On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■避暑地を満喫! 1900年の箱根旅行 ~プール嬢のアルバムから

2024-03-20 | ブラフ・アルバム

1888年に家族とともに来日し、横浜で青春を過ごしたアメリカ人女性エリノア・プールのアルバムから興味深い写真をご紹介するシリーズの3回目、今回は箱根旅行の写真をご覧いただきます。

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当時人気の避暑地は日光や軽井沢、箱根でしたが、横浜の外国人たちはそれらに限らず近郊への小旅行を頻繁に楽しんでいようです。

場所が特定できるものだけでも、箱根のほか、池上(現 東京都大田区)、鎌倉、江の島、金沢冨岡(現 横浜市金沢区)、大磯の写真がアルバムに残されています。

エリノアの新婚旅行先が日光であったことがわかっていますが、残念ながらその時のものと特定できる写真はいまのところ見つかっていません。

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1899年、改正条約の発効により、それまで行動範囲が限られていた外国人たちは国内を自由に旅行できるようになりました。

かつては旅行免状が必要とされた箱根への遠出も容易となり、1900年8月、21歳のエリノアは横浜外国人コミュニティの仲間たちとともに早速箱根旅行に出発します。

宿泊先は分かっていませんが、人気の避暑地である箱根には有名な富士屋ホテルをはじめ外国人も受け入れる旅館もしくはホテルがいくつもありました。

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グループ一行で記念撮影。

写真の下に名前が記されています。

左よりコーさん、エリノア、(ベアトリックス)・タイナー夫人、ナサニエル・メイトランド氏、ミナ・スミス、ファニー・エルドリッジ、ポラード氏。

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日本人と思われるコーさんはおそらく一行のお世話役でしょう。

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ナサニエル・メイトランドはエリノアより3歳年上のイギリス人で、この年、上海から来日して横浜の外国人コミュニティーに加わったばかり。

そしてこの旅行から4年後、二人は結ばれ、クライスト・チャーチで華燭の典を挙げることとなります。

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ベアトリックス・タイナーとファニー・エルドリッジはアメリカ人医師スチュワート・エルドリッジの娘です。

姉のベアトリックスはデンマーク人生糸商ぎタイナー夫人となっていました。

妹のファニーも後にデンマーク人弁護士ウォーミングと結婚します。

姉妹の父、エルドリッジ医師は南北戦争において北軍ハワード将軍の参謀を務めた後、連邦農務省に奉職し、縁あってお雇い外国人として北海道開拓使団の顧問として招聘された人物です。

1875年に横浜に居を移して医師として活動し、1897年、検疫などの多年の功績に対し、日本政府より勲四等旭日章を贈られました。

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背景の右半分、暗くて見づらいのですが、仏像が認められます。

これは元箱根石仏群にある俗称「六道地蔵」と呼ばれる磨崖仏(石仏の一種で、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像)です。

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右から1人目と3人目の人物はほかの写真に写っていないため、もしかすると別の機会に撮影されたものかもしれません。

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現在、摩崖仏は覆屋に覆われていますが、これは江戸時代以降失われていた覆屋を復元したものとのことです。

そのためエリノア一行が訪れた際にはこのように露出していました。

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エリノアのものではありませんが、こちらの古写真には摩崖仏が鮮明に写っています。

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芦ノ湖で舟遊び。

写真の下に書かれている「La Perla」はイタリア語で真珠の意。

帽子のリボンにも同じ文字が見えるので、おそらくこのボートの名前と思われます。

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ハコネ・レイクで海水浴ならぬ湖水浴する人々。

芦ノ湖って遊泳禁止じゃなかったの?と思って調べたところ、江戸時代は箱根の関所破りを防ぐため、芦ノ湖での舟運や泳いで渡ることは厳しく禁止されましたが、明治時代になるとそのような制限は撤廃され、観光目的の舟運が盛んに行われるようになりました。

水遊びもご法度ではなかったとのことです。

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現在、国内で泳げる湖は琵琶湖や猪苗代湖など数か所に限られており、芦ノ湖もまた遊泳禁止となっています。

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ピクニックや舟遊びに湖水浴まで、箱根を満喫できたエリノアたちの時代がちょっとうらやまししいですね。

 

図版:
・上から3番目の写真を除きすべてアントニー・メイトランド氏所蔵
・上から3番目の写真 筆者蔵

参考資料:
斎藤多喜夫『横浜外国人墓地に眠る人々』(有隣堂、2012)
・芦ノ湖と摩崖仏の歴史については箱根町教育委員会 生涯学習課文化財係にご教示頂きました。

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