興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

大覚寺 寺宝展より 青面金剛明王之像

2009年12月13日 | 大覚寺

  

 先月の11月11日に姫路市内において「こころの祭」が開催されたが、大覚寺の寺宝展も今回は「こころの祭」に合わされたようだ。

 平成18年4月27日に投稿した、金刀比羅神社 合祀記念碑 の記事に本町橋南側にあった湾洞神社を明治41年9月18日に合祀した事を書いた。

 金刀比羅神社には神道として祀られていた猿田彦を合祀したのだが、仏教として祀られていた青面金剛は大覚寺にお預けとなった。

 青面金剛については、ここ最近は3~4年に行われる寺宝展で見る事ができる。

 大覚寺総代である長澤啓文氏からの聴き取った話しを紹介する。
 丸亀藩陣屋の舟付場(旧本町橋南側)ほとりに、興村々有の福寿院庚申堂と付属の参籠会所が有った。
 揖保川流域の各村落の修験道の先達衆が集まる福寿院山行講々元会所でもあった。
 元治元年の記録によると大先達篭屋太右衛門と有り、大峰信仰の拠点であったが、明治新政府の廃仏稀釈・神仏分離の令による大峰信仰の禁止、又無住のお寺やお堂の取り壊しの令により庚申堂にも苦渋の選択を余儀なくされた。
 当時京都方面より修験者、陰陽師、神官職の澤山氏が篭屋宅を宿に年2回修行に来て居られ、長澤太郎右衛門ら村役協議の上、庚申堂と屋敷一切を澤山氏に任し庚申堂の護持を願い定住をお願いした。
 了承されて庚申堂に澤山氏は定住する事になった。
 湾洞神社の神像猿田彦之命は、関町にあった恵美酒神社神社と共に金刀比羅神社に合祀されたと思われる。


青面金剛(しょうめんこんごう) 『広辞苑』より
①顔の色が青い金剛童子。大威力があって病魔・病鬼を払い除く。六臂三眼(ろくひさんがん)の忿怒相(ふんどそう)をしている。
②俗に民間で行われる庚申会(こうしんえ)の本尊で、猿の形相をしているもの。
 

 左の二体の童子が青面金剛の両脇に配されていたのだろう。

 

 

青面金剛が納められている箱の裏側に合祀された事が書かれている。

 


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