教授 高槻成紀、 4年 岩田 緑
仙台海岸に戻って来たタヌキの食性を分析していますが、調査を始めてから1年が経ったので、このあたりで報告しておきます。
ことのおこりは私が在学した東北大学の植物生態学研究室の後輩である平泉さんからのメールでした。南蒲生の植物や動物の復興は平吹さんたちの論文(平吹ら, 2011)を読んで感銘を受けていましたが、自分でお手伝いできることも見当たらず、ただ気持ちで応援するだけでした。それが平泉さんのメールで小さな隙間がこじ開けられたような気がしました。平泉さんによると、2013年に南蒲生で鳥の調査をしているときタヌキの糞を見つけたので、分析できる人はいないかといろいろ検索して私にたどりついたのだそうです。たしかに高槻はタヌキの糞で食性を分析した論文を書いています(Hirasawa et al., 2006, Takatsuki et al., 2007)。平泉さんのメールを読んで心の中にさざ波のような心の動きがありました。あの津波でタヌキは死んだか、たとえ生き残ったとしても、遠くに流されたに違いありません。糞があったということは、タヌキが2年後に「戻ってきた」ということです。文字通り戻って来たかどうかはわかりませんが、別のタヌキが新しく来たにしても、残った林にタヌキがいるという状態が戻ったということです。ということは、その林が、タヌキが生きて行ける林に戻ったということでもあります。林が戻るということは、見た目の装置としての林ではなく、見た目は同じようでも、林の下に植物が生え、開花、結実し、それを利用する昆虫がいて、受粉したり、果実を食べる鳥や哺乳類がいるといった動植物のつながりが蘇るということのはずです。生き物のことを調べてきた私たちが「生態系が回復した」というのはそういうことであるに違いありません。そのことを示すのに、自分がコツコツとおこなってきた動物の糞を分析するという技術や知見が役に立つのなら、ぜひ協力したいと思いました。平泉さんに「タヌキの糞をぜひ送ってください」と連絡すると、その後、きちんと送られてきました。
これまでのタヌキの糞分析の経験から私たちが予想したのは、植物が回復したのなら夏には昆虫類がいるから、タヌキはこれを食べるはずだということです。また秋から冬にはベリー類の果実を食べるはずで、関東地方ではジャノヒゲやヒサカキなどがよく食べられますし、初夏にはサクラ類やキイチゴ類がよく食べられます。仙台海岸でも林の下に残っていた土の中にあるキイチゴ類やコウゾなどのベリー類が2年経って結実するようになり、それをタヌキが食べているのではないかと思ったのです。
***
平泉さんによると、津波のとき南蒲生浄化センターの建物の内陸側の林が、津波の勢いが弱くなって残ったそうで、ため糞はそこで見つかったとのことでした。その後、タヌキの糞は岩沼からも発見されましたが、こちらは貞山堀が津波の動きと同じ方向にあったせいか、林への影響は比較的弱かったようです。その後、平泉さんが現場に自動撮影カメラをおいたら、確かにタヌキの姿が写っていました。
分析を始める前に0.5mm間隔のフルイで水洗し、こまかな物質を洗い流します。それを特殊加工したスライドグラスにのせて顕微鏡で調べ、量的評価をします。顕微鏡をのぞくと、糞からいろいろなものが出て来ました。たとえば、夏には昆虫の脚や翅など、ウワミズザクラ、ヤマグワなどの種子が出て来ました。なかには哺乳類の体毛や鳥類の羽毛もありましたし、ゴム手袋の切れ端なども出て来ました。
現段階ではサンプルの半分ほどしか分析が終わっていないのですが、結果をまとめてみると、次のような傾向がありました)。
南蒲生では3月には3分の2が動物質でとくに鳥類の羽毛が40%上検出されました。その後、動物質は徐々に減少して、5月には60%、7, 8月には40%となりました。6月以降は昆虫が20-30%を占め、予想を裏付けました。植物の葉は、春は10%程度でしたが、7, 8月には30-40%もあり、意外でした。種子はどの月もだいたい10%前後でしたが、5月だけは20%以上ありました。これはコメで、時期からして落ち穂などではなく、貯蔵してあったものが食べられたのかもしれません。今後、秋から冬の試料を分析しますが、きっと種子が増えるものと予想されます。
岩沼ではサンプルが十分ではなく、6月、8月、12月しかありません。6月は70%以上が動物質でとくに昆虫が多く、8月になると植物の葉が50%ほどを占めました。12月は種子が60%近くを占めましたが、このほとんどはテリハノイバラでした。
***
このように仙台海岸に戻って来たタヌキは基本的には回復した植物とその群落に生息する昆虫を基本とした食べ物を食べており、それらが乏しくなれば、人工物や鳥類も利用しながらたくましく生きていることが示唆されました。冬に岩沼でテリハノイバラの種子が大量に検出され、タヌキが非常に依存的であることを示唆していました。植生が強く破壊されたあと、テリハノイバラが2年で種子から再生して結実したとは考えにくいので、おそらく地下部が生き延びて、そこから再生した株が結実したのではないかと思います。そういう意味では復活した植物の、復活のプロセス―種子から回復したのか、栄養体が残ったのか、種子であればどういう散布をしたのかなど―を把握することも大切だと思います。
いずれにしても、これらの分析結果は、私たちが期待した「破壊された自然の中でタヌキと植物のつながりが回復しつつある」ことを示唆しています。ただ、予想したキイチゴ類はまだ出て来ていません。それから鳥類の羽毛が何のものであるかなど、課題も残っています。未分析の糞も分析して、また報告させてもらいます。
***
科学的な調査の報告ですから、客観的でなければいけませんが、私自身の率直な思いをいえば、あれだけの壊滅的なできごとのあと、たくましく蘇った植物たちの中にタヌキが戻って来て、季節に応じて食べ物を探してたくましく生きているという事実そのものに感動を覚えずにはいられません。科学研究の根底には自然のことを理解したいという好奇心がありますが、それともうひとつ、少なくとも生態学を学ぶ者にとっては、生き物のすばらしさを讃えたいという思いがあるということを、この分析を通じて改めて確認できたように思います。
仙台海岸に戻って来たタヌキの食性を分析していますが、調査を始めてから1年が経ったので、このあたりで報告しておきます。
ことのおこりは私が在学した東北大学の植物生態学研究室の後輩である平泉さんからのメールでした。南蒲生の植物や動物の復興は平吹さんたちの論文(平吹ら, 2011)を読んで感銘を受けていましたが、自分でお手伝いできることも見当たらず、ただ気持ちで応援するだけでした。それが平泉さんのメールで小さな隙間がこじ開けられたような気がしました。平泉さんによると、2013年に南蒲生で鳥の調査をしているときタヌキの糞を見つけたので、分析できる人はいないかといろいろ検索して私にたどりついたのだそうです。たしかに高槻はタヌキの糞で食性を分析した論文を書いています(Hirasawa et al., 2006, Takatsuki et al., 2007)。平泉さんのメールを読んで心の中にさざ波のような心の動きがありました。あの津波でタヌキは死んだか、たとえ生き残ったとしても、遠くに流されたに違いありません。糞があったということは、タヌキが2年後に「戻ってきた」ということです。文字通り戻って来たかどうかはわかりませんが、別のタヌキが新しく来たにしても、残った林にタヌキがいるという状態が戻ったということです。ということは、その林が、タヌキが生きて行ける林に戻ったということでもあります。林が戻るということは、見た目の装置としての林ではなく、見た目は同じようでも、林の下に植物が生え、開花、結実し、それを利用する昆虫がいて、受粉したり、果実を食べる鳥や哺乳類がいるといった動植物のつながりが蘇るということのはずです。生き物のことを調べてきた私たちが「生態系が回復した」というのはそういうことであるに違いありません。そのことを示すのに、自分がコツコツとおこなってきた動物の糞を分析するという技術や知見が役に立つのなら、ぜひ協力したいと思いました。平泉さんに「タヌキの糞をぜひ送ってください」と連絡すると、その後、きちんと送られてきました。
これまでのタヌキの糞分析の経験から私たちが予想したのは、植物が回復したのなら夏には昆虫類がいるから、タヌキはこれを食べるはずだということです。また秋から冬にはベリー類の果実を食べるはずで、関東地方ではジャノヒゲやヒサカキなどがよく食べられますし、初夏にはサクラ類やキイチゴ類がよく食べられます。仙台海岸でも林の下に残っていた土の中にあるキイチゴ類やコウゾなどのベリー類が2年経って結実するようになり、それをタヌキが食べているのではないかと思ったのです。
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平泉さんによると、津波のとき南蒲生浄化センターの建物の内陸側の林が、津波の勢いが弱くなって残ったそうで、ため糞はそこで見つかったとのことでした。その後、タヌキの糞は岩沼からも発見されましたが、こちらは貞山堀が津波の動きと同じ方向にあったせいか、林への影響は比較的弱かったようです。その後、平泉さんが現場に自動撮影カメラをおいたら、確かにタヌキの姿が写っていました。
分析を始める前に0.5mm間隔のフルイで水洗し、こまかな物質を洗い流します。それを特殊加工したスライドグラスにのせて顕微鏡で調べ、量的評価をします。顕微鏡をのぞくと、糞からいろいろなものが出て来ました。たとえば、夏には昆虫の脚や翅など、ウワミズザクラ、ヤマグワなどの種子が出て来ました。なかには哺乳類の体毛や鳥類の羽毛もありましたし、ゴム手袋の切れ端なども出て来ました。
現段階ではサンプルの半分ほどしか分析が終わっていないのですが、結果をまとめてみると、次のような傾向がありました)。
南蒲生では3月には3分の2が動物質でとくに鳥類の羽毛が40%上検出されました。その後、動物質は徐々に減少して、5月には60%、7, 8月には40%となりました。6月以降は昆虫が20-30%を占め、予想を裏付けました。植物の葉は、春は10%程度でしたが、7, 8月には30-40%もあり、意外でした。種子はどの月もだいたい10%前後でしたが、5月だけは20%以上ありました。これはコメで、時期からして落ち穂などではなく、貯蔵してあったものが食べられたのかもしれません。今後、秋から冬の試料を分析しますが、きっと種子が増えるものと予想されます。
岩沼ではサンプルが十分ではなく、6月、8月、12月しかありません。6月は70%以上が動物質でとくに昆虫が多く、8月になると植物の葉が50%ほどを占めました。12月は種子が60%近くを占めましたが、このほとんどはテリハノイバラでした。
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このように仙台海岸に戻って来たタヌキは基本的には回復した植物とその群落に生息する昆虫を基本とした食べ物を食べており、それらが乏しくなれば、人工物や鳥類も利用しながらたくましく生きていることが示唆されました。冬に岩沼でテリハノイバラの種子が大量に検出され、タヌキが非常に依存的であることを示唆していました。植生が強く破壊されたあと、テリハノイバラが2年で種子から再生して結実したとは考えにくいので、おそらく地下部が生き延びて、そこから再生した株が結実したのではないかと思います。そういう意味では復活した植物の、復活のプロセス―種子から回復したのか、栄養体が残ったのか、種子であればどういう散布をしたのかなど―を把握することも大切だと思います。
いずれにしても、これらの分析結果は、私たちが期待した「破壊された自然の中でタヌキと植物のつながりが回復しつつある」ことを示唆しています。ただ、予想したキイチゴ類はまだ出て来ていません。それから鳥類の羽毛が何のものであるかなど、課題も残っています。未分析の糞も分析して、また報告させてもらいます。
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科学的な調査の報告ですから、客観的でなければいけませんが、私自身の率直な思いをいえば、あれだけの壊滅的なできごとのあと、たくましく蘇った植物たちの中にタヌキが戻って来て、季節に応じて食べ物を探してたくましく生きているという事実そのものに感動を覚えずにはいられません。科学研究の根底には自然のことを理解したいという好奇心がありますが、それともうひとつ、少なくとも生態学を学ぶ者にとっては、生き物のすばらしさを讃えたいという思いがあるということを、この分析を通じて改めて確認できたように思います。
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