)ある盾xが存在し、ある矛yが存在する。 と「仮定」して、
(6)すべてのyについて、yが矛ならば、あるxは盾であって、yはxを陥さない。と「仮定」して、
(イ)すべてのxについて、xが盾ならば、あるyは矛であって、yはxを陥す。 と「仮定」すると、
(ナ)ある盾xが存在するならば、ある矛yは存在せず、
ある矛yが存在するならば、ある盾xは存在しない。 といふ「結論」を、得ることになる。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
夫不可陷之楯與無不陷之矛、不可同世而立。
夫不〔可(陷)〕之楯與[無〔不(陷)〕之矛]、不[可〔同(世)而立〕]。
夫れ陥すべからざるの楯と、陥らざる無きの矛とは、世を同じくして立たつべからず。
といふ「主張」、すなはち、
「わたしの盾の堅くてじょうぶなこといったら、これを突きとおすことのできるものはない。」
「わたしの矛の鋭利なことといったら、どんな物であろうと突きとおしてしまう。」といった、「そのやうな盾と矛は、同時には、存在しない」。
といふ「主張」は、「述語論理(Predicate logic)」としても、「妥当(Valid)」である。
(10)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた述語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかももたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)
cf.
「量記号に十分に馴れるまで、練習を積む」と、「自然言語を、述語論理に翻訳する上での、直観(言はく言ひ難い)が働くやうになる。」と、
E.J.レモンは、言ってゐる。
然るに、
(11)
例へば、
(a)
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
(b)
① 虎百獸を求め而之を食らひ狐を得たり。
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ(也)。
③ 天帝、我をして百獸に長たら使む。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
⑥ 子我が後に隨ひて觀よ。
⑦ 百獸之我を見て敢へて走ら不らん乎。と。
⑧ 虎以て然りと爲す。
⑨ 故に遂に之與行く。
⑩ 獸之を見て皆走る。
⑪ 虎獸の己を畏れて走るを知ら不る也。
⑫ 以て狐を畏るると爲す也。と。
に於ける、
(c)
② あなた(虎)は敢へて私(狐)を食べてはならない(命令文)。
③ 天帝は、私(狐)を選んで、獸たちの長にした(使役)。
⑥ あなた(虎)は私(狐)の後に付いて来て見なさい(命令文)。
⑦ 獸たちが私(狐)を見て、逃げ出さないことが、あるだらうか(反語)。
⑧ 虎はそうであると思った(認識)。
⑨ そのため遂に(理由と結果)。
⑪ 虎は、獸たちが自分(虎)を畏れて逃げたことを知らなかった(認識)。
⑫ 虎は、獸たちが狐を畏れたのだと思った(認識)。
といふ「文」を、「述語論理」では、「翻訳できない」。
従って、
(10)(11)により、
(12)
「述語論理」は、「非常に広範な表現能力をもっている」としても、例へば、
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文」を、「翻訳できない」。
cf.
① 虎求百獸而食之得狐。
であれば、
① ∃y{虎y&∀x[百獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&得yz)]}
① ∀x{百獸x→∃y[虎y&求yx&食yx&∃z(狐z&得yz)]}
といふ風に、書くことが出来る(?)。
cf.
(a)
1 (1)∃y{Fy&∀x(Gx→Hyx)} A
2 (2) Fb&∀x(Gx→Hyx) A
2 (3) Fb 2&E
2 (4) ∀x(Gx→Hyx) 2&E
2 (5) Ga→Hba 4UE
6(6) Ga A
26(7) Hba 67MPP
26(8) Ga&Fb 63&I
26(9) Ga&Fb&Hba 78&I
1 6(ア) Ga&Fb&Hba 129EE
(b)
1 (1)∀x{Gx→∃y(Fy&Hyx)} A
1 (2) Ga→∃y(Fy&Hya) 1UE
3 (3) Ga A
13 (4) ∃y(Fy&Hya) 23MPP
5(5) Fb&Hba A
135(6) Ga&Fb&Hba 35&I
13 (7) Ga&Fb&Hba 456EE
然るに、
(13)
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる(ウィキペディア)。
従って、
(06)(13)により、
(14)
例へば、
「盾の集合」の中に「いかなる矛も陥さない盾」がある。
「矛の集合」の中に「すべての盾を陥す矛」 がある。
といふことは、「矛盾」である。
といふことが、「述語論理」を用ひて、言へないのであれば、「問題」であるものの、
例へば、
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文」を、「述語論理」に「翻訳できない」としても、「問題」には、ならない。