シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

審判の主日(付記あり)

2013-03-10 23:57:44 | 正教会及び宗教全般
今日の福音箇所はマタイ25:31~46。
斎というと食べ物の節制が強調されがちだけど、もちろん祈祷と、それと援助というかそういう行為が求められている。
人々をふたつに分けたその基準とは、どんだけちゃんとに斎したかとかじゃなくて、ひもじい人に食べさせたか、乾く人に飲ませたか、病人を顧みたか、そういうことだった。

カリストス・ウェア主教「大斎の意味」より。
他者への愛がなければ真の斎はあり得ない<…>。この他者への愛は形式的な見せかけや、感傷的気分にとどまるべきものではなく、具体的な施しの行為として現れるべきものである。これは初代教会の不変の確信であった。二世紀の「ヘルマスの牧者」は、斎の間に節約されたお金は寡婦、孤児、貧者に与えられるべきだと断言している。しかし施しはこれ以上の意味を持っている。それは金銭だけでなく時間を与え、所有しているものだけでなく自分自身の存在そのものを与えるということである。すなわち我々自身の一部を与えるということである。三歌斎経に見られる施しについての言葉はほとんど常にこの深い意味を含んでいる。金銭の施しはしばしば身代わりであり、逃避、つまり人々の苦悩に深く個人的に関わらないように自分を守る方法でしかない。その一方、緊切な物質的困難にうちひしがれた人に励ましの言葉をかけてやる以外に何もしないというのは、責任逃れに等しい。すでに強調した人間の肉体と霊の一体性を心にとめて、我々は物質的なレベルにおいても精神的なレベルにおいても同時に助けを与えるよう努めなければならない。

うんうん、と思う。
2年前、国の内外を問わずたくさんの方々から義援金・物資・メッセージ・祈りをいただいた。
隣人を愛しなさい、の実践例が山盛りだった。
ほんとうにありがたかった。
自分もかくありたいものだと…

過去記事はこちら
2007断肉の主日
2008審判の主日
2010審判の主日

23:57付記。
VORロシアの声より。

明日からいよいよマースレニッツァ!

10.03.2013, 17:01
11日からロシアでは謝肉祭(マースレンニッツァ)が始まる。1週間にわたって祝われるマースレニッツァは冬を送り、春を迎える異教時代から伝わる風習。
マースレニッツァという名称は「マースラ(バター)」からきている。マースレニッツァの1週間が終わると、大精進期(ヴェリーキー・ポスト)には正教ではバターをはじめとする乳製品、魚、肉を食すことが禁じられる。マースレニュツァの時期は毎年移動し、今年は3月11日から17日にあたる。 マースレニッツァは2つの時期に分けられる。最初の3日間(月火水)は「狭い(小規模な)」マースレニッツァで家事にいそしむことも許されるが次の4日間(木金土日)の「広い(大規模な)」マースレニッツァの間は仕事をしてはならず、大いに遊び楽しまなければならない。

そんなにはないけど、うちも乳製品片づけんと。