布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

宮崎死刑囚に刑を執行

2008-06-18 09:10:34 | ニュース
幼女連続殺人の宮崎死刑囚に対して、刑が執行された。

鳩山法相になって死刑が執行されたのは13人で、一時期中断していた死刑が再開された93年以降では最多だという。死刑確定から執行まで2年4ヶ月というのは、平均の8年と比べてもかなり短い。
ということで、死刑廃止の推進議連(ややこしい名称だ)会長の亀井静香は「ベルトコンベヤーのように処刑していくのは異常事態だ」とコメントしている。

以前に書いたことと重複するのだけど。
量刑を決定するのは、法相ではないし、内閣でもない。これらは行政府にすぎない。もちろん立法府である国会でもない。司法府である裁判所が決定し、三審制により最高裁で死刑が確定する。
そして国会、つまり私たち市民の代表が決めた法律では、刑事訴訟法475条で、死刑確定から6ヶ月以内に法務大臣の命令により執行されることを定めている。死刑に関する民意としてはこれが唯一公式なものだ。

「2年4ヶ月というのは平均の8年に比べて短い」というが、2年4ヶ月というのでさえ、違法性を問われる遅さだったわけだ。(ただし同法では、再審の請求や恩赦の出願等の期間は「6ヶ月」に含めないとも定められている。)
亀井は「ベルトコンベヤーのように」というが、死刑の執行に「法務大臣の命令」が必要とされていることに理由があるとは思うが、行政府の一員である法相が司法府の決定を無視していいのだろうか。法の執行が法相の判断に左右されたり、つまり行政府が司法府に優越するようでは「三権分立」は有名無実になってしまうんじゃないだろうか。死刑判決を受けるほどの違法行為でさえそうであるなら、スピード違反や駐車違反などの軽いものなどは裁判所の決定がいくらでも行政によって無視されるようになっておかしくない。死刑の執行をいくらでも引き伸ばせるなら、罰金の徴収だっていくらでも引き伸ばせる(お目こぼしできる)だろう。

私が死刑に賛成か反対かということではない。
死刑が問題だというなら、問題は死刑執行ではなく死刑判決にある、と言いたいだけだ。死刑が確定した者に対して6ヶ月を超えて執行命令を出さないほうが違法なんだから。

「死刑判決が間違っていたら?執行したあとでは取り返しがつかないではないか」という意見があるが、そのために、再審請求の期間は「6ヶ月」に含まないとされている。
それに、時間を戻すことが人間にできない以上、執行したあとでは取り返しがつかないということでは懲役刑だって同じだ。まさか「冤罪で死刑になるのは問題だが、懲役刑の刑期終了前に獄中で病死しても問題はない」などというのではないだろう。死刑の問題と冤罪防止の問題は別の話しなんだ。

「宮崎死刑囚が一言の反省も謝罪もないまま、刑が執行された」というのを突っつく報道もあったが、これもどうなのだろう。「反省や謝罪をしないうちは、刑が執行されることはない」となれば、判決を受け止め切れていない死刑囚は誰も反省や謝罪をしなくなるんじゃないだろうか。