201系のブログ

201系電車と鉄道に関するブログ
SINCE 2005-01-18

紙を切ったり貼ったり

2005-12-18 23:31:40 | その他
以前少し触れましたが、工作の話です。
私の場合、ケント紙を使います。


△製作中のスシ24

以前はボール紙のような硬い厚みのある紙を使っていましたが、屋根の曲面が出しにくいことから思い切ってケント紙を使ってみたところ、窓廻りもスッキリして完成品以上のできばえとなり、それ以降ケント紙を使っています。車端部妻や補強は従来どおりの固い紙を使っています。


△組み上がったオロハネほか


△完成したスシ24とスハネ25-503

紙は1枚20円で2~3両取れます。パーツは1両2~3千円くらい。スシは電球をワインレッドの塗料に浸したランプつきの内装を作ってみました、まさにペーパークラフトです。あまり電球が明るいと雰囲気が出ないので、5個を直列につないであります。
他の車両の内装はソロを1両仕上げましたが、残りはそのまま現在に至っています。


△牽引機は完成品です

ペーパー製客車なので、12両フル編成を非力な天賞堂ED79でもぐんぐん勾配も登っていきます。

豊橋発辰野行

2005-12-17 21:40:02 | 鉄道:一般
青春18のびのびきっぷの旅、の続きです。
345Mで豊橋へ向かう際、東京駅で20系銀河を撮影しています。ですが、345Mの映像がありません。当時、153系ではなく165系になっていたと思われますが取り立てて撮影するほどのものではなかったのでしょう。


△イラストマークになった20系銀河。12番線ホームがあり、その向こうには0系新幹線が写っています。


△早朝の豊橋にて80形を撮影。最近行っていませんが豊橋駅もずいぶん変わったのではないでしょうか。


△乗車する旧国が入線。


△入線すると駅舎側(最後尾)には発車までの間、行先と発車時刻の書いた看板がさげられていました。新城5:37、辰野5:51と書いてあります。車号の控えがどこかにあるはずですが見つかりません。映像の特徴から特定できるといいのですが・・・。


△反対側先頭車は素顔のまま停車しています。
※コメント情報より、ホロ枠が付いているのでクハ68416の可能性大です。


△クハユニ○×△、何でしたっけ・・・。多くの電車に郵便、荷物車が連結されていました。
※コメント情報よりクハユニ56003か004と知らされ、ルーペで確認しましたところクハユニ56003であることが判明しました。


△先頭車から対向列車を撮影しました。


△車内窓から撮影、窓枠が美しいです。


△切妻の中間車改造の80形


△トンネルから出てきたのは流線型のクモニ、どこの駅でしょうか。
※コメント情報より伊那小沢駅のようです。アルバムの順番どおり配置しましたが、ネガを見たら数枚あとの伊那小沢の1コマ前に撮っていました、間違いないと思います。形式はクモニ83100番台のようです。どうもクモニ83というと中央線の切り妻のイメージが強く、記事を書いていてあれ?と思い流線型のクモニとごまかしてしまいました。100番台なんですね。


△有名な鉄橋の上で撮影。窓枠も写っていて面白いです。


△途中駅の長時間停車を利用して前面を撮影


△伊那小沢と書いてあります。


△飯田でクハ164を撮影


△まもなく終点辰野、スカ色のクモニ13が止まっていました。

結局、旧形電車で飯田線を走破したのはこれが最初で最後でした。
なお、クモハユニの写真はこの旅行ではなく、春の新入生歓迎旅行のものでした。

青春18のびのびきっぷの旅

2005-12-16 23:15:04 | 鉄道:一般
昨日の記事「電子アルバム化作業中(6)」の飯田線でコメントをいただき、もう少し続きを書こうと思います。

青春18のびのびきっぷを使っての旅行で、たしかワッペンがあったハズ、と探していたら、きっぷや表紙も一緒に出てきました。

△ワッペン。一体この用途はどう考えて設定されたのか知りたい。


△今回から価格は10000円に値上げです。


△2日券です

これにより、昭和57年8月26日の旅行と判明しました。

2度あることは・・・

2005-12-16 22:43:11 | その他
今週、降りてきた人の流れにさえぎられて、あともう少しのところでドアが閉まってしまうという場面に2度ほど。それだけならば珍しいことではありませんが、なんと、2回とも201のトップナンバー。これは何かを暗示しているような感じが。

よく考えてみれば、現在中央線の201系は運用に就かない予備車に余裕があるように思われます。となると、E233系登場前でも、ひょっとすると車検切れで廃車が早くでることも無いともいえません。ちょっと心配になってきました。
「2度あることは3度」、ならいいですけど、「柳の下のどじょう」にはならないことを祈ります。

廻田の丘から

2005-12-14 23:11:37 | 鉄道:一般


トトロの森の近くで同じような緑地や緑道がある廻田の丘から多摩湖線武蔵大和~西武遊園地間を撮影した写真です。
新宿からの8連が入線したところです。

そんな感じで日替わり画像さんのブログにも写真が紹介されていましたのでご紹介します。トラックバックを送信しました。
http://blog.goo.ne.jp/sonnakanji/e/48917ff9119763a6027efb9eefaec12f

緩行線201系

2005-12-14 23:05:05 | 鉄道:201系
ネガを整理していたらアルバム未収蔵写真が出てきました。

ちょうど写真のサイズがE版からL版になり、アルバムに入らなくなってしまいそのままになっていました。
あまり写りも良くなく、当時としてはごく普通の緩行201系でしたが、今となっては貴重な映像です。

M35確認

2005-12-12 22:26:37 | 鉄道:武蔵野線
ついに、VVVF最終編成M35(旧M61)編成を確認しました。
中間のサハは31・32で、ユニットは5069・5070に改番されています。車間の転落防止幌は新品に交換されており、以前はあったラインカラーの帯は省略されています。乗務員室仕切りにある窓には103系の写真が貼ってあり、12月8日をもって運用離脱したことが記されていました。

運行終了103系

2005-12-11 22:21:55 | 鉄道:武蔵野線
12月10日ダイヤ改正で、武蔵野線から103系が撤退しました。
学生時代からの付き合いでしたので長い期間よくもったと思います。本当にご苦労さまでした。


△一番印象に残っているのはクモハの126です。


△マル強で顔つきが変わったり


△P改造で顔つきが変わったり、いろいろなことがありました。


△武蔵野線最初の冷房車は103系でした。滅多にお目にかかれませんでしたが・・・。

THE diary from 5丁目さんからトラックバックがありました。せっかくなので、もう少し画像を追加しておきます。


△103系しかいないヒト電


△京葉線直通運転で大きく変わった武蔵野線


△もともとは6連で始まった武蔵野線旅客輸送。後に8連化され、8carsのステッカーが貼られていた。むさしのドリーム東京行、E1編成。

12月10日ダイヤ改正

2005-12-10 17:26:42 | 鉄道:一般
今回のダイヤ改正で183系が定期特急運用から離脱したそうです。





適当な写真を探していた所、学生時代には房総特急の撮影はまったく無く、社会人になってから253系や255系の撮影のついでに撮影した写真がいくつか出てきました。
幕張の183系はあずさにも使われていたので、どうやらそれで満足していたらしいです。


ゴハチでしょう

2005-12-09 21:58:51 | 鉄道:一般


煙草入れ(シガレットケース)とブリキの車さんからトラックバック。
「ダイヤ製ブリキの電気機関車」の正体は!?

側面のフィルタや屋根上のモニタールーフ、ヘッドライトがあること、型番からみてやはり電気機関車と判断すべきではないでしょうか。形としてはEH10よりもEF58なのではないかと思います。どちらも同じ時代の花形機関車で、EH10は貨物用、ゴハチは旅客用でした。



EF58は今なお数両が生き残っていて、イベントなどの列車の牽引に活躍しております。いまでこそパンダのような存在(パンダに失礼?)ですが、私の学生時代にはまだ現役、つまり日本の生活を支える上で欠くことのできない機関車でした。よく考えればSLだってそうだったんですよね、物や人を運ぶ唯一の手段でした。




再来年大宮にオープンする博物館にもEF58は展示される予定になっており、楽しみです。EH10の方は残念ながら保存されていないようです。貨物用の地味な機関車だったからでしょうか。
一般の方にはあまり知られていませんが、実はEF58という機関車は最初からこのような流線型の形をしていたのではなく、初期に製造された機関車は当時の標準的な箱型の車体の前後にデッキがついた、ごく普通な機関車でした。後に暖房用の蒸気発生装置を搭載するために今のような先端部まで箱で覆う流線型の美しいボディにモデルチェンジされ、初期の車両もそれにあわせて改造されています。