今日は、親戚の法事。お天気にも恵まれ、お墓参りの時には素晴らしい陽光の中でした。
この法事で、ちょっと気になるというか、どうなのよって思うことがありました。
それは、菩提寺の住職の長~い説教。というか、あれは説教とは言わないんじゃないかなあと思いましたが。
説教って、普通は人の生き方などを教導するものだろうと思ってきましたが、住職のお話(説教?)は歴史やしきたりについての話。しかも、しきたり(本尊までも)は寺によって違うし家によってそれぞれ違うが、それを代々受け継いでいくことが大切だとの話が延々と続きました。
ここまで地域の風俗や伝統が廃れる時代ですから、その気持ちもわかるのですが、化儀であるしきたりは、流れる歴史の中で変化しながら作られ、受け継がれてきた形式ではないかと思います。だからこそ、地域によって寺によって違うし、家によって違う。
化儀は不変足りえないのではないか?
形式は、時代によって変わるもの、変わらざるを得ないものなのではないかとの思いがあります。
無理矢理に形を継承しようと、心は置き去りにされ、本質が変わってしまう。
穿った見方になるかもしれませんが、住職のお話は、ひょっとして自分の首をつなぎ、良い衣やいい酒食を担保する、そんな為の話だったんじゃあと。
様々な社会問題が一層深刻化する時代ですから、私たち衆生はどう生きるべきなのか、法の上からの教えを聞きたかったなあと思いました。
思わずうつむいてしまうお話は、あまり嬉しくありませんでした。