第12話
茶園の友は酒飲み仲間
山城は1999年入所の第41期生。1990年代といえば茶業界にとって大きな変革の時代に当たり、家庭で消費される緑茶が減少する一方で缶やペットボトルの茶系飲料が増加し、大規模機械栽培へと生産体制が変化し始めたころである。例えば緑茶飲料の生産量は、1991年から2000年までの10年間で約10倍にまで成長し、現在は国内の緑茶消費量の約2割を占めている。
世の中に目を移せば、90年代はいわゆる「沖縄ブーム」の黎明期。ブラウン管では沖縄出身のアーティストの音楽が毎日のように流れ、沖縄を訪れる観光客や移住者は年を追うごとに増加。九州沖縄G8サミットが開かれたのが2000年、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」が放映されたのがその翌年である。
そんな時代背景も手伝って、山城は「沖縄出身」というだけで学内でも周囲の茶農家との間でも話題に事欠かず、人一倍交流を深めることができたそうだ。逆に30年ほど前は、大阪や横浜で沖縄人街が形成され、沖縄出身者に対する差別や偏見があったというのだから、実に恵まれた境遇だったと言えるだろう。
そして山城の交遊を語るとき、切っても切れないのが「酒」である。山城の同期生に当時の印象を尋ねると、酒にまつわる逸話が幾つも飛び出してきて興味深い。現在は福岡県で茶販売店を営む原口隆文は「暇な時間があれば本を読んだり機械をいじってテストしたり、とても研究熱心でした」とお茶に対するどん欲な姿勢を評価する一方で、「夜は毎晩のように付き合わされました。実際は僕が年上なんですが、山城君のほうが10歳以上年配のような雰囲気がありましたね」と振り返る。京都で茶問屋に勤める西村公助も同様の感想を持つ。「山城のイメージといえば酒。同期の間では“おっちゃん”の愛称で通っていた」。
2年次の研究室選びも酒飲み話が絡んでいる。1年次からあちこちの研究室に顔を出し、紅茶に造詣が深い担当教官に付くことを決めていた山城は、紅茶研究を進めるに当たり発酵工程が必要なウーロン茶の研究もしようと考えていた。そんな折、西村が研修終了後に中国へ留学する予定であることを知り、「中国といえばウーロン茶でしょう」と説得。西村をウーロン茶研究担当になるよう仕向けることに成功したのである。
こうして晴れて二人は「育種研究室」へ進学。担当教官の根角厚司(現・野菜茶業研究所枕崎茶業研究拠点代表)に師事し、それぞれ紅茶とウーロン茶を専門に研究に着手した。
育種研究室とは名の通り、メインの研究テーマは茶品種の開発で、例えば対病性や対虫性、多収性、耐寒性、味といった異なる特性を持った品種同士を掛け合わせ、新品種を作ることなどを行っている。ただし国立茶業試験場の基本姿勢として、お茶にかかわるありとあらゆる研究を自由に行える仕組みがあり、師匠の根角もそれを認めていた。
また何と言っても、紅茶づくりの知識と技術を持っている研究員は、施設内に根角一人しかいなかった。過去最高の紅茶輸出量を記録した昭和30年代、牧之原周辺の茶農家はほとんどが紅茶生産を行っていたにもかかわらず、である。今でこそ「国産紅茶」を作る動きは全国あちこちで少しずつ表れているが、根角の技術を受け継ぐ山城のような人物がいなければ、日本の紅茶づくりは過去の遺産に成り下がってしまったのではないか。
「根角さんには紅茶の可能性を含め、沖縄の茶業に関することは何でも話し、できる範囲のことは何でも行いました」
と山城は述懐する。紅茶に関しては、
「基本的な加工方法を確認した後、沖縄の生葉条件に近くなるよう芽の成長が違う生葉を収穫し、それで紅茶加工をしてみたり、発酵時間が味にどれくらいの変化をもたらすかを調べたりと、まあ、いろいろです」
細かい実験方法などについては次稿に譲るとして、ここでは話を進める前に、同期生二人の山城紅茶に対する感想を紹介しておこう。
茶販売店の原口は「緑茶のような紅茶、という印象がある。紅茶は世界的に見て、ミルクや砂糖を入れて飲むことが圧倒的に多い。それを日本人の嗜好に合わせて、緑茶同様、何も加えず飲めるよう味や香りを工夫しているのではないか」と話す。そして茶問屋の西村は「沖縄と地理的に近い台湾では昔から、半発酵茶のウーロン茶が主流。それを考えると山城のやっていることは理にかなっている」と気候上の利点を挙げ、「いま国内で紅茶づくりを行っているのは緑茶農家がほとんどで、二番茶や三番茶は高く売れないから“国産紅茶”というブランドを付けて出荷するケースが多い。でも山城は専業の紅茶農家ですから、味、品質ともに国産紅茶としては間違いなくナンバーワンでしょう」。
彼らは今でも頻繁に連絡を取り合うなど交流があるそうだが、大の男同士が茶(と酒)を酌み交わし、あれこれウンチクを言い合っている光景を想像すると、思わずニヤリと笑みがこぼれてしまう。(文中敬称略)
※写真は研修生寮と授業の様子(独立行政法人・農研機構野菜茶業研究所提供)
text:冨井穣
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茶園の友は酒飲み仲間
山城は1999年入所の第41期生。1990年代といえば茶業界にとって大きな変革の時代に当たり、家庭で消費される緑茶が減少する一方で缶やペットボトルの茶系飲料が増加し、大規模機械栽培へと生産体制が変化し始めたころである。例えば緑茶飲料の生産量は、1991年から2000年までの10年間で約10倍にまで成長し、現在は国内の緑茶消費量の約2割を占めている。
世の中に目を移せば、90年代はいわゆる「沖縄ブーム」の黎明期。ブラウン管では沖縄出身のアーティストの音楽が毎日のように流れ、沖縄を訪れる観光客や移住者は年を追うごとに増加。九州沖縄G8サミットが開かれたのが2000年、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」が放映されたのがその翌年である。
そんな時代背景も手伝って、山城は「沖縄出身」というだけで学内でも周囲の茶農家との間でも話題に事欠かず、人一倍交流を深めることができたそうだ。逆に30年ほど前は、大阪や横浜で沖縄人街が形成され、沖縄出身者に対する差別や偏見があったというのだから、実に恵まれた境遇だったと言えるだろう。
そして山城の交遊を語るとき、切っても切れないのが「酒」である。山城の同期生に当時の印象を尋ねると、酒にまつわる逸話が幾つも飛び出してきて興味深い。現在は福岡県で茶販売店を営む原口隆文は「暇な時間があれば本を読んだり機械をいじってテストしたり、とても研究熱心でした」とお茶に対するどん欲な姿勢を評価する一方で、「夜は毎晩のように付き合わされました。実際は僕が年上なんですが、山城君のほうが10歳以上年配のような雰囲気がありましたね」と振り返る。京都で茶問屋に勤める西村公助も同様の感想を持つ。「山城のイメージといえば酒。同期の間では“おっちゃん”の愛称で通っていた」。
2年次の研究室選びも酒飲み話が絡んでいる。1年次からあちこちの研究室に顔を出し、紅茶に造詣が深い担当教官に付くことを決めていた山城は、紅茶研究を進めるに当たり発酵工程が必要なウーロン茶の研究もしようと考えていた。そんな折、西村が研修終了後に中国へ留学する予定であることを知り、「中国といえばウーロン茶でしょう」と説得。西村をウーロン茶研究担当になるよう仕向けることに成功したのである。
こうして晴れて二人は「育種研究室」へ進学。担当教官の根角厚司(現・野菜茶業研究所枕崎茶業研究拠点代表)に師事し、それぞれ紅茶とウーロン茶を専門に研究に着手した。
育種研究室とは名の通り、メインの研究テーマは茶品種の開発で、例えば対病性や対虫性、多収性、耐寒性、味といった異なる特性を持った品種同士を掛け合わせ、新品種を作ることなどを行っている。ただし国立茶業試験場の基本姿勢として、お茶にかかわるありとあらゆる研究を自由に行える仕組みがあり、師匠の根角もそれを認めていた。
また何と言っても、紅茶づくりの知識と技術を持っている研究員は、施設内に根角一人しかいなかった。過去最高の紅茶輸出量を記録した昭和30年代、牧之原周辺の茶農家はほとんどが紅茶生産を行っていたにもかかわらず、である。今でこそ「国産紅茶」を作る動きは全国あちこちで少しずつ表れているが、根角の技術を受け継ぐ山城のような人物がいなければ、日本の紅茶づくりは過去の遺産に成り下がってしまったのではないか。
「根角さんには紅茶の可能性を含め、沖縄の茶業に関することは何でも話し、できる範囲のことは何でも行いました」
と山城は述懐する。紅茶に関しては、
「基本的な加工方法を確認した後、沖縄の生葉条件に近くなるよう芽の成長が違う生葉を収穫し、それで紅茶加工をしてみたり、発酵時間が味にどれくらいの変化をもたらすかを調べたりと、まあ、いろいろです」
細かい実験方法などについては次稿に譲るとして、ここでは話を進める前に、同期生二人の山城紅茶に対する感想を紹介しておこう。
茶販売店の原口は「緑茶のような紅茶、という印象がある。紅茶は世界的に見て、ミルクや砂糖を入れて飲むことが圧倒的に多い。それを日本人の嗜好に合わせて、緑茶同様、何も加えず飲めるよう味や香りを工夫しているのではないか」と話す。そして茶問屋の西村は「沖縄と地理的に近い台湾では昔から、半発酵茶のウーロン茶が主流。それを考えると山城のやっていることは理にかなっている」と気候上の利点を挙げ、「いま国内で紅茶づくりを行っているのは緑茶農家がほとんどで、二番茶や三番茶は高く売れないから“国産紅茶”というブランドを付けて出荷するケースが多い。でも山城は専業の紅茶農家ですから、味、品質ともに国産紅茶としては間違いなくナンバーワンでしょう」。
彼らは今でも頻繁に連絡を取り合うなど交流があるそうだが、大の男同士が茶(と酒)を酌み交わし、あれこれウンチクを言い合っている光景を想像すると、思わずニヤリと笑みがこぼれてしまう。(文中敬称略)
※写真は研修生寮と授業の様子(独立行政法人・農研機構野菜茶業研究所提供)
text:冨井穣
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