布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

仕事

2005-07-31 21:00:00 | 日記
現在開発しているWebシステムの一部機能が7/31にリリースされる。
それで昨日は、無事リリースと安定稼動を祈念したいということもあって堺福音教会・東京チャペルの水曜集会に参加し、牧師にも祈りのバックアップをお願いしてきた。

その甲斐があったというべきか。
発見されるのが今日じゃなかったら、あるいは今日中に解決されなかったら、大問題になるような事象が発見され、ギリギリで解決された。

人によっては「偶然だ。運がよかっただけだ」と言うかもしれない。
けれど私は、全能の神に祈る祈りには力があることを知っている。

「そもそもこのような問題点があったこと自体、『無事』を祈った甲斐がなかったんじゃないか?」と言う人もあるかもしれない。
けれど私は、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」という聖書の言葉を信じている。(新約聖書の、コリントの信徒への手紙一10章13にある)

ところで、仕事の帰り際に「解決してよかったよね」という話しをしている中で、「教会に行って祈ってきた甲斐がありました」と言っていたら、「完全にクリスチャンなんですか?」という質問を受けた。
たぶん、ミッション系の幼稚園や学校を出ただけとか、教会で結婚式をしただけということでなく、キリスト教を信仰している人なのか、という意図だったのだろうけれど、聞かれてかなりドキッとした。『完全にクリスチャン』とは、どんなクリスチャンなのだろうかと。

聖書にはたとえばこうある。
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:48)
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたし【キリスト】に従いなさい。」 (マタイ19:21)
「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:2)
「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。」(第2コリント7:1)
「あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(ヤコブ1:4)
「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。」(ヤコブ3:2)

完全には、ほど遠い。。。