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布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

両陛下が台風14号被災地にお見舞金

2005-09-09 12:42:08 | 天皇・皇室
天皇、皇后両陛下が、台風14号で大きな被害を受けた宮崎県と鹿児島県にお見舞いのため金一封を贈ったとのこと。

あれ?皇室が財産をどうにかする場合、国会の議決が必要だと学校で習った気がしたのだけど。
と思って調べたら、憲法8条だ。「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。」
たぶん、憲法について学校で習ったときに頭に残ったんだろう。とすると、衆院解散中だというのに、臨時国会でも開いて議決したのかな。

と思ってもうちょっと調べたら、別に「皇室経済法」というのがあって、その第2条に「左の各号の一に該当する場合においては、その度ごとに国会の議決を経なくても、皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が財産を譲り受け、若しくは贈与することができる。」
さらに皇室経済法施行法の第2条には「法第二条第四号の一定価額は、左の各号による。一 天皇及び法第四条第一項に規定する皇族については、これらの者を通じて、賜与の価額は千八百万円、譲受の価額は六百万円とする。」

つまり、いちいち国会で議決しなくても、国会で議決済みの法に定められた範囲内の額ならいいよ、ということのようだ。

ところで今回のお見舞いの額はどれくらいだったのだろう。

昭和天皇と高松宮

2005-05-16 06:34:23 | 天皇・皇室
「高松宮日記」を読んでいるところに「昭和天皇独白録」も読んだのは、とてもおもしろかった。
高松宮について天皇は、昭和20年8月12日の皇族会議に関連して各皇族について述べる際に「高松宮はいつでも当局者の意見には余り賛成せられず、周囲の同年輩の者や、出入の者の意見に左右され、日独同盟以来、戦争を謳歌し乍ら、東条内閣では戦争防止の意見となり、其后は海軍の意見に従はれた、開戦后は悲観論で、陸軍に対する反感が強かつた。」と述べておられる。

昭和天皇と高松宮については、兄弟不仲だったとも言われており、それだけ考えると昭和天皇の高松宮に対するこの評価も「陛下の主観におけるこの気持ちもわからないでもない」という気がしてしまうが、高松宮日記を読んでくると、この評価は実はほぼ客観的であること、そしてそう評価される高松宮の言動にも理由があってのこととわかってくる。

おそらく、高松宮が戦争を謳歌していたというのは、殿下が艦隊勤務にこだわり、前線に出ることを要望し続けたことを言っておられるのだろう。殿下が艦隊勤務にこだわったのは、政策的な都合であろうとも皇族が海軍に入った以上は特別扱いされるべきではないと考えていたからだったことが御日記に記されている。前線に出ることを要望したのも好戦的だったからではなく、皇族の一人でも戦死してみせ、あるいはせめて負傷でもしてみせなければ、天皇の軍隊として戦っている兵たちやその家族に対して説明がつかないという思いからであったこと、にも関わらず、秩父宮が病気であったために「天皇陛下に万一」の場合の代打のために殿下を安全なところにおくことばかり考えている上層部への腹立ちも、御日記に吐露されている。

つまり御日記を読む限り、殿下は戦争を謳歌してはおらず一貫して「戦争防止の意見」だった。というかそもそも海軍は開戦反対であり、伝統的に親英だった。
「海軍の意見に従はれた」のも、自分は皇族であると同時に(あるいはそれ以前に)海軍軍人との一人と見ていた殿下には当然であり、そして海軍は開戦前から悲観論というか「無理だ」と言っていたのを陸軍が押し通したのであり、海軍伝統の親英路線を踏みにじって日独同盟に至らせた陸軍に対する反感は、殿下のみならず海軍に蔓延していたのではないだろうか。

両陛下のアイルランド訪問

2005-05-09 23:25:04 | 天皇・皇室
天皇陛下は皇后陛下とともに、20年ぶり(つまり皇太子時代以来)のノルウェーとアイルランドをご訪問中。

メールマガジン「世界キリスト教情報」によると、まず訪れたアイルランドで5月8日、グレンダ・ロッホにある初期キリスト教会遺跡群を約1時間視察なさったとのこと。
常々、今上天皇とキリスト教との距離について感心があったのだけど、ご出発前の記者会見でも皇后陛下が
 私の学生時代,聖心でも雙葉でも,アイルランドの修道女のお姿を見る機会は多く,直接お教えを受ける機会は少なかったのですが,どなたも魅力的で美しく,今そのお一人お一人を,お名前と共に思い出します。
等語られたのが印象的。