熊本のむかし話/熊本県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1973年
姉妹といっても、姉は前のお母さんの子。自分の子だけかわいがり、姉のお藤は、掃除、ご飯炊き、洗濯と休むひまもないほど働きづめ。このあたりはまあ昔話の定番。
ある日、近くの冷たい川で菜っ葉を洗っていると、りっぱな身なりの殿さまがとおりかかり、お藤をみて、おもわず「谷川の 小菜ふりすすぐ おとめ子の 背の高ければ 妻にしたしきを」と、歌を詠みました。背がもうすこし高いなら、妻にしたいという意味です。
すると、お藤はにっこりわらって「この山の つつじ椿を ごろうぜよ 背は低けれど 花は咲きたり」と返します。こんな、りっぱな歌をすぐにつくって返したお藤を、妻にほしいと、殿さまは何日かたってから、お藤の家にやってきます。
母親は、お藤にぼろぼろの着物を着せ、顔にはなべについた煤をぬらせ、真っ黒な顔にして台所の隅に隠してしまいました。
殿さまの相手をしたのは妹でしたが、何か違う、この前会ったむすめは、もっと上品であったし、もっときれいであった・・と、ためしに歌をつくよう言いました。ところが、むすめは困りました。歌なんてつくったことがないのです。
しかたなく歌をつくりましたが、あまりにもへたな歌。するとどこからか歌。もちろんお藤です。殿さまはお藤を探し出し、かごに乗せてお城に向かいました。
あたらしい母親は、いままでなんでもお藤にさせていたので食事の道具の置き場所さえわかりません。それに気がつき、かごをおいかけて「お藤、ご飯のしゃもじはどこにあるか」とたずねました。
すると、かごのなかから「ふじふじと 呼ばることも きょうかぎり あすよりのちは お藤さまさま」と、お藤の声が聞こえて、かごはそのままお城にすすんでいきました。
和歌の原典である万葉集には恋の歌が多いという。和歌が詠めなければ男女の関係も進展しないという優雅な時代もありました。
「ぼんさらや」というタイトルは、お藤が詠んだ歌のでだしです。