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紅茶の島のものがたり vol.4 冨井穣

2009年04月24日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん

第4話

一番になりたい



 山城は男三人兄弟の長男である。物心ついたときから茶農家の息子として育てられ、少年時代は近所の大人たちから「いつも家の手伝いをして偉い子だね」と褒められるほど、毎日のように父について畑仕事をしていたという。
「それは正直言って、もっと友達と遊びたいと思いましたよ(笑)。自宅の庭が茶畑ですからね、学校から帰ってくると自分の当番が決まっていて、畑の水まきをしたり草取りをしたり、夜まで手伝わされることもありました。日曜日も祝日も関係なかったですね。少年野球チームに入ったのも、畑仕事から逃れたいという気持ちが少なからず作用したのかもしれません。でも父は、仕事の合間を縫ってよく野球の相手などをしてくれたので、“お父さんを早く仕事から解放して遊んでもらおう”と、子どもながらに一所懸命働きました」と山城は振り返る。こうして知らず知らずのうちに、茶農家として意識が体中に染みついていったのである。
 とはいえ、中学3年になるまで、将来は自分も茶業に就こうとはほとんど考えなかったという。むしろ父からは「あとを継ぐ必要はないよ」と言われていた。小学校、中学校と野球部に所属し、大きくなったら何になりたい?と聞かれれば、漠然と「プロ野球選手」と答えた。しかしその一方で、ほかに自分にできることは何があるのか、中学に入学したころから真剣に考え始めていた。
「やるからには自分が一番になれるものを目指したかった。野球が抜きん出て上手だったら、本気でプロ野球選手を目指したんでしょうけどね。勉強もいくら頑張ったところで、トップの連中には全然かなわなかったですし。それでは、なぜ茶業をやるつもりになったかというと、周りには農家になりたいという友達がほとんどいなかったからです。まして日ごろから畑の手伝いをしているのは自分くらいで、 “おれの家で遊ぼうよ“と友達をダマして連れてきては一緒に畑仕事をさせましたが、彼らはあっという間にへこたれてしまうんですね。ということは、農業の分野なら自分は一番になれる可能性が高い。家には祖父と父が地盤を築いてくれた土地がこれだけあるのだから、利用しない手はない」
 山城の家では茶業を営むほか、肥育用の牛を飼っており、進路の決定に当たってどちらの道を選ぼうか迷ったという。そこで、お茶と牛ではどちらが難しいか父に尋ねたところ、「そりゃあ、お茶に決まってる」と即答され、山城の腹づもりは据わった。
「困難な道を自ら選ぶ人は少ないはずだ。お茶の世界でナンバーワンを目指そう」
そして中学校の卒業文集では、将来の夢として「茶農家になる」ことを宣言した。
実はこのあと、山城は高校を中退している。やりたいことが決まっているにもかかわらず、それとは関係のない勉強や行事、交遊に振り回されるのが我慢できなかったようだ。30 歳を過ぎた今となれば、少し回り道でも高校3年間のいろいろな経験は必ず将来プラスになる、と達観できるかもしれないが、元来が一本気な性格で、血気盛んだった当時はなおさらそうもいかなかったのだろう。中退後は父に倣って、茶業に専念することになる。
 それにしても、「オンリーワン」という言葉がもてはやされる昨今において、「一番になりたい」という気概は実にすがすがしい。そういえば、時の天才打者イチローが、昨シーズン終了時、張本勲氏の持つ日本最多安打記録にあと2本届かなかったことについて、「一番になりたかった。僕はナンバーワンになりたい人。オンリーワンのほうがいい、なんて言っている甘い奴が大嫌い」と似たようなことを語っていた。また、野球を志した理由については、「自分ができる限りの勉強をしても、一番にはなれなかった。でも野球はみんなが一生懸命やっていて、僕は適当にやっても断然トップでした。野球だったら、好きだしおそらく一番になれるだろうと」と言っている。夢をつかむための原動力は、「一番になりたい」というシンプルで本能的な衝動にあるのかもしれない。

※写真は、現在の茶畑のようす。沖縄ではもう新茶の茶摘みが始まっています。


text:冨井穣





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