興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

花まつり

2008年05月05日 | 興浜新聞

花まつり

 毎年5月5日は、ここ姫路市網干地区では、網干連合子供会と網干西連合子供会の行事として、花まつりの象曳き』が行なわれる。

 網干仏教会の方々が托鉢をされたお金を、網干の各連合子供会が頂いてこの行事を行う事になっている。

 本来ならば、お釈迦様の誕生日である4月8日に行うべきものであるが、ここ網干地区はこの時期に各地区で氏神様の春祭りがある事から、子供の日にあたる5月5日に行う事になったと、子供会の役員をした時に網干仏教会の方からお聞きした。

 『象曳き』は、朝8時に興浜子供会が大覚寺を出発。興浜をまわって浜田子供会にバトンタッチ。そのあと垣内子供会→余子浜子供会→大江島子供会→新在家子供会の順番でまわり大覚寺に帰ってくる。

 興浜子供会に関しては、象を浜田子供会にバトンタッチしたあと、大覚寺の本堂で、中西住職のお話を聞いた後、花御堂の中に安置された小さなお釈迦様の誕生仏に甘茶を浴びせかけたあと、柏餅を二つもらって解散となる。

 子供会の歴史にふれてみると、ここ興浜の子供会は、昭和32年8月に関町・南町・栄町・東本町・西本町・仲之町の子供会が発足されている。

 昭和33年11月に姫路市子供会指導者協議会が発足。
その時は網干小学校しかなかったので、網干校区子供会として会員数1,689人。
  



本日、網干区余子浜専念寺で公開された亀田豊氏作の花御堂

 花祭りについて
 4月8日は、古来宮中の仏教行事として『灌仏会(かんぶつえ)』が行なわれていた。後には日本各地のお寺でも花御堂を設けて祀るようになり、俗に『お釈迦様の誕生日』と言われている。『灌仏会』を『花祭り』と呼ぶようになったのは、明治以降の事である。
 『灌仏会』には花御堂の中に小さな『誕生仏』を安置し、甘茶を用意する。そして、無病息災と極楽往生を願う参拝者たちを迎える。ただし、この甘茶は参拝者たちにふるまわれるのではない。参拝者たちが幼童姿の釈迦像、すなわち『誕生仏』に浴びせかけるために用意されているのである。
 甘茶の原料は、ヤマアジサイの一種か、アマチャヅルである。緑茶や紅茶になるツバキ科のチャではない。仏教伝来当時の日本では超高級シロップだった。
 さて、そんな甘茶を浴びせかけられる『誕生仏』のモデルは、シャカ族の一派の王族に生れたゴータマ・シッダールタ。生没年は不詳なのに、誕生日だけはこの日とされ祀られている。また、摩耶夫人の右腕脇下から生まれ出るや、七歩を歩んで立ち上がり、右手で地を指して、唐突に次の一言を発したというのだから摩訶不思議。『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)』(宇宙の中に自分より尊い者はない)
 その姿を写したとされるのが、いわゆる『誕生仏』である。  『四季のしきたり』より

 余談であるが、私『興ちゃん』は大覚寺のそばで生まれ育った。遊び場はほとんどが大覚寺の境内だった。5月5日は水筒を持っていくと甘茶を入れてくれた事を覚えている。あの甘さは年に一度の楽しみであった。


平成14年の写真 大覚寺を出発


平成14年の写真 栄町西詰めより本町に上がるところ 

 


平成15年の写真 揖保川東側の西本町 
揖保川河川改修に伴う網干1号線道路付替え工事で
浜田側の道路部分が完成した年 ヘアピンカーブを曲がったところ
  



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