第25話
「山城紅茶カフェ」の構想
現代はスピードが要求される世の中だ。どんな分野であれ、新人といえども容赦なく1年目から結果を求められる。三十路を過ぎればもう待ったなし!だ。しかし最初からあまりにも華々しい活躍をしてしまうと、その後の結果が芳しくなければ、2年目のジンクスだ、早熟だ、などとレッテルを張られてしまうから難しい。そう考えると、初めのうちは無視されない程度にそこそこの結果を残し、機を見て一気に才能を発露させるのが成功する最大の秘訣かもしれない。野球の例で言えば、イチローが1軍で頭角を現したのはプロ入り3年目だし、王貞治がホームランバッターとして君臨するようになったのは同じく4年目のことだった。もちろん、そんなサクセスストーリーを自分で描けるようなら誰も苦労しないのだが。
余談が過ぎたが、山城と崎浜にとって会社設立後の1年間はどんな年だっただろうか。経営の舵を握る崎浜は、「自己採点するなら、客観的に見れば50点、台所事情を考えると100点満点」と振り返る。
山城紅茶は経営面で二つのジレンマを抱えていた。一つは新規事業者のご多分に漏れず、資金繰りの問題である。畑と工場設備はそろっていたものの、山城紅茶は実質ゼロからのスタートだった。それまでの収入源だった緑茶作りを完全に断ち切って1年前から本格的に研究開発を進め、生産体制をすべて紅茶にシフトしていたため、紅茶が売れなければ収入はゼロ。金融機関から融資を受けて運転資金に回そうとしても、国内ではほとんど例のない事業で、しかも農業分野とあって一向に許可が下りない。農地は農地法の売買制限により流動性が低いので、担保価値は限りなく低く見積もられてしまうのだ。農業金融に明るいJAから何とか微々たる金額を借りることはできたものの、最初の半年間はほとんど売上がなく無収入状態。それが夏以降になって、ようやくホテルとの取引などが始まり持ち直すことができたのだから、崎浜が「台所事情を考えると…」と話すのもうなずける。いわばゼロからのV字回復。客観的に見た場合の50点の減点材料は、打ち出したいキャンペーンまで手が回らなかったという無念さだろう。
同じ年の秋には沖縄県産業まつりで優秀賞を受賞し、知名度が上がり売上も飛躍的に向上した。しかし、ここでもう一つの問題に直面することになる。12月を迎えるころには茶畑が農閑期に入ってしまうため、その時点で来春の収穫期までの紅茶の販売数を正確に予測して、生産量を決定しなければならないのだ。簡単に言えば、経費を抑え生産量を少なくした場合、すぐに売り切れても追加生産できないのでそのぶん販売機会を逃すことになり、逆にたくさん作り過ぎた場合には在庫分が赤字になる。しかも会社設立1年目とあって予想が付かない上、資金に余裕があれば多少の誤差は許されるだろうが、そうのんきなことを言っていられない事情もある。結果的には翌4月までにちょうど在庫分が売り切れたそうだが、その間に崎浜も山城も「作りたいだけ作って、売れる方法を模索し伸ばしていかなければ」という思いを強くした。
2人が思い描くその方法とは、「山城紅茶カフェ」の建設である。茶畑に囲まれたカフェで作りたての山城紅茶を飲みながら、よく合う茶菓子をつまんで自由気ままにのんびり過ごす。それはまさに、クマと女の子が茶畑でティータイムを楽しんでいるNO.918のパッケージデザインの世界であり、山城がかつてスリランカを訪れた際に体験した紅茶文化への入口である。
カフェには体験施設を併設し、茶摘みや紅茶作りなどのプログラムを導入する。紅茶の習慣が浸透していけば、沖縄のやちむんのティーポットや沖縄の食材で作ったスイーツが生まれ、紅茶を基軸にして可能性の和がどんどん連鎖していくかもしれない。考えれば考えるほど、夢は膨らんでいく。
実は山城は、会社設立に当たってまず始めたかったのがカフェの建設だったと言う。金融機関に融資を依頼するときもこの建設費を見込んだ計画を立て、資金を要求したそうだ。冬でも来客が見込めるので、農閑期の生産管理が楽になる。実現には至っていないが、今もその気持ちは変わらないようだ。
「だから実感としては、会社ができて2年半たった今でもまだスタートラインに立っていない心境です。沖縄紅茶農園はカフェとともに歩み始めるものだと思っているので」
熱く語る山城の横で、「カフェじゃなくて山城紅茶直売所がいいよ」と崎浜が茶々を入れている。
実際の茶畑とNO.918のパッケージデザイン。近い将来、このイラストのように茶樹に囲まれながらティータイムを楽しめる日がくるかもしれない
text:冨井穣
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「山城紅茶カフェ」の構想
現代はスピードが要求される世の中だ。どんな分野であれ、新人といえども容赦なく1年目から結果を求められる。三十路を過ぎればもう待ったなし!だ。しかし最初からあまりにも華々しい活躍をしてしまうと、その後の結果が芳しくなければ、2年目のジンクスだ、早熟だ、などとレッテルを張られてしまうから難しい。そう考えると、初めのうちは無視されない程度にそこそこの結果を残し、機を見て一気に才能を発露させるのが成功する最大の秘訣かもしれない。野球の例で言えば、イチローが1軍で頭角を現したのはプロ入り3年目だし、王貞治がホームランバッターとして君臨するようになったのは同じく4年目のことだった。もちろん、そんなサクセスストーリーを自分で描けるようなら誰も苦労しないのだが。
余談が過ぎたが、山城と崎浜にとって会社設立後の1年間はどんな年だっただろうか。経営の舵を握る崎浜は、「自己採点するなら、客観的に見れば50点、台所事情を考えると100点満点」と振り返る。
山城紅茶は経営面で二つのジレンマを抱えていた。一つは新規事業者のご多分に漏れず、資金繰りの問題である。畑と工場設備はそろっていたものの、山城紅茶は実質ゼロからのスタートだった。それまでの収入源だった緑茶作りを完全に断ち切って1年前から本格的に研究開発を進め、生産体制をすべて紅茶にシフトしていたため、紅茶が売れなければ収入はゼロ。金融機関から融資を受けて運転資金に回そうとしても、国内ではほとんど例のない事業で、しかも農業分野とあって一向に許可が下りない。農地は農地法の売買制限により流動性が低いので、担保価値は限りなく低く見積もられてしまうのだ。農業金融に明るいJAから何とか微々たる金額を借りることはできたものの、最初の半年間はほとんど売上がなく無収入状態。それが夏以降になって、ようやくホテルとの取引などが始まり持ち直すことができたのだから、崎浜が「台所事情を考えると…」と話すのもうなずける。いわばゼロからのV字回復。客観的に見た場合の50点の減点材料は、打ち出したいキャンペーンまで手が回らなかったという無念さだろう。
同じ年の秋には沖縄県産業まつりで優秀賞を受賞し、知名度が上がり売上も飛躍的に向上した。しかし、ここでもう一つの問題に直面することになる。12月を迎えるころには茶畑が農閑期に入ってしまうため、その時点で来春の収穫期までの紅茶の販売数を正確に予測して、生産量を決定しなければならないのだ。簡単に言えば、経費を抑え生産量を少なくした場合、すぐに売り切れても追加生産できないのでそのぶん販売機会を逃すことになり、逆にたくさん作り過ぎた場合には在庫分が赤字になる。しかも会社設立1年目とあって予想が付かない上、資金に余裕があれば多少の誤差は許されるだろうが、そうのんきなことを言っていられない事情もある。結果的には翌4月までにちょうど在庫分が売り切れたそうだが、その間に崎浜も山城も「作りたいだけ作って、売れる方法を模索し伸ばしていかなければ」という思いを強くした。
2人が思い描くその方法とは、「山城紅茶カフェ」の建設である。茶畑に囲まれたカフェで作りたての山城紅茶を飲みながら、よく合う茶菓子をつまんで自由気ままにのんびり過ごす。それはまさに、クマと女の子が茶畑でティータイムを楽しんでいるNO.918のパッケージデザインの世界であり、山城がかつてスリランカを訪れた際に体験した紅茶文化への入口である。
カフェには体験施設を併設し、茶摘みや紅茶作りなどのプログラムを導入する。紅茶の習慣が浸透していけば、沖縄のやちむんのティーポットや沖縄の食材で作ったスイーツが生まれ、紅茶を基軸にして可能性の和がどんどん連鎖していくかもしれない。考えれば考えるほど、夢は膨らんでいく。
実は山城は、会社設立に当たってまず始めたかったのがカフェの建設だったと言う。金融機関に融資を依頼するときもこの建設費を見込んだ計画を立て、資金を要求したそうだ。冬でも来客が見込めるので、農閑期の生産管理が楽になる。実現には至っていないが、今もその気持ちは変わらないようだ。
「だから実感としては、会社ができて2年半たった今でもまだスタートラインに立っていない心境です。沖縄紅茶農園はカフェとともに歩み始めるものだと思っているので」
熱く語る山城の横で、「カフェじゃなくて山城紅茶直売所がいいよ」と崎浜が茶々を入れている。
実際の茶畑とNO.918のパッケージデザイン。近い将来、このイラストのように茶樹に囲まれながらティータイムを楽しめる日がくるかもしれない
text:冨井穣