黒板の裏側で~おうみ進学プラザの毎日~

おうみ進学プラザは滋賀県の学習塾。困って、喜んで、泣いて、笑って、そして時々怒って。塾のドラマを実況中継します。

中江藤樹先生に学ぶ。…ところで、誰?

2020-06-11 21:01:06 | Weblog

梅雨入りしています。
テレビでは梅雨=嫌な季節という受け止め方ですけど、私は農村の出身なので、梅雨はちっとも嫌じゃないのです。梅雨は稲作にとって大事な季節。実は水力発電についても大事な雨ですよ。
そして川の魚たちの産卵にも。河から用水路へ、水田へと上ってくる魚たち。梅雨を待っていたのです。
それに、今年の場合、日本列島のコロナウイルスをまとめて海へ流してくれるのじゃないだろうか。洗車のように、日本列島の汚れを洗い流す梅雨。期待しています。
とりあえず傘が必要で、洗濯物が乾かない。しかし、梅雨の恵みに感謝しましょう。

写真は琵琶湖の北の高島市。
河合塾マナビス安曇川校の前に中江藤樹の銅像があります。
銅像の足元には藤のプレート。藤の樹で藤樹ですね。
【中江藤樹】1608~1648年。江戸時代初期の儒学者。わが国における陽明学の開祖。数多くの徳行、感化によって、没後に《近江聖人》とたたえられる。近江国高島郡小川村(現在の滋賀県高島郡安曇川町上小川)。
資料を見ていたら、のちの大塩平八郎に影響を与えたとも。陽明学だから、正しいと思ったことは断固として実行すべし。そういう思想。
エピソードをご紹介。
「ある武士が近江国を旅していたときの話。大切な金を馬の鞍につけたまま馬を返してしまった武士は金が戻らずがっかりしていたが、そのときの馬子が金をそっくり渡すため武士のもとに戻ってきた。感謝した武士はせめて礼金を渡そうとするが馬子は受け取らない。仔細をきくと、馬子の村に住む中江藤樹の教えに導かれてのことという。そこで武士は迷わず、藤樹の弟子となった。この武士こそのちに岡山藩の家老となった熊沢蕃山であるという」
おおっ!熊沢蕃山は私の故郷・岡山県で偉人として名高い人。こんなところで御縁があったのか。
今日はミニ会合で、保護者の方とお話しする機会がありました。人数を減らして、小規模開催。
休校で勉強が心配。自宅での勉強はなかなか難しい。身についているのかどうか。
受験はどうなるのだろうか。
そういう内容など。
前川先生が医学部、薬学部、看護学部への進学について説明してくれました。そして、今後の大学入試の変動なども。
会合の後で、大量の買い物。観光客が激減して、お菓子など土産物が売れ残っている。そこで滋賀県の観光客向けの菓子などを大幅値引きで販売していました。
ここは応援せねば…と思ったのではなくて…スミマセン…安かったので買いました。
地元滋賀県のお土産を自分で買う機会はなかったから、良い機会でした。ヒコにゃん菓子を初めて食べます。ちょっとだけ楽しみ。
写真はOSP48・チームKを率いる真壁監督と久末カメラマン(唐崎)、寺島カメラマン(栗東)。夏に備えて授業の動画を撮影しています。
ラストは、PR用の写真。
真壁監督から色々とポーズを指示されて撮影しました。
真壁先生の指示は、どうも女性社員は可愛い系の写真で、男性社員はコミック系のような気がしますけど、気のせいか。
After the storm comes the rainbow.
こんな時期ですが、明るく元気な夏へ。
*真壁先生のPRが、おうみ進学プラザのホームページに早くも登場しています。名作♪

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