3年 森 悠貴
夜が涼しくなり始め、コオロギなど秋を代表する虫が鳴きはじめました。僕は小さい頃からこの季節から秋の終わりまでの期間が大好きで、よく散歩に出かけます。心地よい気温と、変わり始めた空気の香りと、吸い込まれるような季節独特の色合いの空が精神を研ぎ澄ませてくれる気がするからです。その散歩のときに、ふと思い出したことを書こうと思います。
僕は何年か前から、傷病鳥獣を一時的に保護し野生に返すサポーターをしています。放っておけば死亡するであろう個体が救護された後に僕たちサポーターの元へ届けられるのですが、5~6年程前、その届けられた個体の中に二匹のイワツバメの雛がいました。まだ飛翔するには早すぎて、自力で餌を取ることは不可能でした。専門家からのアドバイス通り、一日に200匹のカイコの幼虫を殺しては彼らに与える生活の中で、何か頭に引っかかるものがありました。小中学校などで教師から口うるさく言われた、「命は平等だ」という疑いもしなかった言葉に大きな違和感を覚えたのでした。この放鳥できるかも分からない二匹のために、毎日その100倍もの命を殺す意味は何なのだろう、この二匹を保護することは、単なるエゴではないか、そんな疑念に駆られた事がありましたが、それらを完全に払拭する答えが見つからないまま今日まで生きてきました。
世の中には人の都合で保護される動物がいる一方で、駆除され続ける野生動物が沢山います。せめて自分の心くらい納得させられる感情論ではない答えがいつかは出せるようになりたいと強く思いました。
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