「ラカン」 フィリップ・ヒル 著
(ちくま学芸文庫)
心理学関係の本を手に取るのは10年振り近くか。心理学なんてとっくに見限ったが。
今若者の間でラカンが静かに読まれているとのことなので、ちとひやかしに読んでみた。
……古いね。フロイトやユングを読んだときもそう感じたが。
道路に横たわっているところをみられるのでは、という恐怖から引きこもってた女性。彼女は過去の素行から堕落した(Fallen)女と思われることに恐怖心を持っており、それが倒れた(Fallen)女としてのイメージを通して症状となって現れていた……。
……。当時はともかく、現代人に通用する精神分析とは思えない。言葉遊びとしては面白いけど。
元ユング信奉者から見て、P41のユングの思想への理解もお粗末。
ユングのいう集合無意識や元型というのは、イデアの概念に似てはいるが、もっと原初的な人間の心の基本構造。犬や猫といった言語(というか単語)に依存しているわけではない。
例えば、各地の神話や伝承に繰り返し現れるモチーフ、ああいったものを人間に共通した心の傾向と考えているわけ。
ラカンはイメージというのは言語活動に依存するものと考えていたようだが、それはあくまでラカン派での前提。
この筆者はその前提をユングやプラトンにまで持ち込んでごっちゃになってしまったらしい。
ただひとつ、俺の琴線に触れたのは、「人は言語活動によってのみ他者とつながり、同時に言語活動によって永遠に分断されている」という考え。
この辺りが現代の日本の若者に支持される要因なのかもしれない。
って、俺も現代の日本の若者だけど。
つか、まだ1/3くらいしか読んでないけど。
最後にもうひとつ突っ込み。
P13、ハーケンクロイツのつもりらしいが、これ万字(卍)。
ハーケンクロイツはルーン文字のSをふたつ重ねた図。