沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

紅茶の島のものがたり vol.21 冨井穣

2009年08月21日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第21話
「山城紅茶」の誕生


 茶葉の手摘みは、必ずしも専門知識や技術が必要な仕事ではない。芽の先端から2枚の若葉が付いた部分を摘む「一芯二葉摘み」が原則とはいえ、若葉が2枚付いていることをいちいち目視することはなく、収穫期の茶樹に触ってみれば摘み取る個所は一触瞭然。茎がちょうど柔らかくなっている部分に指を触れ当ててへし折り、一芯一葉、二葉、三葉…を摘み取っていく。しかも茶葉の収穫期は限られているため、常勤ではなく一時的に大量に人手が必要になる。
「アルバイトを募集しても、そんな都合よく人が集まるだろうか」
「派遣労働者を頼もうか。仕事がなく困っている人の手助けになる」
「そうか。でもそれなら、高齢者の力を借りたらどうだ。シルバー人材という手もある」
 以前から山城は、父・豊の教えの下、有機無農薬栽培による循環型の生産システムを取り入れていた。しかしそれはお茶の栽培に限った話ではなく、社会全体のあり方にもつながる思想である。現在の世の中は仕事が社会全体にうまく行き渡らず、30代、40代の労働者に著しく仕事が偏り、若年層の新規雇用や高齢者の活用が十分に行われていない状況だ。労働力のこうした年齢格差を解消し、あらゆる年齢層に仕事を再分配していけば、社会が活気づき明るさが増してくるはずだ。
 山城と崎浜は協議の結果、シルバー人材を活用する方法を選択した。徹底した生産システムの改善とコスト管理を行い、手摘みでもどうにか利益を確保できる見通しが立ったのだ。実際に茶摘みの様子を見にいってみると、ほおかむりしたおばぁたちが脇に籠を抱えて慣れた手つきで手摘みしており、昔の農村風景をほうふつさせる。しかもここは沖縄、流れているBGMは琉球民謡。三線の音色にのせておばぁたちは一緒に口ずさみ、土地柄が感じられてとても清々しい。
 山城の話によると、茶摘み仕事は高齢者に向いているそうだ。若い人は作業のスピードは速いが飽きるのも早く、一日を通すと結局は高齢者のほうが仕事量が多いというケースがほとんどらしい。シルバー人材の起用では徳島県上勝町の葉っぱビジネス(山の中で採取した木の葉を料理に添える「つまもの」として高級料亭に卸すが事業。高齢者がパソコンを使って販売)が有名だが、紅茶の味や品質だけではなく、高齢者の活用という点でもぜひ頑張ってもらいたいものだ。
 さて、機械摘みから手摘みへ収穫方法を切り替えた紅茶事業だが、実はいちど「頓挫」仕掛けたことがあるそうだ。
 茶摘みを依頼するシルバー人材の話がまとまり、生産ラインも手摘み用に整え、いよいよ山城「手摘み」紅茶を本格加工。さて、そのお味は…
「?」
 山城と崎浜は顔を見合わせて絶句した。おいしくない、のだ。当面の予算は手摘み加工のために費やしてしまったし、今さら後戻りはできない。最悪の事態が脳裏をよぎった。
「…こんなはずはない。どこかで方法を間違ったのかもしれない。とりあえず、もう一度やってみようか」
 2人は肝を冷やしながら、恐る恐る一つひとつの工程をチェックし合い、収穫から加工まで念入りに作業を行った。舌の先まで冷や汗を垂らし、再び紅茶を入れてみると、
「おいしかった、んです。最初に手摘みで実験をしてうまくいったので、“これはいけるぞ”という思いが先走り、2人とも細かい確認作業を怠っていたんですね。ともかくひと安心でした」
 これでようやく、商品化の道筋は整った。手摘み無農薬栽培の沖縄産紅茶を、4種類の味をそろえて発売する。一軒の茶農家が1つの茶樹(厳密には2つ)から4つの紅茶を加工できるということは、国内に限らず世界的にみて画期的なことなのだ。
「最終的には国立茶業試験場の根角さんに試作品を送って、味をチェックしてもらいました。そして“これなら大丈夫だ”というお墨付きをいただき、私たちも自信を持って勝負に出ることに決めました」
 山城と崎浜は商品の発売に先立って、法人化の準備を進めた。山城は以前から「農業経営を成功させるためには徹底した収支管理が必要」と考えており、株式会社として農業生産法人を設立。代表取締役社長には山城が、崎浜は取締役に就任した。
「会社名は沖縄紅茶農園で、商品名は山城紅茶。これは決して私の名前ではなく地域名なんです。アッサムやダージリンなど世界的に有名な紅茶は産地の地方名が付いているように、沖縄から世界で勝負できる紅茶を発信しようという私たちの決意表明です」
 緑茶から紅茶へ。かくして2007年2月1日、「山城紅茶」は晴れて世の中にお披露目になったのだ。




山城紅茶の味は4種類。「コク重視」「あっさりストレート」「スモーキー」「職人仕上げ」と変化に富んだ味が楽しめます



text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.20 冨井穣

2009年08月14日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第20話
手摘みの価値


 山城と崎浜を見ていると、期待料込みで「ホンダ」の本田宗一郎と藤沢武夫の関係を連想する。町工場から日本のトップ企業へと上りつめた、天才技術者と名参謀。浜松の工場で作業服姿のままミカン箱の上に立ち、「世界一になる」と従業員に宣言していた本田宗一郎と、常に裏方に徹して本田の才能を最大限に発揮させるために、経営の環境条件を整えることに努めた藤沢武夫。将来の夢の話になると、酒も飲まずに何時間も語り合うほど一心同体の間柄でありながら、どこかクールな気質で適度な距離を保ち、水のごとく淡い「君子の交わり」を続けた2人。そうした関係が、「世界一の紅茶作りを目指す」と事もなげに語る山城と、沖縄に産業基盤を築くべく山城の夢を全面的にサポートする崎浜の姿にオーバーラップすると考えるのは、少し大げさだろうか。
 山城に言わせると、2人は「公募で集まった音楽バンドのような関係」とのことだ。端から見れば突飛な夢でも、冗談めかしながら真剣に語り合い、実現の可能性をとことん探る。一方ではそれぞれの私生活に深く立ち入らず、酒を酌み交わしたのも数回程度というドライな関係。大の酒好きでならした山城の素性に照らすと意外に思えるが、お互いが自分の夢をかけるのに値する人間として、相手を最大限に尊重しているのだろう。
 話を紅茶作りに戻すと、型破りの発想が実現に至った例は、前回の加工システムの開発をはじめいくつも見ることができる。
 茶葉の手摘みを始めたことも、日本の茶業界にあっては画期的なことだった。
 日本の茶畑は一般的に、機械摘みすることを前提に茶畝が整備されており、山城の茶園もご多分に漏れず、父・豊の代から摘採機を使用して収穫を行っていた。夏も近づく八十八夜…と籠を抱えた婦女子が歌いながら、のどかに茶葉を摘んでいたのははるか昔のこと。手摘みと機械摘みでは効率の差は歴然で、人の手で収穫できる茶葉の量は通常1時間で1kg、熟練者でもその2倍程度と言われているが、茶葉を刈り取る乗用摘採機を使えばその何十倍もの量を収穫できる。山城の工場では製茶機を稼働させるのに毎回60kgの茶葉が必要だったため、手摘みでは朝から晩まで3日間以上、茶摘みの作業をしなければならない計算になる。つまり、現実的ではない、ということだ。(前回触れたように、山城と崎浜が少量の茶葉で紅茶の実験ができるシステム開発に取りかかったのはそのためだ)
 また他府県と違って沖縄では、気候などの影響で新芽がバラバラに芽吹いてくるため葉の位置がそろわず、機械摘みをすると茎や堅い葉など本来収穫すべきではない部位まで刈り取ってしまう。緑茶作りでは、それが沖縄産の茶葉の価値を落としてしまう一因であり、山城が紅茶の道を模索し始めたきっかけでもあった。
 山城と崎浜は独自の加工システムが完成してからも、当初は茶葉の摘み方にこだわりなく、機械摘みした中から少しずつ取り分けて実験を繰り返していた。そんなある日、あらゆる可能性を試すために、手摘みした茶葉でテストを行った。すると、どうだろう。
「これは…今までと味が違いすぎる」
 2人はそのおいしさに驚き、顔を見合わせてしばらく呆然とした。
 インドやスリランカなど紅茶の主産国では、今でも収穫はすべて手摘みで行われている。それは単に、何人もの茶摘み婦を安い賃金で雇えるからという経済的な理由ではなく、手摘みでなければおいしい紅茶ができないということを、彼らは経験的に知っているのではないだろうか。
 山城は以前にスリランカを訪れた際、茶畑を見て「良くも悪くも“雑”に造られている。日本のほうが単位収量は多いのではないか」という印象を持ったという。それは逆の見方をすれば、機械を使わないのだから日本ほど整備する必要がないとも考えられる。
 インド、スリランカに限らず、「紅茶=手摘み」という原則は世界共通のもののようだ。例えば清涼飲料大手の伊藤園のホームページをのぞいてみると、紅茶の「生茶を摘み採るときの基本的な原則」として3つの条件が掲げられている。
1.一芯二葉摘み
2.余分な茎を混入させない
3.手指を使って手摘みする
 しかし、日本で手摘みを行うにはハードルが高すぎる。機械摘みと同等の収量を確保するには多くの労働者を雇わなければならないが、インドやスリランカと比べて日本は人件費がはるかに高いため、まったく採算が合わないのだ。「エコ」が叫ばれるはるか以前から有機無農薬栽培を実践してきた山城の父・豊に相談しても、理想論としては分かるが現実的には「何を寝ぼけたことを言っているんだか」となる。しかし、ここからが2人の腕の見せどころだった。






炎天下の中、沖縄紅茶農園の茶畑では今日も茶摘み婦がせっせと手摘みを行っています


text:冨井穣



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紅茶の島のものがたり vol.19 冨井穣

2009年08月07日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第19話
オリジナルシステムの完成

 開発当時を振り返って山城は、
「真剣に遊んでいた、という感じ。おもちゃのような試作機を幾つも作って、端から見れば仕事もせず遊んでいるとしか思われなかったのではないでしょうか」
 と述懐する。
 山城と崎浜が自作機の開発に取り組んだのは、データ収集を行うためにほかならない。紅茶の味は摘採後の加工方法に大きく左右され、その工程は揉捻、発酵などの組合せによって無数のパターンが考えられる。インドやスリランカといった紅茶の「先進国」では長年の歴史と伝統に培われた加工法が確立されているが、「後進国」の日本ではどのような手順を踏めばよいのか判然としない。沖縄の茶葉に適した加工法を編み出すためには、サンプリングを行い何通りもの方法を試す必要がある。
 金に糸目のない資産家か、消化しきれないほどの予算を抱えた研究機関なら、一回の試験ごとに今ある製茶機を稼働して60kgもの茶葉を投入し、データを集めることは可能だろう。しかしそれは現実離れした話で、まして当時の山城は崎浜と一緒に組んで以来、紅茶一本の生産体制へシフトしており、収入もほとんどなければかけられる予算にも限りがある。転職などで無収入期間を経験した人なら分かるだろうが、何もしなくても生活するだけで10万、20万という金はすぐになくなり、そのプレッシャーの大きさは計り知れないものがある。同様に山城にとって、「低予算、短期間」という命題は研究開発の大前提だった。
 開発、というと大げさに聞こえるが、考え方はとてもシンプルだ。例えば紅茶の加工で揉捻機を使う目的は、茶葉を揉みつぶして細胞膜を破壊し、紅茶の成分を抽出しやすくすると同時に、茶葉中の酵素やカテキンを浸出させ、酸素を供給して発酵を開始させる点にある。したがって理論的には、それが電子レンジであれドライヤーであれ、同じ結果を得られるならどんな装置を使おうが構わないわけだ。紅茶作りのデータ収集のために2人が求めたのは、少量の茶葉で簡単に実験ができ、大型の機械に移しても再現性のあるシステムだった。
「今回はうまくいったけどこの基板は熱に弱いなあ。一回のテストでもうボロボロだ」
「100円ケチって安物を選んだのが失敗だったかな。それにこっちの部品は必要なかったみたいだ」
 そんなやり取りが続けられた。
 経済的に厳しい状況にありながら、2人の間に悲壮感はなく、「絶対にできる!」という確信と明るい希望だけがあった。
 どんな仕事にも遊び心は大切だ。眉間に皺を寄せ膝をつき合わせて議論するばかりでは、面白いアイデアは浮かんでこない。野球でいえば、あれこれ考えず来た球を思い切り打ったときのほうが結果がよかったということはよくある話だ。大切なのは、それまで培ってきた知識や技術をいかに上手に発露させられるか、その環境を整えること。条件が同じなら、楽しいほうがいいに決まっている。
 そして数カ月後、ついに念願のシステムが完成。それまで一回の紅茶作りに60kgの茶葉を要していたものが、ごく少量で済むようになった。しかも、少量の茶葉で済むので実験可能な回数は増し、毎月1、2度行っていたテストが1日3、4回できるようになり、試験効率は飛躍的に向上した。
「万歳!これでどんな紅茶でも作れるぞ!」
 山城と崎浜は喜びのあまり雄叫びを上げ、感極まって号泣。互いの労をねぎらい固く握手を交わし、茶園の真ん中でシャンパンファイト…とはならなかった。むしろ、「これでようやくスタートラインに立った」という思いが強く、2人はホッとしたのもつかの間、次なる課題に向けて思いを巡らし、渋いお茶をずずっとすすった(かどうかは分からない)。
 できあがったシステムは、あくまでいろいろなパターンの加工方法を試してデータを収集するためのもので、それがあるからといって紅茶の加工がすべてうまくいくとか、おいしい味に仕上がるといったわけではない。問題はその先だ。
「システム開発と前後して、どんな紅茶を作るべきか崎浜と話し合った結果、まずは4種類の味を出してみることに決めました。一つは“特徴的でクセがあり、味を覚えてもらえるもの”ということで中国のキーマンに似た味(現在のNO.905)にして、もう一つはその対局にあるもの(NO.927)に、そして今度は“多くの人に飲んでもらえるもの”ということで両者の中間の味(NO.918)を作り、最後に自分たちの個性を強く出したもの(NO.909)と考えたんです」
 こうしてできあがったシステムを駆使しながら、いろいろな加工方法を試してデータを集め、4種類の紅茶作りを進めていった。




茶畑の仕事を終え、作業小屋の屋根で休憩する2人



text:冨井穣



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紅茶の島のものがたり vol.18 冨井穣

2009年07月31日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第18話
世界初を目指して

 山城と崎浜の関係は、つかず離れず、それぞれの得意分野で100%能力を発揮できるようお互いを尊重する精神が根幹にある。山城は紅茶作りに全力を注ぎ、崎浜は経営環境を整備する。「三人寄れば文殊の知恵」の3人にはあと1人足りないが、英語では同じ意味で“Two heads are better than one”(1人より2人の見方が加わればよりよい知恵が浮かぶ)といった言い回しがあり、場合によっては2人で十分なようだ。
 崎浜は経営面から山城の紅茶作りをサポートしただけではなく、エンジニアとしてもその能力をいかんなく発揮した。大学院ではリニアモーターカーの原理である超電導について研究し、石油会社ではプラント設備の管理に当たった経験から、製茶工場のシステム改善に大きく寄与したのである。
 例えば、日本の製茶工場を見たことがある人はすぐ分かると思うが、ひとつ一つの設備はとてつもなく大きい。これは以前にも触れたとおり、緑茶はその性質上、摘採後すぐに加工しなければならず、茶葉の収穫時期は限られているため、短期間で大量に処理できる設備が求められているわけだ。山城の工場はそれほど規模が大きくないとはいえ、機械を稼働させるには一回につき60kgもの茶葉を集めなければならない。つまり、緑茶を製造するなら問題ないサイズ(もしくはさらに大型化したほうが効率は増す)だが、紅茶の試作品作りには明らかに大きすぎる。新しい実験の度に60kgもの茶葉を使っていては、どう考えても効率が悪すぎる。
 無論それならば、実験をコンパクトに行えるよう小さな設備を導入すれば済む話だが、数十万円、数百万円の費用がかかる設備投資を簡単に行える企業はそう多くはないはずだ。従業員が2人だけの零細農家ではなおさらだ。まして当時の主力商品は緑茶であり、いくら将来有望とはいえ紅茶がこの先着実に利益を生み出せるかどうか分からない。仮に銀行へ融資を依頼したとしても、「やる気」だけではそれもなかなか難しいだろう。しかし、だからこそ人間は、与えられた条件の中で可能性を見つけ出そうと努力し、さまざまな知恵を生み出してきたということもできる。山城と崎浜の場合もそうだった。
 新たな設備を購入せず、紅茶作りの実験効率を高めるには2通りの方法が考えられる。一つは機械の自作であり、もう一つは加工方法を別のやり方に置き換えることである。崎浜が考案したのはこの二つを昇華させた方法だった。
 紅茶の製造は主に萎凋、揉捻、発酵、乾燥という過程を踏む。「萎凋」の工程で茶葉中の水分を減らし、「揉捻」では酸化酵素を空気に触れさせて発酵を促すなど、各工程にはさまざまな意味や目的が込められているが、突きつめて考えるとすべての作業は、「紅茶をおいしく飲むため」に人類が長年かけて蓄積してきた加工手段、ととらえることができる。ということは、紅茶をさらにおいしく飲める方法があれば、もしくはもっと簡単な方法で同じ味覚を作ることができれば、必ずしも現在と同じ加工手順を踏む必要はないわけだ。
「紅茶がおいしく感じられるのはなぜだ?」
「茶葉の中に含まれるカテキン類が酸化酵素の働きで化学変化を起こし、テアフラビン、テアルビジンといった成分に姿を変える。すると、カテキン由来の渋さはほとんどなくなり、紅茶特有の風味や香り、水色が新たに生まれてくるんだ」
 山城は複雑な化学式を書いて崎浜に見せた。
「それなら、方法はどうであれ、摘んできた茶葉に同じ化学変化を引き起こせば、理論的には同じ味の紅茶ができるわけだ」
 例えるなら、東京から大阪へ移動するには飛行機、新幹線、自家用車、バスなどさまざまな手段があるのと同じことで、新幹線のグリーン車に乗る余裕がなければ夜行バスを利用すればいいだけの話だ。それでもグリーン車に乗りたければ、金券ショップやオークションを徹底的に調べてみればいい。
 山城が茶葉の発酵原理について熟知していたことも、崎浜の着想に大きな示唆を与えた。茶葉中には4種類のカテキン成分が含まれていることや、これらのカテキン類が複雑に結合してさまざまな風味を生み出していること、結合のパターンはまだ解明されていないこと(だから発酵はおもしろい)など、山城は知っている限りのことを崎浜に伝えた。
 目的はただ一つ。紅茶の発酵過程をコンパクトに再現できる装置を作ること。
「よし、やってみよう。成功すれば世界でも類をみない画期的なシステムになる」
 2人は連日連夜、紅茶談義を交わしながら、「紅茶発酵システム」開発に取りかかった。



写真は紅茶の製造に使われる揉捻機



text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.17 冨井穣

2009年07月24日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第17話
出会い

 工場横の作業机で出迎えた山城は、ポットで湯を沸かし熱い紅茶を差し出した。雨上がりの太陽に周囲の草むらは煮えたぎり、一斉に鳴き競う虫の声が蒸し暑さを助長する。流れ落ちる汗をつなぎの袖でぬぐいながら、ゆっくりとたばこをくゆらせ、相手の言を待った。すると、
「紅茶を、一緒に組んでやらないか」
 思いもよらないセリフに、山城は耳を疑った。青年の顔にはいつもと変わらぬ温和な笑みが浮かんでいるものの、眼鏡の奥のまなざしは真剣そのものだ。
 青年の名は崎浜竜也。工学系の大学院を卒業後、外資系石油会社に勤務し、研究職から貿易業務まで手がけていた手腕家で、生まれ育った沖縄へ数年前に帰郷。以後、各方面へ顔を出し沖縄での基盤作りを進めていたところで、才知にたけたその仕事ぶりは山城をはじめ衆目の認めるところだった。これは山城にとって、願ってもない援軍の登場である。
 とはいえ崎浜は、茶業のみならず農業に関してはまったくの素人である。第一線の企業戦士としていくら実績があったとしても、お天道様相手の農業が、市場原理にそぐわないことはよく指摘されることである。
 生粋の土着農家と世界をまたにかけるエンジニア。まるで接点のない二人が、一緒に働いている光景を想像するのは難しい。
 果たして回答を迫られた山城は、どのような決断を下したのか。意外にもその答えは、迷うことなく「イエス」だった。
 以前から山城は、農業には異業種の人材の参入が必要と考えていた。農業未経験者が一朝一夕に利益を出すのはたやすいことではない。しかし、農業にどっぶりつかった自分たちとは違った視点からいろいろな示唆を与えてくれれば、新しいアイデアが生まれたり問題の解決方法が見つかるかもしれない。さらに異業種間の連携が進んでいけば、いわゆる「シナジー効果」が発揮され社会全体に対してもプラスに作用するはずだ。
 一方で、なぜ崎浜が山城と組もうと思ったのか、と疑問がわく。実はそこには、崎浜のある思惑が潜んでいた。
 崎浜が東京の会社を辞め、Uターンを果たしたのは「沖縄の産業振興のため」だった。
 なぜ沖縄と本土ではこんなに所得格差が大きいのか。沖縄は先の大戦で「本土防衛の砦」として戦ったのに、なぜ十分な高配が与えられないのか。
 幼少時からそうした思いを抱き続けてきた崎浜は、沖縄へ戻るに当たって、「将来、基幹産業になるようなフィールドは何か」を模索し始め、そこで自分の経験と能力を最大限に発揮しようと考えていた。そんな折に山城と出会ったのである。
 崎浜には長年、石油会社に勤めていた経験から、「世の中では原料と地面を握っている者が一番有利」という確信があった。そして、それらを元に生み出される製品には、なるべく添加物を加えてはいけない。例えば自動車のように何種類もの部品を組み立てて作る製品は、原料が高騰したり部品が欠損したりするリスクが付きまとう。リスクが高ければ、その業種は基幹産業には育ちにくい。まして沖縄のように、経済基盤がぜい弱な場所ではなおさらだ。
 そこで目を付けたのが、山城の紅茶だった。広大な茶畑という「地面」が確保されている上、長年培われてきた無農薬有機栽培という付加価値もある。また紅茶の製造は、「原料」の茶葉を発酵させるだけなので余計な「添加物」が入らない。(現在もハーブティーなどのブレンドティーを作らないのはそのためである)。つまり、山城の作る紅茶には沖縄の基幹産業として成長できる要素が備わっており、崎浜はそこに自己投資しようと決意したのである。もちろん、沖縄で茶業を営むなら緑茶より紅茶のほうが適しているという下知識は持っており、「沖縄で栽培された紅茶はアッサムにも劣らない将来有望なもの」と唱える人がいることも知っていた。
 こうして山城の紅茶作りは、山城と崎浜による二人三脚の体制に進化した。畑の管理や茶葉の育成は今まで通り山城が担当し、崎浜は製造工程の効率化や販売体制の整備など経営面をサポートするという仕組みである。崎浜は「企業体」として最低限のルール作りにも取りかかり、例えば
「社会経験と実績は、山城より僕のほうが多いのは厳然たる事実。今後の方針について二人の考えが折り合わないときは、僕の意見を優先します」
 と崎浜は言う。
 まったくの異業種にやって来て、さまざまな試みを断行できる崎浜の自信と能力に感服するとともに、それを受け入れられる山城の懐の広さも称賛に値しよう。
「農家だからといって、全員が泥と汗にまみれて作業する必要はないでしょう?山城と僕を比較すると、山城は肩までどっぷり畑に漬かりながら、物事を考えるために頭だけ外に出しているようなタイプ。僕が漬かっているのはせいぜい腰のあたりまでかな(笑)」
 そんなクールな農業も面白い。



紅茶の製造作業をする崎浜。「力作業はすべて山城まかせ」だそうだ





text:冨井 穣





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紅茶の島のものがたり vol.16 冨井穣

2009年07月17日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第16話
紅茶文化とは

2005年。山城が沖縄に戻って緑茶生産と紅茶研究を始めてから、はや5年の歳月が流れていた。
 5年間。長い月日である。
 石の上にも3年、桃栗3年柿8年とはよく言うが、結果が出ないまま過ごした5年間は、さぞかし歯がゆい思いが募ったことだろう。それとも逆に、自然を相手に生活する農家にとって、5年という歳月は微々たるものに過ぎないのだろうか。例えば林業に携わる山守は、50年、100年先の成長を見据えて木を植える。茶業では、苗木を植えて5年待てば、子、孫の代まで収穫できる茶樹に育つ。そう考えると、山城が試行錯誤を繰り返してきたこの5年間も、次なるステップへ向けての助走期間ととらえることができるかもしれない。
 実際に、少量ながらも紅茶の出荷は続いていたし、この年には公から将来有望な事業であるとお墨付きを受け、スリランカへ海外研修にも赴いた。
 19世紀から20世紀半ばまでイギリスの植民地だったスリランカは、インド、中国に次ぐ世界第3位の紅茶の産地。輸出量に至っては世界1位を誇り、かつての国名「セイロン」は紅茶の代名詞としてその名をとどめている。
 山城が研修先にスリランカを選んだのは明確な理由があった。スリランカはインド南東沖に浮かぶ島国で、面積は北海道の8割程度の広さに過ぎないが、海岸沿いには温暖なビーチが広がり、その一方で中南部は標高2000メートル超の高地になっている。そのため、スリランカでは製茶工場の位置する標高によって、ハイグロウンティー(1300m以上)、ミディアムグロウンティー(670~1300m)、ローグロウンティー(670m以下)と品質を3段階に分類しており、産地の気候が異なるさまざまな種類の紅茶をコンパクトに見て回ることができるのだ。例えば世界3大紅茶の一つに数えられる「ウバ」はハイグロウンティーに属し、先週紹介したミニカさんが「キャンディーという産地でとれる茶葉は、アメ玉とは無関係ですが名の通りとても甘みがあって、自然からの贈り物は素晴らしいとつくづく感心してしまう」と評する「キャンディー」は、ミディアムグロウンティーの一種である。
 山城が滞在したのは約1カ月間。それはそれは至れり尽くせりの充実した研修期間だったと思いきや、実際にはコロンボ空港までの往復チケットが手配されていただけで、現地のガイドがいるわけでもなければ宿も決まっていない。到着した瞬間にそのことを知り山城はぼうぜんとしたが、そのまま沖縄へトンボ帰りするわけにもいかず、片言の英語で宿探しから始めなければならなかった。しかし、これがかえって山城には、無二の経験として作用したようだ。
 幼少時から変わらぬ無鉄砲さで、製茶工場へ見学を申し込む。コトバもろくに話せない外国人の押しかけ訪問にもかかわらず、3分の1の確率で了承を得られたというから大したものだ。移動はバスでも列車でも観光客仕様は避け、現地の人と同じ賃料の安い車両を利用する。さすがは喫茶の風習が浸透した紅茶の国とあって、車内ではお湯を沸かして紅茶を販売しており、粉のような安い茶葉で入れたものでも、なぜかとてもおいしく感じる。車窓を流れる景色はいつまでもどこまでも茶畑が続き、茶摘みをする人々の顔には笑顔が絶えない。
「これが文化なんだ…」
 研修を通じて学んだことは、茶樹の栽培方法でも紅茶の加工技術でもなく、本場の紅茶文化を肌身で体感したことだった。
「町の至る所にティーハウスがあり、茶園に行けば紅茶を飲ませてくれるスペースが必ずある。そこでいただいた紅茶の味が忘れられなくて、やっぱり紅茶はほかの農作物同様、収穫したその土地で飲むのがいちばんおいしいんだと実感しました」
 これは単なる感慨ではなく、取りも直さず自らに対する課題としてはね返ってくる。
 山城の紅茶はおいしいと言わせたい。山城の紅茶が飲みたいから沖縄へ行ってみたいと思わせたい。
 こうして1カ月間の研修期間を終えた山城は、沖縄へ戻っていつも通りの作業を再開した。茶葉を摘んでは萎凋、揉稔、発酵させて紅茶を作る。茶樹の栽培に関しては、スリランカのやり方に比べてむしろ優れているという自負さえあった。となると、あとは沖縄の茶葉に合った発酵方法をどうやって見つけるかが問題である。
 そんなある日、一人の青年から連絡があった。少し込み入った話がしたいので時間を取れないかと言う。以前から仕事の会合などで何度か顔を合わせたことはあるが、果たして何の用事だろうか。


スリランカで茶摘みを行うのはほとんどがタミル人。イギリス植民地時代にインドから移民としてスリランカに渡ってきた労働者の子孫たちだ。



text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.15 冨井穣

2009年07月10日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第15話
ホッとティータイムその2:
山城紅茶を専門家が評価!

 コアなファンのクチコミで知名度が広がり、全国で最も有名な国産紅茶の一つに成長した山城紅茶。全世界に何千種類と存在する紅茶の中で、専門家はその味についてどのような評価を下すのか。ティーアドバイザーの資格を持ち、関西地方で紅茶サロンを主宰するミニカさんに話を聞いた。



Q山城紅茶からは現在4種類の味が発売されています。それぞれの味や特長について、どのような感想をお持ちですか。おすすめの飲み方があれば合わせて教えて下さい。
A今回の評価に当たっては、茶葉の量を3グラム、水道水を沸かしたお湯を150CC、蒸らし時間を4分で統一し、それぞれの銘柄についてテイスティングしてみました。

No.909:職人仕上げ
濃い水色で香り高く、渋味と香りとコクがバランスよく調和した完成度の高い紅茶です。渋味が口に残らないので後味がとてもすっきりしています。海外の濃厚な紅茶を飲み慣れた人、そのような味を好む人は、茶葉の量や蒸らし時間を調整するといいかもしれません。

No.905:スモーキー
明るく澄んだオレンジ色の水色で、花の香りにも似たどこか懐かしさを感じさせる芳香があります。世界三大紅茶の一つで独特の個性的な香りがある「キーマン」をイメージして作られたようですが、一般的なキーマンよりマイルドなスモーキーさがあり、国産紅茶ならではの上品な味に仕上がっていますね。とても飲みやすいので気軽にストレートで味わうのもおすすめですが、多めの砂糖を入れたりまたはミルクを入れると、また別の表情が表れて面白いですよ。

No.927:コク重視
鮮やかな赤い水色で、力強い茶葉の香りが印象的です。名前の通りとてもコクがあって、味にどっしりと重みがあるのにとても飲みやすい。後味にほのかに黒糖の香りがするのは気のせいでしょうか(笑)。おすすめの飲み方としては、ティースプーン一杯のシュガーにミルクを垂らして味わうこと。「心癒される一杯」という形容がぴったりのまろやかな味わいが楽しめます。

No.918:あっさりストレート
「まさに紅茶」と言えるような美しく透き通った水色で清々しい香りが特長です。飲み口に渋味やクセがほとんどないので、朝昼晩問わず1日を通して楽しめると思います。またティータイムには、ケーキなど洋菓子だけではなく和菓子ともよく合うはずですよ。それから、これからの暑い季節にぴったりの飲み方がありますので、ぜひ試してみて下さい。

ミニカ流 水出し山城紅茶



・用意するもの:No.918「あっさりストレート」ティーバッグ(2グラム入り×3袋)、軟水のミネラルウオーター500cc
・作り方:ティーバッグを水に入れて約8時間置いておくだけ。夜の寝る前に作っておけば翌朝には色鮮やかな水出し紅茶のできあがり!

 お湯を注ぐ場合に比べて、水出しでは茶葉中のタンニンが抽出されにくいので、そのぶん渋味の少ない紅茶ができあがります。夏は麦茶感覚で何杯でも飲めますよ。クリームダウン(アイスティーを作るとき氷を入れたりして紅茶を冷やすと、タンニンとカフェインが結合して結晶化し白く濁る現象)が起こることもありません。また冷蔵庫に入れておくより、常温で作ったほうがまろやかな味に仕上がると思います。一つ注意していただきたいのは、水の硬度です。私は関西の水道水を使いましたが、例えば沖縄の水は関西より硬度が高い(沖縄県の水の平均硬度は約84と日本一高い。ちなみに大阪府は約44)ので、水の量や抽出時間の調整が必要かもしれません。

Q山城紅茶の客観的な評価と、今後に期待することがあればお聞かせ下さい。
A紅茶は嗜好品ですから、味の好みは人それぞれに違うので一概に評価することは難しいのですが、鹿児島県の知覧紅茶や夢ふうきといった紅茶を飲んでみて思うのは、国産紅茶は海外のものに比べて味が薄めだということです。それはそれで日本ならではの特長だと思うのですが、多くの人は海外の紅茶を飲み慣れているので、国産紅茶ではやや物足りなく感じるかもしれません。また最近では、茶葉にフルーツやキャラメルなどの香りをつけたフレーバーティーの需要が多くなってきています。そのような状況下で山城紅茶は、茶葉の味で勝負しようという姿勢が強くうかがえますし、沖縄という土地で丁寧に育まれた茶葉であることがよく分かります。まだ誕生して間もない紅茶ですから、これからどのように成長していくかとても楽しみにしています。


ミニカさんプロフィール
ティーアドバイザー。関西で紅茶といやしのサロン「Salon de Belle boudoir」を主宰。季節感をとりいれたやすらぎの空間で、ゲストに自分だけの時間を感じてもらえるよう、おもてなしの心を大切に、毎回新たな発見のあるレッスンを展開している。





Text:冨井 穣




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紅茶の島のものがたり vol.14 冨井穣

2009年07月03日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第14話
ウチナー紅茶作りのスタート



 人にとって“ふるさと”は特別なものだ。
 甲子園では出身県の高校を応援して盛り上がり、酒席では故郷に錦を!と管を巻き、税金はもちろんふるさと納税。寺山修司のように「帰る故郷があるならよかろ、おれにゃ故郷も親もない」と歌っても、結局それは“ふるさと”の反面教師に過ぎない。有名な言葉を借りれば、「人間はいつまでも故郷を身に付けている」のだ。
 そういえば以前に新聞記事で、都道府県別の「ふるさと納税ランキング」なるものが掲載されていた。結果はトップが北海道で二位が沖縄県、そして最下位は岡山県だった。
 北海道の人気分析は他の人に譲るとして、沖縄県出身の人々は“ウチナーンチュ”“ヤマトンチュ”と県内外の人を呼び分けるくらい、確かに地元愛が強い。例えば進学にしろ就職にしろ、高校生のほとんどが県内志向。Uターン就職率も他県に比べて圧倒的に高く、本土の学校を出て数年働いてから戻ってくる者も少なくない。またサザエさんのマスオさんよろしく、交際男性を沖縄へ引っ張ってきて婿入りさせる(彼らをウチナームクと言う)女性がとても多い。
 山城も言うなればUターン族に入るのだろうか。静岡にいる間ずっと、沖縄で茶業を成功させるにはどうすればいいかをとことん考え続けてきたのだから、その郷土愛は並々ならぬものがある。
 2001年3月、国立茶業試験場での研修期間を終えた山城は、実家の茶畑があるうるま市山城地区へ戻ってきた。本来なら少しの間ゆっくりして旧交を温めたりしたいものだが、季節はすでに新茶の摘採期。しかも数年前から父・豊の体調がすぐれなかったため、ほとんどすべての業務を自分で切り盛りしなければならなかい。そんなわけで息つく暇もなく、さっそく茶園の仕事に取りかかった。
 当初は従来通り、緑茶作りを中心に行った。静岡で学んだこと、沖縄へ帰ってから試したかったことを確認しながら、ひとつ一つ丁寧に。その中でも真っ先に取り組んだのは、水出し緑茶の製造だった。担当教官の根角の指導の下、研究したのは紅茶だけではない。沖縄は夏の暑い期間が長いので、麦茶感覚で飲める緑茶の開発も続けていたのである。
 さっそく周囲の人たちに振る舞ってみたところ、なかなか評判がいい。渋味がなく清涼感があり、水色も香りもいい。これはひょっとするとヒット商品になるかもしれない。
「でも、どうやって売ればいいんだろう?」
 山城は茶農家だ。お茶の栽培と加工についてはひと通りこなすことができても、当時はまだ流通の仕組みを理解していなかった。そこで山城は地元の商工会に入り、商売のノウハウを一から教わったのである。
「7がけのガケって何?上代ってどういう意味?それすらも分からなかった」
 と山城は振り返るが、農家ではなくても使い慣れていなければ分からない人は多いだろう。いちおう説明しておくと、7がけといえば定価に0.7を乗じた数字を仕入れ値とすることであり、上代(じょうだい)とは小売価格、いわゆる定価のことを指す。
 ちなみに、この水出し緑茶は、現在は紅茶作りに追われているため手を回すことができないが、いずれ本格的に売り出すことも考えているようだ。
 さて、山城は緑茶作りの傍らで、いよいよ紅茶の実験を始めていた。静岡でとったデータを参考にしながら、萎凋や揉念といった工程をもういちどいろいろなパターンで再現し、沖縄で最適な加工方法を見つけなければならない。
「自分一人の力ではさすがに限界がある。根角さんに相談しよう」
 山城は試作品を作るたびに、国立茶業試験場にいる根角のもとへ郵送し、感想とアドバイスを求めた。
「どうですか?前より発酵時の温度を1度上げてみました」
「香りはよくなったけど少し渋味が強い。揉み方を変えたほうがいいんじゃないか」
 そんなやり取りが何回も続いた。
 ちょうどそのころ、少量ながらも紅茶作りを行う人が全国にちらほらと現れ始め、山城のところにも紅茶を買い取りたいというバイヤーが訪れるようになった。味も品質も、まだまだ単独の茶葉として市場に出せるような状態ではなかったが、ブレンドや増量用に使うなら構わないだろうと思い、年間数十キログラム程度ずつ出荷を続けた。
 しかも、これは絶好のチャンスだ。沖縄産の紅茶として全国に打ち出せるかもしれない。
「一日も早く完成品を仕上げなければ…」
 来る日も来る日も試行錯誤が続いた。





text:冨井穣






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紅茶の島のものがたり vol.13 冨井穣

2009年06月26日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第13話



たかが紅茶、されど紅茶



 緑茶の加工が減点法なら、紅茶は足し算、もしくはかけ算に例えられる。
 茶葉を摘み取った後、緑茶ではそのうま味成分を保持するために「蒸し」「揉み」「乾燥」といった作業を行うのに対し、紅茶は茶葉中の成分を「発酵」させて特有の風味や香りを作り出す。
 紅茶加工の大まかな流れとしては、
①萎凋(いちょう)
②揉捻(じゅうねん)
③発酵
④乾燥
 というのが一般的な工程である。
 萎凋とは訓読みすると、萎(な)えて凋(しお)れること。茶葉を日陰干しするか温風に当ててナヨッとさせ、水分量を減らす。水色と香りを出すために重要な作業である。
 次の工程は揉捻、つまり茶揉みである。葉を揉んで傷をつけ、細胞組織を破壊する。葉の中の酸化酵素を含んだ成分が空気に触れると、徐々に発酵が始まりふんわりと香りが漂ってくる。
 その後、温度と湿度を一定の条件にコントロールした部屋に2、3時間放置して発酵を促進。そのままでは引き続き化学変化が起こるため、ころ合いを見計らって高温熱風に当て発酵を止め、荒茶のできあがりである。
 つまり紅茶とは、この4つの工程の組合せによってさまざまな風味や香り、水色を引き出すことができるわけだ。これだけ聞くとなんだかとても簡単そうに思えるが、1分1秒の差で紅茶の味は大きく変わる。同じ品種でも生育状況や年によって茶葉の状態は均一ではないだろう。
 山城が根角の下で学んだのも、その細かい調整方法だった。根角は紅茶の作り方をひと通り教えてくれはしたものの、当時は確立した方法論はなくいろいろなことがまだ手探りの状態。つまり、紅茶を作ることはできても、果たしてそれがその品種にとって最適な加工法であるのか、どのような根拠に基づいて加工内容を決めるのか、系統立てて説明できる段階にはいたっていなかったのである。
 そこで2人が目指したのは、今ある茶葉を使って世界3大紅茶の味に近づけること。ダージリン、ウバ、キーマンのような味を作るにはどのような手順を踏めばよいのか、その方法を探すことだった。とはいえ、
「萎凋一つとってもいろいろなやり方があります。紅茶関係の書籍などを見ると、“温風に当てて水分含有量を半分近くまで減らす”などと書かれていますが、それでは温風はどれくらいの温度や強さにすればよいのか、水分を減らすのは急速に行うのか時間をかけるのか、その具体的な方法までは分からない。そうなると、4つの工程それぞれについていろいろなパターンが考えられるから、紅茶の加工法には無数の組合せが生じることになります。紅茶の製造技術を確立するには避けては通れない道なので、試験場ではひとつ一つの工程を地道に確認する作業を行っていました。もちろん沖縄で加工する場合を想定し、ふぞろいの芽を使ったりしながら、シミュレーションしていました」
 このときに行ったさまざまな試みが、後に山城紅茶誕生の大きなきっかけとなる。
 さて、今でも山城は根角を恩師として敬愛してやまないほど、すべての研究において多くの示唆を受けた。所属していたのは育種研究室。品種を扱うということは、栽培方法はもちろんのこと、その加工法から実際の味まで知らなければならない。茶農家である山城にとって、そんな研究室のスタイルも肌に合っていたようだ。
 一方で、根角の話を聞いていると、山城のひたむきなようすが目に浮かんでくる。根角は当時のようすについて、
「山城君に限らず、沖縄など南日本の生徒がいれば、気候が適しているから紅茶をやったらどうかと勧めていました。紅茶の作り方も全員にひと通り教えていましたが、将来の仕事とかかわりのある生徒はほとんどいないからまるで興味を示さない。それを山城君は、ほかの生徒が聞き流すような話の細部までしっかり覚えていて、いま実践しているのだから、私としてはうれしい限りです」
 山城君とは飲み仲間。彼は熱く語るタイプだから、酒の場でもいろいろな話をしたかもしれませんね、と振り返る。そして、
「山城君が卒業研究のテーマに選んだのが、『これからの沖縄茶業について』。私の研究室は育種専門だから理系的な内容でまとめる生徒が多いのですが、彼の卒論はいわば文系的。緑茶や紅茶などひとつ一つの課題について自分なりの考察を述べたもので、彼らしいユニークな卒論だったと思います」
 そこで挙げられていた課題とは、取りも直さず山城が沖縄へ戻ってから調査しようと考えていたものばかり。今でも山城は、それぞれのテーマに優先順位を付けて確認作業を続けている。
 こうして2年間の研修生活を終えた山城は、これからの沖縄茶業を再生すべく、意気揚々と故郷へ帰って行った。




写真は久しぶりに現在の茶園から。この日は地元中学生の職場体験があり、摘み取った茶葉を1時間以上かけて揉んでいました。




text:冨井穣



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紅茶の島のものがたり vol.12 冨井穣

2009年06月19日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第12話


茶園の友は酒飲み仲間

 

 山城は1999年入所の第41期生。1990年代といえば茶業界にとって大きな変革の時代に当たり、家庭で消費される緑茶が減少する一方で缶やペットボトルの茶系飲料が増加し、大規模機械栽培へと生産体制が変化し始めたころである。例えば緑茶飲料の生産量は、1991年から2000年までの10年間で約10倍にまで成長し、現在は国内の緑茶消費量の約2割を占めている。

 世の中に目を移せば、90年代はいわゆる「沖縄ブーム」の黎明期。ブラウン管では沖縄出身のアーティストの音楽が毎日のように流れ、沖縄を訪れる観光客や移住者は年を追うごとに増加。九州沖縄G8サミットが開かれたのが2000年、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」が放映されたのがその翌年である。

 そんな時代背景も手伝って、山城は「沖縄出身」というだけで学内でも周囲の茶農家との間でも話題に事欠かず、人一倍交流を深めることができたそうだ。逆に30年ほど前は、大阪や横浜で沖縄人街が形成され、沖縄出身者に対する差別や偏見があったというのだから、実に恵まれた境遇だったと言えるだろう。

 そして山城の交遊を語るとき、切っても切れないのが「酒」である。山城の同期生に当時の印象を尋ねると、酒にまつわる逸話が幾つも飛び出してきて興味深い。現在は福岡県で茶販売店を営む原口隆文は「暇な時間があれば本を読んだり機械をいじってテストしたり、とても研究熱心でした」とお茶に対するどん欲な姿勢を評価する一方で、「夜は毎晩のように付き合わされました。実際は僕が年上なんですが、山城君のほうが10歳以上年配のような雰囲気がありましたね」と振り返る。京都で茶問屋に勤める西村公助も同様の感想を持つ。「山城のイメージといえば酒。同期の間では“おっちゃん”の愛称で通っていた」。

 2年次の研究室選びも酒飲み話が絡んでいる。1年次からあちこちの研究室に顔を出し、紅茶に造詣が深い担当教官に付くことを決めていた山城は、紅茶研究を進めるに当たり発酵工程が必要なウーロン茶の研究もしようと考えていた。そんな折、西村が研修終了後に中国へ留学する予定であることを知り、「中国といえばウーロン茶でしょう」と説得。西村をウーロン茶研究担当になるよう仕向けることに成功したのである。
 こうして晴れて二人は「育種研究室」へ進学。担当教官の根角厚司(現・野菜茶業研究所枕崎茶業研究拠点代表)に師事し、それぞれ紅茶とウーロン茶を専門に研究に着手した。

 育種研究室とは名の通り、メインの研究テーマは茶品種の開発で、例えば対病性や対虫性、多収性、耐寒性、味といった異なる特性を持った品種同士を掛け合わせ、新品種を作ることなどを行っている。ただし国立茶業試験場の基本姿勢として、お茶にかかわるありとあらゆる研究を自由に行える仕組みがあり、師匠の根角もそれを認めていた。

 また何と言っても、紅茶づくりの知識と技術を持っている研究員は、施設内に根角一人しかいなかった。過去最高の紅茶輸出量を記録した昭和30年代、牧之原周辺の茶農家はほとんどが紅茶生産を行っていたにもかかわらず、である。今でこそ「国産紅茶」を作る動きは全国あちこちで少しずつ表れているが、根角の技術を受け継ぐ山城のような人物がいなければ、日本の紅茶づくりは過去の遺産に成り下がってしまったのではないか。
「根角さんには紅茶の可能性を含め、沖縄の茶業に関することは何でも話し、できる範囲のことは何でも行いました」
 と山城は述懐する。紅茶に関しては、
「基本的な加工方法を確認した後、沖縄の生葉条件に近くなるよう芽の成長が違う生葉を収穫し、それで紅茶加工をしてみたり、発酵時間が味にどれくらいの変化をもたらすかを調べたりと、まあ、いろいろです」

 細かい実験方法などについては次稿に譲るとして、ここでは話を進める前に、同期生二人の山城紅茶に対する感想を紹介しておこう。
 茶販売店の原口は「緑茶のような紅茶、という印象がある。紅茶は世界的に見て、ミルクや砂糖を入れて飲むことが圧倒的に多い。それを日本人の嗜好に合わせて、緑茶同様、何も加えず飲めるよう味や香りを工夫しているのではないか」と話す。そして茶問屋の西村は「沖縄と地理的に近い台湾では昔から、半発酵茶のウーロン茶が主流。それを考えると山城のやっていることは理にかなっている」と気候上の利点を挙げ、「いま国内で紅茶づくりを行っているのは緑茶農家がほとんどで、二番茶や三番茶は高く売れないから“国産紅茶”というブランドを付けて出荷するケースが多い。でも山城は専業の紅茶農家ですから、味、品質ともに国産紅茶としては間違いなくナンバーワンでしょう」。

 彼らは今でも頻繁に連絡を取り合うなど交流があるそうだが、大の男同士が茶(と酒)を酌み交わし、あれこれウンチクを言い合っている光景を想像すると、思わずニヤリと笑みがこぼれてしまう。(文中敬称略)



※写真は研修生寮と授業の様子(独立行政法人・農研機構野菜茶業研究所提供)



text:冨井穣



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