第21話
「山城紅茶」の誕生
茶葉の手摘みは、必ずしも専門知識や技術が必要な仕事ではない。芽の先端から2枚の若葉が付いた部分を摘む「一芯二葉摘み」が原則とはいえ、若葉が2枚付いていることをいちいち目視することはなく、収穫期の茶樹に触ってみれば摘み取る個所は一触瞭然。茎がちょうど柔らかくなっている部分に指を触れ当ててへし折り、一芯一葉、二葉、三葉…を摘み取っていく。しかも茶葉の収穫期は限られているため、常勤ではなく一時的に大量に人手が必要になる。
「アルバイトを募集しても、そんな都合よく人が集まるだろうか」
「派遣労働者を頼もうか。仕事がなく困っている人の手助けになる」
「そうか。でもそれなら、高齢者の力を借りたらどうだ。シルバー人材という手もある」
以前から山城は、父・豊の教えの下、有機無農薬栽培による循環型の生産システムを取り入れていた。しかしそれはお茶の栽培に限った話ではなく、社会全体のあり方にもつながる思想である。現在の世の中は仕事が社会全体にうまく行き渡らず、30代、40代の労働者に著しく仕事が偏り、若年層の新規雇用や高齢者の活用が十分に行われていない状況だ。労働力のこうした年齢格差を解消し、あらゆる年齢層に仕事を再分配していけば、社会が活気づき明るさが増してくるはずだ。
山城と崎浜は協議の結果、シルバー人材を活用する方法を選択した。徹底した生産システムの改善とコスト管理を行い、手摘みでもどうにか利益を確保できる見通しが立ったのだ。実際に茶摘みの様子を見にいってみると、ほおかむりしたおばぁたちが脇に籠を抱えて慣れた手つきで手摘みしており、昔の農村風景をほうふつさせる。しかもここは沖縄、流れているBGMは琉球民謡。三線の音色にのせておばぁたちは一緒に口ずさみ、土地柄が感じられてとても清々しい。
山城の話によると、茶摘み仕事は高齢者に向いているそうだ。若い人は作業のスピードは速いが飽きるのも早く、一日を通すと結局は高齢者のほうが仕事量が多いというケースがほとんどらしい。シルバー人材の起用では徳島県上勝町の葉っぱビジネス(山の中で採取した木の葉を料理に添える「つまもの」として高級料亭に卸すが事業。高齢者がパソコンを使って販売)が有名だが、紅茶の味や品質だけではなく、高齢者の活用という点でもぜひ頑張ってもらいたいものだ。
さて、機械摘みから手摘みへ収穫方法を切り替えた紅茶事業だが、実はいちど「頓挫」仕掛けたことがあるそうだ。
茶摘みを依頼するシルバー人材の話がまとまり、生産ラインも手摘み用に整え、いよいよ山城「手摘み」紅茶を本格加工。さて、そのお味は…
「?」
山城と崎浜は顔を見合わせて絶句した。おいしくない、のだ。当面の予算は手摘み加工のために費やしてしまったし、今さら後戻りはできない。最悪の事態が脳裏をよぎった。
「…こんなはずはない。どこかで方法を間違ったのかもしれない。とりあえず、もう一度やってみようか」
2人は肝を冷やしながら、恐る恐る一つひとつの工程をチェックし合い、収穫から加工まで念入りに作業を行った。舌の先まで冷や汗を垂らし、再び紅茶を入れてみると、
「おいしかった、んです。最初に手摘みで実験をしてうまくいったので、“これはいけるぞ”という思いが先走り、2人とも細かい確認作業を怠っていたんですね。ともかくひと安心でした」
これでようやく、商品化の道筋は整った。手摘み無農薬栽培の沖縄産紅茶を、4種類の味をそろえて発売する。一軒の茶農家が1つの茶樹(厳密には2つ)から4つの紅茶を加工できるということは、国内に限らず世界的にみて画期的なことなのだ。
「最終的には国立茶業試験場の根角さんに試作品を送って、味をチェックしてもらいました。そして“これなら大丈夫だ”というお墨付きをいただき、私たちも自信を持って勝負に出ることに決めました」
山城と崎浜は商品の発売に先立って、法人化の準備を進めた。山城は以前から「農業経営を成功させるためには徹底した収支管理が必要」と考えており、株式会社として農業生産法人を設立。代表取締役社長には山城が、崎浜は取締役に就任した。
「会社名は沖縄紅茶農園で、商品名は山城紅茶。これは決して私の名前ではなく地域名なんです。アッサムやダージリンなど世界的に有名な紅茶は産地の地方名が付いているように、沖縄から世界で勝負できる紅茶を発信しようという私たちの決意表明です」
緑茶から紅茶へ。かくして2007年2月1日、「山城紅茶」は晴れて世の中にお披露目になったのだ。
山城紅茶の味は4種類。「コク重視」「あっさりストレート」「スモーキー」「職人仕上げ」と変化に富んだ味が楽しめます
text:冨井穣
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「山城紅茶」の誕生
茶葉の手摘みは、必ずしも専門知識や技術が必要な仕事ではない。芽の先端から2枚の若葉が付いた部分を摘む「一芯二葉摘み」が原則とはいえ、若葉が2枚付いていることをいちいち目視することはなく、収穫期の茶樹に触ってみれば摘み取る個所は一触瞭然。茎がちょうど柔らかくなっている部分に指を触れ当ててへし折り、一芯一葉、二葉、三葉…を摘み取っていく。しかも茶葉の収穫期は限られているため、常勤ではなく一時的に大量に人手が必要になる。
「アルバイトを募集しても、そんな都合よく人が集まるだろうか」
「派遣労働者を頼もうか。仕事がなく困っている人の手助けになる」
「そうか。でもそれなら、高齢者の力を借りたらどうだ。シルバー人材という手もある」
以前から山城は、父・豊の教えの下、有機無農薬栽培による循環型の生産システムを取り入れていた。しかしそれはお茶の栽培に限った話ではなく、社会全体のあり方にもつながる思想である。現在の世の中は仕事が社会全体にうまく行き渡らず、30代、40代の労働者に著しく仕事が偏り、若年層の新規雇用や高齢者の活用が十分に行われていない状況だ。労働力のこうした年齢格差を解消し、あらゆる年齢層に仕事を再分配していけば、社会が活気づき明るさが増してくるはずだ。
山城と崎浜は協議の結果、シルバー人材を活用する方法を選択した。徹底した生産システムの改善とコスト管理を行い、手摘みでもどうにか利益を確保できる見通しが立ったのだ。実際に茶摘みの様子を見にいってみると、ほおかむりしたおばぁたちが脇に籠を抱えて慣れた手つきで手摘みしており、昔の農村風景をほうふつさせる。しかもここは沖縄、流れているBGMは琉球民謡。三線の音色にのせておばぁたちは一緒に口ずさみ、土地柄が感じられてとても清々しい。
山城の話によると、茶摘み仕事は高齢者に向いているそうだ。若い人は作業のスピードは速いが飽きるのも早く、一日を通すと結局は高齢者のほうが仕事量が多いというケースがほとんどらしい。シルバー人材の起用では徳島県上勝町の葉っぱビジネス(山の中で採取した木の葉を料理に添える「つまもの」として高級料亭に卸すが事業。高齢者がパソコンを使って販売)が有名だが、紅茶の味や品質だけではなく、高齢者の活用という点でもぜひ頑張ってもらいたいものだ。
さて、機械摘みから手摘みへ収穫方法を切り替えた紅茶事業だが、実はいちど「頓挫」仕掛けたことがあるそうだ。
茶摘みを依頼するシルバー人材の話がまとまり、生産ラインも手摘み用に整え、いよいよ山城「手摘み」紅茶を本格加工。さて、そのお味は…
「?」
山城と崎浜は顔を見合わせて絶句した。おいしくない、のだ。当面の予算は手摘み加工のために費やしてしまったし、今さら後戻りはできない。最悪の事態が脳裏をよぎった。
「…こんなはずはない。どこかで方法を間違ったのかもしれない。とりあえず、もう一度やってみようか」
2人は肝を冷やしながら、恐る恐る一つひとつの工程をチェックし合い、収穫から加工まで念入りに作業を行った。舌の先まで冷や汗を垂らし、再び紅茶を入れてみると、
「おいしかった、んです。最初に手摘みで実験をしてうまくいったので、“これはいけるぞ”という思いが先走り、2人とも細かい確認作業を怠っていたんですね。ともかくひと安心でした」
これでようやく、商品化の道筋は整った。手摘み無農薬栽培の沖縄産紅茶を、4種類の味をそろえて発売する。一軒の茶農家が1つの茶樹(厳密には2つ)から4つの紅茶を加工できるということは、国内に限らず世界的にみて画期的なことなのだ。
「最終的には国立茶業試験場の根角さんに試作品を送って、味をチェックしてもらいました。そして“これなら大丈夫だ”というお墨付きをいただき、私たちも自信を持って勝負に出ることに決めました」
山城と崎浜は商品の発売に先立って、法人化の準備を進めた。山城は以前から「農業経営を成功させるためには徹底した収支管理が必要」と考えており、株式会社として農業生産法人を設立。代表取締役社長には山城が、崎浜は取締役に就任した。
「会社名は沖縄紅茶農園で、商品名は山城紅茶。これは決して私の名前ではなく地域名なんです。アッサムやダージリンなど世界的に有名な紅茶は産地の地方名が付いているように、沖縄から世界で勝負できる紅茶を発信しようという私たちの決意表明です」
緑茶から紅茶へ。かくして2007年2月1日、「山城紅茶」は晴れて世の中にお披露目になったのだ。
山城紅茶の味は4種類。「コク重視」「あっさりストレート」「スモーキー」「職人仕上げ」と変化に富んだ味が楽しめます
text:冨井穣