興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

石工 前川俵治

2008年11月17日 | 金刀比羅神社

 魚吹八幡神社秋祭りの反省会も終わり、もうすぐそこに正月が迫ってきた。

 金刀比羅神社の研究にやっと帰れたわけだが、今回は興ちゃんが好きな石工(いしく)前川俵治さんについて書いてみようと思うが、前川さんについては別段調べた訳ではない。逆に知っておられる方を捜す意味で掲載させて頂いた。

 石が好きな方や、この道の方なら前川さんの仕事を見れば、うなるであろう。
名工前川俵治。この前川さんが地元の石工とは限らない。当時名工として評判高い樽井村の石工は各地を転々としていたという事からすれば、金刀比羅神社と大覚寺そして樽井村がある泉州あたりに共通する小野周文さんと渡辺鼎さんがこの3年ほど興浜に連れて来ていたのかもしれない。

 金刀比羅神社が大正3~6年にかけて土盛りした際の玉垣と、拝殿前の燈籠に前川さんの名前がある。タイトル写真は燈籠に刻まれた文字である。

 
 金刀比羅神社正面、一番西端の玉垣に大正6年10月の側面に前川俵治の名前がある。

   

         
 ところ移して、大覚寺本堂の前に、本堂の大きな屋根の雨水を受ける大きな桝があるをご存知だろうか。これを雨水桝と呼ぶのだが、南側の雨水桝に前川さんの名前が刻まれている。

  

 雨水桝に刻まれた名前

  
 北側の雨水桝には、「大正4年4月下旬 當山三十八世 正空真道」とある。
正空真道上人は明治43年から昭和13年までの住職である。

 独り言ではあるが、「4月下旬」という表記のしかたに疑問が残る。もう少し粋な表現はなかったのか。



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